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ロゥグ・オブ・セイント2  作者: RYO太郎
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第一章  争乱の王国 その⑤

 

 


「出てきたぞ!」


 キリコが通りに姿を見せた瞬間、叫び声が重なりあがった。


 荒々しく地面を踏みならす音がそれに続き、通りの一角を占拠した兵士たちが、あいついで腰の長剣を鞘走らせた。 


 その数、およそ三十人。


 その周囲には、なにが起きたのかはわからないが、とりあえず見物しようという、やじ馬精神に駆られた数多の市民でごったがえしていた。

 

 キリコは足を止め、通りに立ちならぶ兵士たちを見まわした。

 

 視界に映る男たちは、そろいもそろって「名誉」という表現とはほど遠い連中だった。

 

 人相は兇悪をきわめ、その雰囲気は下品にして粗暴(そぼう)。兵士というよりは山賊に近いものがある。

 

 その代表格ともいえるあの猿顔兵士が、集団から一歩前に進みでてキリコに吠えたてた。

 

 先の乱闘で負った負傷のせいだろう。その顔には鼻の部分をおおいかくすように白い包帯が巻かれてあったが、猿を擬人化したような面相はまちがいようもない。


「逃げていなかったとは感心だな、赤毛。その殊勝さにめんじて、殺すのだけは勘弁してやろう。だが、名誉ある国軍兵士にたてついた報いとして、手足の(けん)くらいは斬らせてもらおうか。なにしろ、法秩序のなんたるかを大衆にしめす責任があるのだからな、警備兵団(われわれ)には」


「それはまた、立派な心がけで」


 おもわずキリコは失笑しかけた。

 法だの秩序だのと、まるで自分たちこそ正義であるかのようなその口ぶりが笑止だった。


 法と秩序を無視しているのはあきらかに彼らであり、叩きのめされたのは自業自得というものなのだが、兵士たちの中に自省の心をもつ者は誰もいないようだ。そんな心があれば、徒党を組んで押しかけてはこないであろう。

 

 キリコはひとつ息を吐きだし、ふたたび歩を進めた。その表情には、ある種の決意の色が広がっていた。もはや話しあいでの解決は無理と判断したのだ。

 

 もう少しお灸をすえてやるか。そう胸郭でつぶやいたとき、兵士たちの列がにわかにくずれ、その後方から、一人の男が集団の前にゆっくりと進みでてきた。

 

 黒い頭髪を短く刈り、顔の半分を濃いひげでおおいかくした、筋骨たくましい体躯の所有者である。

 

 他の兵士と同様、その男もジェノン紋章の入った甲冑を着けていたが、ひとつ異なるのは両腰に二本のサーベルを吊していたことだ。


「ほう。たった一人で警備兵団にたてついたというから、どれほど屈強な風貌(なり)をした輩かと楽しみにしていたのだが、ふん、なんだ。ただの柔弱そうな小僧ではないか」


 ずしりと響く威圧的な声。肉食獣めいた顔つき。猛禽類を思えわせる両眼。どれひとつとっても、まわりの兵士たちとはあきらかに存在感が違う。そのことにキリコは気づいた。


「ボ、ボイド団長だ……!」


 店内から外の様子をうかがっていたヘルトが、おもわずうめいた。


 キリコの前に進みでてきた兵士のことを、ヘルトはよく知っていたのだ。

 

 男の名はボイドといい、ライエン警備兵団の団長をつとめる人物であった。

 

 ライエン随一の剣手と(うた)われ、二本のサーベルを自在に操る変幻の剣技に通じていることから、「双剣のボイド」という異名を馳せていた。

 

 むろん、目の前で凄みをきかせる男がボイドという名で、兵団長の地位にあり、卓越した剣技の所有者であることなどキリコは知るよしもない。知り得たことといえば、この男が周囲の兵士たちをも圧倒する「いやな目つき」の持ち主ということだ。

 

 軽く肩をすくめて、キリコはボイドに問うた。


「それで、その柔弱な小僧になにか用かな?」


 毒々しい薄笑いがそれに応えた。


「なに、たいした用ではない。きさまを逮捕しにきただけだ」


 どうやら本当らしいとキリコは思った。

 

