鎌かけ
「お初の方が?」
月島は怪訝な顔した。
「はい。靜山さまに一度顔を出せと」
墨越は困った顔で、文箱から伽羅の香りのする文を取り出した。
“靜山様へ”と宛名にある。
「月島さまに文を出しても無視されるからって、こちらの部屋の靜山さまに文を送りつけるなんて」
「そういう靜山への文を、そなたは盗み読んでいるのであろう?」
「ぬ、盗み、など……わたくしは局の責任者として吟味しているのでございます。
これは月島さまに対するイヤガラセです。……ああでも、断るわけにもいかないし」
文を読んでいる月島に向かって、墨越は早口でしゃべり続けた。
「ふうん。一度くらいお会いしてもよいのではないか?」
「はあ?」
「お初の方に どうこうされる靜山ではあるまい」
「し、しかし……色好みのお初の方の元に行くのは危険ではありませぬか」
「まあ、……危険であろうな」
「月島さま!」
焦る墨越に対し、不遜な顔して月島は笑った。
「ふふふ、安心せよ墨越。上様のご寵愛を受けようかという靜山に、まさかお初の方とて、無体しようとは思うまい」
「ほっ、そうでございますね」
「だから、これはわたくしへの挑戦のつもりなのだ。靜山は頭がよい。大丈夫じゃ。それに……」
月島の眼は、何かを企んでいるようだった。
「それに?」
「あの者のことが、少しは分かるやもしれぬ」
「それは、靜山さま、の事でございますか」
墨越の問いに、月島は答えなかった。
そう。
確かに、何を考えているのか分からない。
黒川藩が送りこんできた美しい刺客。
藩として単に大奥の実権に絡みたいだけなのか?
後見となっている万里小路は、すでに大奥の実権を握っている。
自分の推す娘を寵妃に加え、地位を磐石にしたいだけなのだろうか?
それでは、公家出身の万里小路と越後の小藩・黒川藩とは、何のつながりがあるのか?
万里小路に金をつんで大奥入りを狙う連中が山ほどいる中、財政のひっ迫している黒川藩が大金を出せないのは分かりきったこと。
解せぬことが多かった。
「さすがじゃ」
お初の方はうっとりと声をあげた。
「お方さまには、ほんのお耳汚しで」
靜山は琴爪をかくしながら頭を下げた。
「何を言う。天女が爪弾いているようで、この世のものとは思えなかったぞ」
お初に招かれた靜山は、琴を披露してみせた。
墨越以下数人の部屋子を連れての訪問だった
「その赤みがかった琴……滅多に見るものではない。なんと、その紅葉の打ち着と合っておったことか」
楽器、小物、衣装、香などを トータルに演出できるほど、相手をむむっ、と言わせることが出来る。大奥の上流階級は才女でなければやっていけなかった。
「それは、“錦秋”という灘からの新酒じゃ。靜山といっしょに楽しみたいと思っての」
膳と一緒に運ばれてきた杯。
朱塗りの椀には、紅葉の葉が一枚。そのまま酒がつがれる。
「わたくしは江戸から出たことがない。大奥に上がってからは、もっと世間は狭くなった。
そなた黒川藩の出身と聞いたが、ずっと藩元にいやったのか?」
「はい」
「その割には、江戸風が板についておるの」
「三年前に江戸に上がりましてございます」
澄まして靜山は答えた。
「そうか。……黒川・越後はどんな所なのじゃ?」
「雪深い里でございます。冬はいつ果てるともない雪がしんしんと降り、丘も田畑も完全に白の壁におおいつくされてしまいます。山は遠くにかすみ、吹雪はいつおさまるのか見当もつきません」
人間離れした靜山の目に表情が表れた。
少し遠い目は、凍てつく雪国をみていたのだろうか。
「そんな所でそなたを見たら、雪女かと見まごいそうじゃ。越後は雪ばかりなのか」
「いえ、水がぬるめば苗は育ち、夏は美しい櫛形山をのぞむことができます」
「なるほど。そうそう、うちにも、ひとり越後の者がおっての。これ、かよをこれへ」
お初の方が呼ぶと、お犬と呼ばれる下っ端らしい十、十一歳の少女が現れた。
墨越はお初の算段が少し読めた。
お初も靜山の身元を疑っているのだ。
「かよ。おまえの藩は越後であったな。どういう所じゃ?
冬は前が見えぬほど雪が積もるのか?夏は櫛形山の眺めは素晴らしいのか?」
「は、はい。確かに雪は深こうございます」
上役に囲まれる経験がない田舎娘は、顔を上げられぬままオドオドと答えた。
「櫛形山はどうじゃ?」
「櫛形山?」
かよは一瞬分からぬことを聞かれたため動揺した。
「夏になると見える山じゃ」
「おら、いえあたしたちには、ぼっこ山しか見えませんでした……」
「ぼっこ山のぉ」
お初はゆっくりと靜山のほうを向いた。
『これは……』
不敵に微笑むお初の方が、急に歪む。
靜山は、酒に何かを盛られたことに気づいた。
「あの」
墨越が取り繕おうと口を開きかけたとき、
「これは、したり!そうでございました」
にっこりと笑う靜山があった。
「農民たちは櫛形山が低く、棒状であったのをみて、ぼっこ山と呼んでおりました」
「ほお。なんと、そうであったか。正式な名前を教えてくださるとは、さすが靜山どのじゃ。のう、ほほほ」
うまく誤魔化したのか、どうか真実は分からないが……
笑いながら、どうして眠り薬が効かないのだろう、とお初の方は、いぶかしんでいた。
しかし、その瞬間。
靜山はドサリッと崩れ落ちた。
「靜山どの!」
「靜山さま!」
方々の声と手が、靜山を取り囲んだ。