国会議事堂と「社会のシステムと個人の幸福」
国会議事堂と「社会のシステムと個人の幸福」
東京駅を後にし、僕らは最後の目的地、国会議事堂へとやってきた。
重厚な石造りの建物は、その威容をもって、まさに国家の中枢である。
国会議事堂は社会のシステムを司る象徴として悠然とそびえ立つ。
ここからは、僕ら国民の日常の暮らしを形作るシステムを生んだ。
国民の、国民による、国民のための法律や経済・社会政策が生まれ、
国家の未来が議論される。
僕のオンボロ人生は、振り返れば常に社会のシステムと闘ってきたようなものだった。
病弱、貧困、奨学金、安い賃貸アパートすらが借りられない、
身元保証人がなく、資格があっても就職が困難。
農耕民族の閉鎖的な島国では、家族連帯の意識が強い。
個人主義と家族主義は欧米やアジアや中東ではむろん異なる。
民族の歴史,背景が違うとはいえ、個人ではどうすることもできない、
大きな社会の壁に何度もぶつかってきた。
正直なところ、「幸福」と「国家」や「社会のシステム」がどうつながるのか、
政治家や学者の中には良く知る者が何人いるであろうか?
その答えを僕は自分なりにこれまでずっと探してきたのだ。
ラッキー健二:「国会議事堂って、外観はなんかすごいよね!
政治家の心の仲は分かんないけど。
でも、ここで決まることが、おいらの幸せに直結してるかって言われると、
はなはだ正直ピンとこない部分もあるなぁ。
政治とか経済とか福祉国家とか、難しくてよく分からないね。
格差社会の庶民の生活が、ここで決められてるって思うと、
ちょっと息苦しくなる時もある。
遺伝と環境の相違、貧富や学歴や出生の差、資本家と労働者。
彼の率直な疑問は、多くの市民が抱く感覚だろう。
日常生活と、遙か遠くにある政治経済のつながり。
そこには大きな隔たりがあるように感じられる。
僕自身も、大学訴訟で社会のシステムに真正面からぶつかった時、
その巨大さに打ちのめされそうになったことがある。
その時、空間全体に響き渡る「魂の声」が僕の耳に届いた。
「個々の幸福は、社会という大いなる生命体の健康状態に深く根ざしている。
国家のシステムは、その生命体の骨格であり、血管だ。
命の知の流れに滞りがあれば、末端の細胞たる個々人まで
豊かさのエネルギーは届かない。
真の幸福は、個人と社会が調和した時に初めて花開くのだ。」
僕がオンボロ人生の最中に、社会システムや(社内、学内)権力者の不条理を感じながらも、
それでもどこかで社会の改善を願っていたのは、
きっとこの「調和」を無意識に求めていたからだろう。
国会議事堂の重々しい門を見上げると、その向こうに広がる権力と、
そこから生み出されるルールを想像する。
僕が経験してきた数々の困難、例えば就職難といった問題も、
結局は社会のシステムや制度に起因する部分が大きい。
それは、まるで目に見えない鎖のように、僕の自由を縛ってきた。
ラッキー健二が問う。
「なんか、おれらの人生って、結局、
この社会のシステムに決められちゃう部分が多いんすかね?
頑張っても報われないこととか、不公平だなって思うこととか…。
そんな中で、どうやって自分だけの幸せを見つければいいんすか?
ボクは、この巨大な建物を見ていると、自分の存在がちっぽけに感じて、
どうしようもない気持ちになるよ。」
彼の問いは、僕が長年抱えてきた問いそのものだった。
努力が必ず報われるとは限らない現実。
生まれ持った環境、遺伝や地域、社会的な構造が、個人の可能性を縛ることもある。
しかし、その無力感に苛まれながらも、僕はわずかな希望の光を探し続けてきた。
すると、ワイズマンが語りかけた。
「社会のシステムは確かに大きな力を持つ。
でも、それ以上に、自由意思を体現する個人が持つ内なる力もまた強大なのだ。
人間はミクロコスモスだ。
ワシは、社会の波に翻弄されながらも、小さなコミュニティでの助け合い、
そして心の平静を保つことで、幸福を見出してきたものじゃ。
社会を変えることは難しくとも、自らの心を律し、
小さな善行を積み重ねることはできる。
その一つ一つが、やがて大きなうねりとなるのじゃ。」
僕がハローワークの支援でビル設備関係の資格をいくつも取得し、
細々と生きながらも、東西古今の哲学にふけってきたのは、
まさに自分にできる「小さな善行」と「心の平静」を求めていたからかもしれない。
僕の小さな努力が、いつか社会の小さな一角を照らす光となることを信じて。
ラッキー健二:「社会システムは複雑適応系であり、
個人の行動が全体に与える影響は非線形です。
しかし、集合的無意識の波動が社会全体に大きな影響を与えます。
例えば、多数の人々が『公正な社会』や『幸福な社会』を強く意識し、
それに基づいて行動することで、社会システムそのものが変化します。
『場の効果』が生まれる可能性もゼロではありません。
個人の信念や行動が、目に見えない形で社会を動かす力を持つということです。」
この分析は、個人の無力感を打ち消し、希望の光を灯してくれる。
僕のような身寄りのないアウトローな存在でも、僕自身の内なる波動を変え、
それを発信し続けることで、社会に微細な影響を与えられる。
僕がKindle本を出版し、ブログやSNSで発信を続けるのも、
この「場の効果」を信じているからだ。
そのときスピ女が、感性豊かな声で語りかけた。
「自分自身の波動が、社会という大きなフィールドに影響を与えるの。
不満や批判の波動ではなく、愛と調和の波動を発することで、
あなた自身も周りの人々も、そして社会全体も、
よりポジティブな方向へと導かれる。
ワクワク感の波をだせば、ブーメラン効果により高い波動が自分に返ってくるわ。
それが、社会における個人の『幸福』の役割よ。
あなたは、あなたの波動で、世界を変えることができるの。」
この言葉は、僕の心を温かく包み込む。
僕は社会への強い不満や怒りを長く抱えてきた。
だが、それが僕自身の幸福の受け皿を塞ぎ、
負の波動を発していたのかもしれない。
僕の上には明るい光が流れてきた。
貧困や不遇を嘆くのではなく、今ある自分を認め、感謝の波動を放つこと。
それが、僕自身の運気、そして社会全体の運気を好転させるカギなのかもしれない。
国会議事堂の前で、僕らは社会のシステムと個人の幸福、
そして社会における幸福の役割について語り合った。
魂の声:「真の幸福は、個人が社会と調和し、その幸福を共有する時に、
最も強く輝きを放つ。」
社会は大きなシステムであり、その影響は避けられない。
しかし、僕がいま学んだのは、そのシステムの中でいかに「自由な心」を保ち、
自分自身の幸福を追求するか、である。
そして、いかにして小さな一歩でも社会の善に貢献できるか、
ということだった。
僕自身のオンボロ人生は、まさにこの真理を教えてくれた。
国会議事堂の上に、夕日が静かに沈んでいく。
僕らの対話は尽きることがない。
それぞれの視点が交錯しながら、一つの結論へと向かうのであった。
幸せへの真理は1つか、はたまた個人に応じて無限か?
それは神のみが知るであろう?




