旭の意外
「月島さまのお知り合いがこの近くにいる、とだけ聞いていましたんで、片っ端からこの辺りの集落や村を訪ねておりました」
出された水を飲み干すと旭は口を開いた。暑いが外から人に見られるとまずいので奥の部屋に通す。
「よく、ここが分かったの」
「農家にしては、馬のひずめの跡が少し多い気がしたのです」
小夜と隣にいたあかりは黙りこんだ。旭に見当をつけられた、という事実がショックだったのだ。
「それで……見張っていたのか」
「いえ、今来たのです。少し気になったので覗いてみたんです」
ふたりから緊張感が漂ってくるのを感じ、旭はあわてて後を続けた。
「ご安心ください。わたしはおふたりを捕まえに来たわけではありません。もちろん他の人にもしゃべるつもりはありませんので」
「上様には何と報告するのじゃ」
「う……ん」
小さなため息をついた。旭は質問に答えられなかったので話題を変えた。
「大丈夫です。今回の大砲の件は、幕府のお試し、ということになりましたし、また高遠藩にもお咎めはない、とのお計らいです。大筒や武器が幕府の砲術指南の屋敷から盗まれた、などとんでもない話ですし、また、その大砲を持って幕府の咎人を預けてあった高遠藩が襲われた、など口外できませぬので」
「江川さまはどうなった」
「大丈夫でございます。それはわたくしから上様にご報告しております」
「そうか」
小夜はホッとした。一番の心配であったのは江川だ。完全に被害者であってもらわねば。その為に留守宅を狙ったのだから。
「では、我らの探索はどうなる?」
「先ほど言った事情がありますので、おおっぴらには出来ないでしょう」
「ふっ、密かには探索するということか。それで、そなたなのじゃな」
旭は再び小さく息を吐いた。
その様子を見てあかりは幼子のような顔で小夜を見つめた。このまま離されてしまうのが怖かった。
「探索するのがわたしだけならよいのですが……他のお庭番や内偵を放っているかもしれません。上様はわたしに全部を話されるわけではありませんので。……ここへ来るにも、つけられぬように十分注意してきましたが」
それは旭の誠意であったのだろう。小夜とあかりの居場所を他の者に知られぬように気を配っている。
「すべては上様の胸三寸か……上様はきっとひどくお怒りであろう。なにせ、わたくしは幕府の面子をつぶしたうえに、上様の信頼を裏切ったのだからの。そのうえ……深く思いをかけていた靜山さえ奪ったのじゃ」
「それは……複雑な御様子です。お靜の方が助かったのは、内心とてもよろこんでおられます。助けてくださった月島さまにも心の底では感謝しておられるのです」
「けど半分は憎んでおられる……」
「憎むより苦しいのです。ご自分はどうあがいたとしてお二人には、もう会えません。けれども、おふたりは手と手をとって幸せになろうとしている。そう考えるとやるせなくてたまらないのです」
「上様の性格からしてそうなった時、その寂しさを憎しみという感情に転化される可能性は大いにある。わたくしはよく知っておるのじゃ。……わたくしに側にいよ、と言われていたがの。それを蹴ったのじゃ」
小夜は少し意地悪そうに笑うと続けた。
「上様にしたら……よく、大悪党として手配しなかったものじゃ。幕府云々でなくとも理由は何とでもできよう」
「ですから」
旭は思いきったように口を開いた。そして一瞬間をおくと周りの気配をうかがった。
「わたしは、おふたりを探しだし、状況を伝えたかったのです」
声を潜めて旭は告げた。
「どこか安全なところまでお逃げください。行き先は聞きません。その為に出来ることなら何でもします。どうか、わたしをお使いください」
「そなた……それは、裏切りではないか?」
「さあ、どうでしょう。上様ご自身、相反する心境を持っておられますので。……月島さまは上様を裏切ったと、お思いですか?」
「いや。わたくしは裏切ったなどと思っておらぬ。はじめから上様には、もう仕えられぬ、とはっきりと態度で示しておるのだ。互いの信頼関係のないところにどうして裏切りという概念が出てこよう。一方だけが思いこんでおることにいつも問題が生じてくる。
だいたいわたくしは上様に対して不正を働いておらん。嘘をついて謀略にかけたわけでもなく、命を危機にさらしたわけでもなく」
「わたしも、今回そう思っています」
旭は何度もうなずいた。
「しのびにそんな理屈は通りません」
あかりが不意に口を開いた。
「そうですな」
旭は苦笑した。
「ですが、仕方ないのですよ」
そのまま、少し間をおいた旭だったが、意を決したように続けた。
「わたしは月島さまに強く惹かれてしまったのですから」
小夜とあかりは目を白黒させた。
無骨で大柄な旭が、大いに照れながら全く想像もしなかったことを言ったからだ。
「あげません」
あかりは小夜に抱きついた。そして旭をじぃと睨んだ。
「あのっ、わたしは靜の方が好きな月島さまが好きなんで……えと、おふたりが仲良くされているのを見るのが好きなのです……だから、だから大丈夫です」
あかりをなだめるため、両手を開いて空気を押さえつけるようなしぐさをした。
「そなた、そーゆーヤツだったのか……」
小夜は呆れたように言い放った。深刻な話をしているのに何というヤツだ。
本心なのか。何か策略があるのか。しかし、こういった特殊な形態を好むのは、発想としてあまり出てこない気もする。本心だろう。
けれど。
笑えてくる。気が抜けたというか。
「何が大丈夫じゃ、そういう変態はそのうち、閨まで見たい、と言いかねん。そなたが一番危険じゃ」
「と、とんでもございません」
心のうちを見透かされたようで、旭は頭を床にすりつけた。将軍の寵妃たちを、そのような目で見ることは不忠であると自分でも思っていた。
しかし、いっとう美しいこのふたりが戯れている姿は、誰であっても興味のひくものであった。滅多に見られぬ匂うばかりの官能美。ひきつけられるのは旭だけではないだろう。
「さて、上様もお可哀相なものじゃ」
客観的に知った自分たちを思って小夜は家賢に少し同情した。