失火の犯人
江戸城では、月島と山吹の人相書きが手配されることになった。
これを町奉行所に配りこっそりと探索してもらうのである。大奥女中の失踪事件なので、あくまで内密に、との指令であった。
心もとない方法に靜山は、ぎりぎりとするしかなかった。そんな中、待ち望んでいた裳羽服津衆からやっと手紙が届いた。
要約するとこうである。
一、裳羽服津は山吹の消息を知らない。火事で焼け死んだ訳ではないのか。
二、山吹の拠点は江戸神田の雲才の屋敷、診療所・雲庵であった。
三、雲才へ山吹および月島という年寄りの消息を尋ねてみる。
四、上様の更なる寵愛を受けよ。多少強引な手を使っても可。
以上、四点であった。
山吹の行方は裳羽服津でも知らないようである。それよりも山吹が死んだと思っていたなどおかしな内容である。山吹自身が裳羽服津との接触を断っているのか、はたまた連絡できない状態にあるのか。
だいたい龍才が報告していないのが変である。なぜ火事に関して詳しい報告をしていないのだろう。
『まさか、あのまま、抜け忍になっていたら……』
靜山は首を振った。龍才のことまで考えるのは止めた。
とにかく、神田に雲才の診療所があることが分かったのは収穫であった。
『そこから情報を得てみよう。それにそこから薬も手に入る』
火事で焼けてしまった為、薬の調達に困っていたのだ。
「靜山さま、大変にございます」
おまつが血相を変えて、部屋に入ってきた。急いで手紙を袂に隠した。
「なんじゃ」
「火事の火元が月島さまのお部屋だと言われております」
「なんだと」
靜山は顔色を変えた。
「火が一の長つぼねから出たのは間違いない。その出火部屋は月島部屋だともっぱらの噂で……」
「誰がそのような事を」
「どうやら村岡さまの部屋子たちが言っているようです。けど、夏川さまも絶対に関係しております。火元に近かった東側の部屋の方々は自分たちに責任が及ぶのを恐れて、月島さまに責任をなすりつけたのです」
死人に口なし。よしんば月島が死んでいないとしても現在大奥にいなければ反論も出来ない。
「卑怯な……」
靜山はこぶしを握ってぶるぶると震えた。
「表のほうもその噂を聞いて、近々我々にお取り調べをするとのこと」
「取り調べ?」
「月島さまの部屋子は全員、老中指示のお取り調べを受けるというのです! なんという屈辱」
おまつは顔を被って泣き出した。
靜山は黙りこんで考えをめぐらせた。
「村岡さまの後ろには水野さまがおられる。その取調べをされるのは水野さま配下か?」
その言葉におまつはハッと顔をあげた。
「はい……確か水野さまから出た話のようです」
「水野さまは敵対している阿部さまが月島さまと入魂にしておられたゆえ、その阿部さまを陥れるのに月島さまを火元とするのが得策とみたのであろう」
「そんな……不道理な。実際は村岡さまか、夏川さまのお部屋から出火したのではありませぬか」
「事実など意味はないのだ。何事も政りごとが関わっておる」
おまつには靜山に既視感を感じた。
この感じ……
そうだ、月島に似ているのだ。
「こうなったら戦うしかあるまい」
靜山の目はまっすぐ前を向いていた。
「月島さまの名誉と、我々の潔白を守るため」
「どうするのですか」
「まずは上様に潔白書をお出しする。我々が潔白だという内容を書くのだ。そのうえで、もし取り調べを行うなら公正におこなうよう水野さまだけでなく他の方々にも参加いただく旨もお願いしよう。阿部さまにも会わねばな」
「そ、そうでございますね」
「それで終わりではない。どうにかして早急に金子を作らねば……それも大きな金額だ。
実家に言って送ってもらうが……時間がかかる。わたくしはいま大きな金子を持っておらぬのだ」
靜山は頬をついてじっと考えた。
「あの……月島さまの金子を少し使ってはいけませんでしょうか」
「どういう事じゃ」
「わたしは、時折月島さまから大きな金子を入れたり出したりするよう仰せつかったことがあります。そういう時は、いつも駿河町の両替店で金子を出し入れしておりました」
「越後屋か。しかし出すには月島さまの手形がいるであろう。どうする」
「月島さまは預かり手形を分散させてお持ちになってました。一番出し易いのは……寛永寺です」
靜山とおまつは目を合わせて大きくうなずいた。
「本当は、月島さまのお金は使いとうないが……」
靜山は少し浮かぬ顔をした。勝手に月島のものを使うのは気が進まなかった。
「きっと月島さまはお許しくださいます。いいえ、きっと靜山さまと同じようにされたと思います」
おまつは熱情を込めて言った。
「……そうじゃな。それに、実家から金子がきたらすぐに月島さまからお借りしたぶんはお返ししよう」
おまつは深く肯いた。
――月島さまは靜山さまを疑っておられたが、わたしは、この方を信じる。こんなに月島さまの事を真剣に慕っておられるのだから――
山吹が月島に傾倒するように、おまつも靜山を深く信頼した。
入れ替わった二組が、それぞれの試練に向かおうとしていた、