第二章 簒奪者対反逆者 その②
「フランシスさま、吉報にございますぞ!」
この日。朝からほかの義勇軍兵とともに市中の様子を探りにでていたハウルが、揚々とした態で至高亭の高級客室にもどってきたのは夕刻のことであった。
奥の談話室でランベール伯爵、ハーベイ男爵、ロベールといった幹部たちと件の襲撃計画について意見をかわしていたフランシスは、どこか興奮をおさえられない様子のハウルの姿にかるく目をみはった。
「どうしたのだ、ハウル。そんなに息をはずませて?」
「はっ。じつは先刻、伯爵邸の同士から報告がとどきました。わが娘ハンナが王女さまとの接触に成功し、フランシスさまよりの文を無事にお渡しできたのことにございます」
ハウルの言葉に、フランシスはおもわずいろめきたった。
「それは本当か、ハウル?」
「はい。娘からの報告によれば、王女さまにおかれましてはご壮健であらせられるとのこと。フランシスさまからの文に、たいへんお喜びになられたとのことにございます」
「……そうか、エリーナさまはご壮健か。それならよい。それだけが気がかりだったのだ」
安堵の声を漏らすフランシスに誰も声をかけようとする者はいなかった。フランシスの声は他者にむけたものではなく、自身に対する独語とわかっていたからである。
だがハウルには、フランシスに伝えねばならないことがもうひとつあった。
「それと、いまひとつ。ハンナが王女さまより、フランシスさまにお渡しするように申しつかった品がございます」
「なに、エリーナさまから?」
ハウルはうなずき、内懐から絹布につつまれた物をフランシスに手渡した。
フランシスが布をほどいて中を見ると、そこには見おぼえのある白金造りのペンダントがあった。
「これは……!?」
かつて婚約の誓いとして、自分がエリーナに贈ったペンダントであることをフランシスが認識するまで、わずかな時間も必要としなかった。エリーナがこれを渡すことで自分になにを伝えたいのか、フランシスにはわかる気がした。
手にするペンダントを無言で見つめるフランシスと、そのフランシスをおなじように無言で見つめる幹部たちとの間に、しばし静寂の時間が流れたが、一通の伝報を片手に談話室に駆けこんできた兵士の足音が、その静寂を断ち切った。
「申しあげます。たったいま、伯爵邸よりあらたな情報がとどきました!」
フランシスは兵士から伝報をうけとり、その文面に目を通した。
伯爵邸からもたらされたあらたな情報。それはリンチ王とその一行の、国都ガルシャへの帰還日についてであった。リンチ王がガルシャへの帰還日を明後日にさだめたことがそこに記されてあった。
「明後日か……ならば、われらも例の計画について、いそぎ結論をださねばなるまい」
ランベール伯爵がそうきりだすと、フランシスたちは無言でうなずいた。
ここでいう例の計画とは、むろんリンチ王襲撃計画のことだ。
リンチ王が警備の厳重な国都を離れ、逆に手薄となる地方へ行幸にでたところを襲撃する。このライエンにひそかに集結したのも、すべては行幸に赴いてきたリンチ王に乾坤一擲ともいうべき襲撃作戦を決行するためであった。
ところが、大将軍ガウエルのまさかの随行という予想外の事態によって、いま義勇軍はあらたな決断をせまられていた。
「ここで問題となるのは、どこで襲撃をしかけるかだ。当初の予定どおり、伯爵邸に滞在中を狙うか。それとも第二計画に変更し、ガルシャへの帰路の途上を狙うか。ふたつにひとつじゃな」
国都内で活動する密偵からライエン行幸の情報を得たとき。参謀長たるランベール伯爵は二種類の襲撃計画を立案した。
ひとつは、伯爵邸滞在中に屋敷を襲撃する第一計画。
もうひとつは、ライエンに赴く途上、もしくは国都への帰路を待ちぶせしてその道中で襲撃する第二計画である。
