カンヴェデオの悪魔
シェラは、己の回復術を極めるために奮闘する。すべては、自分を仲間と受け入れてくれた皆のため。
身体を左右に分けた時、命を司るのは右側だという。
「心臓は左側にあるのに、不思議」
「自分自身の生命力の中心と、他者の生命力を操作できる部分は違うんだよ。利き手も関係ない。白魔道士は誰でも右手を支柱に回復術を扱う」
クワトロは義手の右手で頬杖をつき、古い本に囲まれたシェラを眺めていた。
「潜在魔力と回復術のセンスは天の恵みレベルだねえ……おつむはさておき」
「おつむ……」
「うん、おつむは残念」
「ざ、残念……」
がっくりとうな垂れたシェラの肩に、するりと小さな蛇が這い出した。
「この俺の傷を完璧に治したんだ、大したもんだぜ」
「うう、ありがとリオウ……でも、こっちに来ちゃって良かったの? エルは」
「俺様の出番はまだ無えだろう。アイツ、灯火の地の一件からますます気味悪ぃしな」
尻尾をぴちぴちする小さな蛇は、ちらりとクワトロを見た。
「あっちも同じくらい気味悪ぃけどな」
稀代の白魔導師と謳われたクワトロ・エンデは、その名を知らぬ者のない英雄だ。数々の戦場であまねく命を救い、民間にも信奉者が多い。クワトロの名は島国アマルドにも届き、シェラも幼い頃、彼の英雄譚を聞いて育った。
「うーん、もっと優しそうな人だと思ってたなあ」
「優しいよ? たとえば、亜竜の群れにセヴォーを襲わせたり、アリアテの命を狙ったりしないし」
無表情に言うクワトロに引きつった笑顔を返して、シェラは課題に戻った。彼女は今、湯治の地カンヴェデオ区の隠れ家にて、白魔道の基礎を学んでいる。
幼い頃に聞いた英雄像とはやや離れているが、その実力は本物だ。対面しているだけで、クワトロの潜在魔力の高さがうかがえる。
(何もかも格上だなあ……でも、こんなにすごい白魔導師なのに)
シェラは表情を曇らせた。
クワトロは十年前の内乱で負傷し、以来、彼の右半身は義手に義足となっている。魔力の流れはあるものの、造りものとなった右手では、白魔道を扱うことはできない。
(白魔道は「守り、陽」を司る右半身を主軸とし……生体を通して行なう……)
白魔道の基礎がつづられた書籍には、そう記してあった。
つまり、クワトロは義手である限り、二度と白魔道を扱うことができないのだ。彼自身も、シェラを引き取った際に言っていた。
『僕は白魔道を教えることはできるけど、実践することはできない。滑稽だろう? 回復術を失った男が、白魔道士を率いて高官の座にあぐらをかいているなんてね』
しっかり本は読みこんでいるが、どうしても視線がクワトロの義手にいってしまう。
(あれ、治らないのかなあ。クワトロ様の力でもダメなんだから、あたしが何かできるってわけでもないんだろうけど……)
あまりに見つめすぎて、とうとうクワトロと目が合った。
「こら、集中」
「はいっ」
本にかじりつくシェラを眺め、クワトロはかすかに笑みを浮かべた。
(久しく見ない逸材だ。僕の後継者にしたいくらい……いじめがいがある)
シェラはぞくり、と背中を震わせ、クワトロの顔を見ないように必死でページをめくった。
「んん、へし、え、へ」
「弊。疲弊って読むんだよ。くたびれるってことだな」
「そうかあ。ふむふむ」
シェラにとっては難しい言葉のオンパレードで頭が痛いが、仲間のためなら何のその。リオウに手伝ってもらいながら、クワトロの寄こした五冊分の基礎学習を終えた。
「終わった?」
クワトロは優雅に食後のティータイムをたしなんでいた。
「うう、お腹すいた……」
「これからもっとすくよ。はい、実践」
「ええ」
不満を言う隙もなく、クワトロは自身の左手首を握りつぶした。悲鳴を上げるシェラに、ぶらりと砕けた左手を突きつける。
「骨と、神経もいってるかも。五分で治して」
