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Rees beruto 第2章  作者: 天秤屋
7/12

ミツヒラの少年兵

 それぞれ潜伏することになったアリアテ一行。

 エルウィンは自らの特異な生い立ちを思いながら、新たな力【錬成術マテリ・アルケ】を己のものとしていく。

 エルウィンは「隠れ家」と称される豪邸で、同じ水魔道師の青年に迎えられた。

「初めまして、ゼイーダ・ハーベライザです」

「エルウィン・ダフォーラ、ご厄介になりマス」

 握手しながら、ゼイーダは人懐こい笑みを浮かべた。

「ダフォーラ隊長のご子息にお会いできるとは。身の引き締まる思いです」

 十年前の内乱以降、エルウィンの父にかわって魔道士部隊を率いるのが、この好青年ゼイーダだ。

「ミツヒラは冬季が賑わうんですよ。ストーブとカイロ発祥の地でして、石炭輸出量もトップクラスです。今は物騒なので、郊外の鉱山は閉鎖していますが」

 ゼイーダはきりきり働き、エルウィンに紅茶と軽くつまめるものを振る舞った。由緒正しい貴族の館に、ゼイーダはたったひとりで暮らしているらしい。

「手伝いましょうカ」

「いえ、たいしたおもてなしはできませんが、ゆっくりなさってください。一息ついたら、水魔道の応用についてご意見をいただきたいのですが」

 ゼイーダが両手の間で回転させる水は、徐々に凍っていった。

「高温の熱は大きなエネルギーやそれなりの条件を要しますが、冷気は比較的容易に取り入れることができるんです。そして、汎用性が高い」

「なるほど、興味深い」

 エルウィンは見よう見まねで、小さな氷の粒を作り出した。

「水魔道の使い道といえば、鍋物を美味しく調理することくらいでしたカラ。勉強になりマス」



 ――戦いとは縁遠い暮らしをしてきた。

 水魔導師の大家ダフォーラ家の当主を父に持ち、将来はともに国王軍に属し、戦うことを望まれていた。

 だが、生まれ持った力は恵みの領域を超えていた。ヒト族の体を壊しかねない大いなる力。肉体と精神を削りとられ、十年ほどで命は尽きるだろうと言われた。

 母は自らの命と引き換えに、我が子の魔力を縛る呪いをかけた。深い紺の髪は淡い金に色が抜け、呪いの証として両目は赤く染まった。度を越した魔力の流れを感知したとき、呪いはその魔力を蝕み、抑えつけ、対象者を強制的に眠らせる。

 戦うことのかなわない体になった我が子を、父は遠くラティオセルムのヴィヴィオルフェンへ送った。厄介払いか、親心か、(はから)いの真意は知れぬまま。

 十年前の内乱で、父ザーディエスは命を落とした。

 以降、ダフォーラ家との交流は絶たれている。

 顔もおぼろげな父のことは、きっとゼイーダのほうがよく知っているだろう。


 ゼイーダは紅茶のお代わりを注ぎながら、エルウィンに重なる気配を気にしていた。一つは【海の(ウバス・オ・ラル)】の放つ、仄かで優しいたゆたい。そしてもう一つ。

(カオルさんから聞いていたけど、不気味だなあ……今は海の雫の波長にまぎれてしまうほど弱々しい。でも、禁忌には違いない(ひず)みの気配がある)

 【錬成術(マテリ・アルケ)】を授ける魔鉱石【賢人(クルタナ)慈涙(なみだ)】は、ひっそりと息を潜めている。

(魔鉱石って、二種類持っててもケンカとかしないんだなあ)

 自分の胸元を注視するゼイーダに、エルウィンは二つの魔鉱石を引き出して見せた。

「やはり気になりますカ?」

「その、大丈夫なのでしょうか。【賢人(クルタナ)慈涙(なみだ)】は……」

「叡智を与え、気を狂わせる。私はこの通り……最初から、ヒトの道理が当てはまらないのでショウ」

 エルウィンがいかに異質であるかは、生い立ちを聞かずとも察せる。名家の出ながら家族と切り離され、田舎に留められて、軍とは(ゆかり)もない宿屋を経営していたこと。何より、水魔導師でありながら淡い金の髪をしていることと、いま薄らと開かれた両目が、白目まで赤く染まっていること。

