〇〇四 剣と魔法と虎ッツ
▼▽ 〇〇四 剣と魔法と虎ッツ ▽▼
周りの空気が突然変わったように感じて風の音が聞こえるようになった。
何が起こったのかわからなかったけど、今までなかった不思議な力が溢れてきたような感じがした。
正面からの強い光を感じなくなっていて、ここはさっきまで居た部屋じゃないような嫌な予感がする。
正面からの光の変わりに、上から暖かいというよりも熱いといった光を感じる。肌が突き刺されたようにピリピリ痛くて、僕に現実だと感じさせた。
目を開くと、少し前までいた無機質な室内じゃなかった。
何よりもキキがいない。
胸が苦しくなるような感覚を抑えて周囲を見回す。
所々に木がある開けた荒野だと気付いた。見上げると太陽が真上にある。暖かい風が体を撫で回したけど、僕にはその風が嫌に生々しく気持ち悪い物に感じられた。
ここはどこだと悩んでもわからなかった。
何でこんな所にいるんだろうと考えて、直前の出来事を思い出そうとした。気持ち悪くなるような嫌な予感が浮かんできて思い出す事を拒否したかった。
(さようなら。リスタ……)キキに言われた言葉を思い出した。その言葉が、僕に悔しさと怒りを合わせた強い感情を発露させた。
僕は、歯と歯を強くかみ合わせてその強い感情を抑えようとした。だけど、抑えきれなかった感情が溢れ出してしまったのかギリギリと歯軋りが鳴ってしまった。
キキが僕を逃がすために何かした事が悪いのか? いや、そんな事は無い。
僕が納得できないだけだ。
キキに言われた事をもっと思い出すと(……私が出られる場所は、正面の木の出入り口の一箇所だけ。そこ以外から私は出られないから)と、その言葉が脳裏に浮かんだ。
少し考えればわかることだった……つまり、キキは転移魔法を使おうが何をしようが、正面の木の出入り口以外からは出られないって事だったんだ。
簡単な答えに思い至った瞬間、背筋が冷たくなった。
キキは教えたくないような素振りだった気もする。だけど、だからこそ嫌われても、もっと深く尋ねなきゃいけなかった。馬鹿な自分を怒鳴りたい。叱りたい。
「クソッ! クソ! クソーッ! なんでだよ! なんでなんだよ! キキ!」
叫んでも気が晴れるわけもないし、キキが助けられるわけでもない。でも、叫ばずにはいられなかった。
キキを助けたいなら、落ち着かないといけない。そう思っても落ち着けるはずがなかった。キキを助けるために考えなきゃいけない、キキの行動を続けて思い出そうとした。
転移魔法を用意するためにキキが僕にバリケードを作らせたのは何のためだ?
あの時点で転移魔法を使えた事からも、僕とキキで持ち応えるためにバリケードを作らせた訳じゃないのはわかる。
最低でもキキが一人で戦うのに必要だったからと考えられる。でも、未完成で終わらせた理由がわからない。わからない事はしょうがない、次だ。
次は、僕がバリケードを作っていた時のキキの観察していたような様子が引っ掛かる。
あの時の様子は、バリケードの出来具合じゃなくて、もしかすると僕を観察していたんじゃないのか? 最低限僕が戦えうるかどうか確認していたんじゃないのか?