涼しい顔で待っているクワトロの手を取り、シェラは恐るおそる机に置いた。痛みを取りながら手近な本で添え木をして、本格的な治癒に入る。
「あー痛い。まだ?」
「も、もう少し……丁寧にやらなくちゃ」
「精確なのは絶対条件だよ。君には精度も速度も足りない。しかも顔が硬い」
「えっ 顔」
「集中力を乱さない。耳だけ貸す」
シェラは「ハイ」と小さく返事をして、三角耳をクワトロのほうへ向けた。
「あのねえ、そんな真剣にコワイ顔して治療したんじゃ、患者は不安でしょ? 傷病者を緊張させてどうするの……技術も経験もいまひとつなら、せめて愛想ぐらい良くないと、取り柄がないよ」
「う、うう、頑張りますぅ」
「頑張らないで当然できる、ようになるまで、半人前にもなれないからね」
耳も尻尾もしょんぼりうな垂れたシェラは、指導鞭撻にめげることなく、一定の魔力を注ぎ続けた。
(安定感はあるな。それと、痛みを癒す技術はすでに導師級)
回復術には治癒を促進するほか、痛みを取り除く力もある。シェラの回復術は、どちらかといえば鎮痛作用のほうが大きかった。
(だから、本当は治療開始から全然痛くないんだけどね。複雑骨折で無痛まで持っていけるのは相当だな……)
クワトロはにまにましながら、「まだ? すごーく痛いんだけど」というクレームをくり返した。焦りながらも慎重に治療すること十五分、ようやく、クワトロの左手首は元通りに繋がった。
「ああ、すごく時間がかかったねえ。苦しんでいる人に十五分は長いよねえ」
「ご、ごめんなさいぃ……」
クワトロは稀代の白魔導師という輝かしい名前の他にも、二つ名を冠する。その冷酷無慈悲な性根から、陰では「右半身は、本当は権力のために魔族に売った」と囁かれ、【左半身の悪魔】と呼ばれているらしい。
(悪魔……悪魔かも……)
涙ぐむシェラの前で、クワトロは軽快に左手首を振った。
「痛みを取り除く才能だけなら、一番弟子にしてあげてもいいくらい。本当は最初から全然痛くなかったよ。なかなかできることじゃない」
はた、とシェラの動きが全て止まった。突然褒められて、思考停止に陥ったらしい。硬直したシェラをしばし眺め、クワトロは飽きたように席を立った。
「食材は用意してある。適当に調理してお食べ。じゃ、お休み」
クワトロが部屋を出て数分後、呆けていたシェラは本を片づけ、室内を軽く掃除して台所に向かった。
「うわあ、野菜、野菜ばっかり」
震えながら野菜を手にとり、においを嗅ぎ、シェラはふるふると毛を逆立てた。肩にひょろりとリオウが這い出る。
「肉、仕留めてきてやろうか?」
「ええと……コワイ響きがするので、とりあえず今日はコレ食べる。リオウは外食してくる?」
「そうしてえが、俺様の腹を満たすほど狩りなんぞしたら敵に見つかっちまうからなあ。俺様は水があればいい」
「節約家だねえ。魔道士ってどんな魔道の使い手でも、魔法を使った後はすごーくお腹が減るんだよ。アリアテも、魔剣を使った後はお腹をすかせてたっけ」
シェラは二股ニンジンの泥をよく落とし、根と葉に分けて鍋に入れた。鶏ガラの粉末出汁と香草を加え、煮立つ直前でイモを足す。バターを半欠け溶かして、夕飯のスープの完成である。
「ここに、ライ麦パンを浸して食べまーす。リオウの分もあるよ」
「おお、ありがてえ」
「いつも助けてもらってるからね、遠慮しないで」
食事を平らげると、シェラは軽く体を拭き、客間のベッドに潜りこんだ。リオウは寝返りに潰されないよう、サイドテーブルに置かれたハンカチの上で眠る。時々薄目をあけて、シェラの寝顔を眺めた。
(荒神だった俺様をよくもまあ、手懐けたもんだ)
命を助けられた恩義だけではない。シェラの回復術からは、絶対に助けるというひたむきで優しい思いが伝わってきた。
(ばか正直で疲れやすい、損な性格してるぜ小娘。仕方ねえからこの俺様が、あほ面して眠っていられるように見張っててやる)
