悪役令嬢らしいのですが、もふもふ精霊にざまぁを禁止されました
ざまぁ大好きなのですが、あえて『ざまぁ禁止』で縛ってみました。
「ここにいるアリアドネ・フォン・グライナー公爵令嬢は、見た目は怖いし話してもおっかないけど、心の中では本当は皆さんと仲よくしたいと思っている、実はコミュニケーション能力に難があるだけのただの女の子なんですッ!!! どうか、どうか誤解しないであげてください!!!!」
「はっ、はぁぁぁああああああ!? ちょっと! このバカ犬!! 一体何を言っているの!?」
授業で行われた、従魔召喚の儀式。
厳かな雰囲気で緊張感漂う教室内に、突如間抜けな叫びが響き渡った。
***
私は召喚されるなりとんでもないことを叫んだ犬っころを引っ掴んで教室を飛び出した。
目的もなく廊下を走り抜け、誰もいない中庭で足を止める。
授業の最中に起きた珍事に、頭が追い付かない。
私、アリアドネ・フォン・グライナーはグライナー公爵家の令嬢である。
筆頭公爵家の血筋に加え、父は宰相を務めており、母は王妃殿下の相談役。
父譲りの漆黒の髪に紫がかった瞳は、魔力が強い証と言われている。
そんな、家柄も素質も超一級な私の従魔なのだ。
さぞかし素晴らしい存在が召喚されるものと、家族も、周囲も、私自身も疑っていなかった。
それなのに、それなのに……!
召喚されたのは――このちんまりとした犬!!!
しかも召喚陣から現れるなり、嘘八百を並べ立てるなんて!!
そう……この犬が口にした『本当は周囲の人間と仲良くしたい』だとか『コミュニケーション能力に難がある』というのは真っ赤な嘘っぱちで、断じてそのようなことはない。
家柄に群がる連中と付き合いたいとは思わないし、母譲りの社交術を叩き込まれた私は王妃殿下より「どこに出しても恥ずかしくない」と太鼓判をもらっている。
事実として周囲から一線を引いているのは確かだが、それは生来の人嫌いによるものである。
だというのに、この毛玉はとんでもないことをしでかしてくれた。
「貴方、一体どういうつもり?」
足元に転がした問題児を見下ろして凄んでみせるけれど、堪えた様子はない。
それどころか犬なりに真剣そうな表情で「落ち着いて聞いてほしい」とまで言ってきた。
さっきは突拍子もないことを叫んだくせに、なかなかの変わり身の早さである。
己の従魔のそんな態度に、小さく息を吐く。
これ以上ひざ下サイズの犬を見下ろすのは首が痛くなりそうなので、近くのベンチに腰を下ろした。
犬はトコトコと付いてくると、私を見上げて姿勢を正した。
キリリとした表情のお座りである。
「さぁ、話してちょうだい」
そう促せば、犬はやけに重々しく口を開いた。
「僕の名前はサフィルス。精霊だ」
「あら……そうなの?」
妙に高く響く不思議な声で紡がれた言葉に、目を瞬く。
人の言葉を話しているのだから、一応ただの犬ではないと思ってはいたけれど……まさか精霊とは。
精霊というのは、普通の従魔とは比べ物にならないほど高位の存在である。
かつての王族が竜と契約したという伝説もあるけれど……そのレベルでないにしても、ただ魔力が強いというだけで契約できる存在ではない。
というよりも――この国で精霊と言えば、心当たりは一つしかない。
けれどそれは竜と同じくらいお伽話のような存在なので、あり得ないだろう。
何より精霊を自称してはいるものの、見た目はただの子犬である。
真っ青な毛並みにアイスブルーの瞳は確かに蒼玉を思わせるけれど、それだけだ。
本人(本犬?)はいたって真面目らしいが、この自己申告はいまいち信憑性が薄い。
「精霊ってこんなちんまり……いえ、威厳の無い存在なのかしら?」
「ちんまりって言っちゃってるし、言い換えた後の方が酷いよね!?」
「あら。そうやってキャンキャンしている方が、子犬らしくて良いと思うわ」
「子犬じゃなーい!!!」
少々突いただけでこの反応。
やっぱり怪しい……。
「信じ難いのはわかる! だけどこんな姿なのには理由があるんだ! 事情があって、今はこんなに小さくなってしまっているけれど……本当はもっと立派なんだから!!」
「ふぅん」
前脚でぺんぺんと地面を叩く姿に気のない返事をかければ、ふるふると首と尻尾を振る。
どうやら気を取り直しているらしい。
「いや、僕が精霊なのはこの際置いておいても良い。大切なのはここからだ」
キッと視線を鋭くして、サフィルスは言った。
「君は悪役令嬢で――僕は、君が不幸になる姿を何度も繰り返し目にしてきた。この連鎖を止めて、君には幸せになって欲しい」
「はぁ……?」
キリリとそのようなことを口にした子犬に、私は首を傾げた。
***
精霊というのは生まれた時点で既に成体であり、様々な知識を有しているという。
そのためサフィルスは、この世界が一人の少女が主役となる恋物語の舞台であることを識っていた。
そんな少女の恋を阻み、時には行き過ぎた嫌がらせを行う存在が悪役令嬢なのだという。
少女の名前はペトラ・フォン・トスパン。
田舎出身の子爵令嬢ながら成績優秀な逸材であり、可憐な容姿と気さくな人柄で周囲を魅了するそうだ。
そんな彼女の有力な相手候補が、私の婚約者であるヴィルフリート・フォン・レーヴェンタール――この国の王太子。
そして二人の恋路を邪魔する悪役令嬢がこの私……ということらしい。
向こうからすれば仲を引き裂く悪者かもしれないが、私の立場であれば阻止するために動くのは至極当然のことだろう。
