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ロゥグ・オブ・セイント2  作者: RYO太郎
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第二章  簒奪者対反逆者 その⑫

 



「……な、なんなのよ、もう。うるさいわね」

 

 その日の朝。シェリルが悪夢にうなされつづけた不快な眠りからさめたのは、その悪夢によってではなく宿に面した大通りから響いてきた喧騒によってだった。

 

 それが数人規模のものであればシェリルも気づかなかったかも知れないが、外から聞こえてくる声はあきらかに数十人、否、おそらくは百人をこえる規模のものであり、それに路面を駆る無数の疾駆音がかさなるととても寝ていられる状況ではなかった。

 

 やむなくシェリルはベッドから起きあがり、不機嫌にゆがんだ顔で護符の貼られた窓の隙間から眼下の通りをのぞきこんだ。

 

 そこから見えた光景は、やはり思ったとおり数多の人々が路上をおおいつくし、あわてふためいた態でなにやら騒いでいた。とても尋常とは思えない人々の姿に、いつしかシェリルも眠気と不快感を忘れていぶかしげにつぶやいた。


「なにかしら、いったい?」

 

 なにやらうろたえるように騒ぐ町の人々の姿にたちまち好奇心に駆られたシェリルであったが、だからといってすぐに大通りにとびだして事態を確認できないのが今のシェリルなのである。


 なにしろ、ここ数日。通りはおろか宿の中ですらも満足に出歩けない「ひきこもり」状態がつづいていたのだ。


 それは体調が悪いとか、外にでるのが面倒くさいとか、そういった理由ではない。


 護衛を兼ねた旅の同行者がどういうわけか数日前から行方知れずになっているため、部屋から出たくてもでられない状態だったのだ。

 

 しかたなくシェリルは、部屋に備えつけの呼び鈴のひもをひっぱった。

 これは一階の酒場につながっていて、宿泊客がルームサービスを頼むときに使用するものだ。


 店に不在か、酒場がよほど混雑でもしていないかぎり、ジェシカをはじめとする店の従業員がすぐに部屋まできてくれるのだが、どういうわけか今日にかぎっては、何度、呼び鈴を鳴らしても部屋には誰もこなかった。この時間帯はまだ一階の酒場は宿泊客向けにしか開いておらず、それほど忙しいはずはないのだが。


「どうしたのかしら、ジェシカたちは」

 

 不審につぐ不審な出来事にシェリルは眉をくもらせた。

 

 その脳裏では、このまま部屋にこもっているか、それとも事態の確認のために部屋の外にでるかという二者択一の選択肢が激しくつばぜり合いをしていたのだが、どうやら恐怖よりも好奇心がうわまわったらしい。シェリルは扉のノブに手をかけ、ゆっくりと扉を開けた。

 

 わずかに開いた扉の隙間から頭だけをのぞかせ、そこから用心深く首を左右にふって通路を見わたす。「あの男」はむろん宿泊客の気配すらないことを確認すると、シェリルはそろりそろりと通路にでた。

 

 その足でむかったのは隣の部屋である。

 軽く扉面をたたき、室内にむかってささやきかける。


「キ、キリコ……帰っている?」

 

 室内からの返答はなかった。それはここ数日変わらないことだった。


 シェリルは大きなため息をひとつつき、今度は階段をそろりそろりと降りていった。

 

 ほどなく一階にいたり、階段口からのぞきこむように酒場内に視線をはしらせたとき。店内にいたのはただ一人の宿泊客だけだった。


 さかのぼること数日前。なんとかという司教長に会いにいくと宿をでたきり、自分の前からこつぜんと姿を消した旅の護衛・兼・同行者の姿が……。


「ああっ、このろくでなしっ!?」

 

 突然、店内に響きわたったそのヒステリックな声に、テーブル席のひとつで食事をしていた唯一の客――キリコは驚いたように食事の手を止めると、まず階段口に立つ発声者の顔を見やり、ついで店内をすみずみまで見まわし、ようやくシェリルのいう「ろくでなし」というのが自分であることを知った。


 キリコは不快げに眉をしかめ、あらためて発声者の顔に視線を向けた。


「誰がろくでなしだって?」


「あんたよ、あんた、そこのあんたっ! ロバみたいな脳天気な顔をして、のほほんと食事をしている、そこのあんたよっ!!」

 

 おもしろい、とキリコは思ったが、むろん声にだして称賛する気はない。

 数種類の果物が入ったカゴからリンゴをひとつ手にとると、悪鬼のような形相で近づいてくるシェリルに辟易とした声を投げた。


「まったく、朝からなにを金切り声をあげているんだ。せっかくの食事がのどに詰まるだろうが」


「あたりまえでしょうが! この数日間、私をほったらかしにしていったいどこをほっつき歩いていたのよ、あんたは!?」

 

 キリコの座るテーブル席に駆けよってくるなり、シェリルは声をあげてわんわん泣きだしたが、それは誰の目から見てもあきらかな「嘘泣き」であったため、キリコの同情を誘うことはなかった。


「教会の仕事で、ちょっと街を離れていたんだ」


「……きょ、教会の?」

 

 教会という単語を耳にしたとたん、シェリルは嘘泣きをやめ、両目をしばたたかせながらキリコを見すえた。リンゴをかじりつつキリコがうなずく。


「そうだ。教会からの依頼がファティマの人間とってどれほど重要で重大なことか、賢明な男爵令嬢どのにはおわかりのことと思うが、どうでしょう?」


「うっ……」

 

