ダラスの墓守
人気のない墓場の番小屋で、ついにアリアテの素性が明らかにされる。
――あの、アシュケという男。アリアテと同じ魔剣を持っていた。ただ者ではないことは確かだ。素性を聞く暇はなかった、というか、相手も多くを語ることは拒んでいた。
(そしてシオ様を始めとする政府勢力の介入とくりゃ、アリアテはいったい何者なんだ?)
アリアテはほんの子どもで、危なっかしくて見ていられない。そして共に悪政をただした故郷の恩人であり、砂漠化を解明せんとする同志だ。
これまで、その生い立ちに疑問を持ったことはなかった。
(十年前の内乱で没落した、それなりに名のある騎士の家の生き残り。本人もそう言ってるが、本当にそれだけか?)
ロードの眉間のしわをメリウェザーがつついた。
「兄さん、冷めちゃうわよ」
目の前には湯気をあげる鍋料理。同じものをつついている面子のなかに、アリアテはいない。メリウェザーとシェラは顔を見合わせてため息を吐いた。
「それにしても、アリアテが食欲がないだなんて……」
「心配だよね。ちょっとつまめるもの、部屋に持って帰ろう」
ロードもエルウィンも、あえてアリアテの身に起きたことは説明しなかった。彼女自身の口から語られるまで、部外者は黙っておくべきだ。
イーザはくるくると木さじを回して言った。
「明日は中央区を経由して北東区を目指す。中央区は需要の高い店も多いが、ゆっくり見る時間はないと思ってくれ」
明かりのない部屋で、アリアテは出窓に乗り、膝を抱えていた。
「幽霊船でのできごとは幻だったような気がする」
――姉を亡くしてからは、拭えない孤独とともに生きてきた。
「家族ってどんなものだろう? 生きていてくれて嬉しい、会えて嬉しい。だけど、兄さんはとても弱っていて、弟も特別な薬を必要としている。大陸は不毛の砂漠に飲まれようとしている。私は難敵に追われている。こんな世界で、次は本当に失くしてしまうんじゃないかと……こんな不安も共有できたのかな。もっと話したかったな……」
クオーレは星空を映し、胸元で静かに輝いている。
「クオーレ?」
呼びかけても返事はない。アリアテは胃に冷たいものが落ちるのを感じた。
そこへ皆の足音が近づいてくる。
「おい、明かりもつけないで……」
「ロード! みんな、クオーレが」
シェラがアリアテを落ちつかせ、気や魔力の流れを見ることに長けたロードがクオーレを引き受けた。
「力の流れが不安定だ。消えちゃいないが、何かに阻まれて出てこられねえ、閉じこめられているような……封印されているような」
「封印?」
すがるように反復したアリアテに、エルウィンが答えた。
「海と空とは互いを映す鏡、と昔から言いマス。もし、クオーレの状態が海の精霊の状態と関係があるとすれば」
扉を閉め、明かりをつけて、カレンが頷いた。
「海の精霊の身に何かあった、と考えるのが妥当だ。彼は何かに蝕まれ、その何かから逃げようとしていた」
「海の精霊の体は、包帯だらけだったわね……あんなにも傷つきながら、一体何から逃げようとしていたのかしら……海を脅かすほどの脅威がもし、ガヴォ一派のことだとすれば……海の精霊を封印する手段も、彼らは持っているのかも」
深刻な表情で呟くメリウェザーに、シェラは耳を伏せて寄り添う。
アリアテは星の瞬く夜空を仰いだ。
「ガヴォは海の精霊の力を使って何かをしようとしている。砂漠化も、五賢者を城に集めていることも、海の力を操るためにガヴォたちが仕組んだとしたら」
「十年前の内乱から始まる、壮大な謀。無いとは言えねえ。連中が何を考えてやがるのか、どんな力を持ってるのか、もう少し手がかりがあれば……」
俯いたアリアテに、シェラがポットとカップの乗ったトレーを差し出した。
「とりあえず、何かお腹に入れてからにしよう? 元気が出ないよ」
湯気の立つスープを口に運び、アリアテは目を細めた。
「温かい」
目を覚ますと朝だった。外が騒がしい。アリアテは領域侵犯しているシェラの足や腕を退け、のそりと起き上がった。
次々に仲間たちも起き出す。ロードは大口を開けてあくびした。
「何の騒ぎだ、久しぶりにゆっくりベッドで寝てるってのに」
すでに身支度をととのえ、窓辺にもたれているカレンの表情は険しい。
「あまり良くない知らせのようだ」
「下におりて話を聞きまショウ」