生まれたころから決められていた婚約者を、直前で恋だの愛だの運命の相手だのと、お花畑な言い分でひっくり返され掻っ攫われるなど……当然、面白くないどころの騒ぎではない。
転び方によっては内乱すら起こり得る、とんでもない背信行為である。
しかし身の程をわきまえない少女の側を咎めると、それを理由に破滅させられてしまうという。
サフィルスの受難は、そういった情報を伝えられ忠告されたにもかかわらず『私』がまるで取り合わなかったせいで始まった。
従魔は契約により、召喚した契約者が命を落とすと後を追うようにその生を終える。
そのため従魔は必死に契約者を守るのだが……かつてのサフィルスは、忠告を聞かずに破滅を迎えた契約者の死から逃れようとしたという。
契約の解除さえできればそれで済んだのだろうが、当時の『私』は既に捕らえられた身で、魔力を使うことができなかったそうだ。
いくら強大な力を持つ精霊といえど、従魔として契約している身で契約者がそのような状態では、本来の能力は発揮できない。
結果、契約者の死から逃れるために契約の強制解除ではなく、時空を遡る魔法が発現した。
そして――サフィルスは私が従魔として召喚した時点に戻り、不幸な結末を見届けては繰り返しているのだという。
……正直、理解し難い内容ではある。
けれど契約者と従魔はお互いの魔力が繋がっているため、嘘を言っていないこともわかってしまう。
「――二度目のときに口八丁で契約解除して、そのまま逃げてしまえば良かったじゃない。そうすれば繰り返さずに済んだのに」
「それは、それでは君が……あまりにも可哀想だったから」
「……そう」
忠告を聞かなかった契約者に嫌気が差したのかと思ったが、義理堅い性分なのだろうか。
「それに不完全な魔法のせいで大量の魔力が削られて……このままでは僕自身、本来の姿に戻れないんだ」
「ふぅん」
感傷以外の理由があったことに、むしろ納得する。
繰り返す度に力を失い、今はとうとうこのような子犬みたいな姿になってしまったらしい。
この状態で契約を解除しても、精霊とは呼べない不完全な存在となってしまうという。
本来の姿に戻るには、契約した状態で年月を過ごす必要がある。
そのために、私は破滅を回避しなければいけない……と。
「ねぇ、それってそんなに難しいことかしら?」
首を傾げる私の言葉に、サフィルスは尻尾をピンと伸ばす。
「掟破りをしてくるのは向こうでしょう? そんな相手、こっちから願い下げだわ。私を破滅させる、だなんて……そんなことできないくらい、ヴィルフリートの価値を落としてあげる」
「だっ……! だだだだだだダメだよぉ!!!!」
自信満々に笑みを浮かべたところを、慌てたサフィルスが音がしそうなほどブンブンと首を横に振る。
……意味がわからない。
互いにお似合いだと称賛されるのが常とはいえ、ヴィルフリートに対して幼馴染以上の情はなく、ビジネスライクな関係と言えるだろう。
貴族の結婚なんてそんなもので、夢を見る方がどうかしているのだ。
ヴィルフリートとペトラの恋路のせいで何度も破滅させられたと聞かされ、召喚した従魔は本当は精霊という物凄い存在のはずなのに、ちんまりとした犬に成り果てている。
それで怒りが湧かないはずがない。
現時点では何も起きていないのだろうが、不義理を通すヴィルフリートの立場など、砂の城よりも脆い。
筆頭公爵家であるグライナー公爵家の力。
国王陛下の腹心であり、国政を司る宰相の父。
王妃殿下の相談相手であり、社交界で多大な影響力を誇る母。
家門の外にも味方はいる。
その気になればヴィルフリートを王太子の座から引きずり下ろすことなど造作もないだろう。
優秀な替えは他にもいるわけだし。
先がわかっていれば、対処のしようはいくらでもある。
「ダメ? どうして? 私が失敗しなければ良いことでしょう? それともヴィルフリートに、グライナー家を敵に回して不義理を通すほどの力があるとでも?」
「そっ、ういう、わけじゃ……ないけど」
「何? 随分と歯切れが悪いのね」
訝しむ私に、サフィルスは大きな瞳を向ける。
その瞳は、どこか潤んでいるようにも見えた。
「当然、君は仕返しを考えるだろう。……以前の僕も、そんな君に賛同していた。君は周到で、そういう才能は本当に凄いんだ。運命の愛を叫んだ恋人たちをいがみ合わせて、見る影もないくらい落ちぶれさせて……二人で、ざまーみろって笑ったよ」
「ふぅん。やるじゃない、私。なら――」
「だけど、それじゃダメだったんだ」
「え?」
悪役令嬢の代わりに破滅を迎えた恋人たち。
高笑いする私は次の婚約者も決まらないまま、事故に遭って命を落とした。
「それもやり過ぎた、ということ? それなら、悲惨過ぎない程度に別れさせれば――」
「もうやったよ」
「裏から――」
「ダメだった」
「じゃあそのまんま返しでこちらから婚約破棄――」
「ダーメ」
「業腹だけど、お父様に言ってヴィルフリートとの婚約解消を――」
「はいダメェーーー!!!」
「いっそのこと、ペトラを教育――」
「も、ダメ」
「別の人間を――」
「それもダメだねぇ」
「……忌々しいわね。穏便にも済ませられないなら、残っているのは暗さ――」
「わぁぁぁあああ!!! ダメ!! それは絶対にダメ!! 君って人は本当に物騒だよね……!?」
――面 倒 く さ い!!!
