「花束へ」
最初は戸惑いの抵抗を見せていた咲ちゃんでも、私の意思の硬さには勝てなかったようで、最終的には隣で照れながら並んで歩く。
いつの間にか、握った手は握られていた。
そんな咲ちゃんと体育館までやってくる。
私が1on1を素直にしてくれると思っているのだから、可愛い子だ。
「おー、懐かしい」
「懐かしいて、体育の時間とかで使ってません?」
「放課後に来るのは久しぶりだもの。この時間は私自由人だからね」
「……先輩、スポーツ推薦でも面接とか小論文とかあるはずじゃ……」
「え!? い、いやいや。知ってるとも知ってる知ってる」
そういえば、担任の先生が何回も言ってたことだったような。毎回同じ口調だったから、覚えていなかったけど。
「でも、やらなきゃ落ちるとかないよね?」
私は知っている。
高校と一緒で、スポーツ推薦でも優秀な成績をおさめておけば、どうにかなることを。万年赤点で、一夜漬けの試験でもどうにかなったことを。
そんな私の朗らかな顔へ向け、咲ちゃんは懐から取り出したスマホを打鍵していく。一通り刻み終わったら、私へその可愛らしいクリーム色の手帳型カバーに包まれた画面を見せてくる。
なになに。
――スポーツ推薦の合格率は八割から九割。毎年出願している学生の中でも数名から数十名は不合格になっている。
なんと。
「え!?」
「だから、ちゃんとしておかないと落ち――駄目なんですよ」
「わざわざありがとう、咲ちゃん。それにしても可愛いカバーだね」
「はぐらかしても、結果は先輩次第ですよ?」
くそう!
わかってるよ。解ってる。ここで知らないフリをしても、楽になったわけじゃないのは。でも、現実逃避したいじゃない?
テスト前こそ掃除をしたくなるでしょ。
明日早起きしたい時ほど、動画見てたら寝る時間が遅くなるでしょ。
それに甘えまくったのが私だ。なんとかしてきたのも私だ。
くそう。
「……とにかく、私が大学に行くんだから咲ちゃんにも強くなってもらわないと困るのだよ」
「あ、話題をすり替えましたね?」
「いいから聞きなさい。お願い聞いてください」
なんたる先輩だろうか。
こうやって拝み倒すのなんか、先輩らしくないかもしれない。
でも、そんな私の姿を見てクスッと笑ってくれるから咲ちゃんは好きなわけだ。
「分かりました。今回はウチが先輩に我儘を言ったから始まったことですから」
「咲ちゃん、よく大人びているて言われない?」
「梨沙先輩の隣にいたらそう言われます」
なんだそれは。私が子供っぽいみたいじゃない。誇らしいじゃないか。
「それはそうと、勝手に入って大丈夫ですか?」
「誰もいないし、大丈夫でしょ」
「いや、そうじゃなくて……」
体育館の中へずんずん入って行く私の足は靴下のままで、かなり冷たい感覚が脳天まで突き抜ける。
これ、かなりやばい。でもシューズは家だし、ここまで来て中止なんて恥ずかしい宣言なんかできない。
もし、もし、咲ちゃんが仕方なく帰ろうと提案してくれたら私もしょうがないと飲み込むことだってできるけど。喉の通りがいいのは自慢だ。
「いえ……いざとなれば逃げましょうね」
「逃げる……? 誰から?」
「それより、早くしましょう。ウチが勝てば先輩はずっと傍にいてくれるんですよね?」
なんだその勝者へのご褒美は。聞いていないぞ。
いやそれよりも、さっきまで渋っていた咲ちゃんは私の横を通り抜け、慣れた手つきで倉庫の重い扉を開く。
……ちゃっかり靴下まで脱いじゃって。
「先輩、アップしますか?」
「必要ならするけど」
「ウチはいいです」
「じゃあ、しようか」
咲ちゃんから真っ直ぐ飛んでくる縫い目もザラついたバスケットボール。数メートル離れていても、真っ直ぐ飛んできた。
「うん、上手いじゃん」
「チェストパスだけでわかるものですか?」
そのまま胸の前まで持ってきた私の顔より大きいボールを、シュッと飛ばす。
