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ロゥグ・オブ・セイント2  作者: RYO太郎
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第一章  争乱の王国 その⑨




 建物の最上階にある高級客室は、西の角部屋の一二〇一号室、中央の一二〇二号室、東の角部屋の一二〇三号室の全三室で構成される。


 いずれも一泊の代金が金貨十枚にものぼる高価な部屋であるが、この日、その高価な客室はすべて同一の客によって貸しきり状態となっていた。満室になることは珍しいことではなかったが、同一の客によって全三室が貸しきられるのは、至高亭が創業して以来初めてのことだ。


 その初の快挙をやってのけた客というのは、教圏南方の国アーデルハイム王国から聖地ファティマへの巡礼の途上に立ちよった老齢の貴族と、その従者の一行ということだった。すくなくとも台帳にはそう記載されており、その身分を疑う者は宿の従業員の中には皆無である。


 だが、台帳とはしょせん自己申告のもの。大金を払い、高級客室をすべておさえた豪気な貴族とその一行というのが、じつは街の検問所を通る際には人夫とその手配師であると身分を偽り、宿で宿泊の手続きをする際には、聖地巡礼に向かう老貴族とその従者たちであるとさらに身分を詐称したあげく、このライエンで不穏な計画を画策している不穏な集団であることなど、神ならざる身の従業員(かれら)に見ぬけるはずもなかった。


 後背にそびえる高台の伯爵邸で行幸の宴が催されている同時分。二度にわたって身分を偽ったその集団は今、東の角部屋である一二〇三号室に全員が集まっていた。


 そこでは麻布の服を着た軽装姿の男たちが奥の談話室(サルーン)に集結し、室内におかれた大理石造りの円卓を囲み、卓上に並べられた地図や人名の記された数枚の洋紙を、一様に厳しい顔つきで凝視していた。


 十代後半から四十代前半と、部屋に集う男たちの年齢は幅広い。いずれも宿の従業員たちが「聖地巡礼に向かう貴族の従者たち」と信じこんでいる男たちだ。


「では、もう一度、作戦と手順と各自の役割について確認しておこう」


 低い、だが重厚な声が室内に流れでると、男たちの視線が一点に集中した。


 そこにいたのは、灰色の(こわ)い口髭をたくわえた六十代とおぼしき老齢の男で、宿の従業員たちが「聖地巡礼の途上に立ちよった偏屈そうな老貴族」と信じこんでいる人物だ。


 実際、その男は伯爵号をもつれっきとした貴族であった。


 名をランベールといい、ジェノン義勇軍にあって参謀長をつとめる幹部の一人である。


 この年、六十五歳になるが、三十年の軍歴によって鍛えられた身体はなおたくましい。 

 

 先の内戦時には、ライエンの先代領主レイモン・ド・リドウェル侯爵とともにリンチ軍と戦い、レイモンの死後は亡父の遺志をついて義勇軍の指導者となった長子フランシスを補佐し、リンチ王権打倒のために今も戦い続けている。

 

 ランベール伯爵は、円卓の上にならべられた数枚の洋紙――ギュスター邸の見取図を指さしながら、あらためて語をつないだ。


「まずは邸内に突入するタイミングだが、使用人として屋敷に潜伏している同士たちがエリーナさまの御身を確保し、屋敷の裏門近くにあるこの馬車庫に潜ませる。それが終了しだい、邸内から白煙があがる手はずになっている。それが突入の合図となるが、このときまでにわれらは、屋敷の東門と裏門を望む高台の斜面に身を潜ませておく。斜面には無数の樹木にくわえ、大人の腰ほどまでにのびた雑草類が生えしげっている。それらの陰に身を潜めておけば、よほど注意深く確認しないかぎりわれらの存在に気づくことはなかろう」


 一様にうなずく男たちを見やり、さらにランベール伯爵が説明を続ける。


「そして邸内への突入は、本隊と分隊の二手に分かれておこなう。まずは本隊が屋敷の使用人や出入りの業者が使う東門から突入する。白煙が出た時点ですでに門は開く手はずになっている。本隊の指揮官はロベール、おまえだ」


「承知しております、伯父上」


 鋭気みなぎる声でランベール伯爵に応えたのは、円卓をはさんで伯爵の正面に立つ、短く整えた黒い髪と青い瞳をもった若い男であった。


 ずばぬけた長身の、というよりは巨体の所有者で、名をロベールという。

 ランベール伯爵の甥であり、この年三十歳になる。


 義勇軍にあっては実戦部隊の指揮官をまかされている青年騎士で、筋骨たくましいとしか表現できないその体躯には、胸にも腕にも首すじにも厚く力強い筋肉が盛りあがり、若いながらも歴戦の勇者であることを全身で証明している。


