令嬢は修道院に追放された。
「マーシー・ハートマン。そなたとの婚約は破棄する。そなたは私のライアを昏倒させ、怪我を負わせた。そなたのような女は、私の妃に相応しくない」
王城の奥、王族の応接の間で。真剣な顔をした王子から婚約破棄を伝えられて、マーシーは少し考えた。
ライアとは、どのご令嬢だろうか。思い当たることが多すぎて、一人にしぼりきれない。
マーシーが記憶をさらっていると、王子はさらに言葉を継いだ。
「そなたの身はグレイシャー修道院に送る」
グレイシャー修道院は国の最北端に位置する。とても厳しい環境ととても厳しい戒律で、近年とみに有名な修道院だった。
「神の前で己がしたことを省み、生涯を過ごすが良い」
「……。御意」
マーシーは礼の姿勢をとったまま、そっと気がつかれないように王子を見て、次に、奥に座す王を見た。
王子は居丈高にふんぞり返っていた。王は複雑そうな顔で、しかし万事把握しているというように頷いた。
それでマーシーは理解した。
王もすべてわかっているのだ。
マーシーは王子の婚約者だった。
国の北東部、大領地を治めるハートマン公爵家の長女で、幼い頃に婚約者に据えられた。
公爵家は豊かで、麾下にたくさんの貴族家や魔術師を抱え、国内でも有数の権勢を誇っていた。公爵家が王家に従い王子の後ろ盾となることを求められての、政略的婚約だった。
幼い頃の王子とマーシーはそう仲悪くもなかったのだが、王子が十歳を越えた頃には、もう先行き怪しくなっていた。
王子はまず、勝手に婚約者を決めた親たる国王に反発するようになった。ひいては、国王が決めた婚約者たるマーシーなど認めないと、マーシー本人を前にあからさまに示すようになった。
次に、王子はマーシー自身にも不満を持つようになった。異性に興味関心を向ける年齢になって、そこで初めてマーシーの容姿が王子の好みではないと判明したのである。
王子とマーシーの仲はどんどん悪化した。
一方で、マーシーが王子の婚約者になったことで、実家であるハートマン公爵家はさらに多くの貴族家と関わりを持つことになった。
表立っては敵対していない他家が、水面下では王子自身に接触したり、公爵家の寄子である貴族たちを離反させようとしたり。
マーシーの婚約以降、そうした事態に対処しなければならないことを見越して、公爵家では人の充実を図っていた。が、信頼する主従とは一朝一夕に成るものでもなく人材の不足は深刻で、公爵は娘のマーシーに寄子の貴族家の引き締めを頼むほどだった。
同時期、王子との間は取り繕いようもないほど険悪になり、周囲の大人たちは王子とマーシーに一度距離を取らせたほうが良い、と判断した。その後、マーシーは転移魔術で都と領地を行き来する二拠点生活になっていたのだが……ここに来て、ついに婚約破棄である。
予測されたこととはいえ、マーシーはそっと息を吐いた。
夕刻。グレイシャー修道院の院長室にて。
「マーシー様。王子から当修道院への追放処分を受けたってまじですか」
グレイシャー修道院の院長から呆れたように問われて、マーシーは肯定した。
「ええ」
「王子って、私でも……いえ誰でも務まりそうですね」
グレイシャー修道院の院長がなんだか確信を持ってそう言うので、ソファーの向かいで相対していたマーシーはうっかり肯定しかけた。こほんと咳払いする。
「……殿下は八つ当たりする以外、わたくしに興味がなかったし、公爵家に関する事柄には、わたくし、名を出さないようにしていたから。きっと殿下は知らなかったのよ」
「知っていて、あえて当修道院にマーシー様の追放を決めたならともかく、そうでないあたりとんだ道化ですよ。貴族なら、誰でも知っていておかしくないことだと思うんですけど」
「まあ、そうかもしれないわね」
実際、少し目端のきく当主ならば、簡単にわかることだっただろう。
「このグレイシャー修道院が、ハートマン公爵家の寄子であるフロンティア子爵家の領地にあって、しかも修道院を立て直したのがマーシー様だってこと」
肩をすくめた院長に、
「そうね」
マーシーは頷いた。
「以前のここは……北涯の森の魔獣に踏みにじられて壊廃しかけていましたが」
しみじみと言う院長に、マーシーも深く共感する。マーシーが初めてこのグレイシャー修道院を見たとき、壁には魔獣の爪痕が残り、鐘楼は半壊していた。
「マーシー様が来られてから!修道院は補修され、生まれ変わりました。マーシー様が徹底された厳しい規律とシゴキあげで、私たちは魔獣を叩き潰し、殲滅できるまでになりました。戦う術を持たなかった私たちは、マーシー様のおかげで皆、一騎当千の武僧と称賛されるまでになりました。マーシー様の指揮の下、グレイシャーの名は北の大盾として国内外に広く知られるようになりました!すべて、すべてマーシー様のお力によるものです!!なのに……なのに……それを、この国の王子が知らないなど!!!」
喋っている間に怒りがこみあげたのか、ヒートアップする院長。
「少し落ち着きなさいな、院長。父上……ハートマン公爵から頼まれなければ、きっとわたくし自身も、ここに関わることもなかったし知らないままだったと思うもの。まして、都人は国の末端のことなど気にとめないもの、しかたないわ」