残念だったり悲しそうだったりした様子が一度見えたから、そちらの方が納得できる。
観察の結果、僕は役に立たないと思われた。邪魔だから僕だけを転移させた。
どうしようもない考えだ。こんな事を考えた自分に吐き気がしてきた。
ダメだ、正常に考えないとダメだ。失敗するわけにはいかないんだ。下唇をかみしめて、痛みで正常になろうとした。痛みをかみしめながら考えた。
交わした言葉なんて数えられる位だけど、嫌な考え方をするような子じゃなかった。役に立たない。ではなく、正確には戦闘では役に立たないと思われた、だ。
邪魔だなんて一言も言われていないし行動にもしていない。転移魔法を使ったのだって僕を助けるために使ってくれたはずなんだ。ネガティブに考えるのは止めよう。
大丈夫だ。落ち着いて考えれば正解は出るはずだ。キキは嘘を付いていない前提でこれからの事を考えよう。
ここでキキを待つか、キキを助けに行くか、自分だけ逃げるか、だ。
キキが来るのを待つ。(私、一度でいいから外をみたい)このキキの言葉から、多分外に出たことが無いって言う事がわかる。非常事態だから出してもらえるなんて安易に考えるのはまずい。ここで大人しく待っていれば多分二度と会えない。
キキを助けに行く。どうすればあの部屋・施設に戻れるのかわからない。保留だ。
自分だけ逃げる。考える事そもそもが論外だ。
考えるまでもなかった。キキを助けに行く。
助けに行くには、どうにかしてあの施設に戻らないといけない。今すぐ部屋に戻ればキキに会えるはずだ。現状確認からだ。
まず、ここはどこだ? ここがどこかはわからない。
もし、周囲に施設があるとすれば見つかるか? 確か、入り口は木だといっていた。
どんな木かも聞いていないのに見つけられるのか? それに、もし入り口が見つかっても入り口はゴブリンで溢れていて僕一人では通れない。
あとは……あとは……
落ち着いても意味が無い。
「クソッ! どうすればいいっていうんだよ!」
感情に任せて、こぶしを握り締めて地面を殴った。乾いた音が虚しく聞こえる。
どうすればいいのかわからなくて、殴った場所に視線を当てていると、横に何か小さくはない大理石で作られたような、黒くて四角い人工的な石が見つかった。
これは……なんだ?
黒い四角い人工的な石は、よく見ると石碑のようで、石碑を良く調べてみると、石碑には『第五研究施設 転移目印』と書かれてあった。
第五研究施設? 第五研究施設は僕がここに来たことからも、多分僕とキキが出会ったあの施設の事だろう。
転移目印? もしかしなくても転移魔法の目印の事か。あそこで転移魔法を使うと自動的にここに来るようになっていたって事かもしれない。
なるほど。転移魔法を使えば戻れるかもしれないって事だ。
次は転移魔法を使う……どうすれば使えるんだ? キキは最後に僕に何かをした。あれは、あれが多分、転移魔法だ。
どうにかして転移魔法を使えば戻れるかもしれないので、何か使い方のヒントはないのかと石碑を調べた。だけど、ヒントはまったく見つからなかった。
「……くそっ! こんなの役に立たないぞ!」
立ち上がって、苛立ち紛れに石碑に向けて大きく足を振り出した。石碑を強く蹴りこむとゴガンと鈍い音を立てた後、石碑がグラグラと揺れた。
「ぐぅっ」
つま先が痛いだけで無駄だ。いや、無駄じゃない。そうだ、ここに目印の石碑があるって事は、キキと出会ったあの場所にも目印があるかもしれないって事だ。
いいや、あの部屋に目印があったとしも目印の使い方がわからない。それに、そもそも目印があったとしても、転移魔法が使えないんじゃ意味がない……
しばらく考えていると頭の中に閃くものがあった。頭の中の書き込みだったかなんだったか忘れていたけど、頭の中の情報で魔法を詳しく調べれば使えるかもしれない。
最後に水晶が強く光っていた。あれが転移魔法だ。その場面を思い出せば――
――目の前に魔法の情報が浮かび上がるのかと思った。文字は浮かび上がらずに、左目に妖精みたいな変な物体が浮かび上がった。
「変とは失礼ですね! 私の名前はス……えーと。トラッツ!」
黒い翼が背中に生えている、物語に出てくる妖精のような存在が見える。
外観はめんどくさいので僕を女にしたような微妙な生き物だ。髪の長さは僕より長くて、目は僕と同じ黒色で、肌だけが全然違う艶のある焦げ茶色だ。白いフリルがたくさん着いたワンピースを着ていて、背中に真っ黒な翼のような羽が生えている。
現状に耐え切れなくて、僕の頭はついにおかしくなった。虚脱感を感じる。
「リスタの頭はまだおかしくありません」
会話をしているつもりが無いのにこいつに通じているのは何故だろう。
「あなたの考えを勝手にある程度読み取っています。深い所は多分読まないので安心してください」
勝手に人の考えを読むなよ。その前になんで急に出てきたんだよ。
「あなたが魔力を扱えるようになったので、中の人が起動したのです」
魔力? そんな物僕は使えないぞ。それに中の人は僕だ!
