第二章 簒奪者対反逆者 その⑥
「ぐわあっ!!」
強烈すぎる剣撃を胸甲にうけて、悲鳴もろともロベールの巨体がふきとんだ。
横転し、芝に身体をはげしくたたきつけ、その上を二転三転する。
ちぎれた芝草が宙空に舞いあがる中をすぐに立ちあがろうとするロベールに、黒豹のようなうごきで猛追してきたガウエルの、容赦のない剛刃が襲いかかる。
対するロベールはとっさに長槍をふりあげ、その苛烈な一撃をうけとめて肉体の両断を防いだが、すさまじい刃鳴りが鼓膜を刺激し、槍をささえる両腕の骨と筋肉とが悲鳴をあげた。これまで体験したことのないすさまじい剣勢であった。ガウエルがにやりと笑う。
「さすがはロベール卿。わが一刀をよくぞ防いだ。しかし、気のせいかな。おぬしの両膝が悲鳴を発しているように見えるのだがな。ククク」
「……こ、これしきのことでっ!!」
ロベールは長槍をふりあげ、嘲弄もろともガウエルをはじきとばした。と同時に腰の短剣をすばやく抜きとり、ガウエルめがけて投げはなつ。
だが、暴れ狂う猛牛をも一撃でしとめるロベールの投剣を、ガウエルは鋼の籠手におおわれた片腕一本で、まるで羽虫でもはらいとばすかのように軽々とはじきかえした。おそるべき腕力であった。
「槍術のみならず投剣術もなかなかのものだ。だが、このガウエルをしとめるには、いささか得物が小さかったようだな。フフフ」
(つ、強いっ! よもや、ここまでの強さとは……!?)
ガウエルとの間合いを慎重にはかりながら、ロベールは胸郭でうめいた。
戦士としての技量、膂力、俊敏さ、強靱さ。あらゆる面においてガウエルが自分を凌駕していることを、ロベールは認めざるをえなかった。
ことにロベールを驚愕させたのは、ガウエルの底知れぬ体力である。
呼吸を乱して肩で息をしているロベールに対し、ガウエルは呼吸を乱すところか表情すらかえず、それどころか汗の一滴も流さずに平然としている。すでにロベールとの間に百を超える打ち合いをかわしているにもかかわらずだ。
対峙する巨漢戦士の焦慮の念を無言のうちに察したのか、ふいにガウエルが冷笑の波動をはなってきた。
「どうした、ロベール卿。もう限界か。ならば余興を楽しむのもここまでだ。おぬしの首級をもらいうけ、屋敷の門前にてさらし首にするまでよ」
手にする大剣を水平にかざしながらガウエルが一歩踏みだし、長槍を身がまえつつロベールが一歩しりぞく。このとき、両者の戦いを遠巻きに見ていた義勇軍の兵士数名が、劣勢の指揮官を救うべく身をもってガウエルに突進していったのは賞賛に値するであろう。
だが、彼らの勇気と闘争心は、彼ら自身の生命を代償として要求していた。
それを誰よりも承知していたからこそ、ロベールは声をふりしぼって彼らを制したのだ。
「や、やめろっ! おまえたちが太刀打ちできる相手ではない!」
「邪魔なりっ!!」
魔刃一閃! 怒号とともにはなたれた剛剣のひと振りで、義勇軍兵たちの首が血の尾をひいて宙空にふきとんだ。
首を失った胴体は両足をふるわせながら数歩よろめき、ほどなく地面の上に次々とくずれおちていった。さらに遅れることわずか。そこから十歩ほど離れた場所に断たれた頭があいついで落下し、血とその匂いを一帯に散らせた。
「ふん。勇気と意気はかうが、兵卒ふぜいにはいささか無謀な挑戦であったな」
冷笑をたたえつつ剣刃の血のりをはらいとばし、ガウエルはロベールにむきなおった。
「さて、ロベール卿よ。雑兵とは異なり、おぬしはまことに賞賛に値する戦士だ。反乱軍の拠点をすべて明かし、われらに恭順するというのなら、国王におぬしの助命をとりなしてやってもよいが、如何?」
「ほ、ほざくな、僭王の黒犬がっ!!」
怒号を投げつけると同時に、ロベールはガウエルの顔めがけて槍先を突きだした。
