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融合する粒子

 月島は夢を見ていた。


赤い血が飛び散るのを。

真っ赤な血を浴びた狂気の形相の父の姿。


恐ろしくて、必死に声を上げ逃げようとし

「はっ!」

目が覚めた。


胸がまだどきどきと鳴っていた。


「お気がつかれましたか」

やさしい天女が微笑んでいた。靜山だった。


「わたくしは、どうした?」

「詰所でお倒れになったのです。覚えておいでですか?」


「……ああ」

そうだ老中の土井と水野の対立意見書。


大奥から上様にとりなして欲しいと来た使者が鉢合わせしてしまったのだ。


「あまりにも無礼です」

靜山は思い出した怒りのため語気を荒げた。

使者は我が我がと月島に嘆願を迫り、その露骨な身勝手さに月島は使者が帰った後倒れてしまった。


「皆、保身のことしか考えぬのだ」

「ご心痛をお察し申し上げます」


「職務ゆえ仕方ない」

気づくと部屋はもう真っ暗で、夜半のようである。


「そなたが付いていてくれたのか?墨越はどうした?」

「墨越さまはお風邪気味でして。あの、墨越さまをお責めにならないでください。わたくしが無理を言っておそばに居させてもらったのです」


月島はわかった、といった顔をしてから、額にあててあった濡れてぬぐいを取り、身を起こした。靜山は、少しほっとしたような顔で水を取りに行った。


大奥の医者の見立てはいい加減だったので、靜山は自分で処方した心労を少なくする薬を、医者からの処方だと言って月島に飲ませた。


「うなされておいででしたが……」

薬を飲むと月島は少し落ち着いたようだった。


「悪い夢をみた」

月島は手で額をおさえた。 

髪がはらはらと肩をすべりおりる。


「色々と思い出したのだ」

そのまま月島は沈黙をした。


「そなた……人をあやめたことがあるか?」


思いもかけない月島の言葉に、靜山は息をのんだ。

「いや、そなたにそのようなことあるはずないの」

苦笑気味に笑った。


「月島さま」

「ここ大奥は、分からぬ理由でよく人が死ぬ」


下を向いたまま月島は何かを思い出しているようだった。


「その原因は色々だ。もともと体や心の弱かった者もいるし、心労が多く耐えられなかった者、妬みや呪いで死んだ者、色々とおる」


しばらく間があいた。


「もちろん実際に殺された者もいる。……わたくしが年寄になるまで色んなことがあった。事実わたしの手もきれいとは言わぬ。じゃが、少しでもそういったことが無くなるように、どうしたらいいのかずっと考えておるのだが……未だにに分からぬ」


「そのためにあんなに勉強をされていたのですか」


「いいや。大奥だけをどうこうという話でなく、わたくし自身がどう生きていったらいいのか知りたかったからじゃ。人間は生きていくのに基盤が必要だと思わぬかえ?」


「基盤?信じる道ということでしょうか」

「そうじゃ。そなたは神や仏を信じておるのか?」


そう聞かれて靜山は、答えられなかった。


育ってきたのは、修験道、山岳信仰が強い地域だった。

だが寺もあり、それぞれの行事に参加していた。

どちらの存在も敬い、加護を得んが為、熱心にお参りをする里だった。



「わたくしの地元では神も仏もそれぞれに敬う地域でありましたが……それが生きていく基盤になっているかどうかは不明です。


願を掛け、ご利益を得る方法は色々と確立されてきたかもしれませんが、どう生きていっていいのか、は分かりませぬ。分からないときは知恵者や和尚様にお聞きしておりました」


「そなた、その答えに納得できたのか」

少し非難めいた口調で月島は揶揄した。


「納得できたものも、納得出来なかったものもございます。納得出来ないのはわたくしが浅はかだから、と思っておりましたが」


そう言いつつ靜山は、一方で答えを探してもいた。


「そなたが浅はかかどうかは問題ではない。その知恵者が、どこからその生きる方法を編み出したのかが問題なのじゃ。和尚なら、仏の道であろう。知恵者なら儒教や国学など学問からであろう。果たしてそれは正しいのか。


わたくしは疑り深い。だから自分で色々な道を勉強したが、実際的にどれもまだ使えぬのじゃ。わたくしが愚かであるからだろうか」


靜山は息をのんだ。

月島の真剣なまなざしに青い光を見たからだ。


「わたくしよりずっと賢くいらっしゃる月島さまに何を言うことができましょう。……ですが、わたくしに二つだけ分かったことがございます」


斜め下から見上げた靜山の目。

碧く濡れた瞳孔が光った。


「それは何じゃ?」

「月島さまは答えを見つけるのが、すでに道となっておられることです。愚かなのではなく、答えがあるかどうかも分からないものを追求することは道のような気がいたします。


そして、もうひとつは


頭で考えすぎだと思います」


月島はハトが豆鉄砲をくらったような顔をした。

思いもよらない答えであった。


「いえ、考えるのは道として当然でございます。ただ、心で感じることも必要なのではないでしょうか」

「…………」

「手を」

靜山が両手を出して手の平を上に向けた。


「わたくしの手に月島さまの手をお載せください」


言われたままに従った。

そのままやわらかな手がふんわりと月島の手を握った。

暖かなものがなだれこんできて、どこまでが自分のものか分からなくなる。


自分の細かな粒子と、相手の繊細な粒子が交じり合う感覚。

その粒子は月光のようなものであったろうか。


「何か感じませぬか」

「ふわ、と暖かいものを感じる」

「わたくしもです」

靜山の心臓の音と同時に、月島の胸は弾み、二人で共鳴しているようだった。


それは今まで二人が生きてきて受けた傷だったのかもしれない。

嬉しさだったのかもしれない

圧倒的な誇らしさだったのかもしれない


誰にも理解されない孤独だったのかもしれない。

不思議な満足感がふたりを満たした。


「ずっとおそばいたいのです」

「…………」

月島は靜山の手をぎゅっと握りしめた。


「そなたとは何かが似ている」

「……恐らく」

月島は腕を伸ばすと靜山と静かに抱き合った。


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