「ふみゅ。先程キキに掛けられた転移魔法が原因で魔力を感じられるようになったと思われますが……」
キキに掛けられた転移魔法か。確かに掛けられたかもしれない。その前に、何できみは僕の名前とキキの名前を知っているんだ?
「中の人はどこでも見ていたからです。言葉使いが一定しないのは、あなたの頭の中から言葉を選んでいるので、気にしないでよろしいです」
きみは役に立つの?
「それはあなたの使い方次第ですね」
なんだか頭の中で会話しているみたいで、危ない人なんだけど?
「使用上の注意を聞きますか?」
スルーするなよ!
トラッツが懐から紙のような物を取り出して、僕に文字が見えるように大きく拡げた。
その紙には条約のように箇条書きで文章が書かれていて、トラッツは暗記していたのかその文面と同じ内容の説明を始めた。
「御使用上の注意。
一、以降は書き込みされた情報は私を介して使用する事になります。
ニ、記憶の再生は元々脳に負荷を掛ける行為なので私が勝手に制限します。
三、私と話をしている間は時間がほとんど経過しないようにも出来ます。有効に活用してください。これも脳に多少の負荷を掛けています。
四、疑問に対して、行動に対して私が膨大な選択肢を作り出します。ですが、最後に選ぶのはあなたなので、無い選択肢を選んでもらって一向に構いません。これも脳に負荷を掛けて使用します。
五、どうでもいい質問、窮地ではない時、その場合に私ことトラッツを呼び出されても、華麗にスルーします。
⑥、もう一人の自分だと思って、気安く接してあげないと死んじゃうゾ☆」
最後の文の取ってつけた感が半端じゃない。そう考えていると、トラッツは紙をジッと見詰めた後、冷や汗のような物を流していた。
「あっ。今書き直しますね」
いや……きみいらないから書き込みされた記憶だけ使えるようにしてよ。
「残念ながら設定変更できません。私が起動してしまう前に設定しておくべきでした」
それ、僕に設定できなくない?
「そうですね」
どうしようもない?
「ですね。転移魔法について聞きますか?」
きみに頭を下げるのは嫌だ。
「転移魔法とは物体及び生物を指定した位置に移動させる魔法である。刻印魔法によって目印を作成する事によって、より安全に使用することが出来ます。
目印がない場合でも移動させる事は可能だが、壁や大地、又は空などに移動させてしまう可能性が高く、目印がない場合の使用は非常に危険である」
なんで急に説明口調?
「どうでもいいことなのでスルーします――」
「――トラーッツ!」
あいつが左目から消えて、激情のあまり思わず名前を叫んでしまった。
スルーして消えるなんて思ってもいなかった。とりあえず、あんな奴はどうでもいいから転移魔法だ。目印は足元にある黒い石碑、僕の前にあるこれだ。
あいつに頭を下げるのは嫌だ。でも、キキを助けるためには聞かないとわからない。
あいつに聞かないで思い出すにはどうすればいい? そんなの簡単だ! 書き込まれた知識を記憶を自力で思い出せ!
