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みちくさ

女性が活躍する社会

作者: 斎木伯彦

※尚、当該ページにおきましては、特定の個人団体や関係者を誹謗中傷する意図は全くありません。関係者等が『侮辱』『中傷』とお受け取りになるとすれば、残念です。

 歴史作家の大家である塩野先生が、女性が自立するのに必要な心構えを手厳しく指摘しておられました。

 私は首肯する部分も多かったのですが、世の女性の皆さんには耳に痛い部分もあるかと思います。現にネット上では批判したり否定する女性も散見しました。

 塩野先生の提言をザックリまとめると以下の通りです。

・女性活躍が言われて80年経過しても実現しないのは、女性の側にも責任がある。

・仕事をする時は、男にでもなった気持ちで取り組む。

・私生活では徹底的に女になる。


 要するに均衡の取れた生活を維持するようにとのことでしょう。これは男女問わず、重要なことです。

 西洋占星術では十以上の感受点の位置や角度で個々人の資質、運命的な推移などを導き出すのですが、それぞれの感受点には役割があります。

 大雑把に分けると、太陽、火星、木星、土星、冥王星は男性的な働きを、月、水星、金星、天王星、海王星は女性的な働きを持っています。

 特に火星と金星は男女を表現する中心的な役割があります。

 火星は闘争心や競争などを司り、金星は芸術や芸能などを司ります。

 社会全体は木星と土星の領分ですが、会社勤めは競争社会ですから火星の領分になります。ですので私生活では金星の領分である芸術や芸能の世界を堪能するのが良いでしょう。

 仕事中はバリバリ働き、家に帰れば料理をしたり、美術品や音楽を鑑賞してゆったりと過ごすなどのメリハリの効いた生活を送れば、精神的な均衡を保ち、社会生活全般が潤いのある豊かな生活に改善されるはずです。

 但しこれらの事柄は一般的な傾向と対策ですので、実際には本人の感受点同士の位置関係を把握した上で、最も効率的な方法を採るのが本来の形になります。

 誰かの習慣や主義が、他の誰かの習慣や主義と合致する事例は偶然です。それを如実に表わしているのが仏教の宗派にあります。それぞれが合う方法で悟りに至れるように、修行方法が分派しているのです。


 各自に見合った修行方法があるのと同様、各自に見合った生活習慣、それぞれの家庭の形があります。一元的かつ一方的に決め付けられるものではありません。

 ある家庭が亭主関白で円満に治まっていたとしても、別の家庭ではかかあ天下の方が収まりの良い場合もあります。同じく、専業主婦で良い家庭と夫婦共働きが良い家庭の違いもあります。