渾身にして会心の一撃。鋼の閃光が一直線にガウエルの面上にのびていく。剣で防ぐにはもはや間にあわない。
殺ったっ! ガウエルの死と自身の勝利を確信した、その一瞬後。ロベールは信じられない光景を目の当たりにした。槍先が鼻先にまで迫った瞬間、なんとガウエルは片腕一本でロベール渾身の一撃をこともなげにつかみとめたのだ。
「ば、ばかなっ!?」
「終幕だ、ロベール卿!」
ごう然たる一語とともにガウエルの剣が夜空にはねとび、ロベールの身体をつつむ鋼鉄の甲冑を斬り裂いた。
一瞬、肉体をも裂いたかに見えたが、その寸前、ロベールはまさに紙一重の差で後方にとびすさり、かろうじて肢体の断裂だけはさけることができた。だが、完全にかわすことはできず、首すじから胸、腹部にかけて生じた斬跡から鮮血が噴きだした。
吐血とともにロベールは膝からくずれおち、激痛と出血に視界がかすんだ。
絶望の二文字がたちまち脳裏をよぎったが、全身を血に赤く染めてなお、義勇軍最強の戦士は立ちあがろうとする。
「……ま、まだだ、まだ終わらんぞ、ガウエル!」
だが、執念の眼光と一語を投げつけた先で、黒衣の雄敵はすでに剣を鞘の中におさめていた。
「言ったはずだ。もはや余興の時間は終幕だとな」
「な、なに、それはどういう意味だ!?」
それに応えたのはガウエルではなく、味方の内からあがった悲鳴にも似た叫び声だった。
「ロ、ロベール卿! あれを!?」
とっさに異変を察したロベールは、兵士たちが指ししめす方向に視線を投げつけた。屋敷本館の三階部分に設けられた露台のひとつが視線の先にある。
そこにロベールは見た。露台の中に立ちならび、地上の戦いを愉悦の面もちでながめやっている男たちの姿を。
リンチ王を中心にギュスター伯爵と近衛隊長のフロストがその左右をかため、さらにその背後には近衛隊の騎士たちが横一列に立ちならんでいる。だが、ロベールたちの目に映ったのは彼らだけではなかった。
リンチ王のすぐ後背。太い革ひもで甲冑ごと縛りあげられ、猿ぐつわを噛まされ、左右前後を近衛隊の騎士にかこまれ、さらには喉もとに短剣を突きつけられた自分たちの指導者――フランシスの姿がそこにあったのだ。
「フ、フランシスさまっ!?」
虜囚となったフランシスの姿に、おもわずロベールは声を失った。戦闘の最中ということも忘れ、おそるべき雄敵と対峙していることも失念し、露台のフランシスを喪心したような目で見つめている。
「さて、どうする。おぬしらの指導者はすでにわれらの掌中にある。それでもまだ戦いをつづけるつもりかな。われらはいっこうにかまわぬがな。フフフ」
ガウエルの嘲弄に自己を回復させたロベールは、夢から覚めたような態で周囲に散在する義勇軍兵に視線を転じた。その数は当初の半数以下にまで減り、戦いの刃に散った死屍が一帯にかさなりあっていた。
生き残っている兵士にしたところで、無傷健在な者は一人もいない。
誰もが負傷し、流血によって身体を赤く染めている。
それでも兵士たちは気力をふりしぼり、警備兵と乱刃をかわしていたのだが、それもフランシスの姿を目の当たりにするまでであった。
虜囚となった若き指導者の姿は、一瞬にして彼らから気力と戦意を奪った。
誰もが声もなくその場に立ちつくし、あえぐような息を漏らしている。
そんな兵士たちの姿をひととおり確認したあと、ロベールはゆっくりと両目を閉じた。
「む、無念……」
低いうめき声が口角から漏れ、その手から長槍がゆっくりと地面に落ちた。
それが戦いの終幕を告げた瞬間であった。
わずかに遅れて彼の部下たちも武器を捨て、膝から地面にくずれおち、嗚咽が連鎖した。
義勇軍は敗れたのである。
†
夜明けまで数刻とせまった時分。昨日から灰色の厚雲におおわれていたライエンの空に、ようやく晴れ間が見えはじめてきた。