何について思い出す? 転移魔法については後だ。次は魔法の使い方に――
「――残念でした」
僕の左目に白い服を着た黒い妖精が浮かんでいる。ドヤ顔でいるのが非常に腹が立つ。
「魔法の使い方を聞きますか?」
トラッツ。出てこなくていいよ。正直言うと黒歴史にして封印してしまいたい位だ。
「リスタは失礼ですね! 使える事を証明してあげましょう!」
トラッツは僕を指差すようにして、その後あまり無い胸を張っている。
いや、別にどうでもいいと、心の底からそう思った。
「せっかく私から歩み寄っているのに!」
トラッツは私怒ってます風味で八重歯を剥き出しにしている。
歩み寄られても困る。きみを呼び出すだけで、脳に負荷が掛かるんだろ? それなら記憶だけの方がいい。
「フンッ、わかりましたよ!」
トラッツが急に横を向いた。
「私が停止した後は、以前のように記憶が垂れ流しになりますがよろしいですか?」
ものすごく平坦で、キキを思い出してしまいそうな口調だ。
記憶が垂れ流し? わからないけど、キキと出会った時の魔法の解説みたいなものか?
「そうです。負荷に関しても、非常に高くなりますがよろしいですか」
あまりよろしくない。
一人で無闇に考えても思考の行き止りになる事が多そうだ。使える物は有効に使ったほうがいいか。そう考えて謝る事にした。
ゴメン、僕が悪かった。
「いいです。説明を開始します」
黒板のような物がトラッツの背後に出てきて、そこにチョークのような物でトラッツが文章を書き始めた。芸が細かい奴だと思いながら適当に伝える事を考えた。
酷い事言ってゴメン。説明お願いするよ。僕は気が立っていたって事にしておいて。
「魔法の使い方。魔法を扱うには、魔力が扱える必要があります」
魔力か。使えるようになったみたいだけど、どう使えばいいんだ?
「魔力を扱える場合、魔法媒体に魔力を流す事によって、魔法が実行されます。それぞれの魔法については別途参照してください」
次は魔法媒体か。他の魔法は後でいいだろう……
「魔法媒体の作成方法。扱いたい物体に魔力を流し込み、魔力回路を作成することによって、魔法媒体が生成されます。それぞれの魔法の回路については別途参照してください」
次は一番効果が高い魔法の使用方法だ……
「非常に危険な方法です。私はお勧め致しませんが、説明は致します」
心配してくれてありがとう。でもそれ位しないと戦えないかもしれないから。
「生身による魔法使用。体内に魔力回路を作成し、肉体を魔法媒体とする必要がある。肉体に回路を作成するだけでも非常に危険な行為であり、魔法を行使するには、世界の書き換え行為を体内を通して行う事になり、死の危険性もある。だが、慣れるとそれに見合った効果があるため、使う人は少なくはない」
次はそれぞれの魔法の使用方法をお願い。
「各魔法の魔力回路作成方法……」
……他にも色々説明してもらった――
――説明が終わるとトラッツが左目から消えた。
キキを助けるために、勝つために、生き残るために、魔法を選んだ。
直径数十センチ程の火の玉を発生させて、そのままぶつける火炎球。
殺傷性は低いが水を集めて衝突させるため、相手の体制を崩す事に優れる流水弾。
矢や飛び道具などをそらして、近距離においては相手の動きなども阻害することが出来る、自分に有利な状況を生み出す爆風壁。
筋力や脚力、骨格や筋肉、細胞ごと強化する。速度、体力、耐久力、様々なものを上昇させる事が出来る肉体強化。
何かを引き換えに何かを為す特殊な代替魔法。効果が現れなく、媒体〈自らの体や魂とされる〉を消費するだけの事が多く、本人以外の願い事をかなえようとすれば、逆に不幸が訪れる、願い《イルシア》。
最後に転移魔法……
別に魔法を使わなくても戦えるかもしれない。でも、もし戦えなかったら僕はそこで終わりだ。もしではすまない事になる。少しでも生き残る確立をあげるために、キキを助けるために、自分の助けになる力・魔法が必要だ。
