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ロゥグ・オブ・セイント2  作者: RYO太郎
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第二章  簒奪者対反逆者 その①

     




 そこは美しい造りの庭園であった。

 

 樹林、花壇、四阿(あずまや)、噴水などが園内に絶妙の景観で配置され、舗装用の装飾タイルを敷きつめた園路が、その合間を流れるようにのびている。

 

その庭園の一角に、さまざまな種類の蘭が咲きほこるガラス張りの温室がある。蘭栽培を趣味としたこの屋敷の前の主人、レイモン・ド・リドウェル侯爵の遺産ともいうべき温室であった。

 

その温室の中で、一人の女性が(とう)で造られた椅子に座り、室内に咲きほこる花々の群を無言で見つめていた。

 

 彼女の名はエリーナ。先の内戦で死んだ前ジェノン国王イスファン三世の遺児であり、前王家の人間にあってただ一人生き残った女性である。

 

 黄金色(ブロンド)の髪、碧玉石色(エメラルドグリーン)の瞳、真珠色の肌で構成されるその容姿は、まず美女と表現するにふさわしいものであったが、視線の先の鮮やかな色をつけている花々とは対照的に、その瞳ははかなげに暗く、表情にいたっては悲しげに沈んでいた。

 

 その彼女の胸もとには、首からさげられた白金造り(プラチナ)のペンダントが磨きあげられた光彩をはなっていた。かつて将来を誓いあったある青年貴族から、その証明(あかし)として贈られたものだ。

 先の内戦でなにもかも失ったエリーナにとって、今となっては唯一、自分に手に残された思い出の品である。

 

 そのペンダントを、おそらくは無意識のうちに指先でまさぐっていたエリーナが、ふいに静かな一語を漏らした。


「……フランシス卿」


 ――ひとつの記憶がある。


 五年前、時の国王イスファン三世の治世のもと、それなりに平和で豊かな世を謳歌していたジェノン王家にひとつの破局が生じる。有力諸侯の一人リンチ伯爵が、突如、私兵団と傭兵団を動員して武装蜂起し、わずかな期間に国都ガルシャを制圧したのだ。

 

 二万の兵を動員させたリンチの財力と、軍の司令官をつとめたガウエル将軍の卓越した戦闘指揮能力がそれを可能にした。


 ガルシャでの攻防戦において国王夫妻が死に、国都からの脱出の際には兄のクリスティアン王子が死んだ。

 

 それでも包囲するリンチ軍の間隙をつき、わずかな従者をつれてガルシャからの脱出に成功したエリーナであったが、わずか三日後、近習の女官たちと隠れていた領境の小さな村でリンチ軍の兵士に発見され、囚われの身となった。ともに国都から逃げおちた、ギュスターという名の下級宮廷書記官の密告によるものだった。

 

 リンチ軍による国都占領から二日後。リンチ伯爵の反乱を知ったライエン領主レイモン・ド・リドウェル侯爵は、自身の私兵団にくわえ、ランベール伯爵をはじめとする各地の諸侯に呼びかけて討伐軍を結成。リンチ軍が占領するガルシャへと行軍を開始した。

 

 しかし、兵力で劣るリンチ軍の前に討伐軍はまさかの大敗北。主将であったレイモンは捕らえられ、その五日後、断頭台(ギロチン)の露と消えた。

 

 王家を滅ぼし、諸侯の軍勢をもしりぞけたリンチ伯爵は、時間をおくことなくジェノンの新国王として即位し、すぐさま王権の基盤固めに着手した。

 

 そのリンチがまず手をつけたのは、王宮の奥深くに軟禁されている、前王家唯一の生き残りであるエリーナの処遇であった。


 男子であれば処刑もできるが、年端もいかない女性を処刑したとあっては、新国王に対する民衆の視線と諸外国の評判は著しく厳しいものになるであろう。おそらくはどこかの尼僧院にでもあずけ、終生、世間と関わりをもたせないようにする。それが家臣たちの一致した意見であった。

 

 ゆえに、世間と関わりあいをもたせないどころか、国王が求婚をせまったことを耳にしたときは、彼らは一様に仰天し、耳を疑ったものである。

 

