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ロゥグ・オブ・セイント2  作者: RYO太郎
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第一章  争乱の王国 その③

 


 ふいに意識を回復したとき、キリコはいつのまにか自分が眠っていたことに気づいた。


 両目を軽くしばたたかせた後、キリコは首を振りながらゆっくりとベッドから起きあがり、窓を開けて外の様子をうかがった。


 宿に着いたときは真上にあった太陽も今ではすっかり西の方角に傾き、うっすらとした朱色の陽射しが大通りを照らしていた。どうやら三刻ほどは寝ていたらしい。


「……うん、酒場が開いているのか?」


 キリコがそう口にしたのは、建物の一階に次々と出入りする人々の姿が見えたからだ。


 そんな彼らの姿が食欲を刺激したわけではないだろうが、キリコは急激な空腹感にかられた。


「そういえば、さすがに腹が滅ったな」


 一階に降りてなにか食べるか。キリコは窓を閉めて部屋から出ていった。

 

 もっとも、まず向かったのは隣の部屋である。


「おい、シェリル。そろそろ食事にしないか?」

 

 しかし、室内からの返答はなかった。

 

 自分と同様、おおかた旅に疲れて眠っているんだろうと思い、キリコは一人で一階に降りていった。

 

 一階の酒場は、すでに喧騒と独特の匂いにつつまれていた。

 

 麦酒(ビール)の匂い、果実(ラム)酒の匂い、肉の焦げた匂い、干魚の生臭い匂い。客たちの体臭もまじっている。

 

 天窓からさしこむ光で酒場内はそれなりに明るかったが、壁に設置された複数のランプにはすでに火が灯され、淡いオレンジ色の輝きが店内を照らしている。

 

 その店の中をジェシカをはじめとする使用人たちが、客の注文を取ったり、料理や酒を運んだりとあわただしく動きまわっていた。

 

 ざっと見まわしたところ、店内はほぼ満席状態で、二十ほどあるテーブル席はひとつも空いていない。

 

 もうしばらく待つかとキリコは部屋に戻ろうとしたのだが、よく見るとカウンター席の一角に空席があったので、そこに座ることにした。

 

 そんなキリコに気づき、ジェシカが声をかけてきた。


「あら、キリコさん。言ってくれれば部屋まで運んだのに」


「いいさ。それより料理を頼んでいいかな。もう腹ぺこでね」


「ええ、なんでも注文して。すぐに持ってくるから」


 葡萄酒(ワイン)といくつかの料理をキリコが注文すると、ジェシカはすばやく筆を走らせた。


 それが書き終わらぬうちに、店内のあちこちから注文をもとめる声があがった。


「ああ、もう。本当に忙しいわね!」


 ぼやきまじりに駆けだすジェシカを苦笑いで見送ると、キリコはカウンター席から店内を見まわした。


 活気と喧噪(けんそう)のるつぼ。店の状況を評すればそうなるであろうか。


 テーブル席にもカウンター席にも客があふれ、にぎやかに談笑しながら料理や酒に舌鼓をうっている。


 中には座る場所がないからか、壁にもたれながら手に皿やコップを抱え、そのまま飲み食いしている剛の者までいた。喧騒と熱気にアルコール臭がくわわり、場にいるだけで悪酔いしそうだ。

 

 ただ、その店内にあってとくにキリコの関心をひいたのは、テーブル席のひとつに陣取り、奇声をあげて騒いでいる男たちの姿だった。

 

 彼らは兵士なのであろう。ジェノン王国の紋章が刻まれた厚革の甲冑(レザースーツ)を身につけ、テーブルの端には、やはり紋章入りの長剣が立てかけられてある。そのテーブルの上に、軍用長靴(ブーツ)をはいたままの両足を投げだして椅子にふんぞりかえる様は、行儀の悪いことこのうえない。

 

 奇声をあげては必要以上にグラスをかちあわせ、投げだした足でテーブルをどんどんと叩く。

 

 そのたびに麦酒の液や皿の料理が床に飛び散っていたが、兵士たちはわれ関せずだ。

 