危険だと思える生身による魔法使用だけど、それ位しないと戦力にならないかもしれない。そう思って、体に溢れる良くわからない力・魔力をトラッツの補助の元、説明通り体に流して、選んだ魔法全ての魔力回路を一気に作成した。
トラッツが魔力回路を作成する前に「絶対死にますよ」と、何度も愚痴を言っていたが、忠告を聞いている余裕はないと思って、構わなかった。
トラッツはなんだかんだ言っても「あなたの体ですしね」と、手伝ってくれた。
しばらくは何も起こらなかった。
更に時間がたつと急に眩暈がして、その直後に出所不明の激痛が僕を襲った。頭に腕に足に体全体に。体の全ての部分を太い杭で貫かれたような痛みを感じた。
痛みがこらえ切れなくて体がぐらついて、地面に膝をついて手をついた。それでも我慢できなくて、叫び声が出た……
感覚がわからない。今はのたうち回って転げ回っているかもしれない。
痛い……
苦しい……
楽になりたい……
ましだ……僕は何を……
痛みが負の感情を呼び起こして、どうにもならない苦しさが奔流となって僕を襲った。そんな苦しみの中でふと僕はキキの事を思い出した。
キキは自分が出られない状況を知っていて、死ぬとわかっていて僕を逃がした。
自己犠牲。綺麗で残酷な言葉だ。
そんなキキの自己犠牲で助けてもらった僕だけど、今の僕がしている事は言い表すなら自己犠牲なんて綺麗な言葉ではなく、犬死にという情けない言葉が正しいと感じた。
僕はキキの所に助けに行く所か、痛みで苦しんでのたうち回っているだけだ。
必死になんでも思いつく事を浮かべて、意識を繋ぎ止めようとしていたけど、意識が遠くなっていくのが感じられた……
「――『一つ』――」
意識を失った後、どの位時間がたったのかわからない。意識が目覚める直前に、頭の中で声が響いたような気がする。あれは、トラッツの声ではなかった。
気が付くと、あれほど苦しかったのが嘘のようで、今は頭の中がスッキリとしている。いつのまにか体の痛みも収まっていた。むしろ痛みに苦しむ前より、体が好調になっている気もする。
空を見上げると、太陽が真上から少し横に動いている事に気付いた。
明るさには変わりがないから時間はまだそれほどたっていないはずだ。キキを助けに行くならまだ間に合うはずだ。
キキ、待っていてくれ。今助けに行く!
心の中で気合を入れながらゆっくりと立ち上がった。そのまま周囲を見回すと、僕からそれほど離れてない位置で、大きいなにかが動いたのが見えた。
「あれは……な、な」
驚いて掠れた声が出てしまった。危うく叫ぶ所だったけど、口を手で押さえて止めた。
大きいなにかは猫科の虎のような姿で、体表は黒い毛と血のような赤い毛で虎模様になっている。高さは二メートル程度・横は六メートル位だと思った。
禍々しさを感じるから禍虎だ。でも、わかりにくいから赤虎にしようと思う。
その赤虎が右側に移動しているのが見えた。
はっきり言って怖い。あの赤虎に襲われたらまず助からない気がする。
赤虎が僕の方に顔を向けて、大きな目を見開いた。
金色の線が縦に引かれた目が笑った気がする。その一瞬でキキを助けに行く、という気持ちが恐怖で霧散した。
隠れないとまずいと思ったけど、考えていた時間が余計だったか、遅かった。赤虎が、体を弓のように鞭のようにしならせながら、僕に向かって疾走してきた。
逃げないといけないのに、体が硬直して動かなかった。多分恐怖のあまり筋肉が硬直してしまって動けなくなったんだ。と冷静に自分を分析できてしまった。
赤虎が驚異的な速度でこちらに迫ってくる。
あまりにもあり得ない状況のせいで、僕は現実に起こっている事だと考えたくなかった。
ドッドッドッ……と早鐘を打つ心臓の音だけが嫌な事に、僕に現実だと感じさせた。
赤虎が迫ってくる。接近されるとさらに巨大に感じる。こんなのどうしようもないと、諦めが心を支配した。心臓の鼓動が更に早くなっている。
諦めても死にたくないと思って、恐怖心を抑えて必死に動かない体を動かそうとする。
力を入れるために両手を握り締めようとすると、右手は手を握り締めるだけだったけど、左手が盾の握り部分を掴んだ事に気付いた。
何で左手に盾があるんだろう?