既に何度も試したらしい。
破滅回避のために手を変え品を変えても、事故に病気に毒だのと、私の身に不幸が訪れ……若くして死を迎えるという。
盛大に破滅させるのはダメ。
秘密裏に陥れるのもダメ。
穏便に婚約解消してもダメ。
意識改革もダメ。
そもそも恋を始めさせないのもダメ。
手っ取り早く物理的に消すのは論外。
「何をやってもダメダメと……! それじゃあ、どうしろというの!? というか、そんなに早世するのなら、それが私の寿命ということではないかしら?」
「あぅ……」
八つ当たりするようにサフィルスの頭部をガシリと掴むと、間抜けな声が上がった。
……流石毛玉。
指先に感じるふわっふわのもっふもふな毛並みに、若干気が逸れる。
そのままぐりぐりと手を動かせば、サフィルスが苦しげに口を開く。
「寿命はありえない。精霊を召喚した君の生命力が、低いはずない」
「では、運命とでも言い換えましょうか。そういう星の元に生まれた、というやつよ」
「それはっ……!」
私の言葉に、サフィルスは苦し気に唸った。
生まれてすぐに結ばれたヴィルフリートとの婚約は必然だったといえる。
王家とグライナー公爵家の関係に加え、長男と同じ年に生まれた娘。
本人の意思など無く、結ばれるべくして結ばれた契約。
それが破られた先に悲運が待ち受けるのなら、仕方のないことではないかと……そんな風に思ってしまう。
だがこの毛玉は、その運命に抗い続けてこのような姿にまでなってしまった。
「……仕方ないわね。貴方の言う通りに動いてあげる。何か策はあるんでしょう?」
降参、とばかりに大袈裟に両手をあげてみせる。
何度も死を迎えたというが、私にその記憶はない。
繰り返し挫折を味わわされたのは、サフィルスのほうだ。
この精霊にも事情があったとはいえ、このような姿になるまで付き合ってくれたのは事実。
これほど縮んでいては、『次』はないのだろう。
これが最後なら、せめて言う通りに動いてあげても良い。
運命に抗い続けたのは、彼なのだから。
「ほっ、本当かい!?」
私の言葉を聞いて嬉しそうに尻尾をブンブンと振り回す犬に、思わず笑みが浮かぶ。
そういえば、こうまで露骨な感情表現を目にするのは久しぶりかもしれない。
ついほっこりしてしまったところに、思いがけない爆弾が投下された。
「残る手段は一つ。――悪役令嬢も含めた、大団円を迎えるんだ」
「はぁ!?」
つまり、サフィルスは……私とお花畑たちで仲良しこよしのお友達ごっこをしろと言っているらしい。
召喚されるなり叫んだ突拍子もない言葉は、私という存在に親しみやすさを加えようとした結果だとか。
……それにしてはずいぶんな言われようだったように思うけれど、気にしたら負けだろう。
こちらを破滅させてくる存在と仲良くしろというのは、確かにハードルが高い。
既に私は、先ほどの言葉を撤回したくなってきている。
そんな私の感情を読み取ってか、サフィルスは必死に言葉を紡いだ。
平穏に迎えた結末も、あるにはあるという。
中には恋愛感情はさておき、私とヴィルフリートが結婚まで漕ぎつけたこともあるらしい。
……が、その先は推して知るべし、である。
『一番成し難い結末こそが生き残る道なのではないか』というサフィルスの言葉には、妙な説得力があった。
サフィルスには何度も苦渋を味わった過去がある。
ヴィルフリートとペトラに対して、私以上に思うところがあるだろうに。
だからサフィルスは――自身にもう一度魔法を使い、私も含めたすべての人間への感情を忘却したという。
恨みも憎しみ執着もなく、幸せになるために。
ほとんどの力を使い切っているのは、そのせいだった。
サフィルスは残る全てを、この方法に賭けたのだ。
これまでの話から、あまり悲壮感を感じなかったのはそのためだろう。
私はこれから、婚約者を捨てる男と婚約者を奪う女を後押しするだけでなく、加えて良好な関係を築かなくてはいけないようだ。
ため息を零す私から、サフィルスは気まずげに視線を逸らした。
そのような真似が私の得意分野でないことは百も承知なのだろう。
嫌がったところで、どの道先ほどのサフィルスの言葉は撤回できない。
契約者と従魔は、お互いの魔力を通じて意思の疎通ができる。
そのためあの場にいた人たちは、彼の言葉を私の心の内のものだと信じたことだろう。
本当に、心の底から、納得がいかない。
けれど――
「……わかったわよ。それしかもう、方法がないんだもの」
きっと、命を落とすよりはマシだろう。多分。
死ぬのは私のプライドだけだ。
せめて何か癒しでもないものか。
視線を巡らせれば、手近に丁度良いものが。
青い毛玉をひっくり返して抱き上げ、ふかふかの毛並みを堪能する。
「ピャァァァアアアアアア!!!!!」
……が、毛玉の方は予想外だったのか、甲高い悲鳴を上げ、ジタバタと暴れ始めた。
「何よ、明らかに愛玩動物の見た目をしているクセに、精霊サマは人間なんかに触られたくないってわけ?」
引っ掴んだときは何も言わなかったのに、胸に抱いたら暴れるなんて、意味がわからない。
背後から凄む私に、サフィルスはあたふたと弁解を始めた。
「ちちちちち違うよ! いいいぃ嫌なわけじゃなくて! そうじゃないけど! 君が触れる分には全く問題ないんだけど! 心の準備というか、あまりにも密着しすぎていてどうかというか!」
「我慢なさい」
「えぇぇぇぇぇ」
「理不尽すぎる……」とプルプル震えているけど、気にしない。
本物の犬ならもっと気を付けるべきだろうが、私の従魔であるサフィルスは適用外だ。
「僕、もうお婿に行けないよ……」
「ふん、子犬風情が先の心配をしているんじゃないわよ」
冗談めかして言う犬を抱く腕を少し上げて、胴をびろびろと伸ばしてやる。
婿というからには、サフィルスは雄なのだろう。
覗こうとしたら、全力で足をばたつかせるので確認はできなかったけれど。
しかし、このサイズ感なら相手は小型犬が良いのだろうか。
力が戻ればもっと大きくなるらしいが……というか果たして、精霊に番という概念はあるのだろうか。
……謎だ。
「安心なさい、揃えられる限りの雌犬を用意してあげる。犬なんだからハーレムだって合法よ!」