 正室と側室を合わせて七人の妻と、十人の愛妾(めかけ)をかかえるリンチが、まだ二十歳にもみたないエリーナに求婚したのはむろん理由があった。

 

 簒奪者(さんだつしや)。すべての理由はこの呼称にある。

 

 どう言いつくろうとも、リンチが主君に対して謀叛をおこし、王権を簒奪したのはまぎれもない事実であり、簒奪者の呼び名がその身にまとわりつくのは避けようがない。しかし、簒奪者の王では、これから諸外国相手に外交をおこなう上で格好がつかない。

 

 くわえて、ファティマの存在も無視できない。

 

 内戦終結後、リンチは新国王として即位する旨をしたためた手紙を教皇庁に送った。ダーマ教皇に正式なジェノン国王として承認してもらうためと、戴冠式をとりしきるための大司教を派遣してもらうためである。


 だが、即位から五年がすぎた現在も、教皇庁から即位を承認する公文書はいまだ送られてきていない。当然ながら戴冠式にも大司教は派遣されず、教圏国家の戴冠式としては史上初となる「快挙」を、リンチは自らやるはめになった。自分の手で王冠を取り、自分の手で王冠をかぶり、自分の口で即位宣言書を読みあげるという快挙を……。


 この件に関して教皇庁はいっさいの声明を出していないが、リンチには容易に推察できた。

 すなわち、自分が不法な武力革命(クーデター)によって王権を手にした簒奪者であり、そのことに対して教皇庁が反感をつのらせているということを。

 

 リンチ自身、自ら俗人たることを公言する筋金入りの無神論者であったから、教皇庁から白眼視されようと忌み嫌われようと、蚊のひと刺しほどの痛痒をおぼえることはない。だが、ジェノン王国がダーマ教圏に属する神聖国家である以上、教皇庁の不興と反感をかうことは教圏内での孤立化を意味し、他の教圏諸国と外交も交易もできなくなってしまう。

 

 否、そればかりか、まかりまちがえば「神の敵」と教皇庁から糾弾され、他の国々にジェノンとの「聖戦」を呼びかけられてしまう恐れもある。いくら傲岸不敵でならすリンチであっても、一度に四十余の国々を敵にまわす気概はさすがにない。

 

 それらさまざまな理由から、リンチは簒奪者と呼ばれずにすむ解決策をあれやこれやと思案し、そのひとつがエリーナとの婚姻策であった。

 

 旧王家唯一の生き残りにして唯一の王位継承者であるエリーナを妻にめとり、前国王の義理の息子となれば、王権を継ぐべき正当な理由をもつことになる。そうリンチは考えたのだ。

 

 一方、求婚されたエリーナはというと、当然のことながら激しく拒絶した。家族の仇敵であり憎んでもあまりある簒奪者との結婚など、想像するだけでもおぞましいと。

 

 だが、リンチとしても政治的、外交的、宗教的理由から簡単にあきらめるわけにはいかず、あらゆる手法をこころみてエリーナに翻意をせまった。ときに脅迫の要素を含んだそれは、まさに執拗をこえて執念ともいうべきものであった。


 そんな日々が一日、また一日と続く中で、あんな男の妻女になるくらいならばと、エリーナは自ら命を絶つことを考えたこともある。だが、それでは自らの生命を犠牲にしてまで自分を守ってくれた父母や兄に顔向けができない。


 生命を絶つにしても、せめてあの憎き簒奪者にひと太刀浴びせてからと、エリーナは日々、その機会をうかがっていたのだが、今日にいたるまでただ一度の機会も見いだせずにいた。リンチがその種の行動を警戒し、刃物の類をエリーナの近辺におかないよう厳命していたのだ。


 失意と絶望の日々が無為にすぎていく中、一日(いちじつ)、エリーナのもとに思いもがけない吉報がとびこんできた。かつての婚約者であり、先の内戦で死亡したと聞かされていたフランシスが生きていたというのだ。


 そればかりか、ジェノン義勇軍なる抵抗組織(レジスタンス)をひきいて、リンチ王権打倒のために戦っているという。

 