翌朝、シェラはパンとミルクを掻き込み、クワトロの書斎に向かった。
「今日は傷病についてお勉強します」
「ふぁい!」
返事とともにあくびが出たが、クワトロは不問とした。約六時間の座学の末、さまざまな症例を挿絵つきで学んだシェラは憔悴しきっていた。
「うう、ああ……食欲ないよお……」
ぐったりしているシェラの前に、クワトロは焼きたての鶏肉を置いた。
「はい、お昼ご飯。タンパク質とって元気出す」
「ひぎゃああっ 火傷と組織破裂とそれからっ」
シェラが反射のように鶏肉を回復しようとするのを、リオウが尻尾をのばして止めた。クワトロはそこへナイフとフォークを握らせる。
「こら。せっかく僕が焼いてあげたのに、生に戻してどうするの。生肉なんてお行儀の悪いものは食べさせないからね」
「あっ あっ ごめんなさ……ひ……火傷はまず患部の殺菌を……」
ブツブツ言いながらかじりついた肉は、表皮はこんがりと焼け、中はふっくらと火が通っていた。ほんのり甘い脂と肉に、失せていた食欲が戻ってきた。
「おいひい」
感動するシェラに、クワトロはにっこりと微笑みかけた。
「症例をすぐ思い浮かべられるのは素晴らしい姿勢だ。午後は、これの実践だからね。治し方は頭のなかで復習しておいで」
「ひぃ」
小さな悲鳴を漏らしたシェラの肩から、クワトロはリオウを掬いとる。放心しているシェラをおいて、クワトロは台所の奥に引っ込んだ。
「ホラ、お裾分け。大食らいのお前じゃ足りないだろうけど」
そこには生肉の塊が二つ用意してあった。
「あんたは少食だな、そのナリで」
「まあね……今は隠居の身で、消耗も少ないし」
リオウはクワトロの手から這い降り、人ほどの大きさになると、生肉をがつがつと丸呑みにした。
「俺様まで養ってもらって悪いな」
満足してシェラのもとへ戻っていくリオウを見送り、クワトロは肉塊を掴んで食いちぎった。火も通していない赤身と脂を咀嚼しながら、ぼそりとこぼす。
「テーブルマナーも、僕には教えられないな」
(あの男はわざわざ調理させた肉を、ナイフとフォークを使って食べるらしい。人好きが過ぎる……)
「では鶏肉のソテーにちなんで、火傷と組織破裂からいってみようか」
言うなり、クワトロは暖炉の火かき棒を自分の左手に圧しつけた。
「いやあああっ」
悲鳴を上げながら、シェラは懸命に火傷を癒す。
「それから衝突による骨折と……内臓破裂は、僕が少し嫌だから、損傷くらいにしておこうか」
「やめて、師匠が死んじゃう、もうやめてえ」
数々の自傷行為に目を回しながら、シェラはひとつひとつ、怪我や病気の治し方を学んでいった。
「何か質問は?」
ぐったりしながら、シェラは手を挙げた。
「疫について、知りたいです」
クワトロは、ほう、と目を見開いた。
「基本的なことや判明していることはすでに勉強したよね。君なりの言葉に置換えると、疫はどんなものだと思う?」
「ええと、何だか、生き物の砂漠化みたいだなって。大地が枯れていくみたいに、生き物の体の中が、死の砂漠に浸食されていくような……」
「それは言い得て妙。だいたいそんなところだよ……疫は、海の生命力そのものが蝕まれたことによって生じた異変のひとつ。君たちが接触した幻海の精霊は海の意思が形を成したもので、彼は放浪することによって各地に海の力を届けようとした。本体は、すでに捕われている」
「えっ」
クワトロは、シェラから預かっているラサの羽を懐から出した。
「神の鳥も捕われた。奴らの悪巧みは着々と進んでいる。時間はないよ、シェラ」
傷病治療祭を無事に乗り切り、シェラは這々の体で町へくり出した。クワトロ直々に、湯治宿に連れていってくれるらしい。
「けっこうにぎやかな通りだけど大丈夫かな?」
「僕の側に居れば問題ないよ。そういう術だから」