 ヘルトたちが「逮捕しにくるぞ」と口々に言っても、正直なところ、キリコには半信半疑どころか「一信九疑」だったのだ。

 

 逮捕理由として一番に考えられる兵士への暴行にしても、キリコはジェシカの窮地を救っただけである。逆上して先に殴りかかってきたのは兵士たちで、しかも民間人一人に多勢で襲いかかってきたのだ。

 

 どう考えても非は兵士側にあるとしか思えないのだが、状況がこうなると、むしろどのような罪状を突きつけてくるのか、キリコには興味すら出てきた。


「逮捕するというが、いったいどういう罪状でだ。俺は営業妨害をしている酔っぱらいを店から叩きだしただけだ。それがこの街では、罪として罰せられるのか? 逮捕するならマナーもモラルも知らない、そっちの兵士のほうが先だろう」


「や、やかましい! 団長に口答えするんじゃねえっ!」

 

 歯をむきだしにして猿顔兵士がわめいた。

 

 まさに発狂した猿そのものといった態であったので、キリコはまたも失笑しかけたが、おかげで男の名前と地位を知ることができた。

 

 なるほど、警備兵団の団長だったのか。ボイドの正体を知って、キリコは妙に納得したものである。

 

 あの部下にしてこの上司とは、さもありなん。キリコがそんなことを考えていると、ボイドは薄笑いをたたえつつ、キリコの罪状を口にしてきた。


「あいにくだが、小僧。きさまを暴行罪などという、ちゃちな罪で捕まえる気はない。なにしろ、暴行罪など吹き飛んでしまうほどの罪科が、きさまにはあるのだからな」


「罪科とは?」


「とぼけるな。きさまが反乱軍の一味であることはすでにわかっているのだ」


「……反乱軍?」


 一瞬、キリコは反応を選びそこなってしまった。

 自分への罪状が、予想の範疇(はんちゆう)を大きく逸脱したものであったからだ。

 

 だが、なりゆきを見守る市民の中には、その罪状をあらかじめ予測していた者もいた。


「や、やっぱり、そうきやがったか!」


 歯ぎしりまじりにうめいたのは、またしてもヘルトである。

 あの兵士たちがどういう手段で報復してくるか、ヘルトにはあるていど予想がついていたのだ。

 

 店内での騒動に関しては、全面的に兵士たちに非がある。

 キリコを捕まえて法廷にひきずりだしたところで、出される判決はおそらく無罪放免。悪くても、せいぜい罰金刑といったていどであろう。しかし、衆前でメンツをつぶされた兵士たちがそれで納得するはずがない。

 

 では、どうするか?

 

 八つ裂きにしてもあきたらない赤毛の異国人(よそもの)を、衆前で合法的になぶり殺せるだけの罪状を用意すればいい。今のジェノンにはうってつけの罪状がある。反乱罪という罪がだ。

 

 店内での騒動の非を問うことはできないが、相手が義勇軍の一味というなら話は別になってくる。現在のジェノンでは、彼らを支援するだけでも強盗や殺人よりも重罪に問われる。集団で襲いかかろうとなぶり殺そうと、相手が義勇軍がらみの人間ならば不問にされるのだ。

 

 そして、妙なところで機転がはたらく兵士たちが、そのことに気づかぬはずがない。冤罪で投獄されることなど、今のジェノンではめずらしいことではないのだ。


 事実、屯所の地下獄舎にとらえられている囚人の五人に一人が、恣意(しい)的に投獄された無辜(むこ)の市民といわれているくらいなのだから。


「ど、どうしましょう、旦那さま」


 ジェシカは泣きだしそうな表情でヘルトの顔をうかがった。


 視線の先のヘルトの顔も厳しい。


 万事休すだ。その表情はそう言っていた。


「逆らえば公務妨害罪も追加だな。まっ、反乱罪に比べれば微罪だが、いまさら罪状のひとつやふたつ増えたところで、たいした違いはあるまいて。ふふふ」

 