 その一報は、エリーナの心にふたたび生きる希望をあたえた。

 

 あのフランシス卿も必死に戦われている。ならば、自分も生きてあの簒奪者(おとこ)と戦おう。

 

 そうエリーナは心に強く誓ったのだが、そのフランシスに金貨三千枚という巨額の懸賞金がかけられ、国内外から集まってきた大勢の償金稼ぎ(ハンター)に生命を狙われている事実を知ると、とても心穏やかではいれらなかった。


「フランシス卿、どうかご無事で……あなたさえご無事なら、私はそれだけで十分なのです」


 たとえ二度と会うことがかなわなくとも……。


 そう胸の中でエリーナがつぶやいたとき、温室の扉の開閉音が聞こえてきた。誰かが温室に入ってきたのだ。


 一瞬、リンチ王かと思ったエリーナは緊張に身をこわばらせ、手にするペンダントをすばやく内懐にしまいこんだのだが、すぐにその口からは安堵の息が漏れた。温室内に姿をあらわしたのは、屋敷勤めの女中だったのだ。

 

 すらりとした長身の、腰まで届く黒い長髪をもった二十代半ばと思えるその女中は、冷水入りの壺と洋盃(グラス)を乗せた盆をかかえたままエリーナの前まで歩を進めてくると、うやうやしく一礼した。


「王女さま。冷水をお持ちいたしました」


「ありがとう。そこにおいてくださる」


 軽い黙礼の後、女中はテーブルの上に盆をおいた。


 その中におかれた冷水入りの壺に手を伸ばしたとき、エリーナはその壺の下に一通の封筒が隠されたようにおかれてあることに気づいた。


「あら、これはなに?」


 エリーナがそう問うと、黒髪の女中は用心深く周囲を見わたし、温室の内にも外にも余人の気配がないことを確認した後、エリーナにむきなおった。


「私の名はハンナ。リドウェル侯爵閣下にお仕えする従者ハウルの娘にございます。父の命で身分を偽り、この屋敷に女中として潜りこんでおります」


 そのひと言ですべてを察したのであろう。


 エリーナはおもわず息をのみ、あわてて手紙を手に取り封を開いた。


「こ、これは……!?」


 その文面に目を通したとたん、エリーナは声を失った。

 それはエリーナ宛てに書かれた、フランシス直筆の文であったのだ。


 その手紙には、現在、ある極秘作戦のため、義勇軍の兵士とともにライエンに潜伏していること。

 伯爵邸内にハンナをはじめとする義勇軍の間者を、幾人も潜りこませていることなどが記されてあり、その最後はこう締めくくられていた。 



『昔日、貴女(あなた)さまとの間にかわした誓いを、このフランシス、今日まで忘れたことはございません。非道なる簒奪者にかならずや正義の鉄槌を下し、亡き国王夫妻とクリスティアン殿下のご無念をお晴らしいたし、このジェノン王国にふたたび平和と正義を取り戻すことを誓約いたします。それまで、なにとぞご壮健であらせられることを。                         

                                     フランシス・ド・リドウェル』



 手紙を読み終えた瞬間、碧玉石色(エメラルドグリーン)の瞳から大粒の涙がこぼれおちてきた。


 そんなエリーナをハンナは微笑をたたえて見つめていたが、無用な長居は屋敷側の不審をまねくと判断したのか。一礼のうちに静かに温室を立ち去ろうとしたのだが、それに気づいたエリーナが、涙をぬぐいつつその動きを制した。


「ま、待って、ハンナ!」


 あわててハンナのもとに駆けよったエリーナは内懐からペンダントを取り出し、それをそっとハンナの手に渡した。


「お願い、どうかこれをフランシス卿にお渡ししてください」


 かならず、という端的な返答とともにハンナはペンダントを内懐にしまいこみ、すばやい歩調で温室から出ていった。


 一人、温室内に残ったエリーナは、しばし放心したようにその場にたたずんでいたが、やがて籐の椅子に腰をおろしなおすと、テーブルの上の手紙をいつまでも見つめていた……。





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