ゆっくりと流れゆく厚雲のわずかな隙間からは月だけではなく、天空を彩る無数の星々も顔をのぞかせはじめ、硬質の光で地上を照らそうとしていた。
その月星の光をうけたギュスター邸の一画。
屋敷本館に面した芝造りの中庭のひとつに、革ひもで身体を縛りあげられた人々の姿があった。
周囲を屋敷の警備兵にとりかこまれた状態で、芝の上に座らされていたのは義勇軍の兵士たちである。
フランシス、ロベール、そして生き残った麾下の兵士たち。
国王襲撃に失敗し、あまつさえ邸内での戦闘にも敗れた彼らの中に無傷の者は一人もいなかった。
誰もが負傷し、流血し、苦痛にうめき、中には歩くことすらままならぬ兵士もいたが、そんな彼らに警備兵たちはわずかな情けすらかけることなく、傷ついた身体を容赦なく縛りあげてこの中庭にまで連行してきたのだ。
やがて中庭を見おろす屋敷の露台に、ギュスター伯爵や近衛隊長のフロストといった側近らをひきつれたリンチが姿をあらわした。だが、どういうわけかその中に、大将軍ガウエルの姿だけがなかった。
そのことに気づいたフランシスはいぶかしむような表情をつくったが、すぐにその意識は集団の中央にたたずむリンチに向けられた。
そのリンチは露台の端に姿を見せるやいなや、両目に露骨なまでの侮蔑の光をたたえながら地上のフランシスに嘲弄を投げつけてきた。
「フフフ。ずいぶんとみすぼらしい姿をしているではないか、小せがれ。思えばきさまの父親も、断頭台にかけられる前は似たような格好をしておったわ」
「き、貴様ぁぁっ!」
自分ばかりか亡父まで嘲られてフランシスはたまらず激高したが、脳裏と胸郭にうずまくひとつの疑念がその怒りをおさえた。
フランシスにはどうしてもリンチに質さねばならないことがあったのだ。
「貴様、われらの計画を知っていたな! そうでなければこれほどの迎撃態勢をとれるはずがない。答えろ、リンチ。どうやってわれらの計画を知った!?」
哄笑が夜気をふるわせた。
「どうやって知っただと? 勘違いするな、小せがれ。知ったのではない、しむけたのだ。予がこの屋敷に滞在している間に貴様らに襲撃をかけさせるようにな」
「……しむけただと?」
「フフフ、わからぬか、小せがれ。よし、わからぬのなら教えてやるわ」
リンチが指を鳴らすと、それに呼応するように後背に立ちらぶ近衛隊の列が分かれ、そこから紫色の絹服をまとった中年の男が露台にあらわれた。
その男の姿を視認した瞬間、フランシスはおもわず目をみはった。
否、それはフランシスだけではない。
ロベールや部下の兵士たちも、露台にあらわれた男の姿に一様に目をみはり、息をのみ、そして絶句した。
それも当然であろう。彼らはその男の顔をよく知っていたのだ。
警備兵団を市街地から遠ざけるための陽動作戦を指揮するため、現在、ランベール伯爵とともに別行動をとっているはずの人物の顔を……。
「これはこれはフランシス卿。リドウェル家のご当主ともあられる御方がずいぶんとみすぼらしい格好をされておりますな。そのような薄汚れた格好をされていては名家の名に傷がつきますぞ」
「ハ、ハーベイ男爵!?」
身体に走る痛みも忘れて、フランシスは露台に立つハーベイ男爵をぼう然と見つめた。
だが、それも長いことではなかった。
とても虜囚の身とは思えない男爵の姿に、フランシスは短時間のうちに無言の回答を見いだしていた。
フランシスは大きく息を吸い、声とともに吐きだした。
「裏切ったのか、男爵!?」
その糾弾の声に応えたのは「心外」を絵に描いた表情だった。
「ずいぶんな物言いですな、侯爵。私はジェノン王国の名誉ある貴族として、主君に忠誠を誓ったまでのことでござる。そして主君とはこの国にリンチ陛下、ただお一人。国王への忠誠を裏切りなどと言われては、はなはだ心外でござる」
