第一章 争乱の王国 その⑦
国王の一行が人知れずライエン入りを果たして半刻余り。にもかかわらず滞在先である領主ギュスター伯爵の屋敷には、豪奢な造りをした馬車の群が幾台も列をなしていた。いずれもライエン居住の貴族、騎士、商人といった街の有力者たちである。
彼らは皆、市民の大多数が知らない国王のライエン行幸を聞きつけ、それを祝うため、あるいはめったにない国王との謁見を求めるため、息せききってギュスター邸に駆けつけてきたのだ。
そのギュスター邸内には「黒薔薇の間」とよばれる、市井の民家が七、八軒はおさまるであろう広さをもつ大広間がある。国王の行幸を祝う宴はそこで催されていた。
極秘の、だが贅をきわめた宴がはじまってしばらくすぎた頃。その広間に一人の商人が姿を見せてきた。
年齢は四十代後半。銀色のかかった長髪を襟首あたりで束ねた、一見、キツネを思わせる風貌をした小柄な男で、名をゲルラッハといった。このライエンを拠にして宿泊業、小売業、水産業、建築業、輸送業といったさまざまな商売を手がけている豪商の一人で、とくに商船や軍船の建造を手がける造船分野では、ジェノン国内で三指に数えられる規模をほこっている。
そのゲルラッハ。広間にやってくるなり、わき目もふらずに広間の中央に設けられたテーブル席へと足を向けた。そこは主賓たるリンチ王のために設けられた主賓席で、リンチ王をはじめ、随行してきた王の側近たちが陣取っていた。
国王への謁見をもとめる有力者たちの列がそこにはあったが、後からやってきたゲルラッハがたいして待たされもせずに王のもとに通されたのは、かの武力革命の際、敗北必至と見られていたリンチ陣営に多額の軍資金を提供した、数少ない支援者の一人だからであろう。
国王のもとに通されたゲルラッハは、卑屈なまでに低頭しながらあれやこれやと美辞麗句をならべたてた後、さっそく謁見の本題をきりだした。
「ところで陛下。先日、手前が聞きおよびましたところ、このたび、いよいよ水軍の兵力増強をはかることをお決めになられたとか」
「あいかわらず耳が早いな、ゲルラッハ」
「はっ、おそれいります」
恐縮した態で低頭するゲルラッハを、リンチ王は片方の眉だけを動かして見すえた。
「たしかに水軍の兵力は増強する。おまえも知ってのとおり、内海の領有権をめぐってかの二ヶ国と争うておるからな、わが国は」
現在のジェノン情勢は、国内的にはジェノン義勇軍との抗争をかかえているが、国外的にも紛争の火種をかかえていた。国土の北に広がるエルド内海の領有範囲をめぐり、近隣の国々と一触即発の状態なのである。
ここでいう領有範囲とは自国の漁業権利海域をさし、その領域は国土の沿岸線の距離をもとに各国に割りあてられる。内海と接する沿岸の距離が長ければ長いほど、その国に割りあてられる領有海域は広くなるのだ。
これを「エルド領海法」というのだが、かつてこの資源豊富な内海をめぐって沿岸諸国の間で紛争が続き、いつまでもおさまらない争いをみかねた教皇庁が仲裁にのりだし、前述の協定案を提示して紛争をおさめた経緯がある。
それから二世紀余り。領海法の下で沿岸諸国はそれなりに平和と秩序を保っていたのだが、それが過去形で語られることになったのは、沿岸国のひとつのジェノン王国で生じた政変がきっかけだった。
武力革命によって王権を手にしたリンチは、その野心の手を国内にとどまらず内海にまでのばし、自国の領有海域の拡大を狙っていたのだ。
その結果、沿岸諸国との間に、とりわけ海域のみならず国土も接する東西の隣国――東のバーナード王国と西のザブール王国との間に緊張が高まり、紛争の勃発を懸念した教皇庁が三国間の仲裁にのりだすまでに騒動は発展していた。
すべての問題は、まるで領海法など存在しないかのようにふるまうジェノン側にあるのだが、それもリンチに言わせると、
「その協定は前王家が結んだもの。現王家が結んだものではない。よって無効である」