 事実、義勇軍にあって猛将とは誰かと国軍兵士に問えば、まず彼の名があげられるほど、その勇名は国軍側にも知れわたっていた。


「次に分隊だが、分隊は屋敷の裏門から侵入をはかる。邸内に侵入したのちはすみやかに馬車庫に向かい、エリーナさまの御身の確保に全力を尽くしてもらう。この指揮は侯爵におまかせします。よろしいですな?」


「もちろんです、伯爵」


 ランベール伯爵が視線と声を向けた先で、ロベールの横に立つ金髪碧眼の青年――フランシス・ド・リドウェルは微笑をたたえてうなずいた。


 彼は義勇軍の指導者として組織を統べる立場にあるが、こと作戦の立案と実行部隊の指揮に関してはランベール伯爵と甥のロベールにそれぞれ一任していた。革命以前から国軍の将兵として活躍していた両者の才能を疑ったことは、フランシスは一度もない。


 ひとつ息を吐きだしてからランベール伯爵は語を継いだ。


「以上がギュスター邸襲撃計画の手順と役割だ。本隊は東の門から屋敷本館をめざし、リンチの殺害ないし拘束をはかる。一方、分隊は裏門から侵入し、エリーナさまの救出をはかる。屋敷内には警備の兵士にくわえリンチに随行してきた近衛隊もいる。詳しい情報はまだ屋敷から届いていないが、おそらくは百人前後の兵がいるものと推測される」


 百人という具体的な数字がランベール伯爵の口から語られると、それまで血気みなぎる面相を浮かべていた男たちの顔に、ごく微量の不安のさざ波がゆれた。


 そのことに気づいたのであろう。彼らの不安を打ち消すかのように、老貴族は灰色のひげを揺らして低い笑声をあげた。


「心配はいらぬ。われらとて明日にも合流する残りの同士をくわえれば、その数は八十人に達する。ましてや邸内というかぎられた空間での戦いでは、数による兵力差は出にくい」


 すると、一人の若い兵士が遠慮がちに手をあげ、伯爵に問うた。


「高台のふもとには警備兵団が屯所をかまえています。情報では、その屯所には常時百人ほどの兵士が待機しているとか。奴らはどう対処されますか?」


 そう問われた伯爵は小さくうなずき、


「それについても、すでに手は考えてある。襲撃を決行する一刻ほど前に、われわれの拠点(アジト)に関する嘘の情報を奴らの屯所に流し、決行時には兵士を市街地から遠ざけるので心配はいらぬ。その役目は私とハーベイ男爵にまかせてもらおう。のう、男爵?」


「さよう。連中には、せいぜい嘘の情報に踊ってもらうことにしましょう」


 嘲笑まじりのその声は、ビール樽のような肥満ぎみの身体を、派手な紫色の絹服でつつみこんだ男から発せられた。


 小柄で頭がはげあがり、たるんだ皮膚をもつその男の名をハーベイといい、男爵の号をもつれっきとした貴族である。


 義勇軍においては情報収集の責任者をつとめ、組織内の序列ではランベール伯爵につぐ幹部であるが、革命以前まではフランシスともランベール伯爵ともほとんど親交がなかった。


 かの内戦勃発時。王家に殉じるべきか、それともリンチ軍に加担すべきか。どちらに与すればハーベイ家にとって益になるかを思案している間に、内戦はリンチ軍の勝利で終わってしまった。


 戦後は形の上では中立を守っていたこともあり、フランシスの父レイモンのように処断されることはなかったが、リンチ軍に与しなかったことを理由に財産と領地を没収されてしまった。


 その後、なけなしの隠し財産をかかえて義勇軍に身を投じたのも、前王家への忠義と弔いの念に燃えるフランシスたちとは異なり、なんとしてもリンチ王権を打倒し、奪われた特権と財産と領地をわが手に取り戻す。その利己的な一念からである。


 そのハーベイ男爵がさらになにごとかを口にしようとしたとき。談話室の外がにわかにざわめいた。

 見張り役の若い兵士が、転がりこむように部屋の中に駆けこんできたのは直後のことだ。

 何者かが、入り口の扉を叩いているという。


 その一報に、フランシスたちの面上にたちまち緊張が走った。


 大金を払い、何人も部屋への立ち入りを禁止したが、連絡をうけていない従業員がまちがってきたのか。それとも自分たちの正体が知られ、宿側から報告をうけた警備兵団あたりが乗りこんできたのか。