「分からないよ。でも、咲ちゃんはビハインドしかしてこなかったじゃん」
「あれは、先輩のマークが厳しいのもありますから」
「それかバウンドぐらいだし。まぁ、大体そうなっちゃうけど」
私だってこうやって胸の前からパスを出すのも随分久しぶりになる。
投げ合いながら、雑談するのも。
「咲ちゃんはバスケ楽しくないの?」
「……分からないです」
「バスケしたくないの?」
なんとなく問いかけたのは屋上で聞いた事を更に深めたものだ。
なにせ、私にもよく分からない現象だからだ。
ただ、咲ちゃんの顔はあまり芳しくないのか渋い表情をして固まる。
「私とずっと一緒にいたいからバスケをしてたの?」
「……それは、最初は、そうでした」
「今は?」
咲ちゃんは受け取ったボールを抱えたまま俯く。
ふむ、どうやら根深い様だ。
根っこが縛り付けになっているみたいだ。
「咲ちゃんさ。私と一緒の大学に来ればいいじゃん」
「…………」
「一緒にバスケがしたいならね。私も咲ちゃんと一緒にしたいし」
「……飛び級するってことですか?」
「それができるのなら? 私もよく分からないけど、目指すものがあるのならとりあえず、そっちの方向を見なきゃ判断できないでしょ」
「多分、ウチじゃ無理です」
勉強とか面倒だもんね。分かるよ分かる。
私も小論文が必要だとさっきの画面を見て気を失いかけたし――
「先輩! まだ気を失う時じゃないです!」
「はっ……!」
危うく飛びかけた。しかし、すぐに呼びかけてくれるなんて、咲ちゃんはよく気付く子だ。
「……先輩、ウチがなんでシオンの花を贈ったか分かりますか?」
「私があのローファーが好きなのを知っていて、気を利かしておめかししてくれたからじゃない?」
あえてとぼけてみる。おどけてみる。反応がよろしくないけど、突き通せばいいのだ。
「違いますよ」
「じゃあ、お化粧」
「違います」
「着飾ってくれたんだ」
「言葉を変えても駄目です」
「じゃあ、なんだったの?」
「それは……」
言い難いから淀んだわけではなさそうだ。どちらかといえば、覚悟を決めるためだろうか。
「先輩にウチのこと、忘れて欲しくないから……です」
「え、忘却少女だと思われてるの私」
確かに覚えたことは忘れやすいけど、咲ちゃんや夕のことはしっかり記憶してる。どちらかといえば、勉学は頭を叩けば抜けていくくらいには忘れやすいけど、そんな風に私は見られていたとは。
少し、しょんぼり。
「だって、先輩。前しか見てないから……」
「そりゃ前に目がついてるから」
「そうじゃなくて……」
和むどころか、柔らかく弾んでくれるどころではないみたい。空気はどんどん重くなって、ボールを手にした咲ちゃんは沈んだ気持ちの引力に負けてしまう。
俯いている。
「先輩は、どんどん先に行っちゃうから。ウチはその背中を見てるだけしかできなくて……せっかく隣に並んでも、いつの間にか置いてかれて……」
ボロボロと小さな水晶玉が体育館の床へ落ちていく。
咲ちゃんの目元からこぼれていく涙は、一度流れてしまえば止まることを忘れてしまったようだ。
咲ちゃんのイメージしている私みたいに。
前へ進むと、そのまま何もかもを置き去りにしている私のようだ、と。
「じゃあ、本当に置いていっちゃおうかな」
泣いている人に。
胸の痛い人に。
酷なことだとは自分で言っていて思う。理不尽だ。理解不能の尽くである。
「私の隣に並ぶのが目的だったら、そりゃ置いてかれちゃうのはそうだよ。老いて枯れちゃうよ」
「……上手いこと言ったつもりですか」
「好きな歌だからね」
だからといって、かの歌のように全力で居続けなければいけないわけじゃない。時には息を抜くことが、生き抜きに繋がることだってある。
そうやって生き繋いでいくのだ。息も。
「私より前に進んでみない? バスケの方でさ。飛び級とか難しいだろうし、そっちの方が隣に並ぶよりいい景色が見られるかもしれないよ」