「だからっ、僕は犬じゃないし、こう見えて一途なんだから~~~!!!」
キャンキャンと叫ぶ姿は、どうもこうも、犬にしか見えない。
ふわっふわでもっふもふな、子犬である。
「はぁ……私なんて、今から新しい結婚相手を見つけるのも難しいのに」
貴族社会、目ぼしい人物には既に幼いころから婚約者が宛がわれているのが常である。
ヴィルフリートの弟王子たちも当然売約済み。
王太子妃となるためにこれまで様々なものを費やしてきたというのに、ここに来て覆るなんて大赤字もいいところだ。
当事者たちの気持ちはさておき、少なくとも我が家の父は大激怒だろう。
これでは大団円など、夢のまた夢。
眉を寄せる私に、サフィルスがおずおずと口を開く。
「あ、あのぅ……それには一応当てがあるから、あまり心配しなくても良いよ。君は政略結婚に忌避感が無いようだし、結婚相手に身分と力があれば問題ないんだよね? 王太子ほどではないけど、それなりに好物件のはずだよ」
現王太子の婚約者であり筆頭公爵家の人間である私にそうまで言うのだから、相当な自信があるのだろう。
ヴィルフリートとペトラとの関係をどうにかすれば、あとはどうにでもなると言いたげに腕の中でうんうんと頷く犬。
……妙に信用できないのは、何故だろう。
サフィルスが言うには、私の新しいお相手候補は社会的地位も財産もあり、若くて、絶対に浮気はしないし、私の機嫌も敏感に察してくれ、見た目もそこそこだという。
「――優良物件過ぎて逆に怖いわ!」
そんな美味しい話があるものか。
思い当たる貴族家が一つだけあるけれど……いやいや、だって犬の言うことだし。
皮算用は、しないほうが安全だろう。
「まぁ、全てはお花畑たちをどうにかしてからよね」
「そうだね」
これ以上先のことを気にしても始まらない。
不安しかないけれど、やるしかないのだ。
***
「アリアドネ様っ!! あのっ! アリアドネ様の従魔を触らせてはもらえませんか!?」
「…………」
婚約者のヴィルフリートはともかく、恋敵予定のペトラ・フォン・トスパン子爵令嬢とはどのように接点を作るべきか首をひねった翌日。
ヴィルフリートと二人でいるところに乱入しようと計画していたというのに、なんと向こうの方から話しかけてきた。
これは……早速昨日のサフィルスの工作が実を結んだということだろうか。
しかし流石はお花畑、開口一番からツッコミどころ満載である。
事前情報が無ければ間違いなく速攻でやり返していただろう。
玄関ホールで猪のように突進してきたかと思えば、この発言。
家格云々やマナーどころの騒ぎではなく、何より他人の従魔に触れたいなど、非常識甚だしい。
既に彼女には周囲からの冷たい視線が突き刺さっているが、気づいていないのか、気にならないのか。
契約者と魔力で繋がっている従魔は、契約者にとって心強い相棒であり半身とも言える存在。
基本的に他人の従魔に触れるものではないし、許されるとしてもごく近しい間柄の場合のみだろう。
ごく一部の例外を除き、契約者の意思を無視してむやみに他人の従魔に触れた場合、あまりに悪質だと判断されればそれ自体が罰則を受けるほどの罪となる。
魔力干渉による強い不快感が現れることも含め、そのことは知っていて当然だし、昨日の授業でも言い含められていた内容だろうに……本当に私たちと同じクラスに入れるほど優秀なのだろうかこの娘。
正直、現時点での彼女に対する印象は『常識知らずな未開人』である。
これまでの私が彼女と良好な関係を築けなかったのも道理だろう。
わかりやすく喧嘩を売られているのかとも思ったが、サフィルスによれば彼女は『善良なお花畑』で、悪意とは無縁だという。
……どこが?
『拒否すれば無知な少女をいじめる悪者で、許可すれば従魔を大切にしない愚か者じゃない。貧乏くじも良いところだわ』
『わーーー!! 堪えて、堪えて!!』
既に許容範囲を超えそうな私を、念話でサフィルスが一生懸命なだめる。
決して乗り気でないながらも、早速悪評をばら撒くくらいなら短時間我慢した方がマシ、というのがこの犬の考えらしい。
正面では、人好きのする容姿の少女が期待に満ちた眼差しでこちらを見ているし。
――あぁ、もう!
「トスパン嬢、……どうして私の従魔を?」
「あっ、どうぞペトラと呼んでください!」
まずは質問でお茶を濁すと、的外れな言葉が返ってくる。
よくぞこの娘を家から出したものだと思うけれど、細かいことを気にしていては始まらない。
しかしまぁ、精神力が強い上に朝から元気が有り余っているのだろう。
ハキハキとした声がホールに響いた。
「私、犬が大好きなんですけど、動物の毛に弱くて! だけど従魔は厳密には動物じゃないし、アリアドネ様の従魔が一番可愛くて毛並みが良いので!!」
元気いっぱいに声を弾ませて、少女はそう言った。
つまり、その辺の犬の代わりに触らせて欲しい、と……。
『くっっっだらな……』
『僕、犬じゃ……』
頭が痛い。
流石はお花畑。
なんという自分勝手、なんという理不尽。
従魔は普通の動物ではありません。という常識の逆手を取った新しい手法である。
こんなのを相手にしないといけないの……?
呆然としている間にも少女は私の抱える子犬をキラキラとした目で見つめている。
気圧されたサフィルスが、少女から顔を逸らした。
まぁ……どこからどう見ても犬か。
元の姿は知らないけれど、現状サフィルスはただの犬型従魔に過ぎない。
精霊を名乗らせるにはどうしても説得力がなさすぎるし色々とややこしいので、あれから教室に戻った後は『青くて喋る子犬っぽい従魔』で通したのは私だ。
可能性を感じさせるだけの、犬。
とはいえ、自らの従魔を赤の他人に触らせるなど普通ではありえない。
遠巻きに見ている観衆たちの中には少女の無作法に眉をひそめているのが半分、『あのアリアドネ・フォン・グライナーの従魔がただの喋る犬なんて……』と内心馬鹿にしているのが半分といったところだろうか。
「そうねぇ、確かに私の従魔は毛並みが良いから、触ったらとても気持ち良いわ」
「わぁ……!」
「色も綺麗だし、手触りも極上。自分で言うのもなんだけど、貴女が言ったように学園一じゃないかしら。自慢の従魔よ」
『えっ!?』
私の従魔賛美に驚いたのは正面のペトラでなく、腕の中にいるサフィルスである。