アリアテたちがゲッテルメーデル入りした後、ばらばらに一角獣の面々へ預けられたのは、リスクと気配を分散させるためだ。
ガヴォ一派は今、大きな動きを控えているらしく、監視の目が厳しくなっている。いずれは白き司に乗りこむなりして直接対決は免れないにしろ、今はその時ではない。機会を待つあいだ、アリアテたちを安全に匿うには、少人数で行動するほうが有利だ。
元老院議員にして一角獣のひとり、アバデには「対象を匿う能力」があり、彼の力が働く特殊空間にいる間は、任意の者以外に感知されなくなる。今回は特殊空間への出入りができる札に一角獣の面々の名を入れて制限をかけ、当人に持たせることで、移動時も隠れ家にいるのと同じ状態にしているという。
「スグレモノですな」
「そう。ただ難点があって」
クワトロは宿の暖簾をくぐると、シェラとともに素知らぬ顔で女湯の更衣室に入った。
「術の範囲は半径10キーマ程度と狭い。じゃ、リオウとここで待ってるから」
「ここで、って」
硬直するシェラの前で、クワトロは本を取り出し、壁に向きあって椅子にかけた。ちら、とも周りの様子を気にする風はなく、気にされる様子もない。
「た、確かに黙って座ってれば女性に見えなくもないけど」
命を預かってもらっているのだ、仕方がない。義手で有名人だとばれそうな気もするが、シェラは考えるのをやめてそそくさと洗い場に移った。
久しぶりのお湯で疲れを洗い落とし、ゆったりと湯船に浸かる。半月が朧げな光りを放ち、髪の合間を夜風が縫っていく。高台の露天から家々の明かりを眺めるうち、全身を温かな血が巡って、生まれ変わるような心地がした。
「ああ、さっぱりした」
ぬくいまま寝間着に着替えたシェラは、読書を終えたクワトロに連れられ、宿の食堂に入った。
「お肉お肉」
「野菜もお食べ」
「ハイ」
終始上機嫌で、シェラは隠れ家に戻るなりばったりと寝入ってしまった。
「連日、高度な魔法を使わせているからね……明日はお休みかな。せっかく育った芽を潰しては元も子もないし」
「スパルタだなあ。相手はキトカの小娘だぞ」
「ふふ……この僕に迫る勢いの魔導師になるよ、この子は」
サイドテーブルに置かれながら、リオウは鎌首をもたげた。
「冗談だろ。あんたに迫るって?」
「僕は冗談を言わない。君もお休み、じゃあね」
静かに閉じられた扉をしばらく見つめて、リオウはシェラに向き直った。
(まさか。神と呼ばれたこの俺様ですら遠く及ばない存在に、獣族の小娘が?)
じっと、睨むようにシェラの寝顔を見つめていたが、その無垢さに力が抜ける。
リオウは、アマルドで亜竜の襲撃を受けた一件を思い返した。エルウィンは健闘したが、魔力を制御する呪いによって途中で倒れてしまった。あの時、リオウは言ったのだ。
『まあ、このほうが若造のためだ。過ぎた力を扱うには、ヒトの小せえ器じゃ足りねえからなぁ』
ヒトであれ獣であれ、混じり物であれ。シェラもまた、大いなる力を授かるには器が小さすぎる。
(瓦礫を投げつけられて、血を流して……それでも俺様の治療を諦めなかった。こいつ、いつか助けた奴に殺されるんじゃないか)
イリバシで永遠の生け贄となって縛られていた巫女と、シェラが重なった。巫女サーナは、生きていれば同じくらいの年頃だろう。イリバシの神官を継いで、同時に、セスナの五賢者の弟子になっているはずだった。
(クワトロが五賢者がどうの、と言っていたな……サーナは、五賢者の弟子なんぞに選ばれたせいで殺されちまったのか)
五賢者もその弟子も、常々世にあるわけではない。すべての五賢者が弟子をとるわけでもない。度重なる偶然によって、サーナは優れた巫女となることが約束されており、セスナの五賢者の目に留まったのだ。
本来ならば名誉ある、奇跡の連続がサーナを殺した。
「おいシェラ、勝手に死んだら殺してやるからな」
シュル、と不満の息を漏らすと、シェラは「ふぁい」と寝言をいった。