 エルウィンに重なっている気配は、さらにもうひとつある。とても強力で、とても慈愛に満ちた呪いだ。

「あるいは私にかけられた呪いが、錬成術(マテリ・アルケ)の狂気から守ってくれているのかも知れマセン」

 神妙な面持ちで頷いたゼイーダは、玄関の騒々しい物音に飛び上がった。とっさにエルウィンの姿を水鏡で隠し、ホールに走る。

「ゼイーダさま!」

 必死に戸を叩いていたのは、一人の少年兵だった。

「ザク。お手伝いは午後から頼むと……」

「ちがうんだ! 魔物が」

 ゼイーダは表情を引き締め、眉間に深いしわを寄せた。

「どこです。案内しなさい」

 少年兵ザクが息を切らして案内した先は、ミツヒラの中心地にある学校(スプセオ)だった。共に学ぶ7歳から16歳までの子どもたちが、門の外で身を寄せ合っていた。

「学校に魔物が出たんだ。大きな、まっ黒な犬みたいなヤツで」

「こんな町中に……ザク、君はさがっていなさい」

 ゼイーダは門から敷地に入った。魔物は、中庭に突如姿を現したという。慎重に歩を進め、建物の中から庭の様子をうかがうと、たしかに牛ほどもある黒犬の姿があった。

「何だろう……アンファルケーノほど不気味じゃない。アムテグロークかなあ」

「攻撃的な様子には見えませんネ」

「そうですね……え? わっ エルウィンさん、どうしてここに!」

「水鏡で透明人間になったままで、置いていかれても困ってしまうので、ついてきマシタ」

 水鏡の下から現れたひまわりのような笑顔に、ゼイーダは返す言葉もなく苦笑した。

「ええと、あの魔物ですが見覚えがあるような……そうだ、シオ様の使い魔?」

 念のため、防壁を張りながら中庭に入り、ゼイーダはゆっくりとしゃがんだ。

「やあ、君は……たしかロッツォだったかな?」

 優しく微笑みかけると、黒犬は不快そうに唸りをあげた。

「ひええ犬違いだったかも」

 尻込みするゼイーダの後ろから、エルウィンが進み出る。

「怪我をしているようデス。それで気が立っているのかも知れマセン」

 エルウィンは膝をつき、両手を広げて微笑んだ。邪気のないひまわりのような笑顔は、魔物の警戒心をも貫通した。黒犬は恐る恐るエルウィンに近づき、すぐ目の前で横になった。

「……我は【アムテグローク】のヴェイグ」

 犬はしんどそうに言葉を発した。

「言葉が通じるということは、使い魔で間違いないようですね」

「主の命を受け、魔物の気配を追っていた……その者は人の子の姿をして、血に濡れた魔物の本性を隠す……」

「ひどい傷だ。その魔物にやられたのか?」

 ゼイーダはヴェイグに応急処置を施した。牙の生えそろった恐ろしげな口から安堵の息が漏れた。傷が癒えると、ヴェイグは黒い風となって門前へ駆けた。その先で悲鳴があがる。

「まさか、ヴェイグが」

 急いで門に引き返すと、傷を負った男がうずくまっていた。

「ざ、ザクが……黒い犬が……」

 かなり混乱しているが、傷は浅い。怯える生徒たちから事情を聞いたゼイーダは、蒼白になって震えた。

「そんな……」


 苦しい、熱い。世界がぐるぐる回転しそうなほど、瞳が激しく揺れ動く。闇雲に走って煉瓦塀に行き止まる。背後にアムテグロークが迫っている。

(失敗した)

 この場を切り抜けても、切り抜けられなくても、行く末には絶望だけが待ち構えている。

(失敗した。暗殺も、アムテグロークの始末も)

 男の声が記憶の彼方から命じる。

 ――「この男を消せ。まだしぶとく生きているようだ」

   「消すって、殺すってこと? できるかなあ、おれに」

   「できれば自由にしてやる。本当の兵士にもしてやろう」

   「ほんとうの兵士に!? やった、おれがんばるよ! ぜったいにやる!」


 ザクは震えながら向き直り、精一杯の威嚇をした。

「ヴォオオッ」

 吼えてから、アムテグロークの後ろに立つ人影に気づいた。

「ガァアアウ」

 名前を呼ぶ代わりに、戸惑った獣のうなりが上がる。

「……ザク?」

 ザクは、ゼイーダの絶望した顔を見つめた。いつも優しいゼイーダの蒼白な顔から、ザクは罪悪感を覚えるまま目を逸らした。

(そうだよ。ゼイーダさま、悪い魔物は、おれなんだよ)

