表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/6

4 ムジナ

 真夏の夜に、もう少しだけ私の話に付き合ってほしい。いや、なに。ほんの少しだけ、茹だるような暑さから、手を引いて差し上げるだけだから。



 あれはそう、ちょうど夏も盛りの頃だったか。

 私たち夫婦は、盆休みを利用して田舎の祭りを訪れていた。田舎といっても、自分達とは縁も所縁もない所だ。市街地からいくつか山を超え、山間部にある小さな集落。

 テントを並べ、そこで採れる地元の農作物を売りながら、少ない露店が軒を連ねる。町起こしの一環だろうか、聞いたことがあまりない演歌歌手もやってきて、小さなステージでテープを売りながら、自慢の声を聞かせていた。小さな櫓も組まれて、きっと日が暮れれば盆踊りで賑わうのだろう。


 私は初めて訪れる。日帰りドライブも兼ねて、ここを目的地としたのは夫だ。


「よくこんな小さな祭を知ってたね」

「まあ、ばあさんの実家が近いし、この先に釣りにいい沢があるし」


 まあいい。都会ではなかなか高価で手が出ないような、立派な茸や自然薯、山の幸が買えたのだから。

 さほど時間もかからず店巡りを終えた私たちは、帰りの客がひどく狭い山道を連なる前にと、帰路につく。しかしながら、所々譲り合わねば対向車とすれ違えないほどの山のなか。

 集落からさほど行かぬ内に、車列の最後尾につくこととなった。


「あー、出遅れたな」


 くねる道の先は見えないが、そろりそろりとしか進まぬ車列に、夫は愚痴をこぼす。

 まだ集落の近くのせいか、それは青年団か消防団かしら。町人が二股の交差点で誘導をしていた。


 それを過ぎてもまだ進まぬ車。仕方ないとあきらめていたところに、再び町人らしき者が立っていた。その脇には、明らかに今の道より細い脇道。

 私たちの車の前に手を掲げ、町人らしき男性に誘導される。持っていた誘導棒を振り、脇道に逸れるよう差し示され、夫がそれに従ってゆっくり進めば、男性は丁寧にお辞儀する。

 それはとてもにこやかに。


「大丈夫なの?」


 私は不安にかられる。

 なぜならその道は、少し進んだだけでも、普段から使われていないのが分かる。轍はあるが、落ち葉が長く積もって雨に濡れたまま、アスファルトを厚く覆っている。

 後ろを振り返れば、後続車が二台。

 白いシャツを着た町人は、遠ざかりながらもこちらを向いて立っていた。


 道は狭く、覆う木々の葉は日差しを遮る。


「地元の人しか使わないんだろう」


 夫の言葉は、車内にどこか寂しく響いた。

 ひび割れたアスファルトは、すぐに土へと変わる。眼前の道は、ひたすら下り坂だ。まるで暗い口を開けて、私たちを迎え入れているかのよう。


 くねくねと曲がり道を進みながら、ふと疑問がもたげる。


「ねえ、なんで三台だけなの?」

「……え?」


 私たちの車を先頭に、二台続くのみ。曲がりくねったカーブに目を凝らしても、通った道を山の反対側に覗いた時も、車影は見えない。

 あの渋滞を解消するためならば、三台で終わるはずがない。


 ハンドルを握る夫の横で、私は不安にさいなまれながら後続車に目を向ける。

 すぐ後ろのフロントガラスから見える車内も、わたしたちとさほど変わらない、狼狽ぶりが見えた。


「ねえ、何なんだろう。本当にあの人、誘導する人だったのかな」

「じゃあ何なんだよ」


 笑いながらも、どこか声は乾いていた。


「狸にばかされた……とかみたいだよね、まるで」

「こんな真っ昼間から狸か? 普通におっさんだったろ」


 もう顔も思い出せない男性は、私の中でニヤニヤと笑う口元だけが残る。

 谷あいの底まで来たろうか。もうとうにナビの地図上の道からは外れ、迷走している。そんなことはよくあること……そう自分に言い聞かせる。


 ふと、分かれ道が見えた。

 幅がかなり違うので細い方へは入りたくないが、このまま惰性で進むのも憚れるようになってきたのも事実だ。私たちは細い道に入ったところで車を止めた。

 地図を眺める夫。

 後続車が二台、通りすぎてゆく。


「もういいや、着いていくしかないよな」


 開き直った夫は、再びアクセルを踏み、後続だった二台の後ろに車をつけた。

 何か示し会わせたわけではないのに、私たち三台の車は、どこか連帯感を感じていたかもしれない。再び登り坂を走りながら、車体にカサカサと延び放題の葉が触れる。


 そしてふいに開けた視界。

 小さな畑と、山にはりつくように、まばらに建てられた家が見えた。畑の畔に、初老の老人がいて、舗装されない林道から出た私たちを、ジロジロと見ていた。


 前の二台が、思い思いの路肩に車を止める。

 一台はそのまま。もう一台からは運転手の男性が降り、老人に声をかけていた。


 私はナビの地図が正常に、集落の道を指し示していることに安堵した。緊張した空気を逃がしたくて、窓を下げると。


「あんたら、勝手に入っちゃいかんで。この先は私有地にしか繋がってないから、行き止まりでな」

「え?」

「戻ってきたんちがうんか?」


 老人の声が耳に入る。

 その先を聞きたくて身を乗り出そうとして、夫に止められた。


「行くぞ」

「え? 帰り道わかる?」

「……分かる」


 二台を置いてきぼりに、夫は車を出した。

 どうやら、夫が知っている道が近くにあるようで、私はそれを聞いてひどく安心した。ずいぶん地元道を案内されたものだ。やっぱり狸だったとかなら、話のタネにもなろうに……そう軽口をたたこうとして止めた。


 気づいたのだ。普段から賑やかい部類の夫が、しばらくしても無口な事に。


「どうかしたの?」

「あの分かれ道から、何分走ってたと思う?」

「え?」


 私はナビの画面の時計を見る。

 もっと短く感じたが、二十分くらいだろうか。


「ここさ、あの祭の町から、山越えて反対側なんだ」

「反対? 遠回りってこと?」

「反対なんてものじゃない……とても四十分かかってもたどり着かないと思う」

「……え?」


 てっきり、本来の道から山を反対周りに通り、それでも帰路についていると思っていた。

 だが、夫の言葉を信じるなら……。


 私はナビを見る。

 地理の疎い私には、出発点である祭会場がどこか分からない。だが、分からなくて良かったと、夫の青ざめた顔を見ながら、心底そう思った。


 あの町人は、いったい私たちを何処へ向かわせたかったのだろうか。

 今でも思い返すと、彼の顔は三日月形に笑う口元だけ。


 狸にばかされたのかどうかは、今でも分からない。ただ、人智を超える何かが干渉してきたのではと、思えてならない。

 これが昔の人が語る、ムジナなのかもしれない。



 道連れとともに迷い込んだ帰り道。

 道も時間も、私たちを裏切らないとは限らないのかもしれません。

 不思議(ムジナ)に導かれ、あなたも一度ドライブに出かけてみてはいかがですか。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