クワトロは書斎にて、シェラから預かったラサの羽を眺めていた。回復術を助ける力を秘めた神の羽は、それよりも大きな力で覆ってしまわないと気配が目立つ。
(神鳥をも利用する術ともなれば、もはや黒幕はただ一人。五賢者も一人を除き手中に落ちた。時間はない)
「お休み、小さなキトカの娘……ゆっくり眠れる夜は貴重だからね」
翌朝、シェラはいつものようにクワトロの書斎を訪ねた。
「今日はお休みって言ったでしょ。休むのも自己管理の内だよ」
「師匠に教えてもらえる時間は限りがあるじゃないですか。だからあたし、もっと勉強しておきたいんです」
シェラの視線はクワトロの右手にあった。
「生体適合する義肢……その繋げ方、とか」
「うん、まあ、それも必要になるかも知れないね」
クワトロは無造作に右腕を肘から外し、シェラに差し出した。
「ひいっ あ、軽い」
「軽くて丈夫で防水。繊細な動きもできるし、回復術以外なら魔道の使用にも耐える特別製だ……まあ、僕が望んでこうなったわけじゃないんだけど」
次いで、クワトロは義肢と肩の接合部を露わにした。雪のように白い肌に、痛々しい古傷が刻まれている。
「神経や筋肉を、それぞれ対応する内部機関に接合する。メンテナンスのために関節は簡単に外れるけれど、指先の感覚まで鮮明だよ……まったく、忌々しい」
高性能な義肢を、クワトロは心底嫌そうに一瞥した。
「ええ、でも、ここまで優秀な義肢だったら」
シェラが言い淀んだ続きを、クワトロはあっさりと引き継いだ。
「そうだね。仲間にもしものことがあっても、以前と同じ生活ができるだろう……ただ、誂えた目で見るものが、以前と同じかどうか」
「えっ」
慌ててクワトロの目を覗きこむシェラを、クワトロはうんざりしながら座らせた。
「僕じゃないよ」
――心臓の子、アルヴィス。カレスターテの統治者にして、管理者のひとり。
かつて我ら黒龍をはじめ、毒竜も仕えた魔界の王の、十二に分かたれた体のひとつ。
現在は忌まわしき名をとって【ルワーンの森】と呼ばれる、ラティオセルム南端の巨大馬の森で、アルヴィスはルワーンに食われた。失った肉片はほんのわずかだが、溢れだした魔素の奔流はあらゆる命を呑みこもうとしていた。
魔王の一部であるアルヴィスの力に、配下たる黒龍が及ぶべくもない。半身を犠牲にしたところで、ヒト一人守ってやれなかった。
だが、ルワーンという化け物は魔王の力に耐えた。わずかな肉から大いなる力を得て、正真正銘の化け物となった。
物思いに耽るクワトロは、シェラが義手のにおいを嗅ぎ始めたところで現実に戻ってきた。
「ところでシェラは、誰か好きな相手はいるの」
唐突な質問に、シェラは尻尾を爆発させた。
「えっ 何でです!?」
「回復術は、想いの力とも言ってねえ……好きな相手のことを思い浮かべると、回復量が上がるんだよ」
「そ、そんな冗談みたいな」
「僕は冗談を言わない」
「じゃあ、師匠もいるんですか? 好きな相手……」
「僕はいないよ。慈悲なんて無くても回復術は使えるからね、右腕を失くさない限りは」
シェラはぎこちなくクワトロの義手を返し、赤面してうつむいた。
「えへ……全然キトカらしくもないあたしのこと、何も恥じることはないって。黒い毛並みも、きれいだって言ってくれて」
「はあ、お前あの犬っころのこと気に入ってんのか」
会話に混じってきたリオウに、シェラは手を振り回して「内緒!」と連呼した。
「うるさい。シェラ、お座り」
「ハイ」
粗方のアリアテたち一行の顔を思い浮かべ、クワトロはわずかに表情を曇らせた。
(銀狼族、カレン。アリアテ以上に厄介だ……メシュタポのやつ、きちんと護衛の役を果たせばいいけど)
なぜ彼が、よりにもよってアリアテと関わっているのか。
「頭が痛いな」
「ご、ごめんなさいぃ……」
泣きべそをかくシェラの頭を撫でて、クワトロは苦笑した。