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第45話 窮迫と思いやり

 昼下がり、兄セルシウスがフェルドリックと時同じくしてハイド城に戻り、ソフィーナの部屋を訪ねてきた。

(先触れなしって、お兄さまにしては珍しい。つまりお急ぎ。となると……)

 侍女長に手配してもらった既製品の質素なドレスを手にしたまま出迎えれば、彼は目を瞬かせる。

「今晩の戦勝会、まさかそのドレスで出るつもりかい……?」

「だって、私、身一つで戻ってきたんだもの。亡くなった人もいるのに、わざわざ急いで仕立ててという気分にもなれないし。じゃなくて、お帰りなさいが先だったわ、お兄さま」

 こういう時は便利だわ、と自分の平均の体格を初めて誇らしく思うソフィーナに対し、兄の感想は違ったらしい。元々固い顔をしていたのに、渋面にまでなってしまった。


「ただいま、ソフィーナ。ええと、そのドレスも気になるんだけど、その前に色々話があって、」

「なんとなくわかりますけれど……今はそっとしておいてくださいませんか?」

「…………わかった、ソフィがそう言うなら、そっちは今は触れないことにする。ただ何かあるなら、いつでも言いなさい。できる限りのことをするから」

(ぐちゃぐちゃで何も整理がついていない。たとえお兄さまと言えど、話したくない――)

 フェルドリックとのことだと察し、先手を打ってけん制すれば、心配と不満を顔に乗せつつも優しい兄は引いてくれた。


 だが、ほっとできたのは一瞬だった。

「でも格好のほうはもう少し華やかにしなさい。オーレリアは……貸してくれないだろうな。となると今から対応してくれそうなのは……」

「大丈夫、伝書隼で勝利の連絡が行っているので、手配済みのはずです。そろそろ来る頃かと」

 ため息をついた兄に、フィルが「王后陛下はそういう方です」とにこりと笑う。

 直後、乳母のゼールデを伴った侍従長が本当にカザックからの贈り物を持って、ソフィーナの部屋の戸をノックした。



「カザックの王后陛下は、本当に素晴らしいお人柄なのですね、戦勝にふさわしいのに、華美ではない。お気遣いに溢れています」

「ええ、本当に素敵な方よ。とてもお忙しいご様子なのに、私がカザックに馴染めるよう、お茶会を頻繁に開いてくださったわ。落ち着いたら、離宮に一緒に行きましょうとも仰ってくださって……」

 優しくも気品あふれる義母から贈られてきたのは、ソフィーナの心情を知っているかのようなものだった。

 一見黒に見えるようなミッドナイトブルーのAラインドレスのスカートは、広がりが少な目で、首周りはハイネック、長袖部分はレースで、肌の露出が抑えられている。アクセサリーは、真珠をあしらった控えめなものだった。

 上質でありながら、喪失への傷みが垣間見えるもので、ソフィーナも抵抗なく袖を通すことができた。


「本当におきれいになられましたね、ソフィーナさま」

「ありがとう。でも、9割は王后陛下から賜ったドレスと宝飾品効果よ」

 ドレスの腰回りを調整するゼールデからかけられた言葉に、くすっと笑って返すことができた自分にソフィーナは驚いた。以前はゼールデたちが気にすると思って言えなかったのに、と。

「……いいえ、自信に満ちた、そのお顔のせいですよ」

 ゼールデは目を見張った後、アンナに似たその顔を優しく緩ませた。

(ああ、そうか、必要以上に引け目を感じていたのは、私なのだわ……)

 本当に嬉しそうに笑う乳母の顔にそう悟り、「ふふ、じゃあ、頑張ったかいがあったわ」とソフィーナは笑い返した。


「またこうしてお世話できることがあるなんて、思っておりませんでした」

「私もよ。不謹慎だけれど、また会えて本当に嬉しいわ、ゼールデ。アンナも連れてこられれば良かったのだけれど……って、無理ね、私、戦争のために帰って来たのだった」

 鏡の中でソフィーナの髪を結い上げるゼールデと、お互い感慨深く会話する。

「向こうで、私、アンナにものすごく助けられたの。ゼールデに顔向けできないくらい、色んな負担をかけてしまったわ」

「姫さま、アンナにまで、そんな風にお気遣いいただかなくともよろしいのです。あの子自身がそれを望んでおります。私もですが、あの子もソフィーナさまを心からお慕いしているのですよ」

「ゼールデ……」

「ほら、お泣きになりませんよう。せっかくのお化粧が崩れてしまいますよ」

 ソフィーナは今回の結婚についても、その後のカザックでの生活についても、ゼールデに何も話していない。けれど、何かがあったことを察しているのだろう。そして、それについてソフィーナが話したくないと思っていることも。

