三話 後ろがみはひかれず
3
なんとなく、先程から自分に違和感があった
どうして私は躊躇なくナニカを殺しているのだろう
以前は虫だってできるかぎり殺さずに逃がしていた
『もしかしたら私もあのナニカ達と同じモノになったのかもしれない』
ふと、そんなことを考えた
道で出遭う獣のようなナニカも、人に似た形態のナニカも、私は戸惑いなく殺している
ナニカ達も私を見るなり襲いかかってくる
街の中心部へ近づくほど、ナニカは赤みを帯びていた
それは元来の色ではなく、赤い液体に染まっているのだ
異臭も濃くなる
私を襲ってこない肉塊もたまに見かけた
決まって周囲には小綺麗だったはずの布切れや靴が散らばっていたけれど、私にはそれらが何を意味するのか分からない
住宅地からいくらか離れ、背の高いビルが並ぶ通りに辿り着いた
久しぶりに激しい運動をしたにも関わらず、あまり疲れは出ていない
驚くことにここまで人間とは出会わなかった
ナニカはたくさんいたが何びきかが襲ってきてそれを殺せば、他は襲ってこなかった
何度かそんなことを繰り返した
さすがに身体に少し掠り傷を負ったが、ぴりぴりするくらいで痛くはない
母はいったいどこまで逃げたのだろう
道を間違えたかもしれない
そう思い始めた頃、ようやく私は人間に出会った
「大丈夫か!?よくここまで辿り着いたな!もう安心していい!」
四車線道路を塞ぐように止まった市営バス
その上から彼はとても嬉しそうに叫んだ
高校生くらいに見えるその青年は鉄かアルミでできたような鎧を纏い、手には大振りの剣を持っていた
少しだけ、包丁を持つ手に力が入る
青年は軽くバスの上から地面へ飛び降り、数メートル先のこちらへ歩いてきた
「もう怖がらなくていい 市民は俺達ができるかぎり保護している 少し、間に合わなかったけれど」
わずかに目を伏せ、それでも人好きのよい笑顔でそう声をかけてくる
しかし残り一メートル程度の距離で彼は止まった
怪訝そうな顔をしている
私が何も言わないからだと、なんとなく分かった
『母を探しています 名は夜月サチ そちらにいますか?』
だから私はそう声をかけた
青年は少しだけまた嬉しそうに笑ったが、すぐにその表情が曇った
「いや、悪い まだ市民の把握が完全ではないから… 戻って聞いてみよう 君も、こっちへ」
ばつの悪そうな顔で彼はそう言った
その言葉に微かに自分の眉が動いたのが分かった
母はまだこの危険な街のどこかにいるのかもしれない
しかしまずは市民の避難場所へ確認に行くのが良策だろうか
とりあえず私は青年の方へ歩み寄った
青年は近晴と名乗った
ナニカを彼は魔物と呼んだ
近晴は以前から異世界の研究をしていた機関の人間で、今は市民の安全を確保しているらしい
「世界の至るところで同時に魔物は発生した たぶん、魔王の核が産まれたんだと思う」
ずいぶんと真面目な顔で近晴は語る
私はそれをゆるゆると聞き流しながら、近晴の纏っているものを見ていた
ところどころに薄く傷がついているものの、まだ新しい品だと思う
先程抜かれていた剣は腰の鞘へと納まり、今は沈黙している
少なくとも現代には似つかわしくない装備だ
それにこういう時、自衛隊が出てくるのが普通ではないだろうか
そういったことに詳しくはないが、なんとなく民間の機関がすることではないと思った
バスのあった前線から更に離れたところ、市役所前に広がる公園が拠点だった
公園といっても遊具などのない、草の生えた広場だ
普段何もないそこには、多くのテントと疲れきった様子の人間で溢れ返っていた
目のつくところに母はいない
数人だけかつての級友らしき人がいるくらいだ
嫌な静けさに包まれた公園を近晴は淀みなく歩いていく
それについていきながら目で母を探した
幾つかのテントで作られた本部には、近晴のような格好の人間がそれなりの数、動いていた
近晴はその中の受付のような女性に何かを話し、女性は分厚い紙の束をめくる
私はそれを他人事のように少し遠くから見ていた
ほどなく、近晴がこちらへ戻ってきた
「夜月サチという女性は保護していないようだ 今、捜索隊が手分けして市民を捜している だから安心して……」
私は話の途中で近晴から離れた
母がいないのならここに用はない
私は母を見つけたいのだ
しかし近晴は慌てたように私の腕を掴んだ
「待ってくれ とりあえず君の名前も名簿に乗せるから あっちで話を」
いまだに彼はにこやかに、悠長に話している
『私の名前は夜月飴雪』
それだけ告げて私は彼の手を包丁で切りつけた
何もついていなかった鈍色の包丁はその刃先を赤くする
近晴は驚いた顔で線の入った手を引き、固まった
私は彼に背を向けて歩き出す
彼が何か言おうとしたのが、気配で分かった
私は振り返らなかった