伯爵がふたつの計画案を提示したとき、幹部たちの意見はほぼ半々に分かれ、決定するまでに時間がかかった。
数度におよぶ話しあいをかさねた末、第一計画を採用することとなったのは、屋敷の敷地内という限られた空間での戦いにもちこめば、兵力で劣る義勇軍にも十分勝機がみこめるという判断からである。
その第一計画の採用を、当初から幹部たちの中でもとくに推奨――というより強硬に主張していたハーベイ男爵が、いままたその持論を口にしはじめた。
「むろん、当初の予定どおり屋敷に滞在しているときを狙うべきだ。深夜、屋敷の人間が寝静まったころを見計らい、いっきに邸内に突入してリンチの首級をとる。われらには屋敷内に内通者を擁しており、彼らと緊密に連絡をとりあい、内部のくわしい状況を把握して行動にでればかならずリンチめを討ちとれようぞ」
ハーベイ男爵の意見に談話室に立ちならぶ兵士たちの間にも、賛同するうなずきが連鎖した。
実際、誰もが寝静まった深夜帯を狙って襲撃をしかけたほうが、成功の可能性は高いように思えた。
だが、その意見に異を唱える者がいた。
ハーベイ男爵とは逆に、当初から第二計画の採用を主張していたロベールである。
「だが、邸内には屋敷を警備する兵士にくわえ、リンチに随行してきた近衛隊もいる。屋敷内に突入してすんなりとリンチを討ちとれればよいが、万が一、中で手間どったりすれば、逆に袋のネズミとなるのはわれらのほうだ。ましてやいまのギュスター邸にはあの男が、ガウエル将軍がいる……」
ガウエルという人名がロベールの口から語られると、一転して、周囲の兵士たちの面上に緊張のさざ波がゆれた。
黒衣黒甲の将軍の常人離れした勇猛さはむろん、卓越した戦闘指揮能力は、彼らにとって脅威以外の何者でもなかった。屋敷に襲撃をかけるということは、当然のことながらあの黒衣の猛騎士と刃をまじえることになるのだ。
消沈したように沈黙する兵士たちを見やりつつ、ランベール伯爵が声を発した。
「たしかに屋敷への襲撃となれば、その危険性は十分にあるの。逆に道中であれば、万が一、リンチ討伐に失敗したとしても、こちらとしても作戦を中止して逃げるのは容易だ」
「二人とも、なにをいまさら弱気なことを言われるかっ!!」
第二計画に対する賛同と支持の空気が場にただよいかけたとき、ハーベイ男爵は、ばんっとテーブルを強くひとたたきし、二人の慎重論を一蹴した。
「今度の作戦は、劣勢を強いられてきた義勇軍にとって、まさに起死回生をかけた決死の作戦。万が一のことなど考えていては成功するものも成功せん。いま、われらに必要なのは必勝の信念。ただそれだけではあろう!」
「信念だけで戦いに勝てるのなら、いまごろリンチめの首は、王宮の門前あたりに晒されているはずではありませんか、男爵?」
応じたロベールの声には、あからさまに冷たいひびきがあった。
語調そのままにロベールがさらに言う。
「戦いとは相手があってのもの。ゆえに用心するに如くはなしと申しているのです。あなたは今、起死回生の作戦といわれた。ならばこそ、ただ勢いにまかせての軽挙は慎むべきではありませんか?」
ロベールの反論――というより皮肉まじりのアンチテーゼに、ハーベイ男爵は鼻白まずにはいられなかったが、だからといって「ふん、臆病者め」という類の冷笑をロベールに浴びせることなど男爵にはできなかった。
否、ハーベイ男爵にかぎらず、実戦部隊の指揮官として数多の戦功をあげてきた義勇軍最強の戦士に、その種の言葉を投げつけられる者など、義勇軍にはおろか国軍側にも存在しないであろう。
ましてロベールの指摘には説得力がある。屋敷に襲撃をかけたものの内部で手間どり、リンチ王の殺害ないし拘束に時間がかかるようでは、外部からの援軍をまねく恐れがある。
