「その花を」
これはイジメだろうか。
それとも、嫌がらせだろうか。
はたまた、愛情表現なんだろうか。
発端は私が青春の匂い渦巻く廊下を乗り継いで、ようやく帰宅への道標になるだろう足がかりに手を掛けたことである。
私の通う高校には現代化から置き去りになったけど、それでもかつての懐かしさを象徴するだろう靴箱があり、それはまぁまぁ……いい加減、ロッカーにしてしまった方がいいんじゃないかと、常々思う。
なにせ、未だに木製で、この学校が建立してからずっとこの場所に鎮座している代物だ。外側は数多の落書きで目も当てられないことになっており、中には取っ手すら家出している物だってある。
可哀想に。こればかりは出席番号で決まってしまう故に、毎年一喜一憂するかどうかが在校生の行事でもあった。
そんな中。靴箱の中。
私の靴、これは入学前に買ってもらった褐色肌のローファーなんだけど、かなりお気に入り。
そりゃ、お母さんから「可愛い制服なんだから、可愛い靴にしましょ」とウキウキで、おそらく私よりも上機嫌に買った素敵な足元だ。
そんな私の、両足の相棒的存在に。
夕暮れ時が短く、夜も長い時期にも関わらず、クリスマスというサンタさんが現れるには早過ぎないかと思うくらいの出来事が起こっていて。
「お花……?」
私のローファーの上。カビの木箱で閉じ込められた中に、薄紫色の花びらで囲まれた黄色く、小さな存在が一人でポツンと居座っていた。
誰に言われたわけでもなく。
ただただ、私の靴に添えることを目的に置かれたその花は、差出人不明で、手に取ってみても名前なんか書かれていない。
薄らと、甘い匂いのする花は本物ではある。でも、何のために?
「しかも私、花とか知らないよ……」
とりあえず、今日の帰宅に付き合ってもらうとして。よく分からないものを持って帰るのは、あまりしちゃいけないんだろうけど。
多分……多分ね。
これは私の勘で、確証もないけど、イタズラにしては可愛らしいというか。何か純粋な意味があるような気もした。
だからだろうね。
持って帰ってしまうのなんて。更には、花の種類まで調べるなんてね。
◆
「それ、絶対ラブレターだって!」
机を付き合わせ、ストローから吸い上げる牛乳を味わう私へ向け、赤みがかった綺麗なロングストレートの親友はそう言った。
それも、ふんすふんすと息巻いて。
意気揚々がとぐろを巻いている。
「ラブレター……? でも花じゃない」
「花に例えた恋文みたいな? ほら、花言葉てあるじゃん。薔薇とか向日葵とか有名じゃない?」
「でも、調べてもそんな類じゃなかったんだよな〜……」
ズゴっと、空回りした吸口を離し、二年も愛用しているスマホの画面に検索結果を表示させる。
あ、そうだ。
「夕て、花とか詳しいよね? 良かったら教えてくれない?」
と、液晶画面から顔を上げ、親友の夕へ視線を移すと、とてもとても、嫌そうな顔をしていた。
「それ、あたしへの嫌がらせ? 昔取った杵柄でしょみたいな嫌味?」
「そんなわけない、そんなわけないって。中学生の頃、花言葉を調べて初恋の男の子へプレゼント渡したけど、結局意味が伝わらなくて捨てられてたこと言ってないから」
「今言ったじゃない……! この……!」
いたたたた。
私の開いたオデコに指先を押し付けられる。人差し指で刺される。爪じゃないし、そこまで痛くもない。
ただ、不満を押し付けているだけに留めてくれている。優しい。
顔は真っ赤だけど。
「……ふぅ、でもさ。花てことはわかりやすいものだったりしないの?」
「それって、経験談から?」
「いつまでも言うならデコピンにするわよ……!」
それは怖い。思わず私のオデコを死守するために、両手で覆う。私の額は高いのですよ。額面以上の値がつくのです。
「でも、よく分からないのよ。ほら、薔薇とかチューリップとか、秋桜とかなら私でも分かるけど」
そう言いながら、机の横へ下げた鞄から件の品を取り出す。その様子を見てか、夕は少し怪訝な顔をする。
「え……もしかして、持ってきてるの?」
「ちゃんと押し花にしたよ」
押し花、それも栞にできそうな大きさだったので、いっそ作ってしまえと勢いで仕上げたものだ。
出来合いで言えば、上々でしょう。
薄紫色の薄い花弁が崩れずにできたから、褒めて欲しいものだ。えっへん。
それを夕の手元へと差し出すと、まじまじと花の特徴を判別して、唸っていた。
「んんんんんん……。珍しいわね」
「でしょ? 綺麗にできたと思うの」
「それはそうだけど。これ、ある意味有名だけど、なんていうんだろう。ラブレターじゃないなって」
ある意味、というと。ドラマになったとか、アニメでタイトルになったからとかだろうか。
私はよく知らない分野だから、気にはなるけど。夕のニュアンスからして、そういった万人の知名度より低いのかもしれない。
「ある意味て、どういう?」
「梨沙は国語の授業覚えてる?」
何を急に、そんなのもちろん。
「覚えてないでしょ」
「だよね〜」
なんでそんな安心した顔をするの。
大変、不服です。極みの至れり尽くせりです。
私は頬を膨らませて抗議します。
「ごめんって。そんな膨らませないの。せっかくの小顔がだらしなくなっちゃうわよ?」
「じゃあ、小さくする」
ぷくー。と、鼻の下だけ膨らむようにする。
器用でしょ。でも、夕はそれを見て「ふっ」と鼻で笑う。
「それ、可愛くないからやめなさいよ」
「…………それより、教えてよ。ある意味て?」
「いや、今昔物語て知ってるのかなて」
「知らないよ」
ほら見てみなさいと言いたげにジト目で見つめられ、照れちゃう。いやー、それほどでも。
「…………」
「ごめんて。そんな怒らないで怒らないで」
「いや、いいけど。それより、その今昔物語から名前がつけられた花とかあって」
「これがそうじゃないかって?」
「そうかも。同定とかあたしにはできないけど」
同定て。よくそんな難しい言葉を知っている。私は関心するのと同時に、この花に込められた意味にも、それ以上の興味が湧いてくる。
「その花の名前はシオン。花言葉は、追憶とあなたを忘れない、ですって。別名忘れな草らしいけど」
「そかそか。そうか。ふむふむ。つまり、私は恋文とは違うけど慕われているわけだね。
………………誰に?」
「知らないわよ。部活の子じゃないの」
呆れながら、卵焼きを頬張る夕。あぁ、美味しそう。でも、夕に言われたからじゃなく、それよりも前からなんとなくだけど。
こうする人に心当たりが無いわけじゃなかった。