……そっちが引っかかってどうする。
『あのね、口上に決まっているでしょうが』
『ほ、褒められたと思ったのに!』
『毛並みはね』
『毛並み……』
別に嘘というわけでもない。
親馬鹿気味に少々誇張しただけである。
「そんな私の従魔だもの。ただ触らせてあげるだけじゃ、不公平でしょう?」
「それは……そうですね!」
もったいぶる私に、力強くペトラが頷く。
どうせプライドが死ぬことはわかっていたのだし、同じところまで落ちてみるのも良いだろう。
ここで渋るようならそれまでだ。
「だからね、私の従魔を触らせてあげる代わりに、貴女の従魔を触らせてくれるかしら? 私は見られなかったのだけど、貴女、一角獣を召喚したのでしょう?」
私は笑みを浮かべて、ペトラへ問いかける。
私が席を外している間にペトラは一角獣の召喚に成功していたらしい。
一角獣は癒しの魔法を得意とする幻獣であり、精霊ほどでないにしろ従魔の中ではかなり高位の存在である。
素養があるのは間違いないだろう。
――果たして彼女は、どう出るのか。
私にとっても、彼女の人格を知る良い機会だ。
躊躇するのなら、『自分の従魔を触らせるほどの覚悟もなく、他人の従魔に対して軽率な要求をした不届き者』で『公爵令嬢を従魔で量った身の程知らず』となる。
了承するのなら――
「はい! もちろんです!! どうぞ好きなだけお触りください!! あの子もサラサラで気持ち良いですよ!!」
――ただの無知なお花畑だ。
***
玄関ホールは人目が多すぎるのに加え単純にスペースの問題で、私たちは中庭へと場所を移した。
早めの登校のおかげで、幸い授業が始まる時間までには余裕がある。
「この子が私の従魔になってくれた一角獣のマルガリータです!!」
「まぁ……!」
じゃーん! と間抜けな効果音付きで紹介された幻獣の姿は、見事というほかになかった。
スラリと伸びた美しい角に、全身を覆う銀毛。
立派なたてがみは風もないのに優雅にたなびいている。
もふもふ度合いで言えば向こうの方が上のように思うけれど、犬好きだと言っていたのでその辺はやはり違うのだろう。
こちらへ向けられる期待の眼差しに耐え切れず、さっさと済ませてしまおうとペトラの手元へ腕に抱えたサフィルスを近づける。
「ねぇ、思いっきり撫でまわしてみたいのかもしれないけれど、それは許さないわ。そっと、優しく触ってちょうだい」
「あのー、お手柔らかにお願いします」
「わっ! 素敵な声ですね!! もちろん! 触らせてもらうだけで十分です」
私の示した注意事項にサフィルスもおずおずと口を開けば、ペトラは首が飛んでいきそうなほど力強く頷く。
そして少女は頬を紅潮させながら、ゆっくりと片方の手を子犬へ伸ばした。
「うっ……」
『うっ……』
ペトラがサフィルスに触れた途端、何とも言えないぞわぞわとした感覚が広がる。
個人差があるのか、聞いていたほどの不快感ではないものの、確かにこれは、親しい人でもなければ絶対にお断りだろう。
サフィルスも同じようで、若干毛が逆立っているようだが、ペトラを委縮させないためにか口を開かずに耐えている。
犬好きというのは本当らしい。
ペトラは先ほどまでの態度に反して、至極丁寧な手つきでサフィルスの首元をゆっくりと撫で、頭から耳の先を掠め、前脚へ優しく触れると身体を離した。
緩みきった表情からは、聞かずとも大満足したのだと察せられる。
「ありがとうございました……!!! 思っていた通りの、素晴らしい毛並みです!」
「……えぇ、良かったわね」
「あ、ありがとう……」
大した時間でもなかったのに、随分と消耗してしまった。
それだけでなく潤んだ目を向けられ、誰かに見られては妙な勘違いをされやしないかと心配になってしまう。
植え込みが絶妙に回廊からの視線を遮る上に、始業前というのも相まって周囲に人の気配はないが、誰か来てもおかしくはない。
やはり、さっさと済ませてしまうに限るだろう。
「では、私も」
「はい! どうぞどうぞ!!」
サフィルスを近くのベンチに下ろして、一角獣の傍に立つ。
マルガリータと呼ばれたその一角獣も契約者と同じように素直なのか、馬よりも一回り大きな体躯を私に合わせて屈める。
人間の言葉を話すことはできないらしいが、見知らぬ人間を嫌がっている素振りはない。
美しい銀色の一角獣の姿に、感嘆のため息が零れる。
横に立ち、首筋を撫でるために手を伸ばしたところで――ピシャリとした大声が響いた。
「アリアドネ!! 君は一体、何をしようとしているんだ!?」
つい先ほどまで感じていた高揚感は消え失せ、一瞬にして剣呑な雰囲気が辺りに漂う。
驚愕と憤りの声を上げたのは、我が婚約者であるヴィルフリート・フォン・レーヴェンタール。
彼は眩い金の髪を振り乱してこちらへやって来ると、ガミガミと雷を落とした。
「なかなか教室に現れないので探しに来てみたら……他人の従魔へみだりに触れてはならないのは周知のはず! いくらトスパン嬢の従魔が珍しいとはいえ、これはやりすぎだろう!!」
「……ふぅん。そう」
呆れた。
私が幻獣触りたさに、ペトラへ無理強いしたと思い込んでいるらしい。
なるほど、これが『悪役令嬢』。
正義感に満ち溢れているらしいヴィルフリートにとって、私はいたいけな少女を苦しめようとする悪者に見えたのだろう。
『……全く、大した婚約者サマだこと』
『あの、言わなくてもわかっているだろうけど、ここで怒ってはいけないよ』
『忌々しいことにね』
否定するのは簡単だ。
大勢の証人だっている。
けれど彼はきっと、私の言葉を信じたりはしないのだろう。
そうしてすれ違い――やがて私は破滅を迎える。
知ってしまえば、あまりにも馬鹿馬鹿しい結末。
ペトラを横目で見れば、サフィルスに触れた感動で瞳を潤ませたまま、突如現れた闖入者に固まっている。
己のした要求がどれほど非常識だったか突きつけられて、ショックを受けている可能性もある。
そんな彼女の姿は、確かに無理強いされた可哀想な少女に見えなくもない。
さて、彼女は一体どう出るのだろうか。
何も言えぬまま、ヴィルフリートに誤解を与え続けるのか。
それとも……公爵令嬢に命令されて、仕方なかったのだと訴えるのか。