 周囲の客たちは迷惑なはずであろうに、ちらちらと兵士たちに恨めしげな視線を向けるだけで、声に出してはなにも言わないでいる。

 

 はた迷惑なふるまいを見せる兵士たちと、それを注意もせずに黙認している客たちの態度が気になったが、それよりも優先しなければならないことが目の前にやってきた。ジェシカが注文した料理を運んできたのだ。


「はい、お待たせ。いっぱい食べてね」


 料理が盛られた皿をジェシカが手ぎわよく次々と並べていく。


 内海にほど近いライエンの名物料理は、やはり魚介類を主としたものだ。


 香辛料で味つけされた大鱒(おおます)のフライ。あさりの酒蒸し。(さけ)のクリームソテー。車海老の塩焼き。ライ麦のパンと数種類のチーズ。バターをのせた茹でジャガイモ。

 見た目の豪華さではなく、素材を生かすことに重点(おもき)をおいたライエンの郷土料理である。


「こいつはうまそうだ。では、遠慮なく」


 葡萄酒で軽く口を潤うしてから、キリコはそれらの料理を存分に味わった。


 そのキリコのもとにヘルトが厨房から顔を出してきたのは、一杯目の葡萄酒を飲みほしたときだった。


「おっ、食べてるね、キリコさん」


 そう声をかけると、宿の経営者、仕入れ責任者、総料理長の三役を一人でこなす陽気なライエン商人は、キリコのグラスに葡萄酒を注いだ。


「ところでマスター。あそこでばか騒ぎしている連中は何者だい? 見たところ、兵士のようだけど」


「……ああ、あの連中かい。あんまり詮索しないほうがいいよ、キリコさん。あれは警備兵団の連中だから」

 

 ヘルトは声をひそめてそう言った。

 

 警備兵団とは、国境の警備や都市の治安維持を主任務とする国軍組織のひとつで、ほぼすべての教圏国に常設されている部隊である。

 

 戦時にあっては国境を外敵の侵入から守り、平時にあっては外国から逃れてきた犯罪者や不法移民の流入を阻止し、街の治安を守ることを役目としているのだが、ヘルトに言わせると、街の治安を一番乱しているのが、彼ら警備兵団の兵士らしい。


「とにかく、はた迷惑な連中でね。立場を傘にきて、それはもうやりたい放題。街中で買い物をしても、代金はとんでもないくらいに値切るわ、商店に顔を出してはショバ代を要求するわで、もう散々だよ」


 耳なれない語彙(ごい)に、キリコの眉が微動した。


「なんだい、そのショバ代というのは?」


「まあ、いわゆる隠語というやつでね。簡単にいえば用心棒代みたいなもんさ。この街で安心して商売させてやるからその見返りを、というわけさ」


 さすがにキリコは驚いた。

 民の払う税で俸給をうけているはずの国軍兵士が、その民衆からさらに金銭をまきあげていると聞いては、それも当然であろう。


「国軍の兵士が、そんなあこぎなことをやっているのか?」


 ヘルトはうなずき、深刻なため息がその口から漏れた。


「前のご領主さまの時代には、こんなことありえなかったんだけどね。あれ以来、ライエンはかわってしまったよ。まあ、ライエンにかぎった話じゃないんだろうけどさ」


 ヘルトの言う「あれ以来」とは、リンチ王による武力革命(クーデター)をさしていることは、キリコにはすぐわかった。


 カウンター席に座る他の客たちをちらりと見やった後、ヘルトはさらに声をひそめて続けた。


「あまり大きな声じゃ言えないけど、今の国王になってから軍隊の規律なんか、あってないようなもんだからね。いや、軍隊だけじゃない。貴族とか役人とか、ひとにぎりの上層階級の連中は特権を傘にきて、それこそやりたい放題さ。あの連中を見ればわかると思うけど、そういう空気は上から下へと伝染するもんなのさ」