 ボイドは舌なめずりをして、軽く指を鳴らした。

 

 一瞬の間をおいて、それに呼応するようにまわりの兵士たちが動きだし、ボイドを中心に扇状に広がっていった。

 

 わきおこった足音と砂埃が静まったとき、キリコは剣刃を光らせる兵士の群に半包囲されていた。


「さあ、どうする。おとなしく捕まるのもよし、抵抗してあがくもよし。好きなほうを選ばせてやるぞ。いずれにせよ、結末は同じだがな」


 愉悦の笑い声をボイドがたてると、周囲の兵士たちもいっせいに笑いだした。ボイドの笑いが獰猛な肉食獣ならば、部下たちの笑いはさながら、食べ残しを見つけて喜ぶハイエナのようである。

 

 ふいにキリコが身動きした。それまで組んでいた腕をほどいたのだ。


「よし、きめた」


「ほう、きめたか。それでどちらを選ぶ?」


「どちらでもない。第三の選択肢を選ぶことにする」


 キリコの言葉に、ボイドはいぶかしげに片眉を動かした。


「第三の選択肢だと? なんだ、それは?」


「簡単なことだ。俺は無罪放免、あんたたちはさっさと屯所に戻る。これでなんの騒動もならずに一件落着というわけだ。どうかな?」


 それに対するボイドの反応は「無」であった。


 否、ボイドだけではない。彼の部下たちも似たような反応を見せていた。


 誰もが、このような「人を食った」反応が返ってくるとは思っていなかったらしく、あ然とした顔を見あわせている。

 

 やがて自分が「おちょくられた」ことにボイドはようやく気づいた。

 

 気づくと同時にこめかみに血管をうきあがらせて爆発し、憤激のあまり口ひげと声をふるわせた。


「ふ、ふざけた小僧め。かまわん、()れっ!」


 ためらいもなくボイドが叫ぶと、兵士たちが獰猛な声をあげて動きだした。手にする長剣に殺気と憎悪をこめて、まず最前列の兵士三人がキリコに殺到していった。


「くたばりやがれ、赤毛野郎っ!!」


 正面と左右から、罵声とともに三本の剣光がキリコに閃いた。


 だが、兵士たちの猛剣が標的をとらえることはなかった。残忍な剣光が眼前に迫った寸前、キリコの右脚がすさまじい速さで水平に半円を描き、殺到してきた兵士たちを声もなく吹き飛ばしたのだ。

 

 蹴りとばされた兵士たちの身体は、わずかに宙空を飛んだ後、叩きつけられた路面の上を十回転ほどしたのち、ようやく止まった。


 路上に倒れたままぴくりともしない仲間の姿に、全面攻撃の出鼻をくじかれた兵士たちは、とっさに声も出せない。かわりに冷ややかな声を発したのはキリコである。


「さあ、次に宙を舞いたいのは誰かな?」

 

 希望する者はあらわれなかった。

 誰もが剣を構えたまま、声もなくその場に立ちすくんでいる。

 

 とりわけ、先の騒動でいち早くキリコの強さを体験した兵士などは、いまわしい近過去の記憶でもよみがえったのか。まるで鎖で身体を縛りあげられたかのように、身動きできずにいた。

 

 だが、それもごく短時間のことだった。後背からとんできた一喝が、兵士たちを縛りあげていた畏怖の鎖を一瞬にして断ち切ったのだ。


「ええい、なにを怖じ気ついているか! きさまら、それでも警備兵団の兵士かっ!!」


 雷鳴のような兵団長の怒号を浴びて、おどおどとではあるが兵士たちが再始動する。

 

 目の前の赤毛の男は、たしかに尋常な相手ではないようだが、後背で凄みをきかせる上官はもっと恐ろしい相手であった。たとえ部下といえど、自分に対してわずかでも反抗すれば、容赦なく斬り殺すこともある鬼のような人物なのだ。

 

 それならばと、兵士たちは剣を握りしめてキリコににじりよった。

 

