「一輪ではなく」
私の名前は、芦立梨沙。
須古高校の三年生である。ショートカットにした髪は、運動していたからもあるが本当の意味では今さらヘアスタイルを変えることに腰が上がらないからではある。
今年受験生でもあり、私は他の人と比べてある程度の楽さを手にすることができた努力家でもあるわけだ。
というのも、私の通っている須古高校は女バスの名門校で、全国大会出場常連校。しかも、只今四連覇中の快挙を成している。
私はそこで、エースとして――チームメイトとして、強豪校との激戦を制してきた。それもあって、近くの大学生と練習試合をすることもできて、そのままスポーツ推薦を得ることもでき、順風満帆な十月を過ごしているわけだ。
で、そんな私だけども。
鼻高々に語っていたけども、靴に乗せられた想いの正体は、どういう言葉を使うべきだろうか。犯人? いや、それだと悪いことをしている人になってしまう。素敵な人? そうしとこう。
素敵なことをしてくれる人に、心当たりがあるものの、私からその子へ向けて何か言うのは、違うような気もしたから、ささやかながら連日の下校時間をズラすという所業に至ったわけだ。
少しだけ、その子の思惑を覆してみたいなと思ったからだ。靴だけに。靴を返してみたいなと思ったのだ。
「ありゃ、今日も間に合わなかったか」
小さな部屋を開けると、そこにはシオンの花が一輪だけ乗せられていた。
残念。連日失敗。
「それにしても、どうしてシオンなんだろうね」
一人ポツンと呟くも返してくれる相手などおらず。
私は手にしたシオンの茎をクルクルと回す。
「……私、引退した身なんだけど、行ってみなきゃかな? んー、でも……。私から何かアクションを起こすのは違うような」
延々と唸ってしまう。傍から見れば様子のおかしな人に見えかねない。なにせ、下駄箱を前に考え込んでいるなんて、悪巧みしている人かそうじゃなくてもラブレターを入れようとしている人にしか見えないだろう。
そうじゃないんだけど。
「まぁ、明日夕に聞いてみよう」
そう思い、中で待ちくたびれていたローファーを手にした時、一枚の紙切れが乗せられていることに気づく。
「おや、おやおや。これはまた。どうして」
メモ用紙――じゃないね。ノートの端っこをわざわざ切って置いている。特徴的な罫線は私もよく使うノートに酷似している。
はて、てことは書き置きてことだろうか。
「当たりだね。なになに」
声に出すのをここでは控えよう。
読み上げるなんて、可哀想だからね。せっかく、ノートをちぎってまで伝えたかったことだ。
そう、彼女――私の後輩であり、同じ女バスのチームメイトで、いつも傍にくっついていた子に失礼だろうし。
◆
紙に書かれていたのは、日時と場所。
つまりは、無骨な待ち合わせ場所の指定だったわけで。私はゆっくりと扉を開ける。
わざわざ、校舎最上階。この学校で天国に一番近い場所へと繋がる重くて、錆びた扉の先にはゆるふわ系の小さな女の子がいた。ウエーブが優しく掛かった髪を可愛らしいゴムでおさげにしている。パッと見、小動物系の可愛さと愛くるしさを備えた私のようなバッサリした人間とはまた別の魅力がある。
「やっぱり、咲ちゃんだったね」
「先輩は気づいていたんですか」
こちらへとゆっくり振り向いた顔は、大きな瞳が不安げに揺れていた。
寒いのか、ぶかぶかのジャージを上に着込んで。
「そりゃね。心当たりはあったよ」
「さすが、先輩ですね」
「でしょ? だから、何か言ってくるだろうなとは思ってたよ」
近くまで歩み寄ると、風向きのせいだろうか。彼女から少し、金木犀の香りがしてくる。いい匂いだ。
私の好きな匂いだ。
「で、どうしたのだい。後輩よ」
「……先輩は、大学へ行くんですよね」
「そりゃ行くよ。働きたくはないからね」
「……そんな理由で」
だってね。労働してお金を貰えるのは嬉しいけど。
「私はバスケがしたいから。インターハイで勝ったのもあるけど、やっぱりバスケがしたいよ、いつまで経っても」
バスケ馬鹿、なんて夕は言ってたかな。
褒め言葉としては少し足りないかな、と思っていたけど、熱中できてそれを好きになれて、結果もついてくるのなら、馬鹿でもいいのかなとさえ思った。
「うちも、バスケ好きです」
「うん。ずっと言ってたよね」
「はい。でも、先輩とするバスケの方が好きなんです」
「そか」
上手い返しができるほど、私は上手ではない。
こういう時、どう言えばいいのか分からないけど、ただ、咲ちゃんの言葉を待つのが相応しいのかな、とは感じた。
寒い風と金木犀の香りでそう察した。
「先輩は……大学でもバスケをするんですか」
「そりゃもちろん」
こればかりはフェンスに飛び乗って高らかに叫びたいほどの当たり前だ。
できないので、それをすると危うく落ちた時目も当てられないので、とても飛び越えられないフェンスの向こう側が染まっていく景色だけを眺める。
夕暮れだ。寒いし、日が落ちるのも早い。
「ウチ、先輩と一緒にするバスケが楽しかったんです」
「今は楽しくないの?」
「……分かりません」
「分からないか。でもインターハイに向けて準備しなきゃでしょ」
「はい。でも、先輩がいないので」
「そりゃ、おかしい話だね」
隣に並び立つ小さな存在が、驚きに満ちた顔で見てくる。いやね。厳しいことを言うのは、心が苦しくなって唇が震える。どうも慣れない。
「私がいようといないと、インターハイで優勝してくれないと。依存と共存は別物だよ」
「でも……」
「私がいないから負ける理由になるのなら、初めから私がエースになって頑張らない方が良かったことにもなるし、私のせいでプレッシャーになるていうのなら、それは私のことを大切に思ってくれていないことじゃん」
「…………」
黙ってしまう。
そうだろうね。
今、私がしていることは一方的に怒って、冷酷な言葉を投げているんだ。吹き抜ける風が涼しいくらいの、激情を抱いているのだ。
自分でもびっくりするほどの。
「私は私のためにバスケをしていただけじゃない。皆と一緒にバスケをするのが楽しかったから、全国で一番になれたと思ってる。
それとも、咲ちゃんは楽しくなかった? 本当はしんどかった?」
「…………楽しかったです」
「うん。私も楽しかった。ずっとしていたかった。あのまま、大人にならなくてもいいから体育館を駆け抜けて、シュートが決まるまでの静寂が続けばいいとも思ってた。
でもね。それは駄目なんだよ」
「だ、駄目って……」
あー、泣いちゃいそう。ごめんね。辛いよね。
「私達はそういうのは駄目なんだよ。前に進まなきゃいけないの。それとも、私のことを思って立ち止まってるの?」
「……」
「私は大学に行く。好きなバスケをする。つまりは前に進むの。咲ちゃんはそのまま立ち止まってるままで、いいの?」
「…………でも」
納得できない声がか細く消えていく。
そりゃそうだろうね。
だから、こればかりは荒療治をしなきゃいけないみたいだ。
「じゃあ、私と勝負しようか」
咲ちゃんの腕を掴む。しっかりと、運動できる筋肉がついている。うん、充分だ。
「ど、どどどこで?」
びっくりしながら、頬を赤らめる咲ちゃん。そこまで驚いてくれるのなら意表をついた甲斐があるよ。
「体育館。私と1on1しよう」