「在り」と「なし」
あかりは障子にうつる影を見ていた。
外は蒸しているようだけど締めきっているおかげで、存外この部屋は快適だ。
ああ、いつまでこのように押し込められるのだろう。処刑なら処刑でさっさとやってくれればいいものを、本当にお役人仕事はのろのろしていてイライラする。
ただ……
月島さま。
どうなされているだろう。
わたしの文が来ぬことを怒っておられるだろうか、それとも、心配されているだろうか。ううん、何よりわたしが月島さまのことをすっかり打ち捨ててしまった、と思われたら……それだけは耐えられない。
月島さまの居場所を知っているのはおまつだけ。
そのおまつも、どうなったか分からぬ。下手をすればわたしと同じような目にあっているやもしれない。もし、そうなら……すまぬ、おまつ。そなたはわたくしとは一切関係ないのに。
ずっと考えるのは、「雨月物語」の〝菊花の契り〟。
菊の節句に会う約束をした、義兄弟だが、義兄は訳あって捉えられてしまいその日までに帰れそうにない。「人一日に千里をゆくことあたはず。魂よく一日に千里をもゆく」ということばを思い出して、自死し、幽霊となって義弟の元までたどりつくという話。
わたくしにも出来るであろうか。死んでこの姿を脱ぎ捨てれば月島さまに会えるのだろうか。だけど、そうなると月島さまに会えるのは、もうあと一回きりとなる。その一回でお別れするなど……出来ようか。
ふふ。
一度会えるだけでも贅沢なのに、わたしはなんと業の深い女であろうか。〝菊花の契り〟は約束したことは命を賭して果たすという、義を説いた話じゃいうに、わたしは何という罰当たりであろうか。
しかし、この菊花の義兄は本当に幽霊になれる、と信じていたのだな。下手したら幽霊にもなれずに〝おしまい〟ではないか。
そうだ仮定してみよ、あかり。
わたしがこのまま死んだとする。
すると、意識はなくなる。
すると
……
何も無くなる。
何も。
あれれ?
「なあ、靜山、そなたこの世は確かなものと思うか?」
いつか月島さまはそう言っていた。
そうだ。
もし、自分がこの世にいなくなったら、この世界は存在しているといえるのだろうか。この障子も、襖も、畳も……
だんだんと現実感がなくなっていく。
あれ?
これが……空ではないのか? わたしがこの世を認識できなくなったら、すべて消えてしまうなんて、なんていい加減なのだ、この世は。それとも意識は何かに変化するのだろうか。幽霊のような霊魂に。そして、この世界は相変わらず存在するのか。
あー、分からない。
こんないい加減な世界なのに、それでも、この世を生きていく意味は何であろう。
こればかりは古今東西の知恵者が考え抜いてきた問題だ。わたしに簡単に分かるようなものではない。
それよりも。
月島さまが幻など、それは絶対に違う。わたくしが感じているこの感覚が幻なハズがないであろう。確かに感覚に形はないが、〝なし〟などでは絶対にありえぬ。
そうか。月島さまは、こういったことを知りたかったのだ。
わたしが感じている〝あり〟の感覚を、どうにかして探さなければ。
死ぬに死ねぬ……