とくに、ふもとに拠点をかまえる警備兵団の存在は無視できない。陽動作戦をもって市街地から遠ざけようとしても、彼らが思惑どおりに行動するとはかぎらない。万が一、屯所に流した情報を虚報と見ぬかれるようなことがあれば、屋敷の内外から挟撃をうける可能性もでてくる。兵士個々の戦闘力はともかく、二百人という数はそれじたいが脅威となりうるものだった。
警備兵団の名が場に流れでると、それまで黙して幹部たちのやりとりを聞いていたハウルが、ふと思いだしたようにフランシスに声をむけた。
「警備兵団といえば、今日、市中をまわっているときに、妙な話を耳にいたしました」
「妙な話?」
「はい。昨日、第一教会の近くでおきた怪現象のことは、すでにフランシスさまもお聞きのことと思いますが」
わずかな沈黙の間に、フランシスは脳裏の淵から対象となる記憶をひきだした。
「ああ。たしか教会にほど近い大通りの一角で、なにかが爆発したような痕跡があり、一帯の路面や石塀が破壊されていたという話のことだな。結局、そこでなにがあったのかは、誰にもわからずじまいだったとか」
「さようです。それで、その場に駆けつけた住民の一人から聞いた話なのですが、現場には首を切断された数体の屍体があったそうで。しかも、それらはすべて、どうも警備兵団の兵士のようであったとのことです」
「警備兵団の兵士だと?」
そう応じたのはロベールである。
ハウルはうなずき、語をつないだ。
「はい。それで気になりましたので、酒場にきていた末端の兵士にそれとなく話をむけたところ、その兵士が言うには、昨日以降、兵団長のボイドと数名の同僚の姿が屯所内で見かけなくなったとのことです。不審に思い、そのことを幹部の兵士にたずねても、彼らにも兵団長たちの行方はわからないとのこと。屍体の件といい、兵士たちの失踪の件といい、うかつなことは申せませんが、警備兵団内になにかしらの異変が生じているのではありませんか」
すると、またしてもハーベイ男爵がテーブルをひとたたきし、たるんだあごの肉をゆらしながら嬉々とした声をはりあげた。
「これこそ、まさに天の配剤! 警備兵団内部になにかしらの異変と混乱が生じているのならば、作戦を実行するにあたって躊躇するなにものもない!」
不確定要素をつごうよく自己解釈したハーベイ男爵に、ランベール伯爵とロベールは露骨に眉をひそめたが、ハーベイ男爵はそんな二人には目もくれず、語調を強めてフランシスにせまった。
「侯爵、どうかご決断を。伯爵邸滞在中の襲撃こそ、あのリンチめの首級をあげる最大の好機。この機をのがせば、われらが勝利を手にする機会は二度とないやもしれませんぞ!」
ハーベイ男爵の熱弁を耳にしながら、フランシスはじっと目を閉じて沈黙していたが、それも長いことではなかった。ゆっくりと両目を開いたとき、決意の輝きがその双眸にあった。
「わかった。こたびの作戦、当初の予定どおり、第一計画を実行に移すことにする。作戦実行日は明後日だ。ロベール、兵士たちにもその旨を伝えておいてくれ。決行日にそなえて準備をおこたるなとな」
「……はっ、かしこまりました」
わずかな返答の遅れが、ロベールの心情を如実にあらわしていたが、声にだしてはなにも言わず、忠実な巨漢戦士はうやうやしく頭をさげた。
フランシスはかるくうなずき、兵士たちにむきなおった。
「今度の作戦は、皆の犠牲を覚悟しなければならない決死の戦いになるであろうが、それだけにかならず成功させなければならない。この一戦にはジェノン王家の存亡と四百万国民の未来がかかっている。すまぬが皆の命、このフランシスにあずけてほしい」
語尾にかさなるように、呼応の叫びが談話室内にあがった。
それは戦意と覚悟にみちた叫びであり、旧王家とフランシスに対する忠義の叫びでもあった。
必勝の信念もかたく、間近にせまった「聖戦」に兵士たちはおのれの血をたぎらせるのだった。