ということらしい。
かくして沿岸諸国からの抗議をはねつけるばかりか、教皇庁による仲裁にも応じる姿勢をまったく見せずに現在にいたっている。
それも当然で、リンチ自身、義勇軍を掃討して国内を平定したあかつきには、一連の騒動を理由にまずは東西の隣国に戦争をしかけ、領海も領土も拡大する腹づもりなのだ。
「そのためには水軍の兵力を、少なくとも現状の二倍ていどに引き上げねばなるまいし、他国の軍船を凌駕する強力な軍船も必要だ。わかるな、ゲルラッハ」
「心得ております。ただいま当方では、左右両舷あわせて十六門の船砲を搭載した軍船を建造している最中にございます。現在の沿岸諸国において、これだけの重装備をそなえた軍船をもつ国はございません。かの東西二ケ国もまたしかり……」
そう言って、ゲルラッハはうやうやしく頭をたれた。
軍船の発注はぜひ私めに。遠まわしにそう願いでているのである。
軍船をとりあつかう造船商人は、ゲルラッハ以外にも国内に十人ほどいる。
当然、発注先がゲルラッハにきまる可能性は十分の一であるが、その可能性を「一分の一」にする術をゲルラッハは心得ていた。
背後にひかえていた自身の従者からひとつの木箱をうけとると、ゲルラッハは箱のふたを開けた状態でそれをうやうやしく王の前に差しだした。
「これはささやかではございますが、国王陛下の行幸祝いにございます。お納めいただければうれしゅうございます」
ゲルラッハが手にする木箱には、大きさが苺ほどもある金剛石、紅玉石、青玉石、黄玉石、碧玉石などの宝石の数々が、絹布につつまれて箱の中におさまっていた。
はるか南方の異大陸より取り寄せた、世にふたつとない逸品であることをゲルラッハが説明すると、リンチの顔が愉悦にゆがんだ。国王の宝石好きはつとに有名であり、それを承知しての献上品である。
「うむ。そなたの期待にそえるよう前むきに考えておくぞ、ゲルラッハよ」
「ははっ、ありがたき幸せにございます!」
ゲルラッハは深々と頭をさげた。王の言葉に軍船の発注を確信したのだ。
再敬礼の後にリンチの前からしりぞくと、それと入れかわるように来賓への挨拶まわりに出ていたギュスター伯爵が主賓席に戻ってきた。
「ご盛況でなによりでございます。ところで陛下、ノルデス侯爵のお姿が広間のどこにも見あたらぬのですが、こたびの行幸にはお連れにならなかったので?」
ノルデス侯爵とはリンチの父の代から仕えている古参の側近の一人で、もっとも信をうけている人物として知られる老貴族である。
ギュスター伯爵同様、革命以前までは爵位も領地ももたない下級貴族であったが、リンチの即位後は副宰相や宮廷大臣などの要職にすえられ、さらには大小四つの領地と侯爵の爵位まであたえられるなど、まさにリンチ王政にあって重臣の中の重臣と知られる人物だ。
そのノルデス侯爵であるが、これまでリンチが地方行幸に出る際には必ずといっていいほど随行者にその名は含まれていたのだが、今回のライエン行幸において侯爵の姿はなかった。そのことを不審に思い、伯爵は訊ねたのだ。
「ふん、ノルデスか」
吐きすてるとはまさにこの口調であろう。それだけで国王の不快さを実感するに十分であった。
訊ねたたことを瞬時に後悔するギュスター伯爵であったが、かといって、今さら話題を変えることもできない。
生つばをひとつ呑みこみ、伯爵はおそるおそる問いなおした。
「い、いったい、どうなさいましたので?」
「伯爵は一ヶ月ほど前のガルシャでの事件をご存じですかな?」
リンチにかわりそう応じたのは、主賓席の一角に座る随行者の一人、近衛隊長のフロストであった。
銀色の頭髪を短く角刈りにし、筋骨たくましい体躯を純白の絹服でつつみこんだ、まだ三十歳になったばかりの青年騎士で、王の側近としては最年少である。
ギュスターが聞いたところではいちおう王族の出身らしく、リンチ王の叔母の従姉の娘の息子ということらしい。猛禽類を思わせる鋭い目などは、たしかにリンチのそれと酷似していた。