 暗殺の命を受けたザクは、ターゲットを執拗に追い、ついに捕えた。しかし寸でのところでアムテグロークの邪魔が入ったのだ。格上の魔物とはいえ、ザクは死に物狂いで戦って重傷を負わせた。あとは人間の姿に戻り、ゼイーダをけしかけて軍を動かし、アムテグロークを始末すればよかった。邪魔者がいなくなったら、改めて任務を果たせばいい。

(やっぱり、悪いことはうまくいかないのかなあ)

 ザクの姿は犬に似て、茶色い毛並みは濃淡のまだら。その瞳は赤く、目の周りには蛇のような紋様がある。四肢には鋭い爪、裂けた口には牙が光った。

 よろよろとザクに近寄ろうとするゼイーダの前に、ヴェイグが立ちはだかる。

「危険だ。禁忌の術によって人の殻と魔物の本性を掛け合わせた、造られた命。人でも魔物でも獣でもない、この者どもは合成物(キメラ)と呼ばれている」

「キメラ……錬成術(マテリ・アルケ)の見せる悪夢なのか、これも」

 ゼイーダが編む水の檻に、ザクは抵抗せず捕えられた。ゼイーダはエルウィンと合流し、自らの邸宅にザクを連れ帰った。


 夕陽の落ちた頃、ゼイーダは憔悴しきった様子で書斎から出てきた。食堂では、エルウィンがヴェイグをお供に根菜のスープを煮込んでいた。

「エルウィンさん、初日からこの有り様で……申し訳ありません。食事まで」

「お気になさらず、料理は好きですカラ。それよりザクは?」

 ゼイーダは首を振った。

あれからザクは人間に戻る様子はなく、言葉も発さない。水にも食事にも口をつけない。

「試せる解法は一通り……ですが合成物(キメラ)には……錬成術(マテリ・アルケ)には通じません。このことは一角獣にも報告を入れたいのですが、ガヴォ一派の網が厄介です。情報が漏れるとこちらの作戦も危ういので……」

 八方塞がりで頭を抱えるゼイーダに、エルウィンは根菜のスープを差し出した。何も喉を通らない、と顔で訴えるゼイーダに、ひまわりのような笑みを向ける。

「とりあえず腹ごしらえからデス」

「……はい」

 口から胃まで落ちていく温かさに、ゼイーダはほっと息を吐いた。



………………………………………………………………。

「奴らの消息は、依然として不明のままです」

 ディエロは自分の爪先に向かって報告した。

「ならば、ゲッテルメーデルに入ったことは間違いない。アバデの指矩(さしがね)か……巨大な腹の中に何でも匿ってしまう。だからといって、あの老いぼれを殺すのは順序が逆だ。こちらがまだ手を出せないことが判っている、こざかしい連中だな」