 いずれにせよ、応答しなければさらなる不審をまねく。

 

 緊迫した空気が部屋全体にただよう中、扉越しに誰何の声をはなったのは、フランシスの従者長をつとめるハウルであった。曾祖父の代からリドウェル家に仕えてきた男で、革命後も家族ともどもフランシスに付き従い、行動をともにしている。


 わずかな沈黙の後に、扉の外から声が返ってきた。


「その声はハウルどのですか? 私です、番頭のゴーヴィンでございます。お部屋に入ってもよろしいでしょうか?」


 扉越しに返ってきたその声に、ハウルは安堵の息を漏らした。


「ご安心ください、フランシスさま。番頭のゴーヴィンでございます」


 報告をうけたフランシスもほっと息を漏らし、すぐに入室の許可をあたえた。


 部屋の中に招き入れられたゴーヴィンは、そのまま談話室へ通されると、立ちならぶ義勇軍兵たちを前に深々と一礼した。


「このような夜分の来訪をお許しください、フランシスさま」


「気にすることはない、ゴーヴィン。われらは同士ではないか。なにを気づかう必要がある」 


 フランシスの声は親しみにみちていた。


 それも当然で、温厚な風貌をした、一見、荒事やもめ事とは無縁そうなこの宿商人は、じつはジェノン義勇軍の一員であり、この至高亭を拠点にライエンでの情報収集と伝達係という要職をまかされている人物なのであった。


 むろん、職業上の主人であるサンデスは、およそ宿屋の番頭として水準以上の処理能力を有する側近が、そんな「危険分子」であることなど夢にも思っていない。宿の従業員たちもまたしかりである。


「それよりもゴーヴィン。なにかあったのか?」


「はい。じつはつい先刻、ギュスター邸に潜伏している同士から伝報が届きました。記されている筆跡(ふであと)からみて、おそらくはハンナどのからの手紙(ふみ)でなかろうかと」


「なに、ハンナの?」


 そう応じたのはハウルである。

 ハウルには二人の子供がおり、いずれも父親と同様に義勇軍の一員としてリンチ王権打倒のために活動していた。


 長男のハンスは国都ガルシャでの諜報活動に従事。娘のハンナは身分を偽り、女中になりすましてギュスター邸に潜りこんでいた。リンチ王の側近であるギュスター伯爵の動向と、そこから得られる王権内部の情報を探るのがその任である。


 ゴーヴィンから伝報をうけとったハウルは、その筆跡から娘が送ってきたものであることを確認した。


「まちがいございません、フランシスさま。この筆跡は、たしかに娘のハンナのものにございます」


「そうか。ハンナがなにかを探りだしてきてくれたのだな」


 得心したようにうなずくと、フランシスは伝報をうけとり封を開けた。

 ランベール伯爵たちが無言でその姿を注視する中、文面を読みすすめていたフランシスの表情がにわかに一変したのは、それから間もなくのことだった。


「こ、これは……!?」


「いかがされた、侯爵?」


 フランシスの異変に気づき、ランベール伯爵が声を向けた。


 わずかな沈黙の後、フランシスは手紙から視線をはずし、どこか青ざめた態で伯爵に応えた。


「こたびのリンチの随行者についてハンナが詳細な顔ぶれを調べてきてくれたのですが、これによれば、随行者の中にあのガウエル将軍が含まれているとのことです」


「な、なんと!?」


「あのガウエル将軍がライエンに!?」


 うめきにも似た驚愕の声が波紋のように広がった後、一転して、談話室は静まりかえった。フランシスの漏らした人名が鼓膜を刺激した瞬間、誰もが底知れぬ驚愕におもわず声を失ったのだ。 


 およそ現在のジェノン王国にあって、大将軍ガウエルの勇名と勇猛さを知らぬ者は、犬や猫をのぞけば生まれたての赤子くらいであろう。


 無謀な蜂起と見られていたリンチ伯爵による武力革命(クーデター)を、まさかの成功に導いた立役者。長大で重厚な大剣を小枝のようにふるう異数の戦士。内戦勃発時から現在にいたるまで、その刃によって斬殺された反リンチ派の将兵はゆうに千人を越えるといわれている。