ああ、確かキキが防具を持てって言っていた気がする。
でも、僕に盾の使い方なんて――
「――このような時のために中の人はいるのですが。リスタは説明を聞いていなかったのですか?」
トラッツ?
左目に黒い翼を生やした妖精が、トラッツが浮かんでいる。
「盾について説明致します」
今更説明しても遅い。説明してもらっても僕には使えない。
「盾の扱い方。盾は片手持ちの武器と非常に相性が良く、初心者から上級者にまで親しまれる、戦闘における万能の防具である。
軽い攻撃ならば、正面から受け止めるのが安全である。重い攻撃であれば、盾の表面を使い、横に滑らせるように受け流すのが良いとされる。
強靭な力を持ち、材質に優れる盾を持っているならば、盾で受け止めた後に四方向へと弾き飛ばし、相手の体勢を崩す事で、非常に有利に戦闘を進める事が可能である。
又、片方の手で敵の攻撃を受け止めることが出来るならば、もう片方に持った武器で、即座に反撃することも可能である。
盾の扱い方に関する身体操作方法について。適正変換開始……
……終了――」
――トラッツが目から消えた。
トラッツは僕に問答無用で頭の中で何かをしていたようだった。そのおかげか、僕は盾の扱い方を理解できて、もしかしたらなんとかなるかもしれないと思った。
赤虎がもうすぐそこまで迫っている。
剣も使えるようになるかもしれない。そう考えて右手で左腰にある剣の柄を持ち、鞘から剣を一気に引き抜いた。
剣も、剣の扱い方も……早く、早く、早く。右目にトラッツが映った――
「――体の動かし方が頭に入っているだけでは実際の行動に使えないので、変換させて頂きました。それでは続きをどうぞ。
剣の扱い方。剣は片手剣、両手用の大型剣、両刃の物、反りがある物、実に様々な物があり様々な使い方がある。愛用している人は多く、槍と並んで基本の武器である。
剣の基本動作は、突き、振り下ろし、振り上げ、払いからなるのが基本である。
突き。点の攻撃であり、非常に動きが単調で見切られやすい反面、非常に威力が高く、初心者でも簡単に学べる。だが、突きを行うだけであれば槍を使った方がいいだろう。
振り下ろし。線の攻撃であり、上に一度振り上げてから、振り下ろす事によって、重みを切れ味に付加することが可能であり、初心者でも高い威力を発揮する。
払い。線の攻撃であり、横から剣を振りる事である。体の面積が一番大きく避けにくい胴を狙って放つのが基本である。足元を狙って体勢を崩す事も可能だが、長い剣でなければ非常に危険を伴う。
振り上げ。下に構えて、下から上方に向かって剣を振り上げる行為である。下から振り上げるため、相手の死角になりやすいが、力が無ければ威力も発揮しない。剣に限らないが、相手よりはるかに剣の材質と力が勝る場合、相手の振り下ろしと合わせることによって、相手の武器を弾き飛ばす、又は破壊することにも使われる。
抜刀。鞘の中で剣を走らせることで速度を増し、切れ味を増す一種の奥義である。美しい反りのある剣でしか効果は出なく、上級者でも扱う物は少ない。
剣の扱い方に関する身体操作方法について。適正変換開始……
……終了――」
――トラッツありがとう。トラッツが消える前にそう伝えた。返事はなかったけど笑っていたような気がした。
赤虎はもうすぐここに到達する。怖いけど、抵抗する術を用意出来て気持ちにいくらか余裕が持てた。
恐怖がなくなる事はなかったけど、虎を睨みつける勇気が少し出た。キキを助けに行くためには、僕が生き残らなきゃいけない。こんな所で死ぬわけにはいかない。そう考えると、固まった体が自然と動いた。