「なるほどね……」


 ヘルトの説明に納得し、葡萄酒の入ったグラスを手にしつつテーブル席の兵士たちをかえりみたとき、キリコの両目がにわかに強く光って針を含んだ。

 視線の先で、ジェシカが件の兵士たちにからまれていたのだ。


「や、やめてください!」


「いいじゃないかよ、ジェシカ。なっ、今夜、俺とつきあえよ」


 兵士の一人がジェシカの身体に抱きついて迫り、それを他の兵士たちが愉快げにはやしたてている。

 

 そのことにヘルトも気づき、血相をかえてカウンターに身をのりだしてきた。


「また、あいつか!」


「また?」


「そうさ。ジェシカは嫌がっているのに、無理やりつきまとっているんだ」


 ヘルトの表情と口調から、あるていどの事情を察したキリコは、ジェシカを助けるために駆けだそうとしたヘルトを制し、椅子から立ちあがった。


「キリコさん……?」


 心配しなくていいよ。そう言いたげな微笑でヘルトに応えると、キリコはゆっくりとテーブル席に向かって歩いていった。


「なあ、いいだろう、ジェシカ。警備兵団兵士の俺が、こんなに頼んでいるんだぜ」


「嫌だと言っているじゃないですか!」

 

 ジェシカの顔にも声にも本物の嫌悪感がみちていたが、ジェシカに迫る兵士はそれに気づいていないのか、それともたんに無視しているのか。どす黒い薄笑いを面上にたたえた。


「そうつれないこと言うなよ。ひと晩くらい、つきあってくれても――痛っ!」

 

 兵士はにわかに悲鳴をあげ、ジェシカの身体から手を放した。

 突然、得体の知れない痛みが腕先に走ったのだ。


 一瞬の間をおいて自分の手の甲を見やったとき、一本のつまようじが深々と突きささっていることを兵士は知った。


「な、なんじゃ、こりゃ!?」


「おい、いいかげんにしろ。彼女は嫌がっているだろうが」


 ふいに聞こえてきたその声に、ジェシカ、ジェシカに迫っていた兵士、同僚の兵士たちの三者は同時に視線を一方向に走らせ、ようやくキリコの存在に気づいた。

 

 むろん兵士たちは、いきなりあらわれてきた赤毛の若者の名前も素姓も知らない。

 それを知ることができたのは、安堵の息がこもったジェシカのひと声によってである。


「キリコさん!」


「仕事に戻れ、ジェシカ。他の客たちが注文したくて待っているぞ」


「う、うん。でも……」


 言いさしてジェシカは声をのみこみ、不安げな表情でキリコを見やった。


 キリコがこの場から助けてくれようとしているのは明白であったが、そのことに憤った兵士たちに危害をくわえられることを心配したのだ。


 事実、兵士の一人が獰悪(どうあく)な声をキリコに投げつけてきたのである。


「おい、どういうつもりだ、てめえ!?」


 初対面の人間に対するこの呼びかけからして、男たちが「名誉ある国軍兵士」などにふさわしい人間でないことはあきらかだった。


 心の中ではすでに準備を整えつつも、なおも表面的には兵士たちをキリコは無視しつづけた。


「心配しなくていい。早くマスターのところにいくんだ」


 再度うながされると迷いがとれたのか。ジェシカは無言でうなずき、小走りでその場から離れていった。


 それに遅れることわずか。二人の兵士がすぐさまジェシカを追おうとしたが、すばやい動きでキリコがその前に立ちはだかった。


 驚いた二人の兵士は、一喝しようとキリコの顔をにらみつけたが、猛禽類のような鋭い光を発する両目に見すえられて、兵士たちはおもわず息をのみこんだ。


「他にも客はいるんだ。互いに迷惑をかけないように楽しく飲もうぜ」


 口調だけはおだやかにそう言うと、キリコはくるりと踵を返してカウンター席に戻ろうとしたのだが、案の定、その足はすぐに停止をよぎなくされた。

 

 どんっ、という靴底で床板を蹴る音に続いて、またしても獰悪な声がキリコの背中に投げつけられてきたのだ。


「おい、待ちやがれ、そこの赤毛野郎!」


 その声をむしろ予測していたように、やれやれといいたげな態でキリコは振り返った。


 それとほぼ同時に荒々しくキリコの前に詰めよってきたのは、ジェシカに迫っていた兵士だった。

 

