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再会

 家倖いえさちは小康状態を取り戻した。

大奥でも快気祝いと称して各部屋で歌舞や祝いの会が催されていた。


 しかし月島はイライラしていた。


夜の年寄り会。議題は、大奥への経費削減を阻止するべし、であり、皆が皆、どうやって今のままの贅沢を続行できるかどうか、だけを口々に議論していたからだ。


―異国がわが国を狙っているというのに、何と悠長な―


いつだって大奥の女たちは改革というものを頓挫させてきた。大名たちは貧窮し商人たちに莫大な借金をしている一方、そのつけを百姓に負わせようとして一揆も頻発している。飢饉も起こり深刻さは増すばかりであった。


「皆さま、どうしてそう伝統にこだわるのです。少しずつ行事の規模を小さくしたとて、不都合はありますまい。今は江戸の町まで打ち壊しがおこっています。このまま放っておけば、もしや、ということもありまする」


「もしや、とは?」

夏川は口をとがらせて月島を睨んだ。


「江戸城にまで暴徒がやってくると言うのですか」

「かもしれませぬな。そんな時、幕府の役人の数が少なく、我々を守ることが出来なかったらどうしましょう」


「十分な数のお役人が江戸城にはいるではありませぬか」

と、村岡。


「給金もまともに払えぬようになった幕府では、お役人の気概は自然、落ちておりまする」


おっとりしてみえる美津波瀬でさえ信じられないといった顔で反撃した。


「月島さまは、役人たちが江戸城を見捨てる、というのですか。ありえませぬ。大体、この江戸城に町民がやってきたとて千や二千では落ちませぬぞ。神君、家康公が作ったお城ですからの」


「そういった問題ではありませぬ。下々へのまつりごとが上手くいっていないと、いずれは我々にもそのつけが回ってくる、と申し上げているのです」


「なぜ下々の生活と我々の生活が関係するのでしょう。我々が商人たちに金を落としてやれば、そのぶん下々の者たちにも資金が回る、のが筋ではありませんか」


「実際にそうなってないから問題なのです。商人たちは我が懐に沢山の利潤を入れますが、下々には雀の涙ほどしか与えなければどうなります。


また、田舎との格差は増すばかりで農民たちの貧窮はひどくなっておりまする。ひとえにこれは、貨幣経済が自給自足の土地経済を破壊したからではありませぬか」


「だからって、わたしらにそれをどうすることが出来るの。大奥が倹約したからって、その農民らが救われるという話にはならんやろ。農民の話は藩のまつりごとのせいや」


 万里小路さえもいやな顔で反論した。月島は心の中で、大きなため息をついた。

 これでは、全く話が通じない。



 正月に向かうこともあってか、外の雰囲気は少しうきうきとしてきていた。

遠く近くに女中たちの騒ぐ声が聴こえる夜。 


御池のあたりで、靜山は笛の練習をしていた。


―もしかしたら月島さまが来てくださるかもしれない―

淡い期待を胸に、笛を吹いていた。


ほー、ほー、ほー。


三度のフクロウは裳羽服津衆の合図であった。

靜山は御池周りに生えている一本の松の木に目を移した。


「ここだ、あかり」

音にならない声は龍才だった。


素早く廻りを見渡して靜山は松影に近寄った。

「どうして龍才さまがここへ?」

「おまえに会いたくて来た」


「どうやって!」

なんという危険であろうか。家倖毒殺未遂以降、警護は厳しくなっている。


 靜山、こと、あかりは青くなった。


「昼間に運ばれた衣装の長持ちに隠れていた。ここへは山吹が案内してくれた」

あたりを見渡してみると山吹は見当たらない。


「山吹は?」

「周りを見張っている」


はあ、とあかりは一息ついた。


「何かあったのですか」

「お役目が、もう少しかかりそうだと伝えに来たんだ」


意味が分からなかった。


「おまえが裳羽服津を離れて四年以上になる。今の状況が分からぬと困るのではないか」

それはそうだ。あかりはうなずいた。


「そなたからの文は水戸の殿で止まっておるので、俺らにも詳しいことが分からぬ。……こっちは家倖さまの事でな」

「では毒薬を仕込んだのは」

龍才はじっとあかりを見たあと、強くうなずいた。


「しかし結果は失敗だった」

裳羽服津衆の失敗は、水戸藩の失敗でもあり自身を危うくさせる。


失敗したしのびが許されるはずなかった。

「お、お咎めは?」


「俺は死ぬ覚悟だった。が、殿はお許しにならなかった。死んで詫びるなど許さぬ、生きて役にたってこそつぐないだと申されて。今のところ証拠が一切ないので、お殿さまも溜飲を下ろされたのだと思う。なにより……」