 皮肉っぽい視線をキリコにむけられて、シェリルは声を詰まらせた。

 

 むろんシェリルとて、キリコに言われるまでもなく教会の仕事というのがどれほど重要なことかくらい承知している。


 承知してはいるのだが、それでも昼夜にわたって護符の貼られた部屋に閉じこもり、不便さと窮屈さと不安さと心細さに耐えていたこの数日間のことを思いおこすと、やはり文句のひとつも言わずにはいられなかった。


「だったら、せめて私にひと言理由を言ってから仕事にいきなさいよ。この数日、私がどれだけ不安な気持ちでいたと思っているのよ、まったく……」


「あっ、それ、俺の朝食(あさめし)……」

 

 と、キリコが制するよりも早く、シェリルはテーブルにおかれた朝食の数々――蜂蜜をぬった厚切りの胡桃(くるみ)パン、牛乳仕立ての肉だんごのスープ、ほうれん草のソテー、数種類のチーズなどを次々と口の中に放りこんでいった。

 

 しかし、立腹すると空腹になるという体質の男爵令嬢には、これだけでは物足りないようだ。

 厨房のほうにむきなおり声を投げる。


「ねえ、ジェシカ。私にも朝ごはんをちょうだい」


「ジェシカならいないぞ」

 

 ガラス瓶に入ったレモン(レモネード)をグラスに注ぎながら、キリコが応えた。


「いない?」


「ああ。マスターやほかの従業員もな。ついさっき、店内にいた客たちと一緒に外に飛び出していったからな」

 

 そう言われて、シェリルははっとしたように酒場の中を見わたした。

 

 自分たち以外に店内には誰の姿もないが、テーブル席やカウンター席の上には食べかけの料理があちらこちらに残っていた。


 中には湯気が立っている料理もあることから、シェリルが酒場に降りてくるすこし前まで幾人かの客がここで食事をしていたのであろう。


「みんな、いったいどこにいったのよ?」


「さあな。聞いた話じゃ、ライエン領主のなんとか伯爵の屋敷でなにか騒動があったらしいようだが」


「領主の屋敷で?」

 

 キリコの言葉をうけて、シェリルの脳裏にひとつの記憶がよみがえった。

 

 大通りから聞こえてきた人々の騒ぎ声。あれはそのせいだったのか。


 納得したようにシェリルはひとつうなずき、皿の中のチーズを一片つまんだそのとき。あわただしい疾駆音ともに出入り口の扉が開いた。飛びこむように店内に入ってきたのはジェシカである。


「あっ、シェリルさん。大変ですよ、大変!」

 

 泡を食った態。そうとしか表現できない姿で店に駆け入ってきたジェシカに、シェリルはおもわず目をみはった。


「どうしたのよ、ジェシカ。そんなにあわてて?」


「大変なんですよ、本当に。なにが大変かって、とにかく大変なんです!」

 

 ほとんどひと息で言いはなったジェシカは、そのまま二人の座るテーブル席まで駆けよってくると、そこにあったグラスをひょいと手にとった。


「あっ、それ俺のレモン水……」

 

 と、キリコが口にするよりも早く、ジェシカはグラスを満たすレモン水をぐいぐいと飲みだした。


 よほどのどが渇いていたらしく、ひょいひょいという感じであっというまにグラスを空にしてしまったのだが、それでもまだ飲み足りなそうな表情のジェシカにあらためてシェリルが訊いた。


「どうしたの、いったい。なにがあったのよ、ジェシカ?」


「それが大変なんです。国王さまが殺されちゃったんですよ!」


「……国王が殺された?」

 

 意味がわからずきょとんとするシェリルに、ジェシカがうなずいてみせた。


「そうなんです、もう街中が大騒ぎですよ」

 

 ジェシカが聞いてまわったところでは、極秘のうちにライエンを訪れていたリンチ王と重臣の一行が、領主ギュスター伯爵の屋敷に滞在中、敵対するジェノン義勇軍の襲撃をうけて殺害されたという。


 そのギュスター邸には現在、義勇軍の指導者であるフランシス・ド・リドウェル侯爵の呼びかけによって、多数の市民が集いつつあるという。彼らの前でリンチ王の死と義勇軍によるライエン制圧の宣言をおこなうというのが目的らしい。


「旦那さまや番頭さんたちはもうお屋敷のほうにむかっています。私はお店の留守番を命じられたのでしかたなく戻ってきたんですけど、キリコさんがいるなら大丈夫ですね。よし、私もお屋敷にいきます!」


「あっ、待ってよ、ジェシカ。私も一緒にいく!」

 

 ぎょっとした表情をキリコが浮かべたとき、視線の先のシェリルはすでに椅子を蹴って立ちあがり、ジェシカを追って床を駆っていた。


 事情はよくはわからないが、ジェシカの話と街中の騒ぎをうけて、とにかく好奇心と野次馬精神に駆られたらしい。「おい、ちょっと待て!」とキリコが呼び止めるよりも早く、ジェシカと一緒に酒場を飛び出していった。この数日間、キリコ不在で味わった苦い記憶は、もはや脳裏からは完全に消えているようだった。

 

 一方、よくわからないうちに店の留守番をまかされることになったキリコは、生命を狙われている身ということも忘れて飛び出していったシェリルにしばし呆気の態を保っていたが、やがて空のグラスにレモン水を注ぎなおすと微笑をたたえながらそれを面上にかかげた。


「反逆者たちに乾杯……」





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