寄子のフロンティア子爵から魔獣被害の窮状が訴えられて、十分な人員がいなかった寄親のハートマン公爵家では、この対応を長女のマーシーに割り振った。
王子の婚約者として多忙ながら、王子妃の教育を受け、王城の最高位魔術師たちに師事していたマーシーは、魔獣に対処するための知恵と実力とを十分に持っていた。
公爵からの指示で携わった案件ゆえに、修道院の立て直しなど、マーシーは行動の一切に己の名を出さず、すべてをハートマン公爵家の名で行った。
結果、グレイシャー修道院の名は轟いたが、それを行ったマーシーの名はほとんど知られていない。
「グレイシャー修道院を育て上げたマーシー様を、グレイシャー修道院送りにするとか。王子は何とち狂ったんですかね」
やれやれ、と言わんばかりの院長の様子に、マーシーは苦笑した。
たぶん、王子は修道院送りが罰になると考えたのだと思う。ならないけど。
なにしろ、ここはマーシーが鍛え上げた第二の故郷のようなものだから。
とは口に出さず、マーシーはフォローした。
「国王陛下はちゃんとわかってらしたわよ。一日に何度も転移魔術でこちらと王城を往復して疲れきっているわたくしを、二拠点生活と王子から解放してくださる心づもりで、殿下の言うことを否定なさらなかったのよ」
はたして、このマーシーの想定は正しく、後日には王から直接、王子を新たな婚約者もろとも離宮に幽閉したこと、マーシーを王子の処分をめぐるゴタゴタに巻きこまないためにあえてそのまま遠ざけたこと、これまでの謝罪とねぎらいに、心を尽くした言葉と財貨がたっぷりと送られてきた。
「マーシー様。言っておきますけどね。これで王までイカレてたら、修道院一同、国外逃亡してます」
「あら、良かったわ。逃げずにいてくれて。あなたたちがいなければ、魔獣の浸透は防ぎきれないのだから」
マーシーの評価に、院長はにこりとする。
「しっかし、そのことを王子が理解していないというのは本当に酷い話ですよ。マーシー様が、王子に呼ばれてるからって今朝グレイシャーから転移していって、ついさっき「ただいまー」って転移で戻ってきたときには、いつものことだと思ってましたけど、まさかグレイシャー送りとはね」
院長は、納得できないとばかりに暗黒面全開でぶつぶつと王子を罵り始めた。だんだんと聞くに堪えない感じになってきたので、マーシーは途中で止めることにした。
「でも、院長。わたくしにも悪いところはあったから、殿下の気持ちも少しはわかるのよ」
「マーシー様に、悪いところなどひとつもありませんが?」
院長を筆頭に、グレイシャー修道院の人は皆、マーシー様至上主義なところがある。
「院長は何度か見ているから知っているでしょう?魔獣と戦っているときに呼び出しを受けて王城に転移して、それを一日に何回も。わたくし、そんなにすぐに切り換えられるときばかりではなかったのよ。返り血はきれいにしていたけど、間違って殿下に殺気を飛ばしたときもあったし、戦場の意識のまま、他のご令嬢にきつく当たったときもあった。だから、わたくしも反省する点はあったの」
マーシーの殺気を受けて、王子は腰を抜かしていたし、ご令嬢たちは震えあがり失神していた。
婚約破棄のときに王子が言っていた、「私のライア」がどのご令嬢かマーシーは知らなかったが、たぶん意図せず失神させてしまったご令嬢たちのうちの一人だろうと考えていた。おそらく失神時に昏倒して、怪我させてしまったに違いない。
マーシーも毎回、倒れるご令嬢が怪我しないよう支えようとはしていたのだが、支え損ねることもよくあったのだ。主に、ご令嬢がたのドレスがかさばりすぎるせいで。
そのあたり、マーシーは自身の未熟と思っていた。
しかし、院長はそうは思えなかったようで、
「そんなの、マーシー様が反省することではありませんでしょう。悪いのは、日に何度も!大した用件でもないのに!!タイミング悪く!!!呼びつける王子です!!!!」
王子をバッサリだ。
「ふふ。擁護してくれてありがとう院長、嬉しいわ。わたくし、しばらくここでのんびりするから、あなたたちには甘えさせてもらうわね。よろしく」
「マーシー様!光栄です!」
そんな感極まった様子の院長に、マーシーは微笑ましい気分になったものだが。
「マーシー様!せっかくのご滞在ですから、我々、マーシー様からまた厳しい御指導をいただきたいです!」
と皆から請われて苛酷な訓練を課してみれば、次には、
「せっかくマーシー様に鍛えていただいたのですから、どれほど力がついたのか、どこかで確かめてみたいですね」
と声があがり、必然、
「院長!せっかくですから我らグレイシャー修道院の総力をもって、王子の離宮を攻め落とすのはどうでしょうか!殴りこみじゃー!!チェストーーー!!!」
「さすが副院長、すばらしい提案ですね!ちょうど良い腕試しだと思います!マーシー様、どうか御許可を!」
などという流れになって一悶着あるのは、まだ少し先の話である。
なお、王子の婚約破棄宣言を伝え聞いて。
フロンティア子爵家の当主は思った。
『アホだ……アホがいる……』
ハートマン公爵家の嫡男にしてマーシーの兄、次期当主は思った。
『駄目だこいつ……早くなんとかしないと……』
お読みいただきありがとうございました。