ぬけぬけとはまさにこの語調であろう。
底知れない怒りにフランシスがさらなる怒号を発しようとしたとき、にわかに周囲をとりかこむ警備兵の列がわれ、そこから同様に革ひもで身体を縛りあげられた一人の老人が、数人の警備兵によってひきずりだされてきた。
その姿を視認した瞬間、フランシスたちはまたしても声を失った。
彼らの前にひきずりだされてきたのは、ランベール伯爵だったのだ。
「は、伯爵!」
「伯父上!?」
フランシスたちのもとにひきずりだされてきたランベール伯爵は、開口一番、涙ながらに謝罪の声を漏らした。
「お、お許しくだされ、侯爵。あのような恥知らずの慮外者を組織の幹部にすえたは、この老骨めにござる。このランベール、一生の不覚。弁解の余地もございませぬ……」
頭をたれて嗚咽を漏らす老貴族の姿をフランシスは声もなく見つめていたが、やがてその両の瞳に完全な理解の閃きがはしり、露台のハーベイ男爵に怒声を投げつけた。
「そうか、わかったぞ。あれほど強硬なまでに第一計画の実行を――屋敷への襲撃を主張していたのはすべてわれわれを罠にかけるためだったのだな、男爵!?」
ハーベイ男爵は高笑いをもってそれを認めた。
「そのとおりだ、侯爵。これ以上、おぬしたちに好き勝手に蠢動されては、いつまでたってもリンチ陛下の治世は望めぬからな。すべては国のため民のため、そしてリンチ王権のためでござる。言いたいことは多々ござろうが、ここは名誉ある諸侯らしくいさぎよく観念してくだされ」
語調こそ丁寧であったものの、ハーベイ男爵の言いようはどう飾っても嘲弄の意図を隠しえなかったので、たちまち義勇軍兵らの面上に怒りの蒸気が噴きあがった。彼らを代表して怒号をとどろかせたのはランベール伯爵である。
「き、貴様っ、この卑怯者めがっ!!」
「ほっほっほ。誉められたと思いましょう、伯爵」
投げつけられた悪罵をハーベイ男爵が冷笑でうけながすと、またしても憤怒の蒸気が義勇軍兵の中に噴きあがったが、それを制するかのようにリンチが声を発した。
「これでわかったであろう、小せがれ。予の行幸の報を得て襲撃計画を立てたときから、貴様らはわれらの手の平で踊らされていたのよ。そうとも知らずに予の首級をあげるだの、王女を救出するだのという妄想に酔いしれていたのだ。まったく滑稽なことよな」
露台と中庭、双方からわきあがる国軍兵たちの哄笑を片手をあげて制し、リンチはさらに語をつないだ。
「さて、まもなく夜もあける。これより貴様らの身はいったん警備兵団屯所の地下獄舎に収容するが、時期を見て国都に連行し、そこで一兵卒にいたるまで断頭台にかけてやるから楽しみにしておれ。とくに小せがれ。貴様に用意する断頭台は特別だぞ。なにしろ貴様の父親の首を刎ねた代物なのだからな。わっはっは!」
勝ちほこった高笑いもそこそこに、リンチは傍らのフロストに目配せをした。
国王の意をうけたフロストは黙礼で応えると、露台の中を一歩踏みだし、中庭の警備兵たちに叫んだ。
「よし、叛徒どもを屯所につれていけ!」
近衛隊長の命令をうけた警備兵たちがいっせいに足を踏みならして義勇軍兵につめよろうとした、そのときだった。一瞬、けたたましい轟音が夜明け前の薄闇の中をとどろき、わずかに遅れて邸内の一角が赤黒く輝いた。
その場につどうすべての人間がはっと視線を動かしたとき。二度目の轟音が彼らの鼓膜をしたたかに刺激し、直後、深紅色に輝く巨大な火柱が空へと噴きあがった。
「な、なんだっ!?」
驚愕にわななく声が中庭の各所でかさなりあがる中、ふたたび生じた轟音が人々の鼓膜をたたき、あらたな火柱がまたしても夜空を衝きあげた。突然のことに、誰もが場の状況も忘れて惚けたようにその光景を見つめている。




