歪んだ迷宮④
「私のせい…なのです…。」
マリエルさんが、悲しげに呟く。
「もう少し先に…私の…寝所があります…。そこで…話を…。」
マリエルさんに導かれ、城のダンジョンを奥へ、奥へとさらに進む。いつの間にか俺達は、4階に辿りついていた。
…上にくれば来るほど、アヴィンドル様の低い唸り声が、腹に響くなぁ。近づいてるって、実感する。
やがてマリエルさんは、ひとつの扉の前で立ち止まった。アラシはマリエルさんに頷いてみせると、おもむろに扉を開ける。
「…わぁ!素敵な部屋!」
ミュウが声をあげるのも無理はない。埃をかぶってはいるが、そこは上品なのにどこか可愛らしい調度や小物で溢れていた。
女性らしいレースやリボンをあしらった天蓋付きベッドにたくさんの人形と縫いぐるみ。マリエルさんはきっとこの部屋で、幸せに楽しく、日々を暮らしていたんだろうな。
マリエルさんは、なつかしそうにゆっくりと部屋を見回すと、静かにベッドに腰かけた。
「ここでなら、私も自由にお話しできます。何から…お話しいたしましょうか…。」
俺達も椅子の埃をはらって、思い思いに腰掛ける。サイは部屋の人形や縫いぐるみが珍しいのか、ひとつひとつ覗きこんでは歓声をあげていた。
「単刀直入に尋こう。この城ではいったい何が起こってるんだ?アヴィンドルは無事なのか?」
アラシの言葉に、マリエルさんは、居住まいを正し、話し始める。
「私が死んだ時から、アヴィンドル様は人を寄せ付けなくなってしまって…。城の最上階の自室から一歩も出ず、ああして嘆くだけになってしまいました…。」
それって…100年も…彼女の死を悼んでいるって事…?
「アヴィンドル様が、今どんな様子なのか…私にもわかりません。あの悲しい声を聞く度に、なんとかしたいと思うのですが…。私はアヴィンドル様のお部屋に入る事が出来ないのです。」
「えっ?結界か何かあるの?」
ミュウが目を丸くして尋ねる。
「いいえ…。サマンサが扉を守っていて、中に入れてくれないのです。」
「サマンサって、誰?」
サイが無邪気に尋く。マリエルさんは、少しだけ微笑んで見せた。
「私の…友達だった人よ。でも、そうね…。恋敵、だったのかなぁ。」
マリエルさんは、寂しげな遠い目をしている。それを見て、アラシがハッキリとした口調で言った。
「100年前にあった事、出来るだけ詳しく話してくれ。アヴィンドルに会うにも障害があるなら、情報はひとつでも多い方がいい。」
アラシの真剣な表情に、マリエルさんも唇を噛み、頷いた。
「私の目から見たものなので、事実とは若干違う事もあるかも知れませんが、全てお話しします。…どうか、アヴィンドル様を孤独から救って下さい…。」
マリエルさんの目から大粒の涙が、ボロボロと零れる。少しだけ泣いてから、マリエルさんは話し始めた。
「100年程前まで、城には沢山の使用人達がいました。私もその一人で…アヴィンドル様とは、主と使用人として、出会ったのです。」
特に町長さんの家系は、成人するとこの城で働くのが当時の習わしだったらしい。
「結婚してからの数年間はとても楽しくて…。アヴィンドル様と街におりては音楽を楽しみ、街の人達も頻繁に城に招いておりました。私…楽しくて楽しくて…。」
楽しいという言葉を使いながら、マリエルさんは、目を瞑り、眉をよせている。
「……ずっと、アヴィンドル様と一緒に居たいと、思ってしまったんです。」
それの何がいけないんだろう…。
マリエルさんはそこで言葉を切り、暫くの間沈黙した。
なんだかあまりにも辛そうな様子に、声もかけられなくて、俺達はただ、マリエルさんが再び話し始めるのを待つ事しか出来ない。
マリエルさんは、やがて意を決したように顔をあげた。
「サマンサが、うまくいけば不老不死になれる薬、を…くれました。そんな都合のいいもの、ある筈ないのに…。私、誘惑に負けて、飲んでしまったんです。」
それは劇薬で。
マリエルさんは苦しんだ末、死に至った。
そして、心残りがあり過ぎるマリエルさんは、こんな姿でこの世に留まる事になってしまったわけだ。
「アヴィンドル様は、誤解しているようでした。私が、断りきれずに結婚し、…耐えきれずに自殺したと…思いこんでしまったのです。」
それは…哀し過ぎる…。
アヴィンドル様も、マリエルさんも。
「私の亡骸を抱えて泣き叫ぶアヴィンドル様に、幾度も話しかけましたが、どうしても聞こえず…どうやら、魔術の心得があるサマンサが、魔除けの呪文を施したようでした。」
自分が「魔のもの」になってしまった事実。最愛の人をこれ以上ないくらい、嘆き悲しませてしまった事。
マリエルさんにとっては、そのどちらもが、胸を抉る、悲しい現実だった。
しかも、事態は悪化していった。
アヴィンドル様は、悲しい事に、人を信じられなくなってしまった…。
人が向けてくれる好意が、果たして真実のものかが、分からなくなってしまったんだ。だって…初めて、婚姻する程愛し合っていたと信じていたマリエルさんが、自殺する程、自分から逃げたいと思っていただなんて…。
それは誤解だけど…でも、そう信じたアヴィンドル様は、人と会うのを恐れて、私室に籠るようになったんだそうだ。
部屋に入れるのは、部屋付きになったサマンサだけ。そのうち、他の使用人は解雇され、わずか1年程で、ここはアヴィンドル様とサマンサだけが住む城となってしまった。
さらに、今度はサマンサが荒れ始める。
マリエルさんが死んでも、アヴィンドル様がサマンサになびかなかったからだ。使用人としての信頼はあるものの、好きになってくれるわけじゃない。
それからさらに1年後、マリエルさんを思って嘆き続けるアヴィンドル様に当てつけるように、サマンサは自殺した。
元々魔術の素養があったせいか、思いの強さか、サマンサは、マリエルさんよりも、かなり高位のアンデッドモンスターとして生まれかわった。
サマンサが守る、アヴィンドル様の私室のドアには、もはや誰も近付けない。信頼していたサマンサまでが自殺した事で、アヴィンドル様はいよいよ人を信じられなくなる…。
全てが、悪循環だった。
「私…何とかしたくて、必死で助けを呼びました。でも、私が一番力を発揮できるのは、私が死んだこの場所…。城の外に姿を現せるようになるまで、100年もかかってしまったんですね…。」
なんと、マリエルさんが城の外に姿を現すようになったのは、100年にも及ぶ、彼女の努力の結果だったのか…。
話を聞き終えた俺達は、アヴィンドル様が今も住む、城の最上階へ急いだ。陽気で朗らかだったアヴィンドル様が、あんなにも哀しい咆哮をあげるようになった理由も分かった。
一刻も早く助けたい。