左腕を胸の前に構えて盾で胸元を隠した。右腕に持つ剣を下に構えて、剣先が左足のつま先にあたる様に構えた。体に力が入って剣と盾を握り締めた。
速度に任せて赤虎が迫ってくる。僕はただジッとして虎を見つめて構えているだけだ。ドクドクドク……と心臓の音がやけに煩い。
赤虎がもう目の前にきていて、僕の目には巨大な山のように写った。
僕が爪の届く範囲に入ったのか、赤虎が右腕を振り上げた。巨大で鋭い爪が太陽の光を反射させてギラリと光った。
爪が光った瞬間心臓の鼓動が異常に早くなったように感じた。
心臓の鼓動が早くなったせいか、それとも恐怖のせいか、記憶が走馬灯のように通り過ぎ、トラッツが目の前にでた――
――景色のように記憶が流れる。
爪の振り下ろしに対する動きと、その直後を含めた対処方法が大量に示された。何故こんな事がと思って、僕が戸惑っているうちにトラッツがいくつか選んでくれて、更に絞り込んでくれた。
「盾で受け止めるには力が足りないだろう。潰されるかもしれない。
剣を振り上げるより早くあの鋭く巨大な爪が届く。爪で切り刻まれるだろう。
後ろに避けるのは間に合わない。これも爪で――」
――トラッツが消える。時間の流れが遅く感じて、音が聞こえない。
赤虎な右腕が巨大化したようになって、僕に向かって振り下ろされた。
僕は選んだ一つの答えの元、赤虎の振り下ろされる右手の更に左前にしゃがみ込みながら左足を踏み込んだ。
赤虎の右腕が、爪が、僕の踏み込んだ方向に合わせて誘導されたように左側に振り下ろされてくる。その腕に合わせて僕は胸元の盾を握り締めた。
迫り来る爪が僕の眼前を通り抜け、盾の中心に接触し、ギィと耳障りな音を立て火花を散らした。その瞬間、僕は右足を右前方に踏み込んで、左腕と背筋の力で盾を左下側に振り抜く。
盾と爪は火花を散らしギュリィと甲高い音を立てながら、赤虎の右腕は左側にそれた。赤虎の体勢が少しだけ崩れ、僕は左足で地面を蹴って虎の真下、喉元に飛び込んだ。
「ウアァァァッ」
叫けび声と共に地面を破壊するように踏みしめた。右手の剣を左下から右上に、虎の喉元に、ただ強引に振り上げた。一瞬引っかかるような感触がありながらも、剣は振り切れた。剣には血がついていなくて、赤虎にも何も変化が無かった。
風の吹く音が聞こえて、耳鳴りがした。時間の流れが正常に戻ったような感じがする。
剣で切ったのに意味が無かった?
焦りながらも胸元に盾を戻して、剣を振り上げたそのままに上段に構え直して虎を睨んだ。赤虎の獰猛な顔を見て僕は怖くなってしまい、すぐにその場から右に転がって離れた。
今度はどうする?
なんとかこいつを倒さなきゃいけない。生き残らない事には始まらない。今度は僕の体を守るようにと盾を前に出して剣を後ろに構えた。
赤虎の威圧感に負けてそこから一歩下がると、赤虎の首辺りから血が吹き出た。
僕はあまりの血の量に衝撃を受けて、硬直してしまった。
最初の交差で剣を振り上げた時に喉元を首を切っていた?
すぐに血が出なかったのが疑問だった。
赤虎は何もせず、うなり声も上げずに不思議そうな顔で僕を見つめていた。僕はまだ油断できないと思って、赤虎を睨んでいた……
赤虎に変化が起り始めた。赤虎の首から吹き出る血が緩やかになってきて、赤虎の目がどこを見定めているのか、わからなくなってきた……
虎の目が完全に白目を向いた時、赤虎の腕と後ろ足が地面に崩れてズズンと体が大地に倒れこんだ……
倒せた? こんなにあっけなく? あんなに大きい虎だったのに?