ペトラと接したのはごく短時間ながら、流石にそういうことをする人物には思えなかった。
果たして彼女は――
「違いますッ!!!! 私がアリアドネ様にお願いしたんです! 私、そんなに大変なことだなんて知らなくて……アリアドネ様は、私の頼みを聞いてくださっただけです!!」
真っ直ぐヴィルフリートに向かって、誤解を解くために叫んだ。
相手が王太子だと知っているだろうに、態度が変わることもない。
実に勇敢なお花畑っぷりである。
「トスパン嬢? 何を馬鹿な……彼女を庇って、いる、わけじゃない……みたいだな?」
「当たり前です!!」
私が彼女を脅しているとでも思ったのだろう、ペトラへ言い聞かせようとしていたヴィルフリートの言葉が尻すぼみになっていく。
真剣な表情を浮かべて一歩前へ出たペトラだけでなく、一角獣の方も私を庇うように前に立ちヴィルフリートを見下ろしているせいか。
……褒められた態度ではないが、不思議と悪い気はしない。
そんな彼女たちの様子から、本当に誤解だったとわかったのだろう。
「それは……申し訳なかった。早合点した上、女性に声を荒げるなど……しかも、君相手に。本当にすまない」
ヴィルフリートは躊躇うことなく頭を下げた。
己の身分を自覚した上で過ちを認め素直に謝罪できるというのも、ある意味美点と言えるのか。
この愚直さは、なるほどペトラとよくお似合いだと感じる。
「王太子殿下が、そう簡単に頭を下げるものではありませんよ。……とはいえ、謝罪は受け入れます。私の行動が他者からどう見えたのか、わからなくもないですし」
「そうか……そう言ってもらえると助かる」
ここで腹を立てるのも馬鹿馬鹿しい。
私の寛大な言葉に、ヴィルフリートは胸を撫で下ろした。
「しかし、従魔を他人に触らせるものでないことに変わりはない。知らなかったで済まされない場合の方が圧倒的に多いので、トスパン嬢はしかと心に留めておくように」
「はい……!! 申し訳ありませんでした!!!」
ペトラに向き直り厳しく注意するヴィルフリートを見て、良いことを思いついたと口角が上がる。
『丁度良いわ。これってチャンスじゃない』
『え? 何を思いついたの?』
『大団円への布石よ』
わざとらしく髪を払い、私は口を開いた。
「ねぇ、貴方はそう言うけれど、親しい間柄であれば話は別でしょう? 私とペトラは『お友達』ですもの。お互いの同意があれば、そううるさく言われるようなことは何もなくてよ」
「なっ……!?」
「アリアドネ様?」
横から差し込まれた詭弁に驚いた様子の二人は置いておいて、私は一角獣へ再び手を伸ばす。
マルガリータは私の意を汲んだのか、先ほどと同じようにこちらへ頭を寄せた。
愛馬にしてやるのよりも優しく、一角獣の首筋を手のひらでゆっくりと撫でる。
聞いていた通り、滑らかな銀の毛はサラサラとした不思議な手触りだった。
「ふわぁ……!」
むずむずとしたようなペトラの吐息が零れるけれど、マルガリータは長い睫毛を伏せてジッとしている。
首の付け根を軽くポンポンと叩いて、私は一角獣から身体を離した。
振り返れば、ヴィルフリートは呆気にとられた表情を浮かべ、ペトラは頬を上気させている。
「ねぇ、私が触れたら、妙な感覚がしたでしょう?」
「たっ、確かに、何か変な感じがしました……!」
頷くペトラに、噛んで含めるように言い聞かせる。
「従魔への直接的な接触は他人から魔力に干渉されるということだから、誰彼構わず触ったり触らせてはいけないのよ。今日は特別に許したけれど、もうこういった頼み事をしてはいけないわ。わかったわね?」
「はい! 本当にすみませんでした、アリアドネ様。教えてくださってありがとうございます!!」
素直な物言いに、私も笑みを浮かべてみせる。
「良いのよ。だって私たち、『お友達』でしょう? 私ね、ペトラとは仲良くしたいと思っていたの。昨日の今日で、話しかけてくれて……う、嬉しかったのよ」
「アリアドネ様……!! 感激です!!」
『こっわぁ……嘘ばっかじゃん!』
『心にもないことでも、言った者勝ちでしょうが』
口先だけの『お友達』アピールだったが、単純なお花畑ことペトラは顔を輝かせて喜んでいる。
……若干のプライドが邪魔して、最後噛んでしまったのはご愛敬だ。
蚊帳の外に置かれたヴィルフリートも、感心したような表情を浮かべている。
どうなることかと思ったが、全ては丸く収まった。
それからペトラとヴィルフリートは、入学式の日に落としたハンカチを拾ってもらっただの、教室の場所がわからないところを案内しただのと、顔見知りであったことを私に説明したが、その内容は噂に違わぬお花畑っぷりであった。
ペトラは私とヴィルフリートが婚約者同士だと聞かされても、美男美女の組み合わせだと呑気なことを言っていたけれど……これから少しずつ惹かれ合っていくのだろう。
『朝から疲れたけれど、初動としては悪くなかったんじゃないかしら』
『二人とも満足そうだし、上手くやったね。朝からお疲れ様』
サフィルスの労いの言葉に、私も肩の力を抜いたのだった。
***
『お友達』アピールはペトラには効果絶大だったようで、私は名実ともに彼女の友人ポジションを得ることに成功した。
……というより、想像以上にペトラが私に懐いてきたのだ。
どれほどかといえば、サフィルスも驚くほどの従順っぷりである。
いくらお花畑とはいえあの日の彼女の行動は無謀過ぎたが、周囲に唆されていたことも判明した。
下位貴族の令嬢であるペトラが、幻獣である一角獣を召喚したことが気に食わなかったのだろう。
高慢な公爵令嬢にぶつけることで、出る杭を打とうとしたらしい。
ペトラ自身も極度の興奮と緊張によって従魔召喚に関する手順以外の注意点を聞き逃していたというので、提案の悪質さに気付いていなかったのだった。
いつもであればいろいろとやり返すところではあるけれど、そこもサフィルスに強く止められたので何もしていない。
ただ私とペトラが親しく交流しているだけで悔しそうにしているので、これはこれで良いかと思う。
時には急速に友好を深める私とペトラにヴィルフリートが苦言を呈するほどであったが、あちらはあちらで少しずつ仲が進展していた。