 無表情に、苛立ちも含み笑いもなく、メンテスは深く椅子にかけて呟いた。

「準備は直に整う。私はセルシスデオへ向かう。ネズミの始末は任せた」

「御意」


 暗い回廊ですれ違った金髪の近衛兵長に、ディエロは早口で伝えた。

「騎士のおっさんは随分はりきってるぜ。ドーイに追っ手を出したとか」

「そうか。私も腹をくくらないとな」

 アイーシャは表情を曇らせた。ギュスタフがアイーシャの手柄を疑っているということは、メンテス・ガヴォもアイーシャの報告を疑っているということだ。

 いったん別々の方向に歩き去ってから、アイーシャとディエロは応接間で落ち合った。そこにはすでにメヴィーの姿があった。

「追っ手にはキメラが使われたってよ。アレ、まだ2体しかいないんだろ? よく第零(ヌル)が許したよな……そっちはシオ様の番犬があたってる」

 メヴィーは紅茶を出しながら応えた。

「子どものほうは欠陥品だと。試用(テスト)なのでしょう」

「大人のほうは?」

「十数年前からずっと、シオ様の副官を勤めている。あちらは逆に何の指令も与えられず、放任されている……魔物の本性を現したこともないし」

「だな。ドーイの報告でも、いたって普通の文官並みって話だったし……」

 ドーイの名を出して、ディエロはちらっとアイーシャの顔色をうかがった。

「あいつ、今ごろどうしてるかな」

「……さあな。追いかけっこの果てに傷が開いて、野垂れ死んでいるかも知れん」

 眉一つ動かさずに言って、アイーシャは紅茶に口をつけた。

「セルシスデオに我らの希望が到達すれば、時は満ちる」

「ええ、わかっている」

「アルメニアたちには声かけなくていいのかよ」

 アイーシャとメヴィーは顔を見合わせ、そして同時に首を振った。

「彼らに、我々に付き合って命までかける謂われはないだろう」

「アルメニアとヴィッソの恩人はドーイだもの」

「ちぇ、あいつが恩人ってタマかよ」

 笑って、ディエロは応接間を出た。東にのぼった月が徐々に白んでいく星のない夜、ガラスの向こうで揺れる木の影に、ディエロは鋭い眼差しを向ける。

「そんな所で覗き見してないで、さっさとメンテス・ガヴォの首を刎ねたらどうだ?」

 夜陰に乗じた影は動じず、ただ静かに、視線をディエロに返す。

「俺たちが守らなくても、何度殺しても、あの男は死なない。殺す方法が見つかったら教えてくれよ」

 にたりと笑い、ディエロはアリアテたちを燻り出す作戦の指揮をとるため、隠密部隊の控える兵舎に向かった。



………………………………………………………………。

 名も無き少年少女らはセピヴィアやギドロイで産まれ、その身の上は赤子のうちに取引される奴隷であった。五つになる年、彼らはサルベジアの宮廷魔導師に買われ、錬成術(マテリ・アルケ)の被検体となった。

 何人もの子どもと魔物が混ぜ合わされたなか、自我を保って生き残り、名前を与えられたのはただ一人。

「お前の名はザクだ。白き司に仕えるためだけに生きよ」

 上官に従い、鍛錬を怠らないまじめさと、人の手伝いが好きな優しさは人間由来。懐っこくて人に好かれる明るさや愛嬌は、群れで暮らす魔物の幼体にそなわった要素。代謝が上がって爪や髪がのびやすくなり、怪我の治りも早くなった。

 魔物の本性の抑え方、変身のしかたなど、感覚でしか解らないことは先例に習った。十数年前、同じようにして実験に耐えた成功例が、ザクを教え導いた。

「俺たちはいつか、仕える主によって袂を分かつかも知れないが……情けをかけるな。必ず主に従い、主のためだけに生きろ」



(セリ兄ちゃん)

 ザクは頬を濡らして目を覚ました。獣の体を丸め、柔らかな温もりに潜りこむ。いつの間にか、ザクはふかふかの毛布にくるまれていた。

(これからどうなるだろう)

 ゼイーダには殺されなくても、きっと別の誰かがザクを殺すだろう。任務をしくじったうえに正体までさらしたザクには、帰るべき所もない。もはや誰も頼ることはできない。

 逃げなければ。逃げ続けなければ、どう転んでも生き延びる未来はないだろう。しかし、水の檻は簡単には破れないだろうし、ここにはアムテグロークもいる。

(……あったかい)

 後からあとから流れてくる涙を、毛布がひたひたと吸いとっていった。


 翌朝、陽の光のなかでまどろむザクに、ゼイーダは無防備に近づいた。心配そうに檻のなかを覗きこむ。

「ザク、起きたかい。お腹がすいただろう、喉もかわいてるんじゃないか」

 銀の盆に載ったライ麦パンと焼き魚、ズワジャベリーのジャムが宝石のように光っている。スープ皿の中身は、甘く煮たビッグホーンのミルクだ。檻の中に滑ってきた銀盆には、銀のスプーンとフォークも載っていた。

「食べやすいほうでお食べ」

 檻を隔てても、ゼイーダとの心の距離は変わっていない。ザクにはそんな気がした。

「ザク、もし帰るところが無いなら、しばらくここに居るといい」

 おずおずと顔を上げたザクに、ゼイーダは優しく微笑んだ。

「檻から出してあげることはできないけど……この館に居る限り、君は安全だ」

 ザクは毛布の中で震え、人間の手で食器をとった。

「ゼイーダさま、ごめんなさい」

「いいよ。今は休んで……ゆっくりお食べ」

 しゃくり上げながら、ザクは食事を口に運んだ。ここにあるものは、どれもこれも温かい。

 食事を平らげたザクは、ゼイーダの姿がないことを確かめて、ぶるぶると体を震った。再び獣の姿となって毛布のなかでまどろむ。

(ああ……本当は、もっと遠くへ行きたかった……命令なんか、聞かないで。あのまま、ずっと知らない遠くまで駆けていたら……)