 それぞれの家庭の形を認め、優劣を付けない社会こそが多様性を認める社会でしょう。

 誰かの提案や提言を否定しかしないような狭量な人物にはなりたくないものです。

 物事の判断基準は「それで国民が幸せになれるのか?」と問い質した、昭和天皇の御心に適う基準でしょう。


 さて、それでは我が国の女性が活躍する歴史について俯瞰してみましょう。

 言わずもがな、我が国の最高神は天照大神という女神です。いきなり女性が頂点に君臨しています。

 三韓征伐を実行した神功皇后も女性ですが、歴史学会は彼女の事績を消す努力を費やしています。明治政府では紙幣の肖像画にもなりました。

 推古天皇は皇統譜では初めての女帝です。甥の聖徳太子を摂政にして、大きな改革を推進しました。我が国には十代八人の女帝が存在します。

 紫式部と清少納言は女流作家の先駆けと言って過言ではありません。同じ時代の世界史では女性の著作者を見出すのは困難な状況です。

 尼将軍と呼ばれたのは北条政子。彼女は夫の源頼朝を支え、創業期の鎌倉幕府を支えました。

 武士の台頭と共に女性の活躍も増えます。平安時代の末期以降からは木曽義仲の元の巴御前を嚆矢として女侍の活躍も散見されます。

 大河ドラマにもなった井伊直虎、その主君筋の今川家では今川義元の生母が女城主として活躍していました。

 また豊臣秀吉の創業を支えた高台院、加賀前田家を支えた芳春院、江戸幕府の三代目家光を庇護した春日局などなど、戦乱の世であっても女性は大活躍しています。

 しかし江戸幕府は儒教を採用してしまったが為に、女性の行動を制限する社会になってしまいました。これは儒教の本場である中国や朝鮮半島を見れば明らかなのですが、社会的に活躍した女性はほぼおりません。いてもかなり悪辣な女傑として描かれています。

 その江戸幕府が倒れ、御一新の後は再び活躍する女性が増えて参ります。

 女性の社会進出を促したのは平塚雷鳥ですが、職業婦人と呼ばれる女性が増えるのは大正時代まで待つ必要があります。戦前は選挙権のなかった女性たちですが、その選挙運動を支えたのは多くの女性でした。男性は帰宅してから妻に「誰に投票したらいい?」と尋ねたという話もあるぐらいです。

 こうして女性の社会進出が広がり、戦後は選挙権も与えられ衆議院選挙では初の女性代議士が当選するなど女性の活躍の幅が広がります。昭和の中頃ではウーマンリブ運動が欧米から押し寄せて、更に活躍する女性が増えました。

 マドンナ旋風と呼ばれたのは社会党党首の土井たか子女史が空前の女性代議士を当選させる原動力になった事例です。

 こうして昭和では男女雇用機会均等法などの法令整備が進み、男女共用参画社会基本法の制定まで進んだのが平成年間です。

 あれから二十五年、女性の社会進出はどうなったでしょうか?

 前世紀末までには建設業や警備業などの肉体労働の分野にも女性は進出していました。ところが現在、これらの肉体労働分野で活躍する女性は希有な存在となっています。

 逆に、かつては女性の独壇場であった保育士や看護師への男性採用が増えています。

 こうした事態を踏まえて塩野先生は「女性にも責任がある」と仰っているのでしょう。

 男女の区別なく職業選択の自由が大きく開放され、男性は新しい分野へ飛び込んでいます。女性は先人が切り拓いた狭い道を後続することなく閉ざす寸前にまで至っています。

 この事態を表わす好例が我が県にありますので、紹介しましょう。


 とある運送会社では男女の従業員数がほぼ同数でした。

 ところが配送業務の中で男女差別が横行してしまいます。

 重たい荷物は主に男性が運び、軽い荷物は女性に割り振られるのです。会社側の配慮でもあったのですが、この事態に男性従業員は不満を高めます。

 「男女平等なのだから、重たい荷物を女性も運ぶのが当然だ。改善されないなら辞める」とまでなったそうです。

 そこで運送会社の社長は頭を悩ませますが、社長夫人が一計を案じて事態の打開を図りました。

 「女性従業員は全員辞職させる」

 こうして運送会社の配送業務は男性従業員が務め、それまで勤めていた女性従業員は社長夫人が新しく起ち上げた別の企業に移籍しました。

 その別の企業ではダンプカーで建設資材を運ぶ業務を行い、女性のみの運送会社として注目を集めました。

 男女平等は確かに重要です。この運送会社では賃金体系も男女平等でした。ところが実際の労働では男性側の負担が大きく、不平等な結果になってしまったのです。

 理想と現実は違います。

 真の男女平等を受け入れ、肉体労働も辞さない覚悟が女性に求められる時代になりました。

 我が県は伝統的に夫婦共働き世帯が多く、結婚後も普通に女性が会社勤めをしています。

 また農家では女性も貴重な労働力ですから、幼少時より肉体労働になれている分だけ、職業選択の幅が広いのでしょう。

 都会で甘やかされて育ったお嬢様方には、男女平等の社会は厳しい世の中なのかもしれませんね。

男女共同参画社会の法的な定義は、「男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動を参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会」(男女共同参画社会基本法第2条)

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