 各地で敗走につぐ敗走を繰り返す、昨今の義勇軍の窮状の最大の原因ともいえる黒衣の猛将の名に、部屋に立ちならぶ義勇軍の兵士たちは皆、心の底から戦慄をおぼえずにはいられなかった。 


 重苦しい空気が室内にただよう中、ランベール伯爵はひとつ息を吐きだし、ふと思いいたった疑念を漏らした。


「それにしても信じられん。大将軍がまさかこのような時期に国都を離れ、国王の行幸に随行してくるとは……」


「たしかに伯父上の申されるとおりです。近衛隊のみならずガウエル将軍まで行幸に随行させるとは、リンチめ、いかなる思惑のあってのことか……」


 歯ぎしりせんばかりの独語の後、ロベールはフランシスにむきなおった。


「しかしながらフランシスさま。事態がこうなりますと、当初の計画を見なおす必要が出てくるやもしれません。ここは第二計画(セカンドプラン)への変更も考慮すべきかと」


第二作戦(セカンドプラン)か……」


 そうつぶやいたきり、フランシスは自らの思案に沈んだ。


 ロベールの口にした第二計画とは、国王のライエン行幸の情報を入手した際に、今回のギュスター邸襲撃計画とともに立案された、もうひとつ別の襲撃作戦のことだ。


 リンチ王の殺害ないし拘束をはかるという目的は同じだが、ある理由から採用を見おくられたものだった。


 それがロベールの口から語られると、場の中から猛烈な異議の声があがった。ハーベイ男爵であった。


「今さらなにを言われるか、ロベール卿。今度の作戦は数ヶ月も前から練りあげてきた決死の作戦。すでに多くの兵士が動きだし、われわれからの指令を待っている状況にあるのですぞ。今さら作戦の変更などできようもない。そうでござろう、侯爵!?」


 ハーベイ男爵のいきりたった声と視線が投げつけられた先で、フランシスはいまだ思案の泉に沈んでいたが、ふいにその視線が動いた。


 透きとおるような碧眼が向けられたのはゴーヴィンにである。


「ゴーヴィン。こちらから屋敷内のハンナに文を送ることは可能か?」


「はい、もちろんでございます。伝報屋にもわれらの同士が多数おります。彼らであればハンナどのにかぎらず、あらゆる場所のあらゆる同士に文を届けることができます。たとえ伯爵邸であろうとも、親元からの手紙と称すればまず疑う者などおりません」


「そうか。では、これから私は文をしたためるので、明日の朝一番で届けてもらえるか」


「はっ、かしこまりました。では、ただちにその手配をいたしてまいります」


 うやうやしい一礼を残して、ゴーヴィンは足早に談話室から出ていった。


 扉の閉まったのを見計らい、フランシスはふたたび口を開いた。


「まだ決行日までには時間がある。結論を性急に出す必要はない。今はなによりも、屋敷内のリンチたちの動向を探るほうが大事だ」


 そう言って、フランシスは一同に散会を命じた。


 やるべきことも決断すべきことも多々あったが、すでに夜も遅く、まずは旅の疲れをとることが先決と判断したのだ。思えば、潜伏先の国都ガルシャから強行軍でライエン入りを果たした今日、まともな休息などとっていないかったのだ。


 そのことに一同も気づいたのであろう。


 いきりたっていたハーベイ男爵もフランシスに結論をせまることなく、その指示を素直にうけいれた。


 兵士たちも今さらに疲労をおぼえたのか、各自、毛布をまとって思い思いの場所に床をとると、すぐに寝息があちこちから聞こえてきた。ランベール伯爵をはじめとする幹部たちも、それぞれに割りふられた部屋へと消えていった。


 東の角部屋である一二〇三号室。そこがフランシスの部屋であった。


 そこには上質の亜麻糸の生地(リネン)がかけられた円形の寝台がおかれてあったが、フランシスはそれには目もくれず、部屋の南側に設けられた大窓を開けて露台(バルコニー)へと出た。


 かさなりあう建物群が放つ無機的な輝きが、見わたせるかぎりの視界に広がっている。


 しばしの時間、フランシスは手すりに手をおいた姿勢で、そこから望む商都の夜景を黙して眺めていたが、ふいに上空に視線を転じるとその口角から独語が漏れた。


「われらが主ダーマよ、どうか私どもをお導きください……」


 若き指導者の静かな独語に、無数の星々が輝く故郷の夜空はただ沈黙を守っていた。



     


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