2 夢の続き
また、私の奇妙な体験を聞いてほしい。
あれは確か、小学三年生に進級を控えた春休みの、ある休日の午後だった。
その日はとても天気が良く、春らしいぽかぽかの日差しは、簡単に午睡へと誘う。
その頃の私は、玄関の板の間に降り注ぐ日差しが、お気に入りだった。玄関の引き戸を全開にし、春の清々しい空気を浴びながら、寝転ぶことが多かった。今とは違い、家に人がいるときまで鍵などかけはしない。だから、奥で母が掃除機をかける音を子守唄に、私はひんやりとした床に頬をつけ、うとうとしはじめた。
こんな午後は悪くない。
機嫌よく寝返りを打つと、眩しいくらい玄関から光が入る。
ふと、掃除機の音が止む。
もう少し聞いていたかったな。そんな風に思っていたが、既に何も聞こえない。
コンクリートの土間に、影が落ちる。
お客さんかな。
草履の足が見えたと思った次には、体が板の上をズズズ、と滑っていた。
恐怖にひきつりながら足下を見れば、細くて骨ばった指が、両足首を掴んでいる。
屈んだ顔は見えないけれど、長い髪を振り乱した女が、私を外へ引き摺り出そうとしていた。
「ひっ、や」
声にならない悲鳴が、空気とともに口から漏れた。
助けて。
咄嗟に家の奥に意識を向けるが、さっきまで聞こえていたはずの音がない。母のいる気配が、まるでない。
少しずつ板の間をずずっ、ずずっ、と動く体。
子供心にも、この尋常でない事態を悟り、必死になった。近くの柱に手を伸ばし、しがみつく。
やめて、おねがい。
ひゅうひゅうともれる自分の呼吸だけが、耳に障る。女はただの一言もしゃべらず、私を引き摺るその姿が、更に私を恐怖に引きずり込む。
もうだめ。
ついに柱から指が外れ、立てた爪も虚しく引き離された。
私は必死に逃れようと、最後の力を振り絞り、女を見た。
はずだった。
気づけば私は、まるで全力疾走した後かのように、荒く息を乱して布団に横たわっていた。
夢──?
あまりのリアルな感触に、私は思わず布団をめくる。パジャマの裾から見える足首には、何もない。
私は玉のように伝う汗を拭う。
そして安堵のせいか、涙もこぼれる。
もうだめかと思った。最後に見た女は見覚えがある。近所の、少し奇行を繰り返すと有名な人だった。まだ知識のない私には、その女性の突然変わる行動が、怖かった。だからこんな夢を見たんだ。そう思うと、更に自分が勝手で情けない気持ちになり、泣きじゃくる。
娘の異変に気付いた母が、声をかけてくる。怖い夢を見たの。
その晩は、母の横で眠った。
翌日。
買い物に出かけるという母にせかされ、玄関で靴を履こうと座った私は、見つけてしまう。
「なんだろう、これ?」
脇の柱の一番下に、白い筋がいくつか入っている。
顔を近づけてみて、それが何かに引っ掻かれた後だと分かり、私は咄嗟に顔を離した。
すっかりあれは夢だと思っていた。
だが、本当は──?
早くしなさい。母に声をかけられ、逃げるようにして私は玄関を出る。
「ねえ、お母さん」
「何?」
「前にさ、ちょっとおかしなオバサンがいたよね? そういえば、最近あんまり見ないけど」
「ああ、あの人ね。身寄りがなくて苦労してたのに、あんたたち子供がからかうから、可愛そうな人だったよ」
「どこに住んでたっけ」
「なにを今更、もう亡くなって二年くらいなるよ」
──亡くなった?
じゃあ、あの夢は本当に夢?
でも柱の爪痕は。
私は沸き上がる恐怖に、崩れそうなほど身を震えさせた。
彼女は私の夢に現れたのでしょうか。それとも、本当に──。
なぜ私の元にやって来て、どこへ連れていこうとしたのでしょう。既に亡くなっている彼女と共に行くのは、やはりあの世だったのでしょうか。
私にそれを確かめる術はありません。
これが二つ目の、私の奇妙なお話。