龍才は一息入れた。

「お殿さまは、強制隠居させられての」


「え?」


 水戸為昭みとなりあきが強制的に隠居させられたのは、過激なまでの尊王思想と下級藩士による軍事力の強化に幕府が驚異を抱いたからだった。


「だが、家倖さま暗殺はまだあきらめてはおられぬ」

「では、再度?」


「ああ。でも、わしらを使うのでなく他の方法を探しておいでじゃ」

「他の方法?」


「それは分からぬ。同じ方法では足がつく可能性もあると言われて…他藩の殿さまたちと相談されておるようだ」

「では裳羽服津のお役目はまだ決まっていないのですね」

「そうだ」

あかりは悲しそうな顔をした。


「本当に家倖さまの命をいただく必要があるのでしょうか。天真爛漫に過ごされているだけですのに……」

「それを決めるのは我らではない」


しのびに判断は必要ない。

それは分かっていた。


だが実際に見る家倖は子供のように純真で無垢な人間であった。命が助かったと知った時、あかりは心から嬉しかったのだ。


その家倖を殺す? お役目だから?

また胸に何かが詰まったような感覚が起こった。


「あかり」

龍才が優しく名を呼んだ。


「気にやむな。これは言わねばよかったな。俺は失敗ばかりしておる」


愛情を感じさせる龍才の声に、あかりは懐かしい暖かさを感じた。

あかりにとって家族は裳羽服津であり親方であり龍才だった。その近しい感覚は、安心感とホッとさせるものを持っていた。



「少し顔を見せてくれ」

龍才は蝋燭に火をつけ、あかりにかざした。


「なんと美しい。……本当の姫のようだ。いやそれ以上だ」

「もう夜ですから、化粧もとれておりましょう?」


本当は月島の好みに合わせて薄化粧にしていたのだが。


「いいや、とても美しいぞ、あかり。やはりそなたは、そうでなければ」

「何がそうでございますか」


あかりは笑った。

いつか龍才は、贅沢な御殿女中のようにならねば、とあかりに言った。


「これでは上様もご執心になれるはず……やはりあの噂は嘘だな」

「噂?」


「上様がおまえの他に心奪われている女性がいるとかいう話だ。おまえが上がる前の話であろう」

あかりは微笑んだ。


「いいえ。大奥はやはりすごい所です。綺麗な方が大勢おられます」

「本当か?信じられぬ」


「見目麗しい上に教養も高く歌舞の才も素晴らしいのです」

誇らしげに語るあかりに龍才は少し疑問を感じたが、嬉しそうな顔をしていたので安心した。


「顔見て少し安堵した。大奥は特殊な場所ゆえ、あかりがどうしておるかずっと気になっておったのだ。親方も口には出さぬが、おまえの事を恋しがっておる。サエや勘介も」


懐かしい名前はあかりの顔を緩めさせた。


「何か欲しいものはないか」


あかりはふるふると頭を振った。

龍才の顔を見られただけで十分だった。


「龍才さま、もう来ないで下さい。見つかったら命はありません」

「守りが手薄な道を」

見つけたので大丈夫、と言いかけた時だった。


何か悲鳴が聞こえた。


そして匂い。長つぼねの方からだ。


「あかりさま、火事です!」

山吹が駆けてきた。


御対面所棟の向こうから、白い煙がもうもうと立ちあがっていた。


「あれは、一の長つぼね!!」


月島たち御年寄の居所は一の長つぼねにあった。


「月島さまあ!」

あかりは駆け出した。


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