別れ
小夜は困った。自分がしゃべりすぎたことを今更に後悔したが遅い。
何とかおまつを上手く騙して返す方法をひねり出さなければならない。着いてこぬよう怒ったふりをして外へ出た。おまつも、この場所へ小夜が帰ってくるのは分かっていたので居座っていた。
風にあたって頭を冷やす。数間歩いたところで、自分をじっと見つめている男・旭を発見した。
旭は、小夜を見張っていた家賢のお庭番である。
小夜は周りを見渡すと、スッと旭のもとへ寄った。
「靜の方の遠島の日が決まりました。来月の一日です」
すばやく文を旭は手渡した。
来月の一日。あと八日しかないではないか。
「行程などはそちらに書いてあります。上様は、わたしに月島さまの言うとおりにせよ、と言われました」
「そうか」
「ただし、報告はせよ、と言われております」
それは予想内のことである。どうせ、他のお庭番もいるかもしれないし。
「困られておりますな」
「聞いておったか」
おまつとのやりとりのことだ。
「わたしが何とかいたしましょうか」
「ほお」
小夜は少しホッした表情で旭を見た。
「後でうらまれるかもしれませぬが」
「よい。うらまれてもおまつには息災であって欲しいのだ。あれの家族に類が及んでも困るしの」
小夜は少し寂しそうに笑った。
おまつの待つ家へ、ひとりの大柄の男が駆け込んできた。
「今、そこで妙齢のべっぴんさんが台車に跳ねられたんだ! そこいらの人が言うのに、この家の人だって言うじゃねーか。あんた、家族かい?」
血相を変えた男の表情を見て、おまつは驚いて立ち上がった。
「いえ、あの……」
「今、医者へ運ばれたんだが、かなり血が出てて……」
「ど、ど、どこの、お医者ですか」
「いま、そこで籠を待たせてある! 早く、早く」
パニック状態になったおまつは、旭の用意していた籠にあっさりと乗った。そして、そのまま江戸城平川門まで連れていかれてしまった。
「な、なんですの? ここは」
籠を降りたおまつは、せんど見た景色に愕然とした。門内に入ってしまうと、大奥の中である。
「ご存知のとおり、大奥のご門内」
振り返ると、さきほど大柄の男が腕を組んで立っていた。
「どういうことですか? そなた、わたくしをだましたのですか」
「ああ」
悪びれる風でもなく男は肯いた。
「よくもそのような……なぜわたくしをだまして、ここへ連れてきたのです!」
男の態度にカッとなったが、すぐに月島の策略だと気付いた。
「ああ、ひどい月島さま……」
再び、自分が見捨てられたのだと分かって、おまつは心底落胆した。もう、これ以上歩けないほどに悲しくて倒れそうだった。
「これ、あんたに渡してくれって」
旭は茫然とヘタりこんでいるおまつに、布にくるまれたかんざしを差し出した。銀の地に金で牡丹が透かし彫りしてある。
「これは……?」
「月島さまがずっと着けてらしたかんざしだ。それを、あんたに、って。それから〝まつはわたしにとって大切にしたい、かけがえのない存在なのだ〟と伝えてくれ、って」
その瞬間、おまつはかんざしを握り締めて絶叫した。
永の別れだった。
それがいま、はっきりと感じられた。
「襲うなら、ここ。小仏峠の関所前だね。ここを出てしまうと、どういった道を通るか分からなくなる」
サエは広げた甲州街道の地図の一点を指差した。
あれから、あかりの義父だった黒川藩、横井定利の家を張り込み、何とか情報を得たのだった。高遠藩お預け、そして文月の一日に高遠へ移送されることを。
「小仏峠は狭くなるところがある。そこを通るとき一列になるから、一気に切り込めば何とかなるかもしれない」
そう言ってからちらっと龍才の顔をみた。重傷を負っている龍才は、果たして使いものになるのか。あれから毎日、鍛錬をしているとはいえ多勢に向かうのだ。
「あかりだって自由になりゃ、あいつだって戦えるしな」
暑さのため、勘介は首元をハタハタとさせた。
「あかりはどういった状態か分からぬので戦力にいれぬほうがよい。弱っているか、眠らされているか……」
「もう少し先まで着いていって、見張りの手薄になる機会を狙ってもいいですが、長い距離を着けていくと相手にも怪しまれるし、こっちの体力も落ちてきます」
「敵は何人くらいだろう」
「恐らくニ、三十人くらいではないでしょうか。女の警護ですし、あまり金もかけられないでしょう」
サエが冷静に判断する。
「だが、幕府からの用命となるとあまり人を少なくも出来ぬが……いや、あんまり目立ってもいけないか」
「そこが微妙なトコなんです。なので、多くても三十人と」
「ならば何とかなるの。火器やら飛び道具も使えば。……やっかいなのは」
風魔だ。
龍才は二人に順番に視線を合わせた。どこまで風魔が未だに自分たちを狙っているか、だ。表の世界にいるあかりを窮地に落としたのは誰であれ、今回、あかりを取り返しにくることくらいは想定していよう。
高遠藩の見張りに紛れていることは十分考えられた。
それでも、やらねばならない。三人は出来うる限りの予測をして作戦をたてた。が、それは全く思いもよらない因子、つまり小夜によって滅茶苦茶になってしまうのである。