「アンナもですが、私も、ずっとずっと、ソフィーナさまを想っております。そしてメリーベルさまも」

 ゼールデは最後の髪飾りを止めると、皺の刻まれるようになった顔を優しく緩めて、ソフィーナの頭を小さく撫でた。幼い頃、何度もやってくれた仕草だった。



「妃殿下、ちょっといいですか……?」

 ノックの音にびくついてから、呼吸を整え、緊張と共に返事をすると、ドアから顔を覗かせたのはヘンリックだった。

 安堵の息を漏らしてから、彼に似つかわしくない固い顔に、ソフィーナはまた緊張を取り戻す。

「あー、その、アレクサンダー・ロッド・フォルデリークが少しお時間を頂きたいと」

 フェルドリックの従弟であり、親友でもある人の名に息を呑めば、ヘンリックの眉間に皺があることにも気づいてしまって、ソフィーナは怖気づく。

「どんな話、なのかしら……」

 シャダとの戦闘が終わった朝、フェルドリックへの想いを諦めると思いきったはずだけど、あの晩のフィルとヘンリックの会話を耳にして、彼の言葉の、行動の意味をもう一度見つめ直してみようと思った。

 その翌日から事あるごとにそんなことを考えてきたけれど、何が本当で何がそうじゃないのか、願望と自己防衛の否定が入り混じって、相変わらず区別がつけられない。


(でも、悪い話ならもういいわよね……)

 逃げる口実が見つかったと卑怯な考えを持った瞬間。

「いや、この顔は別件――あれ、止めてもらえませんか……?」

「?」

 そうしてソフィーナはヘンリックの指さす方向、ドアの向こうを窺った。



「夫婦と名乗っていたんだって?」

「に、任務の上で便宜上……」

「ふうん、任務、ねえ。わりに“本物みたいに”“仲良さそうに”“寄り添って”現れたと評判じゃないか」

「そ、それは歩けない状態でいらしたから、お支えしていただけで」

「“いじらしい”までに“一生懸命”“丁寧に”看病していたんだってな」

「え、だって仕事じゃなくたって、誰かがひどい怪我をしていれば、そうしますよ。まして妃殿下のお兄さんじゃないですか」

「本当に恋に落ちたんじゃないかって話もあったな」

「は? そ、それはまた無責任な噂……」

「恋人はいるのかと、あちこちで訊かれたぞ」

「はい?」

「恋人どころか夫――言ってなかったのか?」

「ちょ、ちょっと、いや、だって……あ、あれ? 言ってなかったっけ? そういや、誰にも訊かれてない……」


(なにあれ……)

 ヘンリックが顔を引き攣らせている理由が、よく理解できた。

 ソフィーナに接するときの柔和な空気とはもちろん、遠めに見かけた時の冷たい雰囲気とも、フィルと再会した時の激甘な態度ともまた違って、今アレクサンダーを取り巻いている空気は、身の危険を感じるものだ。

 一応彼はソフィーナにとっても、臣下にあたる身分ではあるが……。

(こ、の間に入るのは嫌、というか無理……!)

と咄嗟に思ってしまって、ソフィーナはつっと顔をそらしたが、運の悪いことにその先にヘンリックがいて、目で訴えかけてくる――逃げられない。


「だだだだだからって何があったわけじゃなし、ア、アレックスが怒る理由は……」

 猫の子のように怯えと警戒を見せながら応じたフィルに、アレクサンダーの冷気がさらに増す。

(フィル、本当にヘンリックの言っていた通り鈍いわ。戦闘の時とか、頼りがいしかない人なのに……)

 思わず呆れた瞬間、その彼女と同レベルと言われたことを思い出して、ソフィーナは顔を引きつらせた。

「相変わらず非常識に鈍いな」

(その言葉、私にも刺さった……)

 切り捨てるようなアレクサンダーの物言いに思わず呻き声を漏らせば、「……へえ?」というフィルの低い呟きが耳に届いた。傍らでヘンリックが「あー……」とため息を漏らすのが聞こえた。

「アレックスがそういうこと言うの、へええ。ねえ、この間、家にまで「愛人でもいい」って言って押しかけてきた子がいたけど? 何でも街で助けられて、優しくしてもらって家まで送ってもらって、「何かあれば相談に乗る」って言われたって」

「あれ、は、それこそ仕事で」

「ねえ、仕事でどうやったら、“愛人”なんて話になるのかな? しかも結婚しているって知られていてなお?」

「い、や、それとこれとは、」

「違う? ――どこが?」


(意外。仲がいいだけじゃないのね……)

「喧嘩するのね……」

「昔はしなかったんですけどね、理解し合う為だからいいんですって。他より被害が大きいのがかなり迷惑なんですけど」

 そうヘンリックが苦笑する。

「言いたいことを言って、相手の言いたいことも聞く、それって大事なんですよ」

 そうしてヘンリックはソフィーナを見つめ、「頑張って。応援してますから」と頭に手を置いた。

「……」

 甘やかす時間は終わりということだ、と悟ってソフィーナは息をつめた。

(どう、しよう……だって、やっぱり怖い)

