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異例の出世

同じ頃、雲庵では雲才と山吹が深刻な顔をして二通の手紙を前に黙り込んでいた。


一通は裳羽服津の炎才から、一通は靜山ことあかりからの文である。


どちらも山吹と月島の居場所を尋ねてきている。山吹にとっては、月島である小夜の容態が落ち着くまで大奥に知らせたくなかった。大奥に知らせると、必ず月島は連れ戻されてしまう。それは自由になれるかもしれない機会を逃すことだ。


 また、あかりだけに知らせる、という手も考えたが、それも悩むところであった。あかりはきっと必死で月島を探しているだろう。あかりの心情を考えると山吹の心は痛んだ。


だが、記憶の混濁した小夜となった月島が、あかりを認識できるかどうか、も分からなかった。墨越につながる記憶を呼び覚ましパニックになる可能性もあった。


 最近はやっと外に出かけていって明るい表情も見られるようになっていたのである。

 大きな刺激を与えたくなかった。


「とりあえず、あかりに小夜どのの無事だけでも知らせてはどうじゃろ。あやつも心配しとる」

 雲才が山吹に提案した。


「……もし、お知らせしたら、きっとあかりさまは大奥を抜けてでも、月島さまに会いに来られます。 そうなっては、あかりさまのお役目は破綻、そして月島さまの病状もどうなるか分かりませぬ」


「だから、じゃ。あかりには小夜どのは無事であるので安心しお役目を果たすよう、知らせるのじゃ。決してこちらへ来てはならぬ、と」


 山吹は大きなため息をついた。

「それで納得されましょうか」


「納得するもせぬも、あかりはきっちりと忍びであることを認識せねばならん」

 雲才はいつになくきつい声で言った。


「あかりは、一旦お役目を引き受けたのだ。途中で放棄することは許されん。だから、大奥を抜けて出るなどあってはならぬのだ。わしがきっちりと話をつけてやろう」


 雲才はすっくと立ち上がった。


「年が明けたらつくば屋として大奥へ参内する。そこであかりに会おう。山吹、そなたはあかりの元に帰らず、このまま小夜どのと一緒に居るとあかりに伝えてよいな?」


山吹は大きくうなずいた。




 正月があけて江戸城では新年の行事が続いていた。


 年末に火事があったため華やかさは押さえられていたが、各藩からは『火事見舞い』と称される献上品も加わった為、貢物の係りは多忙を極めていた。


 大奥もまた正月は忙しい。


 特に御年寄りは出番が多いので月島の不在は大きく目立った。必死で村岡たちが盛り上げようとしていたが、家賢をはじめ、御台所代わりのお美津の方たちの違和感は無くなることがなかった。


 改めて月島の存在感の大きさを皆が感じていた。靜山は咄嗟に笛の演奏を願い出た。月島のいない寂寥感に耐えられなかったのだ。


 家賢は許可した。


 笛の音は明るく澄み渡り多くの者に感動を与えた。それは家賢に靜山の更なる寵愛に拍車をかけた。

ぎりぎりと見ていたのは、村岡と村岡の姪、笹野だった。近頃のねやへの指名に笹野の名が増えてきていたからだ。


「今度、あんたさんにお部屋を与えるよう、上さんに言われました」

 万里小路が靜山を呼びつけたのは二十日正月が終わってからすぐの事だった。


「……部屋を?しかし……」

「分かってます。あんたさんは、お子も産んでませんし、お部屋の条件にはかなっておりません。けど、上さんにとってあんたさんは特別な存在です。ただの御中臈にしとくには不本意や、と申されました。これは大変なことですえ」


「…………」

「なんや? あんまり嬉しそうやないな」

「お部屋をもらったら、表の方たちと話すのに有利になりましょうか?」


「そりゃ、もちろんや。けど……なんぞしたいことでもあるんかえ?」

 靜山は答えずにじっと黙り込んだ。


「……大奥総取締りのほうが有利ではないですか?」

 万里小路はぎょっと目をむいた。


「ここでお部屋をもらうより、大奥総取締りになるほうが有利ではありませんか?」

「何を考えとるんや、あんたは。お子も生んでないのに部屋さまと同等の扱いを受ける、いうのに大奥総取締りになって何をしたいんや」


「わたくしは、月島さまの汚名を注ぎたいのです。それには表の方の協力が必要なんです。老中の水野さまは村岡さまと結託して、火事の責任を月島さまに押し付けようとなさってます。そんなの……許せません」


 靜山は激しく首を横に振った。


「あんたは、どこまで月島のこと慕うとるんか……」

万里小路は大きくため息をついた。


「よう聞きや。あんたさんがお部屋をもらう、いうのは、村岡側への大きな牽制なんや。上さんもそれを承知でそう言いなさったんや。上さんも月島のことをかばいたい思うてはる。けど奥のことを表まで巻き込んで、どうこう言うのも避けたいんや」


「けどもう実際は、水野さまが安部さまを落とすために大奥の事を利用しているではありませんか」


「だからこそ、や。もと月島部屋やったあんたがお方さまになれば、失礼な聞き込みはなかなかできん。あんたさんにとったら、月島の潔白が晴れな、納得できへんかもしれんけどな、ここは大奥や。


長くしぶとく生き残ったほうが勝ちなんやで。結局それが月島の潔白を後々証明することになるんや」

 さすがは万里小路。現大奥総取締りは大層しぶとかった。


「分かったな。あんたさんが部屋殿になるのは月島にとってもええ話なんや。村岡側はきっと邪魔してくる。条件にかなわん、言うてな。けど、そこで負けたらあかん」


 靜山は肯いた。


「あんたのお役目を忘れたらあかんえ。水戸、黒川藩が何て言うてあんたを送り込んだか……忘れたらあかん」


 万里小路の重々と言い渡す言葉は、ずっしりと靜山の肩にのしかかった。


――上様の更なる寵愛を受け、幕府改革を進めるよう進言すること――


 水戸藩は、水戸学という独特な思想があった。


 天皇の伝統的権威を背景にしながら、幕府を中心とする国家体制の強化によって、日本の独立と安全を確保しようという考えである。


 しかし、幕府の力は弱体化し、それに幻滅していた水戸の藩士たちは過激な主張をするようになっていた。そのため為昭は幕府に疎まれて隠居させられたのだ。


 靜山にとって、水戸藩の思想を具現化するなど考えもしなかったが、権謀術中の大奥で忍びの任務を遂行するなど、もはや幻のように思えた。


 状況は悪くなかった。しかし靜山は孤独だった。


 山吹もいなくなった今、自分と忍びを結びつけているものは何もない。たった一人で、何をしろ、というのか。


 月島の名誉を守る、という生きていく目的がなくなると緊張の糸がぷつりと切れそうだった。


 その夜。

 冷たい月を見上げながら靜山は泣いた。



『生きていると信じたいが、本当に月島さまは、この世にいらっしゃるのか。もし、もうおられないとしたら……わたしは、もう生きていけないかもしれない』


 お部屋殿など何の意味もなかった。大奥中から羨まれる身分が手に入ったというのに、愛する人を失った悲しみの前には、すべてが幻だった。


 つらかった。胸が締め付けられる。

 死ぬほど月島に会いたかった


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