風魔の狙い
「俺がつけられていたとも知らず、雲庵に来たせいで……」
山吹の亡骸を前に龍才は声を震わせた。
「ケガをしていたのです」
無表情のままサエは答えた。
ここは雲庵。小夜があかりと出会った次の朝のことだった。江戸に出てきていたサエと勘介は、とある長屋で暮らしていたのだが、朝早くに龍才から不意の文を受け取ったのだった。
×と雲の絵とが描かれた文。それは死人あり、雲庵に来い、ということだと、ふたりはすぐに分かった。
ふたりは山吹の殺された現場を見た。激しい衝撃を受けたが、呪詛と悲嘆に泣きながら山吹の遺骸をきちんと整えた。
そして今、布団に寝かせたところであった。頭元にはささやかな枕飾りをこしらえた。
*枕飾り=香炉やローソク立てなどを置いた机
「風魔のやつ、絶対に許せねえ……」
「勝手なことするんじゃないよ、勘介。親方の指示を待つんだ」
「だって山吹があんな目に合わされて黙ってろって! あの紙はあきらかに俺たちへの挑戦だろっ」
「だから余計にあんな挑発にのっちゃならない。雲才さまとも連絡がつかないのに」
山吹の殺された現場にあった紙。
それは真言の呪詛文字で、最後には〝風〟の一文字が刻んであった。
風魔――を表している。
風魔一族は元は北条家のしのびであったが、江戸幕府が開かれてからは直轄の主を持たず、ながれに近い形で存在していた。
だから風魔ということが分かっても、その雇い主が誰なのかは不明である。動くのがやっとの龍才が逃げおおせたのは山吹が囮となってくれたからだった。
風魔の四人もそれが分かっていて山吹ひとりを殺し龍才を逃がした。龍才の背後を知るためである。
「俺たちの正体があいつらに分かったかどうかは分からん。けど、俺があいつらから逃げられん事は確かだ。だったら、もうここから動く必要はない。それに……」
龍才は雲才と小夜のことが気になっていた。
二人が何も知らずにここに帰ってきたら危険だ。雲才はまがりなりにもしのびであるので自分で何とでもしよう。一番の気がかりは小夜だった。
昨夜は帰ってきたのだろうか。
「もう風魔は襲って来ぬと?」
サエが荒らされた部屋を見て皮肉な口調で尋ねた。
「我らの正体が分からねば再度、襲ってきても不思議はありません」
「しのびを正面から襲って口を割らせるなど不可能な事は風魔も分かっておよう。あいつらも我らも、ここからは腹の探りあいとなる」
「家倖君の命を我らが狙っているのを知っておる、とすると、それを阻止したい者……が裏におるということか。まさか将軍家そのものという訳ではあるまい」
勘介がそう言ったあと、しばらく沈黙が流れた。
「もちろん将軍家も含まれるだろうね。だけど、それならお庭番か伊賀者を使うはず……まあ後腐れのない風魔を使う意味もないではないでしょうけど……」
「俺には将軍家が動いていると思えん。……それより今は我らの方が不利だ」
龍才は苦々しい表情でうめいた。
「この雲庵に我らの正体を現す手がかりが残っているとは思えませんが……万一あやつらに知られておったらどうするおつもりです? 我らの正体が分かれば、自然お館さまの正体にも気づきましょう」
サエの言うとおりだった。裳羽服津は筑波を根城としているので、その直轄である水戸藩が浮かぶのは自明であった。
「俺が死んでこの一件が片付く、という問題ではもはやなくなった」
龍才は血の気のない青い顔でつぶやいた。まだ傷も癒えぬ重傷者。その身に対して過酷すぎる状況であるのをサエは気づいた。
「龍才さま、後はあたしと勘介で考えますゆえ、どうぞお休みください。いい考えが浮かんだらすぐに龍才さまにお知らせします」
そう言うと無理やり龍才を布団に追いやった。
『そういえば雲才さまはどこへいかれたのですか? 状況みて姿を隠しておられるのでしょうか』
いっとう声を落としてサエは龍才に尋ねた。龍才が眠りにつく前に雲才のことだけは聞いておきたかった。
その質問に龍才は言いにくそうな顔をした。
『雲才さまは……大奥のあかりに会いにいかれたまま戻られていない』
サエの耳元で龍才はささやいた。どこで聞き耳をたてていられるか知れないからだ。
『あと、ここで山吹たちといっしょに暮らしていた小夜という女人がいるのだが、昨日、妙安寺に行ったまま姿が見えん。帰ったところに風魔に出くわしたか、山吹の死体を見たか……いずれにしろ行方不明だ』
その話を聞きサエは合点がいった。
ずっと龍才の様子がおかしかったからだ。危険な雲庵にいることにこだわったのは、色々な人間がまだ絡んでいるからだ。
雲才、あかり、そして小夜という女人。