登場
文月一日。
元・将軍家側室・靜、信州高遠へ搬送。
千代田にある上屋敷から出てきたのは、小さな籠とそれに伴う十四人の男たちであった。暑さを避けるためか夜明けと同時に出発するらしい。
それを密かに追うのは、龍才以下三名。
一向は粛々と歩き、昼には内藤新宿には到着していた。ここには高遠藩の下屋敷があるので長めの休憩を取るらしい。サエはその情報を持って近くの飯屋に戻ってきた。
「お天道さんが高いうちは休んどいて、夕方になってから少し歩くみたいです。うーん、今日は高井戸で泊まりかねえ」
「あかりの姿は見えなかったか」
龍才はそばをすくっていた箸を止めた。
「見えませんでした。なんせ下屋敷に入っちまったもんで」
「今度はおれが、ちらっと下屋敷の辺りを見てきますわ」
勘介はお茶をぐびり、と飲みほすと飯屋を出ていった。
「思ったより警護が少なくて安心しました」
「はあ」
龍才は大きなため息をついた。
「何だか拍子抜けというか、風魔もいるのかいないのか……隙のない護衛は一人いるかいないかという感じだ。女人の護送とはこんなものなのだろうか」
「分かりません。ま、今の状況は我々にとっては好機です」
「そう……だな」
不承ながらも龍才は返事をした。高遠藩一行は、サエの予想どおり、その日は高井戸宿まで行き、そこで一泊することになった。
一方、その頃のあかりは。
困っていた。
本当に体調が悪かった。
確かに毒だ。
試しに食事をしなかった次の日は体調がよかったのである。そのまま絶食をしたかったが、そうなれば水に毒を入れられるであろう。それは避けたかった。数日くらい食べなくても大丈夫であるが、水を飲まなければ一日とてあやうい暑さなのだ。
しかし、そう考えるとなぜ水に毒を入れないのか、のほうが不思議でもあったのだが。あまりにあからさまな方法をとるのは避けたい理由があるのだろう。仕方がないので、何とか少しだけ食べては、見ていないところで捨てる、という攻防が続いていた。
しかし。
もう時間はあまりない。
このまま毒を飲み続けたり絶飲食をしたら自分の体のほうが参ってしまう。
逃げる体力を考えると、もってあと二日。
合図はまだ……こない。
文月二日。
次の日も夜明けと同時に一行は高井戸宿を出発した。同じようなペースで進んでいく。
布田五ヶ宿、府中ときて日野との境である、玉川(現在の多摩川)に差し掛かったとき事件は起こった。
ドドーン!
高遠藩一行のすぐそばが爆発したのである。
「なっ」
采配役である郡代・鈴木隆興は固まったままだった。他の者も同様である。
間髪あけずに、今度は反対側が爆発した。
ドオオン!
土が数メートルも跳ね上がった。
「うわーカミナリさまのタタリだー!」
籠を担いでいた人足たちは、籠を放りだして逃げ出した。そのまま、あかりは地面に落とされ籠の外へ飛び出た。
「おちつけ、おちつくんだ!」
鈴木は自分に言いきかせるように大声で叫んだ。周りの一同はオロオロと周りを見わたすだけだった。
やがて、もうもうとした土けむりの向こうに、黒ずくめの人姿が浮かび上がった。
大きい影と小さな影。
そして、なにやら、大筒と思しきもの。