先の展開を聞かされている悪役令嬢たる私は、こうなると当て馬どころか恋のキューピッドである。
しかし今回は友好的な悪役令嬢のせいか、二人の恋心の自覚が格段に遅くなったらしい。
互いに惹かれ合っているのは一目瞭然ながら、当人たちは恋の成せる業というのか、時折極端にものわかりが悪くなり……堪えられなくなった私が全てを台無しにしてしまいそうになることもあった。
その度にサフィルスが情けない声を上げながら止めるので、なんとか目的のために動き続けることができた。
「アリアドネ様の婚約者を、私は……」と顔を青くするペトラ。
「ペトラを愛しているんだ。彼女と共にありたいと思っている。君には、どう償えば良いのか……。本当に申し訳ない」と真摯な表情で頭を下げるヴィルフリート。
己の気持ちに気付き、想いを伝え合った二人が私の元へとやってきたのは、卒業を目前にしたころだった。
「――いや、遅いのよ!!」
思わずそう叫んでしまったのも仕方のないことだろう。
とはいえ、このような事態になってしまった責任の一端は私にもある。
ヴィルフリートとペトラが二人きりで仲を深めるところに、高確率で何故か私も引き入れられて、逃げ切れなかったのだ。
お忍びで街歩きをしたり、買い食いをしたのが楽しくなかったと言えば嘘になる。
『でもようやく、ここまで来たね』
『そうね……お友達のままで終わってしまうのかと思ったわ』
強引に発破をかけようとする私と止めるサフィルスの言い合いも、最早日常となっていた。
筆頭公爵家の娘を婚約者に持つ王太子と立場の弱い子爵令嬢では、嫌がらせをする悪役令嬢という立ち向かうべき敵もおらず、尻込みしてしまう気持ちもわかる。
けれどこうして私に打ち明けたということは、諦めるつもりはないのだろう。
簡単な道のりではなかったが、とうとうここまで来たのだ。
準備は万端である。
サフィルスの繰り返した過去から、二人が結ばれる未来が存在することはわかっている。
私はそれを確実なものにするために、ペトラの地盤固めへ注力していた。
一角獣のマルガリータを連れ各地の慰問へ訪れるペトラは、幻獣に愛された聖女との呼び声も高い。
天真爛漫では済まされないお花畑らしい振る舞いも、折を見てしきたりやマナーを教え込んできたので、多少はマシになっている……はず。
「私、ずっと二人のことを応援していたのよ。だから気に病んでもらう必要はないわ」
「アリアドネ様……!」
「アリアドネ……!」
感動しているところ悪いけど、私とサフィルスにとって二人が結ばれることは確定事項なのだ。
その先に……私が命を落とさず、サフィルスが力を取り戻す未来があることを願うばかり。
『どう転ぶにせよ、未練は少ないように、やりたいことをやってきたつもりだから後悔はないわ』
『そうだね。……でも僕は、君がおばあちゃんになるまで幸せに生きてほしいんだ』
『ふふ、そこまで貴方が背負わなくて良いわ。本来の姿に戻れたら、契約を解消して、好きに生きても良いのよ』
膝に抱いたふかふかの毛並みへ指を滑らせる。
この数年間で、サフィルスは少しずつ成長していた。
今はもう抱え上げるのにギリギリの大きさで、子犬の姿だったのが懐かしいほど。
この調子なら、もう数年もあればほぼ成体と呼べるようになるだろう。
『違うよ、そんなつもりじゃない。それにこの先何があろうと、僕は君の傍にいるよ』
『あら。それはそれは、どうもありがとう』
信頼関係で結ばれた従魔は生涯を共にする存在だが……サフィルスにとって、繰り返す過程で失った力を取り戻すのが最重要だったはずなのに。
こうして告げられたサフィルスの言葉は、純粋に嬉しかった。
***
それから数日後、王宮にて私とヴィルフリートの婚約解消について話す場が設けられた。
室内には国王夫妻とヴィルフリート、私の両親であるグライナー公爵夫妻、そして私とサフィルス。
従魔を連れていることに何か言われるかと思ったが、私がどこにでもサフィルスを抱えていくのはよく知られていたので、特にお咎めもなかった。
この場にペトラはいない。
私とヴィルフリートの婚約解消だけで一大事なのだ。
応援や援助は惜しまないけれど、婚約解消から先のことはヴィルフリートとペトラがどうにかすべき問題である。
「其方たちの婚約解消の意志が固いことはよくわかったが……話を聞く限り、ヴィルフリートの身勝手が理由であろう?」
私とヴィルフリートの話を聞いた国王陛下が、額を手で押さえながらため息交じりに言った。
王妃殿下や私の両親からも、冷たい視線がヴィルフリートへ突き刺さる。
我が婚約者殿が身体を固くしたのが伝わるけれど、その程度の誹りは受け止めて乗り越えるべきことだ。
苦し気な息子の様子には目もくれず、陛下は言葉を続けた。
「アリアドネには損でしかないはず。それなのに、何故庇うのだ? こう言ってはなんだが……今からでは、新しい結婚相手を見つけるのも難しいだろう。其方たちにどう詫びて落とし前をつけるべきなのか、見当もつかん」
私の両親の表情は険しく、王家側は頭を抱えているが、私としては破滅を回避できれば御の字だ。
しかし本人たちの希望とはいえ、瑕疵のない公爵令嬢を恋愛感情を理由に皇太子の婚約者の座から排したのでは、両家とも面目が立たないだろう。
こうなることは見越していたものの、サフィルスが「そこから先は僕に任せて!」と譲らなかったので、私はこの毛玉を信じて流れに身を任せるしかない。
私を見上げるアイスブルーの瞳に一つ頷くと、サフィルスを床に降ろした。
「みんな、どうか僕の話を聞いてほしい」
大人たちのため息で満ちた室内に、堂々とした声が響いた。
部屋中の視線が、膝丈ほどの青い犬に集中する。
「アリアドネの犬が何を?」という視線をものともせず、サフィルスは犬なりに気品を感じさせる姿勢で周囲を見渡した。
「僕の名はサフィルス・フォン・リヒター。事情があり、今はこのような姿をしているが……レーヴェンタールを守護する精霊である」
「なっ……!?」
驚嘆の声を上げたのは私だけではない。
この国でリヒターの名は特別だ。
元々は建国の際に王族に協力したという精霊に与えられたものだが、代々受け継がれる家名ではなく……稀にその名を持つ精霊が現れた際、人の世で活動するために使うものとされており、対外的な爵位は大公となる。