 昼下がり、ザクの様子を見に来たゼイーダは、檻の前で茫然と立ち尽くしていた。檻を解き、ザクに触れようとしたゼイーダを、ヴェイグが制した。

「触れるな。病や呪いを持っている可能性もある」

「で、でも」

 ザクは安心した顔をして、毛布にくるまれて眠っている。それだけに見える。

「魔物の力を扱うには、子どもの肉体では脆すぎたのだろう」

「そんな……」

 ゼイーダは空っぽの食器を見つめて大粒の涙をこぼした。すすり泣きを聞きつけて、徹夜明けのエルウィンも顔を出し、眉間をおさえた。

錬成術(マテリ・アルケ)を以てしても、合成物(キメラ)の肉体と魂を元通りに引き離すことはできナイ……魔物の力、ヒトの体……合成物(キメラ)を完成させた研究者が、彼らの行く末を想定できないわけが、ナイ」

 人道を外れた狂気の実験。重く残酷な枷を負わされたザクの最後に、十年で終わっていたかも知れない自らの運命が重なる。エルウィンはヴェイグの制止に首を振り、そっとザクを抱き上げた。

「精一杯、命を生きることができたのでしょうカ」

「……せめて、ゆっくり眠らせてあげましょう」

 ゼイーダはやっと立ち上がり、エルウィンを中庭に案内した。

「ここなら、結界の内側ですから」

 ヴェイグが深く掘った穴に、ザクは毛布ごと横たえられた。しっかり包んで、その上に土を被せていく。

 ゼイーダとともに長く、永遠にも感じられるほど長く祈りを捧げて、エルウィンは【賢人(クルタナ)慈涙(なみだ)】を取り出した。

錬成術(マテリ・アルケ)は本来、一子相伝。その首飾りもおそらく、宮廷魔導師の筆頭【第零(ヌル)】の家系に伝わるものでしょう」

 第零(ヌル)の実名は誰も知らないが、十年前に起きた亜竜襲撃事件【セヴォーの悲劇】に知られる事実がある。

「現女王シーナ様もまた、錬成術(マテリ・アルケ)を継ぐ方です。エルウィンさんのようにイレギュラーな経緯でなければ、シーナ様は第零(ヌル)の血縁者で間違いない。第零(ヌル)にとって現女王は身内、その後見人がガヴォ大臣です。宮廷魔導師は本来、王家と白き司のために在りますが、現在はガヴォ大臣の私軍となっています。ガヴォ大臣は第零(ヌル)の独断による魔道実験なども積極的に支援しているようです」

合成物(キメラ)の生みの親、で間違いなさそうですネ」

 大義名分があっただろうか。信念があっただろうか。しかし、いかなる理由もザクの死の前では軽薄すぎる。

「ガヴォ一派と戦うのなら、第零(ヌル)との衝突も免れないでしょうネ」

「そうですね……最も厄介なのは【サリヤの火】ですが……」

 十年前、王城のあらゆる命を焼き尽くしたという無慈悲な青い炎。いまだかつて、サリヤの火に対抗できる手段を持った者はない。

「術者である第零(ヌル)は、延焼の程度や方向など、意のままに操ることができます。それだけに、防ぐことも逃げることも困難になる」

「魔道によって操れる物であれば、魔道によって打ち消すこともできるのが本来の道理ですネ。錬成術(マテリ・アルケ)にもそれが通じれば、の話ですガ」

 ザクの悲劇がくり返されるのなら、錬成術(マテリ・アルケ)はこの世から消えるべきだ。エルウィンは【賢人(クルタナ)慈涙(なみだ)】をかたく握りしめた。

「命のあるがままを冒涜する……それも錬成術(マテリ・アルケ)の一面であることを決して忘れマセン。ザク。君を襲った悲しみが、別の命を蝕むことのないように」



 玄関ホールの大理石に刻まれた無数の傷。エルウィンとゼイーダは日夜魔道の修練と研究に明け暮れた。

「水魔道と錬成術(マテリ・アルケ)を組み合わせるのは、左右の手で別々の緻密な絵を描くようなもの……削られる精神力も並みのものではない。それなのに、あなたは」

 ゼイーダは驚嘆し、湧き上がる希望に笑みをこぼした。

 彼らが【サリヤの火】に対抗し得る術を獲得する日は近い。

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