問われたギュスターは思考を回転させて、記憶の淵からひとつの事件をひろいあげた。
「ええと、一ヶ月前といいますと例の事件のことですかな。国都に潜伏していた反乱軍の拠点を探りだし、そこに奇襲をかけたという……」
「さよう。この作戦を指揮したのはノルデス侯爵なのですが、情けないことに、叛徒どもの頭目たるリドウェル候を捕り逃がしてしまったのです。そこに潜んでいたというのにですよ」
なるほど、それでか。ギュスターはリンチが不機嫌な理由を知った。
「ですが、無念にもリドウェル候を捕り逃がしはしましたが、数百人にもおよぶ叛徒どもを捕らえたと聞きましたが。中には幹部級の兵士も含まれていたとか。まるっきりの失敗とは思えない……」
ギュスターはふいに口を閉ざした。
リンチが手にしていたワイングラスを、テーブルに叩きつけるようにおいたのだ。
いっそ砕けなかったのが不思議なくらいの勢いに、ギュスターはおもわず目を丸くさせた。
「雑魚どもを何百人捕らえたところで意味などない。リドウェルだ、あの生意気な小せがれめだ。彼奴めを捕らえて断頭台にかけねば、いつまでたってもこのジェノンを統治することはかなわぬ。そうではないか、ギュスター!?」
「ま、まことにそのとおりにございます!」
怒気みなぎる国王の眼光をまともにうけて、ギュスターは冷水を浴びせられたように全身をこわばらせた。
そんなギュスターを横目で見やりつつ、王はふいに話題をかえた。
「ところでギュスター。かねてから命じていた例の件、順調に進んでおるだろうな?」
「は、なんのことでございましょうか?」
「…………」
呆気の態で沈黙したのも束の間、リンチは底光りするような目でギュスターを見すえながら語を継いだ。
「反乱軍の支援者捜索の件だ。このライエンはもとはリドウェル一族の領地。国内でもっとも奴の支援者が潜伏している場所だ。市内に密偵をはなち、反乱軍に協力する者を探りだせと予は命じていたと思うが、つごうよく忘れてしまったかな、伯爵閣下は?」
まさに獰悪としか表現できない声と表情を向けられて、ギュスターはまたしても心身をこわばらせた。
「め、めっそうもございませぬ! 不肖は陛下よりたまわった勅命を、一日たりとも忘れたことなどございません。このギュスター、リンチ王家によるジェノンの恒久の統治と繁栄に、日々、心くだいております身なれば……」
もつれかける舌を必死に制御してギュスターは弁明にはげんだが、あいにく国王にはわずかな感銘もあたえることはできなかったようだ。むしろ不快感を増長させただけであった。
「なにをごちゃごちゃと言うておるか。予が訊きたいのは、おまえが予の勅命に対してどういう行動をとり、どういう成果をえられたか。それだけだ!」
「は、はい。それにつきましては現在、二百人ほどの償金稼ぎを雇いいれ、必死の捜索活動の最中にございますれば、近日中にも吉報を届けられるかと……」
「ようするに、なんの成果もあがっていない。そういうことでしょう、伯爵?」
身も蓋もない事実を嘲笑まじりに口にしたのは、近衛隊長のフロストである。
いくら国王の縁者とはいえ、二十歳も年少者に冷笑を向けられてギュスターは赫となり、憎々しげににらみかえしたが、実際にそのとおりなので反駁することもできない。
まるで塩をかけられたナメクジさながらに身体を縮ませて、消え入りそうな低声でおのれの不甲斐なさを詫びた。
「も、もうしわけございませぬ。近日中にもかならずや朗報を……」
「まあ、よいわ」
王の口から返ってきた声には、意外にも怒気の成分は含まれていなかった。
「叛徒どもも馬鹿ではない。そう易々と尻尾をつかませることはなかろう。ひきつづき密偵をはなって捜索を続けろ。場合によっては公然と活動させてもかまわん。その行動じたいが叛徒と支援者への圧力となり、その動きを鈍らせることになる」
リンチも「忠誠心だけは人三倍」と公言する側近を必要以上に責めなかった。