 いかに尋常でなかろうと、相手はたった一人。それに対して、味方は少し減ったもののまだ二十人以上はいる。数の優位性を信じ、兵士たちは猛然とキリコに殺到した。


「いっせいにかかれ。斬りきざんでしまえっ!」


 だが、兵士たちの希望が実現することはなかった。


 必殺の剣撃はことごとくかわされ、逆に強烈な張り手や裏拳を浴びせられ、悲鳴をあげて吹き飛ぶのは兵士たちばかりだった。

 

 キリコの両拳が空を切り裂くたびに、兵士たちの口から血と悲鳴が噴きだし、蹴り足が風にうなるたびに兵士たちの身体は宙空を舞い、路面の上を転がり、砂埃が一帯に巻き起こった。


「す、すごい。キリコさんってとっても強いですよ、旦那さま!」

 

 まさに一方的な展開にジェシカは歓喜の声をあげたが、声を向けられたヘルトはというと、目の前の乱闘劇にただあ然とし、声も出せないでいた。

 

 彼の場合。キリコの常人離れした強さは、山中での一件ですでに承知していたが、それでも今相手にしているのは残忍なだけの山賊ではなく、正規の戦闘訓練をうけた国軍兵士なのである。


 にもかかわらず、乱刃をふるってくる兵士たちをこともなげに、しかもたった一人であしらうその姿に、ヘルトは心底から驚愕せずにはいられなかった。


「い、いったい何者なんだ、あのキリコという人は……!?」


 ヘルトが自問のような独語を漏らしている間にも、大通りを舞台とした乱闘劇は終幕を向かえようとしていた。


 報復に駆けつけてきた当初、三十人を数えた警備兵団の兵士たちが一人をのぞいて路上に白目をむいてへたばってしまうまで、それほどの時間を必要としなかった。

 

 手や服についた砂や埃をはらうキリコの視線は、すでに最後の一人に固定されていた。


「さて、ようやくあんたの番だね、団長どの」


「…………!?」


 冷笑のまじりの視線を向けられて、ボイドは身体だけではなく思考まで凝固させた。

 

 精鋭である(と信じていた)三十人もの部下たちが、たった一人に叩きのめされては、たしかに固まるしかないであろう。

 

 ことここにいたって、ボイドはようやく気づいたのだ。

 

 目の前の、一見、どこにでもいそうな赤毛の若者が、実は常識を無視した武芸の達人であることを。

 

 正確には武芸とはまた次元の異なる強さであったのだが、そこまで見ぬく眼力はボイドにはない。


「な、なかなかやるではないか、小僧。ふふふ……」

 

 ひきつった表情でうわずった声を漏らすと、ボイドは両腰に吊す二本のサーベルをあいついで鞘走らせた。

 

 それを見て、キリコも軽く身がまえた。「双剣のボイド」なる異名を馳せていることなど知るよしもなかったが、抜剣の手ぎわといい、剣を身構える姿勢といい、ボイドが一流の剣士であることを即座に察したのだ。

 

 互いに身がまえつつ、じりじりと距離を詰めるキリコとボイド。

 

 やがて一足一刀(いつそくいつとう)の間合いに達したとき、先にしかけたのはボイドだった。ただし、キリコに放たれてきたのはサーベルの一撃ではなく、卑屈な響きを含んだささやき声だった。


「ど、どうだ、小僧。この場で土下座をして詫びをいれるなら、きさまの罪をいっさい不当にしてやってもいいぞ。いや、それだけではない。私の権限で警備兵団の兵士にとりたててやろう。名誉ある国軍兵士になれるのだ。どうだ、悪くない話であろう?」

 