 背はそれほど高くはないが、幅と厚みのある体躯をした男である。


 側頭部の白くなった髪が目をひいたが、それ以上にキリコの注意をひいたのは男の目だった。

 

 いやな目つきをしている。それが兵士に対するキリコの第一印象だった。

 

 およそ軍人にかぎった話ではないが、強大な組織に属している人間の中には、組織の力と権威をまるで自分のものと勘違いしている輩がいる。おそらくこの兵士もその種の手合いなのであろう。

 

 けっして逆らわない相手に威圧的に接し、卑屈になったり怯えたりする姿に愉悦を憶える人間は、必ずといっていいほどこういう「いやな目つき」をしていることを、キリコは知っていた。

 

 その種の人間がキリコはこの世でもっとも嫌いであったが、それでもつい口もとがほころんでしまうのは、兵士の面相が理由であろう。その兵士は妙に猿を思わせる、否、猿そのものといった顔つきをしていたのだ。

 

 その猿顔兵士がキリコに顔をぐっと近づけてきた。

 口角からただよってくる強烈なアルコール臭に、キリコが顔をしかめる。


「おい、赤毛。見たところ異国人(よそもの)らしいが、俺たちが何者か知っているのか?」


「まあ、一応は」


「へえ、知っているんだとさ!」


 猿顔兵士は興がった声をあげて、仲間の兵士たちを見やった。


 一瞬の間をおいて、やはり興がった笑声が同僚の口からあいついであがったが、なにがそんなに面白いのか、キリコにはさっぱり理解できない。


 猿顔兵士は笑声を止め、キリコに向き直った。


「おい、赤毛。一度しか言わないから、耳くそかっぽじってよく聞けよ」


 表情にも声にも「どす」がきいている。

 普通の市民ならば、立ちすくんで声も出ないであろうが、キリコはというと、むろん平然としている。


「いいか。俺はジェシカに用があるんだ。さっさとジェシカをここに呼び戻してこい。そうしたら、今回だけはお情けで見逃してやる」


「……わかった」


「そうか、わかったか」


「ああ。どうやらこの街では甲冑(よろい)さえ着ければ、猿でも人間の言葉が話せるということがよくわかったよ」


「…………?」


 キリコの痛烈な皮肉をすぐに理解できるほど、猿顔兵士は理解力にめぐまれていなかったらしい。口を半開きにしたまま、ぽかんとした顔でキリコを見つめている。


 ひとつには、まさかそのような反応が返ってくるとは思っていなかったこともあろう。


 ややあって、自分が猿呼ばわりされたことに猿顔兵士はようやく気づいた。


 気づくと同時に爆発し、発狂した猿のような形相でキリコに殴りかかってきたのである。


「こ、この赤毛野郎。よくも名誉ある国軍兵士になめた口をきいてくれたなっ!」

 

 激高とともにうなりをあげてきた拳の一撃を、キリコは軽く上体を反らしてかわしたが、すぐに拳撃(パンチ)の連波がとんできた。

 

 さすがに訓練されている国軍兵士だけあって、なかなかの速さと迫力をもつ連打であった。並の人間であればかわせずに強烈な殴打を顔面に浴びせられ、歯の二、三本もへし折られていたことであろう。


 だが、キリコはむろん並の人間ではなかった。


 猿顔兵士の拳はぶざまに空を切り、それどころか体重を支えている軸足を軽くはらわれて横転し、床板に顔面をしたたかに打ちつけた。

 

 悲鳴をあげて床の上をのたうちまわるその様に、周囲の客たちの口からは失笑が漏れたが、それはすぐに消失した。鼻孔から血をたれながしながらも、猿顔兵士が猛然と立ちあがってきたのだ。

「……き、きさまっ!!」

 

 猿顔兵士は逆上した。

 