もとからその手腕や能力に高い期待を抱いていないこともあるが、じつはギュスターに命じたものとは別の計画を、リンチは水面下で同時進行させていたのだ。
この後者の計画こそリンチの本命とする対義勇軍掃討作戦であったのだが、そのことをギュスターはいっさい知らされていない。
「ははっ、承知いたしました。かならずやご期待に応えてみせまする」
まだ期待されている。そう思いこんだギュスターは安堵の笑みを浮かべ、静脈が青いひものように浮きでた手をこすりあわせたが、すでにこのとき。リンチの視線と関心は別の人物へと向けられていた。
「どこへいく、将軍?」
リンチが声と視線を向けた先にいたのは、同じ主賓席に座る王国大将軍のガウエルであった。
昼間とは異なり、今は甲も冑も仮面も着けておらず、肩のところできれいに切りそろえられた漆黒の長髪と、血色のない色白の素顔がまともに姿を見せていた。
一見、蝋人形を思わせる白皙の風貌で、その面上からは感情というものがまるで感じらとれなかった。
「いささか酔ったようです。しばし、外の風にあたってまいります」
風貌と同様、感情の希薄な声であった。
目礼して席をはずすガウエルの背中に視線をおくりつつ、ギュスターはワイングラスを卓上におくといぶかしむような声をリンチに漏らした。
「それにしても不思議な御仁でございますな、ガウエル将軍は」
「なんのことだ?」
「いえ。私がはじめて将軍とお会いしたのは、たしか十二、三年ほど前。陛下がまだ伯爵家のご当主についてまもない時分、かの御仁を警護隊長として召しかかえられた頃だと思います。あれから刻はうつろい、失礼ながら陛下も私も相応に年齢をかさねておりますが、あの御仁にかぎってはいささかもその風貌にかわりが見えませぬ。まるで刻が止まっているかのように」
「ふむ、言われてみればたしかに……」
自分もギュスターも、頭髪にも口髭にも白いものが混じりはじめているというのに、ガウエルの風貌にはほとんど変化が生じていないことにリンチは今さらながらに気づいた。十数年という時間の流れにあって、人がまったく変わらずにいることがあるのだろうか。
ギュスターの指摘でそのことに気づき、ごく微量の不審の念がリンチの胸郭の隅をよぎったが、謁見をもとめる来賓の群がその念を一瞬で消しさった。
次々とやってくる街の有力者たちは、リンチの前であれやこれやと「おべっか」を口にした後「手土産」を渡し、最後にささやかな「陳情」を口にする。この一連の流れは、なにもゲルラッハの専売特許というわけではないのだ。
その頃。宴の席から一人離れたガウエルは、屋敷の露台のひとつに姿を見せていた。
眼下には菩提樹などが生え茂る樹庭園が広がり、その樹木の間を這うように石畳の路が縦横に走っている。余人のうごめく気配と地を蹴る音は、その一画から発せられてきた。
半月の光が地表に降りそそぐ中、薄闇と樹木の陰からあらわれたのは革甲姿の兵士だった。
その身をつつむ厚革造りの甲の胸部には、国軍兵士の証しであるジェノン紋章が刻まれている。
冑は着けておらず、かわりに黒い覆面頭巾で頭全体をおおいかくし、その表情は窺い知れなかったが、その両腰には二本のサーベルが吊されていた。
黒覆面姿の兵士はしばしの間、露台にたたずむガウエルとともに沈黙の中に身をおいていたが、ややあってガウエルが指先で自分の首を横に切るしぐさを見せると、黒覆面の兵士は小さくうなずき、ふたたび樹庭園の奥へと姿を消していった。
ほどなく兵士の気配と足音が完全に消えさったとき、ガウエルは頭上を見あげた。
まるで天上の神々が無数の宝石を投げうったかのような満天の星空が、視線の先に広がっていた。
幻想的ともいえるその星空をガウエルはしばし無言で見つめていたが、ふいにその口端がつりあがると、はじめて感情らしきものが血色の乏しいその面上に浮かんだ。
「ふん、ファティマの猟犬め……」