 抑制不能の失笑がそれに応えた。


「部下にだけ戦わせて自分は助命懇願(いのちごい)か? 名誉ある国軍兵士が聞いて呆れるな」


 そこまで言われては、ボイドとしても後にはひけない。


 両目に憎悪と屈辱の光をたたえて、ライエン随一の剣士は地面を駆った。


「うけてみろ、小僧! わが双剣の妙技をっ!!」


 咆哮とともに、二本のサーベルが二条の閃光となって打ちこまれてきた。


 狙いはキリコの喉もとと心臓だ。だが、対するキリコはよけるそぶりすら見せず、自分めがけて一閃してくる凶刃をじっと見つめている。  


 殺意に閃くサーベルがキリコの身体を貫こうとした、その寸前。キリコの両手が一瞬の動きを見せた。打ちこまれてきたサーベルの一撃を、素手でつかみとめたのだ。


「な、なんじゃあっ!?」


 一瞬、ボイドは仰天し、声とともに左右の眼球をとびださせた。

 サーベルの刃を素手でつかみとめられたら、ボイドでなくとも仰天するしかないであろう。

 

 それゆえボイドは気づかなかった。刃を握りしめるキリコの両手が、うっすらとした黄金色の光につつまれていたことに。

 

 それよりなによりボイドには詮索する時間すらなかった。キリコの強烈すぎる前蹴りがその身に炸裂したのだ。

 

 まるで大砲の発射音のような音がとどろいた直後、ボイドは声もなく宙空を吹き飛んだ。

 

 身体をくの字折り曲げた状態で、まず周囲に立ちならぶ人垣(やじうま)の間を飛びぬけ、ついで路肩に植えられた銀杏(いちよう)の木の間を飛びぬけ、さらにその先にある商店の軒先まで飛んでいくと、その外壁に頭から突っこんでいった。

 

 総毛立つような衝撃音とともに外壁の木板がけたたましい破砕音を響かせて砕けちり、一帯に木粉と埃がもうもうと噴きあがる。

 

 壁に激突した際の衝撃か、それとも前蹴りをくらったときの衝撃か。いずれのものかは判別できなかったが、とにかくボイドは失神したらしく、砕け散った壁板の中に頭を突っこんだまま、ぴくりとも動かない。

 

 そんなボイドを遠くに眺めやりつつ、キリコは手にする二本のサーベルをほうり投げ、軽く手を叩いて服の埃をはらった。


「これに懲りて、二度と悪さをするなよ。おまえたちのような人間が三度の食事にこまらないのは、税をはらう市井(しせい)の人々のおかげなんだからな」


 いささかお説教がましい一語を残して、キリコがその場から立ち去ろうとしたとき。猛烈な異議の声があがった。路上に横たわる兵士の一人が発したもので、発声者はあの猿顔兵士だった。

 

 仲間を連れて意気揚々と報復にやってきたものの、八つ裂きの目にあわせるどころか逆に大衆の面前でこてんぱんに叩きのめされ、鼻骨も前歯も、ついでに自尊心もへし折られた自分が情けなくなり、せめてひと言くらい噛みつかずにはいられなかったのだ。


「きさま、こんなことをして無事でいられると思うなよ。どこへ逃げ隠れようとも見つけだして、必ず後悔の涙を流させてやるからな!」


「はいはい。楽しみに待ってますよ」


 負け犬ならぬ負け猿の遠吠えに、キリコはまったく感興をそそられなかった。


 相手にするのもばからしいので、軽くうけながして今度こそ立ち去ろうとしたのだが、その足はまたしてもすぐに止まった。群衆の中から悲鳴があがったのだ。

 

 その声にキリコは振り返り、軽く目をみはった。それまで壁に頭を突っこませて失神していたはずのボイドが、にわかに立ちあがってきたのだ。

 

