御年寄り
月の高い晩だった。
庭には そろそろ大輪の菊が咲きはじめ その香がほんの少し所々に落ちていた。
「顔をあげなされ」
万里小路に言われて 見上げた顔に皆は息を飲んだ。
妖気の漂う目許。
人形のような綺麗なアーモンド型の目の中に、どこを見ているか分からない泥眼が、輝いていた。
泥眼は、能の面で高貴な美女の眼の中を金泥で塗りつぶした状態のものである。
きちんと眼球があるのに、泥眼に見える妖気が女にはあった。
高い位置の眉は、そのままでスッと可愛らしく弧をえがき、薄い唇と細い首が人形のようで、ますます人離れしてみえた。
「靜山と申します。右も左も分からぬふつつか者でございます。どうぞよろしくお願いいたします」
「ほ……これは」
顔に似合わぬ 低く強い声に 年寄四人は我に返った。
なかなかと根性のある娘のようである。
ここ大奥では 御年寄というのは、役職であり 筆頭御年寄を頂点に、上臈年寄、御年寄、中年寄……となっている。
名前は老人風であるが、比較的若い人もなることが多かった。
しかし、大奥御年寄は 表向きの老中にも匹敵する権力をもっていたのである。
「ま、万里小路さま、靜山は月島さまの下ともう決まってしまったのですか」
月島以外の年寄たちは万里小路に詰め寄った。
名実とも大奥筆頭年寄である万里小路。
年は四十歳を少し過ぎた頃か。
上臈年寄の万里小路は、京都から御台所つまり将軍の正室に付き従ってきた公家の娘である。その御台所は数年前に他界していた。
「わたくしの所はこの間、中臈が病いで宿下がりしましたゆえ、是非、わたくしのもとへ靜山をお入れ願います」
しかし万里小路はきっぱりと言った。
「月島さんトコと もう決まってます。表にも部屋づきの報告はもうしました」
女たちは露骨にがっかりした。
将軍の目に止まる可能性が高い靜山を自分の部屋に入れたい思いは大きかった。
誰にでも将軍のお世継ぎの生母になれる可能性がまだ残っていたからだ。
正室は既に他界し、十数人の側室がいたが いずれも子供は早死にしてしまっていた。
唯一の男子・家倖は十七歳であったが、知的に障害があり、父親の家賢自身も次期後継者としての決定を決めかねていた。
「ああ、万里小路さまと月島さまにヤられた」
靜山が月島に連れられて出ていくと、村岡が声をあげた。
「月島さまは、そんなことやる性格ではないと思いますが」
おっとり系の美津波瀬が、苦笑いをした。
「分かりませぬぞ。第一 見ましたか? あの美貌」
「ええ。あれは尋常ではござりませぬ?一体 誰の……」
さしがねなのか、と言葉を飲み込んだのは、三人目の年寄・夏川。
「いずれにしても、何か起こりそうな予感がいたします」
「気を引き締めていかねば」
その後で、美津波瀬がくくっと笑った。
「しかし、一見の価値はありましたわね」
「え?」
「月島さまと 靜山の連れ姿。まさ牡丹と芍薬のようで。悔しいですが、お似合いでしたわ」
「確かに」
村岡と夏川は 二人の姿を反芻した。
月島はかつて「大奥随一の華」と呼ばれていたのである。
なのに、将軍・家賢の寵愛をさほど受けることが無かったのは 〝変人〟 だったからと もっぱらの噂であった。
随一の美貌とは裏腹に、月島は女として磨きをかけるより 何か妖しげな書物を読んだり、仏閣に日参したりと、おかしなモノに執着を持っていた。
華美な衣装や道具をしつらえる決まりを守らず(一応将軍のお手つきだったので皆もキツく言えず)、
出入りの業者と懇意になることもなく(けど趣味にはうるさい)、
噂や権力にも興味を示さなかった。
それでも、ずば抜けた知性は大奥では貴重がられキャリアを重ねていったのである。
「我々三人としては、月島さまお預かりということでは 今回は痛みわけ、ということでございますな」
美津波瀬は、静かに笑った