 ヘンリックの茶色い目はいつも通り優しくて、ソフィーナは余計居たたまれなくなる。そこから逃れたくて、相変わらず睨み合っているアレックスとフィルの間に割り入った。

「……アレクサンダー、話があると聞いたのだけれど?」



「フェルドリックが、今夜妃殿下のエスコートをしたいと」

「……」

(……忘れていたわ。いつものつもりでお兄さまと出る気だった)

「念のためお願いに伺ったのは正解だったようです」

 暗に“忘れていただろう”とほのめかされて、ソフィーナは咄嗟に「わざわざありがとう」と微笑み返した。

(忘れていたとは言えば、こっちもだ。この人は相手の考えを読んで、先回りして行動してくる。フィルの夫とはいえ、油断してはいけない――)

「夫婦なのですもの。改めてこのように申し込んでいただいて、意外ではありましたが、光栄です、とお伝えください」

 自分の言葉にいちいち傷つきながら、仮面を被って取り繕ったソフィーナに、アレクサンダーは苦笑を漏らした。途端に、さきほどまでの固く冷たい雰囲気が散っていった。


「そんな風だったんです、私が最初にフェルドリックと出会った時も」

「え?」

「あなたが今、王女、太子妃にふさわしい行動を選んで演じたように、当時の彼も計算して、かわいくも賢い、思いやりのある“6歳の王子”を演じていました。ところが周りから人がいなくなった瞬間、本性をさらけ出してきて……。最初は唖然として、次に腹が立ってきて、できるだけ関わらないでおこうと思いました」

 そう語る青い目の端は、ひどく柔らかい。ああ、フェルドリックが彼を気に入っているだけじゃない、彼もフェルドリックのことを好いているのだ、そう伝わってきた。


「でも、今は仲良しに見えるわ」

「最初の頃を考えると、不思議で仕方がないのですが」

 そうしてアレクサンダーは低く笑った。

「ちなみにフィルとの出会いも、フィル曰く「人生において最も身の毛のよだつ瞬間」だったらしいです。彼女の場合は、その後も私の比でなくひどい目に遭っていますし、今でも彼女曰くの“天敵”」

 ヘンリックの時のも見ていましたが、あれも中々、と彼は目の前の茶に手を付ける。

 その美しい仕草に思わず見蕩れてしまうのは駄目なことかしら、などと考えているのは、淡い期待にブレーキをかけようとする、ここ1年の習慣なのだろう。


「妃殿下の事情が我々と違うことは、重々に承知しております」

 笑みを引っ込めて、彼はどんな宝石より美しい青の瞳をまっすぐソフィーナに向けてきた。その瞳に、彼はソフィーナがフェルドリックに対して抱いている思いを知っているのだ、とごく自然に悟った。


 フェルドリックは気に入った人間には全てあんな風だと仄めかしたアレクサンダー。同時に、彼は受け手が違えばそれに耐えられないことにも理解を示してくれた。

 上手く退路を絶たれた、と気付く。


「もう一度だけ機会を与えてやって欲しい――これは彼の従弟としての願いです」

(ほら、そうして決定打をきっちり渡すのだわ。しかも臣下としての立場を上手く捨てて、私が命令できないようにして。本当に抜け目のない人……)

 隠しきれなくなって、ソフィーナは眉根を寄せた。

「……善処、します」

 最大限悪足搔いてひねり出した言葉にアレクサンダーは優しく微笑むと、カップを戻し、席を立った。


「そういえば、妃殿下」

 アレクサンダーは思いついたかのように、戸の前で振り返る。

「7年前にオーセリンで開かれた捕虜の取扱協定の会議。そこで傍聴を希望した少女とは、貴女のことでしょう?」

「え、ええ……」

 虚を衝かれて間抜けな返事を返す。

「「賢そうな大人びた子だったのに、話しかけたら赤くなって可愛かった」らしいですよ」

「……」

「滅多に他人に興味を持たないんですが」

 息を止めたソフィーナに小さく笑いかけ、アレクサンダーは部屋を出て行った。


「おぼえてた……」

 閉まった戸の内側でソフィーナは脱力し、ソファへと身を沈ませた。

 

 長々と息を吐き出しながら両手で顔を覆えば、その時の光景が脳裏に浮かんでくる。

『なるほど』

 オーセリンの議場でそう言って笑い、頭を撫でてきた、ソフィーナの記憶の中のフェルドリックは、まだ幼さを顔に残している。


「やっぱりフェルドリックの従弟ね。策士だわ……」

(でも、優しい)

 息をつめそうになってしまうのを何とかしたくて、天を仰ぐと、ソフィーナは目をつむる。そのまま深呼吸を数度繰り返した。


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