 頭や鼻や口からおびただしい血を垂れ流し、両ひざをかくかくと震わせながらではあったが。


「……こ、これしきのことで、このボイドに勝ったつもりか、小僧っ!!」


「へえ、なんとねえ」


 おもわずキリコの口から感嘆の声が漏れた。


 力を加減したので死ぬほどのことではないとわかっていたが、一方で、しばらくは動くことはできないと思っていたからだ。


 さすがに一団を指揮する上級兵士だけあって、なかなか屈強(タフ)であるらしい。


「まったく、そのまま寝ていればいいものを……」


 やれやれと言いたげに首を振り、キリコは歩を進めた。だが、ふたたび視線を向けたとき、ボイドはこちらを見ていなかった。


 通りの左側、つまり西の方角に顔ごと向けて、そちらを凝視していた。見

ると、それはボイドだけではなく、彼の部下たちも同様だった。


 兵士たちがそろって西の方角に視線を向けていることに気づき、キリコもとっさに視線を走らせた、そのとき――。


「おい、あれを見ろっ!」


 またもや群衆の中から叫び声があがった。たちまち数百もの視線が、いっせいに通りの一角に向けられる。


 そこに彼らが見たのは、軍馬にまたがった二十人ほどの騎兵の姿だった。


 それは異様な姿だった。


 大通りに出現した騎兵たちは、全員、甲冑(よろい)剣鞘(さや)軍靴(ぐんか)にいたるまで黒一色で統一されていた。


 その独特な軍装(よそおい)に、彼らが国王直属の近衛隊であることに人々は気づいたが、それ以上に彼らの視線と関心を奪ったのは、一団の先頭に馬をたてている一人の騎士だった。


 濡れたような毛並みの黒馬にまたがり、ただ一人だけ赤い裏地をしたビロードのマントを身につけている。

 

 (かぶと)の下にさらに黒い覆面のようなものを着け、露出しているのはわずかに両眼のみ。ゆえにその表情はキリコには窺い知れなかったが、大通りに集った市民には、その騎士が何者であるかすぐに判明したらしい。彼らは口々にざわめきだした。


「ガ、ガウエル将軍!? おい、あれはガウエル将軍じゃないか!」


「本当だ、ガウエル将軍だ。でも、どうしてライエンに……?」


 驚愕と困惑にざわめく群衆の間を、黒装束姿の騎士は悠然と馬を進めてきた。

 

 やがて路上に横たわる兵士たちのもとまでいたったとき、騎士は馬足を止め、眼下の兵士たちに一瞥を投げつけた。

 

 冑と覆面の下からわずかに漏れるその両眼には、傷ついた兵士たちへの同情の光は微塵もなかった。


「愚か者どもが。国軍兵士ともあろう者が醜態をさらしおって……」

 

 覆面の下から怒気のこもった低い声が流れでると、兵士たちは息をのみ、底知れぬ恐怖に心身を凝固させた。その声は、聴く者の心を寒くする音律があったのだ。


「立てい、きさまら! いつまで醜態をさらしているつもりだっ!!」


 まるで落雷のような怒声が一帯にとどろいた直後。それまで路上に横たわっていた兵士たちが、いっせいに立ちあがった。


 むろん、身体の痛みが鎮まったわけでも傷が癒えたわけでもなく、兵士たちの顔は苦痛によって一様にゆがんでいたが、馬上の騎士に対する畏怖の念が痛みを凌駕したらしい。

 

 やがて兵士全員が立ちあがったのを確認すると、黒衣の騎士は視線を転じた。見すえる先にいたのはキリコである。


「わが名はガウエル。この国の大将軍をつとめる者だ。おぬしは?」


「俺はキリコ。見てのとおり、一介の旅人だ」


 キリコの返答に興をそそられたのか、ガウエル将軍は覆面の下で薄く笑ったようである。


「では、キリコとやら。どういう経緯(いきさつ)があったかは知らぬが、この場はこのガウエルにめんじて矛をおさめてもらいたい。如何(いかん)?」


「ああ、異論はない」


 そうキリコが応じると、ガウエルは無言のまま馬首をめぐらし、通りを戻っていった。  


 わずかに遅れて警備兵団の兵士たちも動きだし、よろよろとした力のない足どりでその後に続いた。


 離れゆく間際。ボイドをはじめとする兵士たちは憎悪にたぎる視線をキリコに投げつけてきたが、声に出してはなにも言わず、陰気な沈黙のうちに去っていった。


 声を発する者は誰もいなかった。


 ヘルトもジェシカも、さらには騒動を知って集まってきた街の人々も皆、大通りから去りゆく国軍兵の一団を無言で眺めやっている。


 それはキリコも同様だが、その表情は異様なまでに厳しかった。


 殺伐とした空気から解放されて安堵する市民たちとは異なり、その面上には常人には察しえない、なにか得体の知れないものへの疑念の色が広がっていたが、ふいに背後から聞こえてきた某男爵家令嬢の声が、その色を面上から消した。


