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慈悲の縁(えん)

 あかりは、くうの話から、般若心経に関する本を持ってきてもらえないか、と役人に尋ねてもらった。


 罪人であっても、坊主や仏典を取り寄せることは認められていたので、それはすぐに叶えられた。ただし、役人が許可したものだけである。


 本気で求めているものは与えられる。

 届けられた書本のなかで、面白い解説をしているものがあった。


〝「くうの根底」には「因縁いんねん」「縁起えんき」というものがある。釈迦は「万物は因縁より生ずる」ということに気付いた〟


 ふむふむ。では因縁とは何か。


〝因縁とは、「因」と「縁」と「果」の関係をいった言葉で、「因」とは原因のこと、結果に対する直接の力。「縁」とは因をたすけて、結果「果」を生ぜしめる間接の力。この世を原因と結果だけでみる事はできない。もっと複雑で多様的な関係がある〟

 とのこと。


 〝もみが稲穂になる過程。籾は直接原因の「因」、これを土中にき、それに雨、露、日光、肥料というような、さまざまな「縁の力」が加わると、豊かな稲穂となる。これが「果」である〟

 と、ある。


 ひとりの人間とって、他人との出会いは、土や日光に当るようだ。いやいや、違う。お互いに土や日光になっているのだ。そして皆、それぞれの稲穂になる。


 だから、稲穂というのは、反応した結果なのだ。

 人も稲穂のように、何かになるため、お互いに反応しあっている。


 それは、分かる。分かるが、それが、わたしと月島さまが密接に惹かれあう理由になっているのか。そして、この感情も。


『因縁は確かにあろう。空間的にも時間的にも、一瞬、一瞬の関係だということも分かる。しかし、より濃い関係と、薄い関係があるのも確かである。それはなぜ書いていないのか』


 十二因縁の項を読むと、愛とは好きなものに心がとらわれること、とある。

 とらわれている? 最初はそうであったが、今は違う気がする。


――そう、なにか彼女は重要な存在なのだ。私にとって。激しく反応することが出来るというか、根本から変えてしまうというか――



 本当はそれが答えのひとつであったのだが、あかりにはそれは分からなかった。


 濃い関係は、共鳴作用が働いている、と現代ではされている。すべての物質には周波数というものがあり、波打っているのだが、周波数の似た物質は、互いに共鳴しあう。


 共鳴はエネルギーが高まるので、乱雑な軌道へと移ることが出来、カオスへとなだれ込む。カオスは混沌でもある。が、新しい現象を起こすともいわれている。


 あかりと小夜が、惹かれあうのも、お互いに強烈な反応と現象を起こすことが分かっているからである。現に今、ここまでの現象をお互いに起こしてしまった。


 人間たちも干渉しあい、カオスを起こし、そして、何かが発展していくのであろう。

 だから、カオスを起こす関係性は濃い関係、ともいえる。それは、よい関係・悪しき関係どちらもある。個人、個人、みなカオスを起こす関係は違うので、これが縁の濃い、薄いとなるのであろう。



 あかりは猛烈な勢いで本を読み始めた。この世のこと、死を悟ることが出来なければ、死ぬことは出来ない、と考えはじめていた。どうして、しのびという死に近い場所にいたのに、ここまでこの世界のことを深く探求しなかったのか不思議であった。



 裳羽服津もはきつでは、ただ、死んだら仏のいる極楽浄土か、地獄に行くか、その中間か、と教えられていただけだ。


 ……そんなの、絶対に変だ。


 そんな人間の考えられるような場所に行くなど。カエルは動いているものしか理解できない、と月島さまは言っていた。なら、あの世は人間の理解できない世界であるはずだ。


 ただ、この世には人知を超えた、知を理解できる人もいるだろう。お釈迦様はきっと分かってらしたに違いないが……経典を残されなかった。


 仏陀の死後に書かれた、仏教の経典では、何か不十分な気がした。もちろん、全部読んだわけではないが、あの月島こと小夜さえも「使えぬ」と言っていたではないか。



 あかりはとうとう疲れて、ごろり、と横になった。どうせ、見張りなど部屋に入ってこない。このようなこと、大奥であったら絶対に出来なかったであろうが。


「手と手をつないで、いっしょに行こう~ そらそら、みんなで歌うたお」

 急に子どもの歌が聴こえていた。この屋敷の子どもなのだろうか。楽しそうに何度も繰り返している。


「手と手をつないで、いっしょに行こう、か」


 小夜とならずっと手をつないで、同じ瞬間を多く持っていけそうな気がした。本質的に直感的な関係なのだ。話さないでも分かるというか。お互いの見ている世界は違っていても、同じ時間と空間――接点が多くあればあるほど、見ている世界の相違は少なくなっていくような気がした。


 パートナーとの関係は、穏やかな愛を感じること、勇気づけられること。それは、仏の世界からやってくる慈悲の分化したものだと分かること。そして、この慈悲はやはり〝あり〟なのだ。空即是色。形はないが在り。そう考えれば、かなり納得することが出来た。


『ちょっと分かってきたじゃないの、あかり』

 嬉しくなって、思いっきりのびをした。







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