「いい景色……て?」
「私に追い掛けられる」
そこまで言うと、彼女のとめどなく流れていた涙が止まる。思考は真逆にぐるぐると超回転しているのだろう。
「それ……いいんですか?」
「なにさ。私だって上手い人を追い掛けるここまで来たのよ? 例え年下だったとしても、後輩だったとしても追い掛けるつもりよ」
追い駆ける。私としては、自分より年下の方が上手いと――上手になるだろう素質があると思っている。
だから、そこら辺の年功序列なんか毛ほども意識していない。
「…………」
しばらく、咲ちゃんは考え。そして、いつまでも温めていたボールを地面へ投げつける。
いや、弾ませる。弾んでいる。
「……ちょっといいかもしれません」
「でしょ? 上手くなって損は無いでしょ」
「でも、それだと先輩がとても天狗だってことになりません?」
「自分が上手いことに誇りを持たないと。今まで出会ってきた人に申し訳ないでしょ」
飛んできたボールを軽快に遊んで、また返す。
こういうのを青春と、誰かは決めるのだろうか。だとしたら、これは青春だ。私が認める。いや、私が決める。
私が全国大会優勝して、優秀選手に選ばれて、引退も終わった時点で青春時代も過ぎ去ったのかと思ったけど、そうじゃなかったみたいだ。
なんだ、追い掛けたらすぐ傍にいたじゃないか。
「じゃあ、先輩は受験頑張らないとですね」
「ううぅぅ。それはそれというか……。なんとか、咲ちゃんの力でどうにかできない?」
「できません。ウチの先輩なんですから、いけますよ」
何を根拠にしているのか。咲ちゃんは、天真爛漫な笑みを見せてくれる。
……まぁ、納得してくれたならいいか。
じゃあ、私も先輩らしく頑張らないとな。
「じゃあ、咲ちゃんにもこれをあげよう」
「……なんですか?」
「まぁまぁ、心配せずとも悪いものじゃござらんよ」
誰の真似ですか、と呆れた咲ちゃんへポッケで温めていた栞を差し出す。
純白の指先へ跳ねていくその栞には、どこかで見たような薄紫色の花が自慢げに咲いていた。
「これって」
「咲ちゃんから貰ったシオンで作ったの。これでお互いこの日と今までのことを忘れないようにすれば、いいかなって」
「……先輩」
ロマンチックすぎただろうか。
柄でもなかっただろうか。
そう不安にもなったけど、咲ちゃんは受け取った栞を大事に抱えて、止まった涙がまたこぼれる。
「ウチ、忘れません……! ずっと、ずっと」
「うん、私も忘れないよ」
泣きじゃくる咲ちゃんを抱きしめながら、私も感情がばら撒かれてしまう。あぁ、我慢していたのに。
私も楽しい時間にいつまでも居座りたかった。それが自分の奥底にあったことを確認して、体育館のゴール下で泣き合う。あぁ、寂しくて暖かい。
◆
それから、なんとかスポーツ推薦での合格を果たし、数日。一緒に進学してくれた夕と一緒に夏休みの予定を決める頃だろうか。
咲ちゃんからメッセージで「全国大会出場決まりました」と、ドヤ顔のスタンプと一緒に送られてきた。
夏はその観戦で決まり。秋は志望校が私の大学だと聞き、冬には受験に集中したいからと私が借りているアパートへ引っ越してきたのはまた別の話。
そんな咲ちゃんの靴へ、シオンの花を添えて出掛けるのは私の新しい日課だ。
履き慣らしたローファーの感触を確かめ、息を吸い込む。ふわっと、シオンの香りがしてくる。
毎日の大切な気持ちが花束になったみたいで、大事な思い出が重なったみたいで。
私は上機嫌に玄関の扉を開ける。
今日は、花束を買ってみよう。
読んでいただきありがとうございます。
少し、寂しさを患う季節がやってきたもので、反発するために書きました。
良ければ、評価ポイントやブクマやいいねなど、していただけると大変喜び周ります。
最後に、いつも読んでくださる皆様、そして初めて読んでくださった方、ありがとうございました。