「なにかあったの、キリコ? なんだか妙に人が集まっているけど」


「シェリルか。いや、なんでもない。それより……」


 後背をかえりみた瞬間。キリコは仰天し、おもわず声をうわずらせた。 


「な、なんだ、シェリル。その格好は!?」


 そう言うなりキリコは、あ然として視線の先に立つシェリルをまじまじと見つめた。


 両手に複数の買い物袋を抱え、絹製のストールを防災頭巾のように頭からかぶるその姿は、さながらわずかな家財を抱えて震災から逃れてきた被災民といった感じである。


 だが、キリコが仰天したのは、なにもその格好が理由ではない。


 てっきり部屋で寝ているものと思っていたのに、その実、自分に無断で外出していたことを知ったからだ。生命を狙われている危険な身の上ということも忘れて!


 一方のシェリルはというと、わずかに赤面した後、さてなんと説明しようかと思案したあげく、発した台詞は次のようなものだった。


「ああ、これ? ファッションよ、ファッション。これが今、この街の流行らしいのよ」


「へえ、そうなのか」


 得心したようにうなずくキリコを見て、うまくごまかせたと思ったシェリルは内心で安堵の息を漏らしたが、それがとんだ思いちがいであったことをすぐに知ることとなった。


「俺はまたてっきり、脳天気に買い物にでかけたのはいいが、危険な自分の立場に遅まきながら気づき、とりあえず顔を隠して、あわてふためいて逃げ帰ってきたのかと思ったけど、どうやら違うようだな。そうか、ファッションなのか。ふーん……」


「…………」


 一語一語が、鋭利な言葉の刃となってシェリルに突きささる。


 真相を完璧に見ぬかれてぐうの音もでないシェリルに、キリコはため息まじりに語をつないだ。


「まったく、脳天気なのもほどほどにしろよ。どこでカルマン卿が牙を光らせているかわからないというのに、ふらふらと外を出歩く奴がいるか。少しは俺の立場も考えろ。君を無事にファティマまで連れていかなければならないんだぞ、俺は」


「う、うるさいわね。しょうがないでしょう。気づいたときには買い物袋かかえてルンルン気分だったんだから。なによ、無事に帰ってきたんだからいいじゃないの!」

 そう言い捨てるなり、シェリルはすばやく踵を返した。

 

 どう抗弁しようとも、さすがに分が悪いことを悟ったのであろう。早々に舌戦をきりあげると逃げるように店の中へと入っていった。


「ああ、もう。お腹がすいたわ。なにか食べよう……」


 だが、店内に足を踏み入れた瞬間、シェリルはおもわず絶句し、両目を大きくみはった。


 それも当然であろう。買い物にでかけるまでは清潔で整然としていた店内が、今では竜巻の直撃でもうけたかのように無惨に荒れていたのだから。


「な、なんなのよ、この惨状(ありさま)は!?」


「まあ、いろいろあってね」


あ然と立ちつくすシェリルの肩をひとつ叩き、キリコは店の奥へと歩を進めていった。


 そこで待っていたヘルトとわずかな言葉をかわすと、ジェシカをはじめとする使用人や店に残っていた客たちとともに、店内の清掃をはじめた。


 陶器の破片と化した食器類を丁寧に回収し、床の上にまかれた料理をモップや雑巾で拭き取り、壊れた椅子やテーブルを壁際に運ぶ。


 そんな作業が黙々と続けられる中、シェリルだけは一人、われ関せずをきめこみ、酒場の一隅からその光景をただ眺めていたのだが、互いに協力して掃除にはげむ人々を前に気がとがめたのか。それともお腹が「ぐう」と鳴り、彼らに協力したほうが早く食事にありつけると考えたのか。


 いずれかは不明であったが、ともかく手にする買い物袋をその場におくと、シェリルも作業の輪の中に入っていったのである。






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