赤虎からはまだまだ血が吹き出ていて、目の前の惨状を僕が作り出したとは、とても信じられなかった。何故倒せたのかを考える事も、赤虎の死を確認する事もしなかった。
「ふぅ……キキ、何とかなったよ。トラッツ、ありがとう」
体の前から盾を降ろして、剣を鞘に戻した。その後、座って少し休もうかなと思った。でも、疲れているわけじゃないし、キキが助けを待っているかもしれない。時間がたてばたつ程まずい事になると考えて歩き出した。
空を見上げると、太陽は変わりなく僕を見ていて、血の臭いがする生暖かい風が僕の体を撫で回していた……
僕は赤虎を倒した興奮からか、血の臭いのするせいか落ち着けないでいた。これからの事を冷静に考えなければいけないと思って、ゆっくり歩いて黒い石碑へと向かっていた。
キキは(……ゴブリンロードがいる。戦っても勝てない)と言っていた。
ゴブリンロードとは、あの赤虎と比較にならない程強いんだろうか? 数百いても所詮ゴブリンは雑魚っていう先入観があって、その考えが拭いきれなかった。
僕の体は間違いなく現代の記憶にある普通の人と比べて異常で強靭だ。
比較対照がないから詳しくは比べられないけど、あの赤虎の巨大な腕を多少とはいえ弾いてしまえたし、片手で持った剣でとても太い丸太のような赤虎の首をあっさりと振り抜けてしまった。
普通の人なら、腕に触れれば逆に弾き飛ばされて終わり。首は両手でも振りぬくのは無理だ。下手をすれば腕が折れてしまうはず……
僕は魔法の事を詳しく知らないけど、キキは魔法であの虎とも戦えるのだろうか?
僕のこの異常な体の事を知っていて、さらに協力しても勝てないと思ったのだろうか?
ゴブリンロードとは、ゲームのゴブリンとはまったく違う化け物なんだろうか……
考え事をしていたら、少し怖くなってしまった。でも、この僕の力があれば勝てる!
そう自信を持って断言できそうだ。
考え事をして歩いていたら、黒い石碑に着いた。
キキを助けに行くためにこれから転移魔法を使う。でも、魔力回路を作った時の地獄の苦しみがまた僕を襲うのか。そう思うと気が滅入る。だけど、転移魔法を使わないとキキを助けにいけない。
他の魔法がどんなものか試してからが良いか?
いや、一度目に他の魔法が痛かったら、二度目をちゅうちょしてしまうかもしれない。そう思って、魔力を左手の魔力回路に流し始めようとした――
――右目に何故か黒い妖精が浮かび上がり、トラッツが怪訝そうな顔をしていた。僕はトラッツを呼んでいない。
「いきなり転移魔法とは豪気ですね」
トラッツ、今は重要な所なんだ。痛みと眩暈と苦しみに構えているんだ。
「転移魔法を使って石の中や、宇宙にでも移動したいのですか?」
そんなわけないだろ。キキの所に行くんだよ。
「どうやって? とは流石に酷いので言いません。私がXYZ軸をサポートします。他の軸に関しては弄るつもりがありません」
トラッツの腹立つ戯言はいいとして、XYZ軸のサポートってなんだ?
「質問は後にして、行きたい場所を思い浮かべてください」
後で絶対教えてもらう。あそこは……カプセルがあってキキがいて、どんな場所だ?
「了承しました。転移魔法は非常に高い負荷を脳に掛けるので、今後の御使用は出来る限りお控えください――」
――トラッツが消えて、左手が白く輝き始めた。
左手の輝きがでたらめ落書きなようになって光っているのがわかった。自分で魔力回路に魔力を流した感覚はない。そもそも魔力の流し方がよくわからない。
「キキ、今助けに行くから待っていてくれ!」
強い意思を込めてそう言い、キキの事を思い描く。すぐに体全体が強い光を放って、目を開けていられられなくなったので目を閉じた……
▲△ 〇〇四 剣と魔法と虎ッツ △▲