新たな打診
それから数年がたった。
雲才を凌ぐ知識と薬剤の在庫を持つ事になったあかりは、一族では女医師として認められるようになっていた。
反面の悩みは、年頃になり美しさに磨きがかかってきた事であった。
尊敬を集めるのに淫靡なる美しさは大きな障害だったからだ。
薬草を探して山を歩く姿を見て妖術を使うのだ、などと言うものもあった。
一部の者からは炎才や龍才が親子共々あかりに骨抜きにされているのではないか、という噂もたっていた。
炎才を悩ますそんな事態に、朗報とも言える使者がやってきたのは、暖かい春風ふく菜の花の咲く季節のことであった。
「この間、お城からのご使者が来ての」
龍才とあかりを目の前に炎才は口を開いた。
「裳羽服津衆から頭のよい美しい娘の隠密が欲しいと言われたのだ」
「何ゆえにござりますか」
龍才はあかりに該当する話なのだと推測した。
「今は詳しいことは言えんが、いずれは江戸城大奥に御殿女中として入りこむためだ」
「ご、御殿女中!江戸城大奥に?」
あかりと龍才は顔を見合わせた。
「そ、それで、あかりをそのお役目へ?」
「そうだ」
めずらしく炎才はキセルを口に持っていった。
すぅっと吸い込み、しばらく待って、ふぅ~と煙を吐いた。
「だが、その任務は何人かの候補を立て最終的にひとりだけが選ばれる。お城での検分や、武家の娘としての修練が終わった後、一番相応しいものを選ぶのだそうだ」
「ではあかりが大奥に行くと決まった訳ではないのだな」
「まあ、そうだが…」
炎才は少し口調を濁した。
「わしとしては、あかりに行ってもらいたい、と思っておる」
キセルの中の灰を落とすため、囲炉裏のふちをカンカンと叩いた。
「今、村であかりの存在がどう言われているか、分かるな」
その言葉にハッと顔をあげたあかりは、しばらくして「はい」と答えた。
「それは村の連中の勝手な言い草だ。あいつらあかりに助けてもらったクセに、妖女だの何だのとバカなことを言いやがって……そんなやつら放っておけばいいんだ!」
「龍才!」
「だって、そうだろ親父!あかりは」
「いい加減にしないか」
切れあがった眼がキッと龍才を睨んだ。
「裳羽服津衆は、お城の殿からずっと過分な期待をかけていただいておるのだ。今度のお役目は天下の大事業ぞ。藩とて伸るか反るかの大博打なのだ。
もし我々がしくじれば我が藩はタダでは済むまい。それほどのお役目なのだ。それを……その栄誉を殿は我々に与えてくださったのだ。なのにおまえは何というたわけた事を言うのか」
「申し訳ありません」
龍才は打たれたように頭を下げた。
「あかり、今言ったことは本当なのだ。お城の殿さまは、今のお上では決して世情がよくならんと思われておる。実権を握っている大御所さまは大奥に何十人も妾を囲い浪費し、その側女一派が世事を牛耳っておる。
一方地方では、庶民の暮らしは厳しく一揆や飢饉も起こっておるのにだ。他にも度々不穏な外国船が近海に出没しているとの話しもあるのだ。このままではいかん、放っておけん、と御三家の殿は立ちあがろうとされておるのだ」
「そんな重大なお話とわたしの大奥での御殿勤めに何が関係あるのです?」
「詳しいことはまだ言えぬが…大奥の威力をおまえは知らんのだ」
「…………」
「大奥は将軍や表の人事さえも動かす大きな権力を握っておるのだ。大奥がすべての実権を握っておるとは言えぬが、政治の重要な要素であることは確かなのだ。時期将軍に関わる場所でもある。
ただ、あまりにも謎に包まれた場所ゆえ何人か息のかかった者を送り込み、状況を知りたい、と思われておる」
衝撃的な内容にあかりと龍才はしばらく口がきけなかった。
腐敗政治。
御三家の反乱。
外国船の渡来。
五里霧中の大奥。
「とにかく、大奥へ入ったら何が起こるか分からん。だから、これは誰にでも出来るお役目ではないのだ。……あかり、おまえにしか出来ないお役目である、とわしは思っておる」
炎才の目に愛しい光が宿ったようにあかりは思えた。
強い信頼感を感じた。
そうだ。
親方には十五の時よりずっと恩義を受けている。
三五郎の件もおさめてくれた。
薬草の勉強も、お金だって沢山かけてくれたのだ。
何より炎才が、折々にかけてくれた声の暖かさをあかりはちゃんと覚えていた。
そのようなことずっと見守っていてくれなければ出来るものではない。
それに
大きな世界に出ていける。
この小さな村から出て江戸、それも江戸城に行くのだ。
十八の娘には胸高鳴る出来事であるのは間違いなかった。
あかりは役目を果たす決意をした。
「龍才、嫁を取れ」
あかりが出て行った後、炎才は龍才に静かに言った。
心外な顔をして龍才は父を見上げた。
「おまえも、もう二十二だ。結婚してもいい年だ」
「ですが…」
「弓才のトコのアヤはどうだ?」
今年十七になるアヤは又従妹にあたるおとなしく素朴な少女であった。
その無口さは忍びの女房としては相応しいものであったが、何につけても普通であった。
「もう少し頭のいい娘でないと跡取りの内儀は務まらぬ」
「そんなに悪い訳ではなかろう。あんなものだ。そのうち機転が効くようになってくる。女は年月がたつにつれ自覚がめばえしっかりしてくるのだ。おまえの母親もそうであったぞ」
「俺は元から頭のいい女が好きだ」
「おまえの好みなど聞いておらん。とにかく結婚するのだ。
よいか、あかりはもうおまえの手の届かないところに行く。あきらめるんだ、どうせ結ばれぬ運命だ」
龍才は狼狽したような悲しいような顔をして黙った。
どうして。
何千回と唱えた呪文。
こんなに愛しいのに。
こんなに間近にいたのに。
あかりしか見ていなかったのに。
ああ、やはり、あの時一緒に駆け落ちしてしまえばよかったのだ。
誰も知らない場所へ……
あかり……