サフィルスが精霊だと知っていたのは私だけだが、私もまさかサフィルスが『リヒター』とは思わなかったのだ。
精霊自体が特別とはいえ、やはり私にとってサフィルスは犬。
先例が百年以上昔というお伽話のような存在だとは、とても信じられなかった。
サフィルスの発言にも驚いたが、それよりもこの局面でその名を出すということは……。
『やってくれたわね、サフィルス……!!』
私の恨み節にも、サフィルスは反応しない。
そして室内が衝撃に包まれる中、決定打を繰り出した。
「王太子と我が契約者の婚約解消については、こう発表すれば良い。ただ、『アリアドネ・フォン・グライナーは精霊に選ばれた』と」
「そっ、それはつまり……」
「僕がリヒター大公として、アリアドネを娶る。僕の契約者である彼女が生きている限り、この国は安泰。王太子との婚約解消など、話題にもならないだろう」
父の問いかけに、サフィルスは何でもないことのように頷いた。
犬の姿で何をと思うけれど、力を取り戻しつつあるサフィルスならば……人の姿となることも可能だろう。
実際、美しい青年の姿をした精霊と契約者である麗しい姫が結ばれたという言い伝えもある。
前例もあるし、確実に精霊の庇護を得られるとあれば、国にとっても国民にとっても利点しかない。
婚約解消のみならず、ヴィルフリートとペトラの関係も精霊が……『リヒター』が祝福しているとなれば、大手を振って歓迎されるに違いない。
――本当に、お伽話のような大団円。
サフィルスはこれを狙っていたのだ。
肝心な部分を私に話さなかったのは、反対を恐れたためだろう。
全てが丸く収まる方法を、これまでの繰り返しの中で使わなかった理由も想像がついた。
ヴィルフリートとペトラを許せない気持ちもあっただろうし、何よりかつての私自身がサフィルスに……自らが召喚した従魔に、犬の姿をしたこの存在に全てを解決させるなど、矜持が許さなかったのだ。
従魔は契約者の意に反した行動を取ることができない。
だからサフィルスは今回、私からの信用を得つつも、所々で重要なことをはぐらかしてきた。
意図は理解はできるものの、どこか裏切られたような、打ち明けてもらえなかった悔しさのような気持ちが残り、心は晴れない。
男性陣には更に話があると、私たちは一度退室を促された。
これまで私が抱えていた犬だというのに、やはり精霊は幻獣以上に憧れの存在なのだろう。
王妃殿下と母は私が精霊に選ばれた乙女だと喜色もあらわに盛り上がっていたが、私も同じように喜ぶことはできなかった。
しばらくして再び呼び出されたころには、猛烈に腹が立っていた。
もう私には収拾不可能なほどに話が進んでしまっている。
あの日召喚されたばかりのサフィルスが無茶苦茶なことを叫んだのと同じように、受け入れるしかないことを知っているから。
そんな私だったが――開かれた扉の先の光景に、目を見開く。
「サ、フィ……ルス?」
視線の先には、真っ青でふわふわとした髪の美少年がいた。
年頃は学園に通い始めるより少し前くらいだろうか。
王子の服を着せられているのかやけに豪奢な衣装に身を包みながらも、どこか自信なさげな様子で伏し目がちに視線を彷徨わせている。
そんな姿に、私は――時が止まり、心臓を射抜かれたような心地がした。
嗚呼……!
馬鹿ね、本当に馬鹿だわ。私も、かつての私たちも……!!
何が仕返し、何が矜持。
そんなものはどこへなりと放り投げてしまえば良い。
この胸の高鳴りを、なんと表現すればいいのだろう。
これではあのお花畑たちを笑えない。
私の幸せは、すぐそばにあったのだ。
「アリアドネ? あの……僕だよ、サフィルスだ。その、今はまだこんな姿で、もうしばらく待たせてしまうけど、ちゃんと成長――」
「なんてこと!! もったいな……んんっ、コホン。い、いえ、そんなに急がなくても……! そう、気にしなくても良いのよ? それより貴方……人間換算したら、何歳くらいなのかしら?」
「そうは言っても……うーん、精霊にあまりその概念は関係無いけれど、これまでの年数を数えると……大体二十五歳とか、そのくらいじゃないかな」
――合法!!!!
何故かわからないけどその単語が頭を駆け巡り、更に教会の鐘が響く中、天使がラッパを吹き鳴らした。
薔薇色の人生が、我が身に訪れたのだ。
ようやく犬の姿を脱したサフィルスだが、人の姿となっても年若い見た目なのが気に入らないらしい。
「すぐに大きくなってみせる」だの、「成長したらもっとカッコいいのに」だのと言っているが、とんでもないことである。
成長しきってしまう前に、今の姿を目に焼き付けておかなくては!!
つい先ほどまで犬の姿で抱き上げられて私の膝に乗せられていたことを思えば、たまらなく庇護欲が掻き立てられる。
というより、これまでそうして過ごしてきたのだから、今から同じことをしても許されるのでは……!?
服だってたくさん買い与えたいし、過ごしやすく居心地の良い部屋も新しく作らなくちゃ!!
やりたいことがたくさん出てきて、全く、忙しいったら。
嗚呼、もう……! 大団円、万歳!!
「ふふ、サフィルス。これからも楽しくなりそうね」
「えっと、うん。君に嫌がられなくて良かったよ」
「ちっとも嫌じゃないわ。むしろ……いえ、ふふ。どうぞよろしくね」
きっと、今の私は蕩けるような笑みを浮かべているに違いない。
私の予想外の反応に照れている姿も、実に可愛らしい。
それからは契約者兼飼い主改め、婚約者としてサフィルスを構い倒した私だったが――あっという間に追い抜かされて立場が逆転することを、まだ知らない。
「ざまぁしないのもたまには味変えで良いかな~」と思って書いてみましたが、いつになく平和な感じでソワソワしています←
作中で書く場所が無かったのですが、一応サフィルスは氷狼というありがち設定ですw
アリアドネがことごとく犬として扱ったためにそれらしい出番がなく、判明する機会もないままショタ形態になりました←
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ここまでお読みいただきありがとうございました!!