 他人を暴力と恐怖で威圧することに愉悦を憶える者は、それが通用しないとき必要以上の屈辱感をいだいて逆上するという。猿顔兵士はその典型であるらしかった。

 

 拳を振りあげ、怒号をとどろかせてキリコにおどりかかる。気の弱い人間なら、それだけで卒倒してしまうほどの迫力と猛威であったが、どんなに迫力があろうと猛威があろうと、この際は無力であり無意味だった。

 

 両拳に殺気をこめて突進してきた猿顔兵士の連打を、キリコはひょいひょいとかわすと、そのかわしざま、背中をどんと蹴りとばした。

 

 突進の勢いにさらなる加速がついて猿顔兵士はそのまま床の上を疾走し、ついには酒場内の壁に頭から突っこんだ。木板の破砕音が響きわたった直後、猿顔兵士は顔をおさえてまたしても床の上を転げまわった。


「……お、おまえら、なにをしてやがる!」


 やがて起き直ってきたとき、猿顔兵士は仲間の兵士たちに大声でわめいた。

 

 どうやら一人ではとうてい太刀打ちできる相手ではないことをようやく悟ったらしく、見栄も体裁もかなぐりすてて加勢をもとめたのだ。


「その赤毛野郎をさっさと叩きのめせ。名誉ある国軍兵士に逆らった報いだっ!」


 一瞬、仲間の兵士たちは顔を見あわせたが、すぐに行動に移った。


 彼らは猿顔兵士ほど病的な自尊心はもちあわせていなかったが、よそ者にあしらわれたままでは、このライエンにおける自分たちの権勢の基盤――国軍兵士としての威厳――に亀裂が生じてしまうことを察したのだ。


 ぎりぎりと拳を握りしめ、左右前後からキリコめがけて殺到する。だが、その先に待っていたのは、同僚の二の舞というつらい現実だった。


 兵士たちの繰りだしたパンチの雨は、キリコの身体にかすることすらできず、それどころか逆に腕やえり首をつかまれて、右へ左へと次々に投げとばされた。


 けたたましい音とともにテーブルや椅子がひっくりかえり、皿が割れ、グラスやスプーンが宙空にはねとび、シチューやスープの液体が雨となって床に降りそそいだ。


 鼻血が完全に止まらないうちに、猿顔兵士は店内の床一面に投げとばされて悶絶する仲間の姿を見た。


 得体の知れぬ危険を察知して蒼白顔で店から逃げだそうとしたのは、キリコに殴りかかった最後の一人があっけなく玉砕し、悲鳴もろとも投げとばされたときだった。


 だが、その退避行動(うごき)はすぐに停止をよぎなくされた。


 逃げだそうとする猿顔兵士に気づいたキリコが、足もとに落ちていた料理皿をすばやくとりあげ、それを手首をひるがえして投げつけたのだ。

 

 皿は回転しながら酒場の宙空を一直線に飛び、出入り口の扉に手をかけて店から逃げだそうとしていた猿顔兵士の後頭部に命中した。陶器の破砕音に苦痛のうめき声が重なり、わずかに遅れて床に横転する音がそれに続いた。

 

 それでも、なおも逃走の意志を貫こうとする猿顔兵士は、そのまま床を這って逃げだそうとしたのだが、その前進は二メイル(約一メートル)と続かなかった。すばやく近づいてきたキリコが這って逃げようとする猿顔兵士のえり首をつかみ、身体を持ちあげたのだ。


 頸部を圧迫されて両目を白黒させる猿顔兵士をよそに、キリコは内懐の財布から数枚の銀貨を取り出すと、まるで小石でも投げるかのように猿顔兵士を路上にほうり投げた。

 

 猿顔兵士の身体は優美な放物線を描いて通りの宙空を舞い、やがて悲鳴もろとも頭から路面に落下していった。

 

 その衝撃で失神したのか、路上に倒れこんだまま猿顔兵士はぴくりとも動かない。


「まいどどうも。またのご来店はお待ちしておりませんので、あしからず」


 自分の背中に注がれる驚愕の視線をよそに、キリコは面倒くさそうに服についた埃を払いおとした。




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