生い立ち
柔らかな風が吹いていた。
サワサワと木の葉が揺れ、木漏れ日が薄く光る。日差しが和らぐこの時間、この森を二人で散歩するのが日課だった。
森の奥には開けた空間とたくさんの十字架がある。墓標の前でアリアは一心に祈り、俺は日のあたる場所で、日が暮れるまでただひたすら剣の稽古をする。
俺は毎日のこの時間が、とても好きだった。
でも、それも今日で終わりだ。
ちょっと感傷的な気分で、祈るアリアを眺める。この綺麗な銀髪も見納めだと思うと物凄く寂しい。視線を感じたのか、アリアが振り返り、咎めるように顔をしかめた。
「カイン、日のあたる場所にいなさい。体が弱ってしまうわ」
いつも通りの小言に思わず吹き出す。ホントに過保護なんだ、アリアは。
「大丈夫だって!アリアこそ、うっかり日に当たるなよ。この前も火傷してたし。」
「どうせすぐ治るもの。」
アリアはもう2000年以上生きているヴァンパイアだ。火傷くらいなら一瞬で治る。…ただ、見てる方が痛いんだよな…。
アリアは俺の育ての親だ。
まだ「人」だった頃に子供を亡くした彼女は、目に入る孤児全てを、我が子のように大事に育ててくれた。
だからなのか…
俺はまだ歩く事さえ出来ない赤ん坊の状態で、アリアに預けられた。
2人の冒険者がたまたま立ち寄った街で、今際の際の女性から「この子をアリアに託して欲しい」と泣きつかれ、わざわざアリアを訪ねてきたからだ。
女性はそれだけ言うと事切れ、詳しい事情は一切分からない。その時に俺の首にかかっていたでかいペンダントが、俺の両親の唯一の手がかりらしい。
冒険者達は最初は困ったものの、2つの理由で、アリアのもとを訪ねようと決めたそうだ。
理由のひとつは、好奇心。
アリアは伝説と呼ばれる程、有名なヴァンパイアで、まことしやかに囁かれる噂がいくつもある。
2000年もの間生きている。
ヴァンパイアの始祖を倒した。
人の血を吸った事がない。
孤児を拾っては育てている。
彼女が住む森には、孤児達が作った村があり、彼女を守っている。
…そんなヴァンパイアがいるなら会ってみたい。まあ、野次馬気分だ。
だが、彼らを実際に動かしたのはもうひとつの理由の方だった。
普通に考えて、そんなヴァンパイアがいる筈がない。村人は妙な魔術で洗脳されているのかも知れない。
もしもそうだとしたら、危険極まりない。彼女が告げた森はここから近く、人里離れてもいない。
放っておける筈がなかった。
ただ、村に辿り着いた彼らは相当困惑したらしい。
ごく普通の村、ごく普通の生活、ごく普通の人々…。怪しい所もないが、ヴァンパイアの気配もない。
「ああ、アリアを訪ねて来たんかい。その道ずっと行きゃあ、森のアリアの家に着く。」
困って村人に尋ねると、あっさりとアリアの根城も教えてくれた。
もちろんヴァンパイアと会うなら昼間がいい。冒険者達の内、一人は剣士だが、もう一人は聖魔導士だった。ヴァンパイアに有効な攻撃手段は無くはない。
彼らは決意を固め、アリアの元を訪ね…ここでも困惑するハメになった。アリアは普通過ぎたからだ。
「あら、いらっしゃい。どちら様?」とお茶を出してくれる。
事情を話すと、「こんなに可愛い赤ちゃんを残して…心残りだったでしょうね。」と女の死を悼む。
赤ちゃんを育てて欲しいと頼むと、断られた。
曰く、「嬉しいけど…私はヴァンパイアだから。普通の村で、普通の人間に育てて貰って。偏見がないわけじゃないし、この子の人生も変わっちゃうから。」
相当真っ当な理由だ。
しかも、ヴァンパイアである事も隠さず、アリアは普通に生きていた。
もちろん彼らも冒険者だ。
当然印象だけでは信用しない。
丁度でかい冒険を終えて少しゆっくりするつもりだった彼らは、酔狂な事に、1年もの間この村に留まり、アリアの行動を追ったらしい。
冒険者達が女に俺を託されて1年、俺はついにアリアを信頼するに至った彼らから、再度アリアの手に渡された。
アリアに大事に大事に育てられ、ちょいちょい顔を見に来るその冒険者達に剣の稽古をつけられ…
14年があっと言う間に過ぎた。
おかげで村の中でも剣技は一番だ。
アリアからは心配ばかりされるが、体力だって人一倍あるつもりだ。
この村では、15歳で成人する。
その後の生き方の選択を迫られるんだ。
村で生きるか、旅にでるかを。
この村は、もともとアリアに育てられた子供達が、アリアを慕って作った村だ。
この村には悲願がある。
いつか、強い強い子供を育て、アリアのために龍聖石を探すこと。
何も欲しがらないアリアが、一度だけ、夢見るように「欲しい」と言った龍聖石。
どんな石かも分からないが、子供達はどうしても見つけたかった。その石を探して、たくさんの子供が旅だったと聞くけど、それでも見つかっていない。もう伝説のような、悲願。
子供達の間だけで語りつがれ、アリアは知らないのだと言う。
俺も、旅に出る。
村のみんなが、何百年も探し続けた、龍聖石を探しに。
もの思いに耽っていた俺は、アリアの心配そうな眼差しに気付き、慌てて笑顔を作った。
言うんだ、決心が鈍る前に。
「アリア、俺、明日旅に出る。」
一瞬、悲しそうに顔を歪めるアリア。次いで、ため息と共に寂しそうな笑顔を見せた。
「そうね。カインはいつか必ずそう言うと思ってた。ずっと、訓練していたものね。」
そしてアリアは、俺の首にかかるペンダントを撫でた。
「旅に出るなら、まずはこの街の東、カルビアの丘に向かいなさい。そこにライルという名のギルドがあるわ。」
「ギルド?…でも、カルビアの丘って街とか無いよな?気味悪い古城しか無くない?」
アリアは、うふふ、と笑う。
「その古城、地下がギルドになってるの。ドラゴンと、ドラゴンのマスターだけが集まる、秘密のギルドよ。」
そして、俺のペンダントを掌にのせて、なぜかいたずらっ子のように笑った。
「このペンダント、ドラゴンマスターの証だと思うわ。あなたのご両親を知るドラゴンに会えるかも知れない。」
確かめてご覧なさい、と言う。
親の事は顔も知らない。
だから、考えた事もなかったんだ。
思いがけない展開に、その日俺は眠れなかった。