階下からざわめきが上ってくる。アリアテは宿の主をつかまえた。キトカ族の男は、虎縞の毛並みを波打たせて慌てふためいている。
「お客さん、騒がせてすみませんね。だけど一大事ですよ、湖の水位がえらく下がったようで」
港のやじ馬に混じったアリアテたちは、船乗りの大きな嘆きを聞いた。
「昨日の夜、接岸していた船への架け橋がずれているのに気づいたんだ。ほんの少しだった。引き潮なら稀に起こることだ、そう……思いたかった」
桟橋ではもうひとつ人だかりができていて、くぐもった金切り声が響く。
「お願い、ここから出して! 夫をはやくお医者様に」
悲鳴のもとへ駆けつけると、様子のおかしい船が一艘、停泊していた。唯一の出入り口は板と釘でめちゃめちゃに打ちつけられ、それを内側からなりふり構わずに叩く音が続く。
「お願い、助けて! はやくお医者様に」
「何があったんだ?」
人垣を割ろうとするアリアテを、大人たちが顔をしかめて下がらせた。
「坊主、近寄るな。今朝ついた船だが、乗員のなかに疫持ちがいたんだ」
「危ないから向こうへ行ってな」
疫。久しく聞かなかった病の名だ。
「ちくしょう、とうとうサルベジアへ入ってきちまった」
「諦めるな。あれは移らないっていうだろ? 風土病みたいなもんだ。広がりはしないさ……」
「けどねえ、治療法も見つかってないんだよ?」
アリアテは口早に議論する大人たちの顔を見回し、仲間たちの輪へ下がった。
「最初から疫に罹っていれば船には乗れねえ。移動中に発症したか、そうでなければ……」
ロードが言い淀んだ次の瞬間、こんどは街のほうから叫び声があがった。
「おい、内地でも疫が出たぞ!」
「誰が」
「街の人間だ! 船に乗ったこともない子どもだよ!」
どこかで悲鳴があがる。
疫。ラティオセルムでのみ確認される不治の病は、風土病だと信じられていた。だが違う。
「疫がはびこるまでの順序がわかってきましたネ……水位の減少と海洋生物の消滅、大地は死の砂漠と化し、疫がヒトや獣を襲う」
「え、じゃあ……ここでも、その疫っていう病気がはやるっていうこと?」
シェラは左右を見回した。慌てふためくヒト族や獣族、沈静化に駆け回る自警団らしき者。未曾有の恐怖が足下を這い上ってくる感覚に、シェラは黒い毛並みを逆立たせた。
一行は宿に戻り、人気のない食堂で腰をおろした。
メリウェザーは自然にグラスを取り、水で満たされた陶器をそれぞれの前に置きながら「職業病ね」と笑った。
「この異常な砂漠化も、疫も。海の精霊の力が及ばなくなったことが原因なら、サルベジアにも影響が出るのは時間の問題だったと言えるわ。仮説が正しければ、砂漠化やそれに伴う動植物の減少、疫も、やがてカレスターテじゅうに及ぶ」
「疫って……何なの?」
閉ざされた島国アマルドから出たことのないシェラは、疫がどんなものか知らない。ロードはあごを擦った。疫は、症状でいえば進行すると皮膚が紫に変色し、ひび割れた大地のようになって崩れていく不治の病。しかし「何なのか」と問われれば、答えに窮する。
「どんなふうになるか、は解っていても、どうやって罹るのか……根っこの部分はまだ何もわかっちゃいねえな。だから治療法もないんだが。回復魔法も効果がねえもんで、呪術だと言う連中もいるんだ」
「ラティオセルムでは、最初に罹患者が確認されてから全土に広まるまでわずか数ヶ月ほどデシタ。一度に大量の罹患者が出た、という話は聞きマセンが」
「私はロワンジェルスで疫の患者を見てきたが、発症から死亡までの時間はかなり個体差がある。年齢や体格などはあまり関係がないようだった」
「つまり、罹ったら治らないんだ。死んじゃうんだね」
身震いするシェラは、カオルからもらった白い羽を抱きしめた。
アリアテは冷たい水を一気に飲みほした。
「海が失われて広がった災厄なら、きっと海を取り戻せば止められる」
情報収集に出ていたイーザたちが戻ると、一行は朝食を掻き込んで出発した。
「とうとう来るところまで来たな」
イーザはため息をつき、すべすべした体毛を毛づくろいした。
「残念だが、俺たちが送れるのは中央区までだ。あんたらも気づいた頃だと思うが、厄介な連中が厄介なものに手を出そうとしてるんでね……」
「我々は別の任務につく。いずれ再会しよう」
口少なにフェルゼンが差し出した拳に、アリアテは自分の拳をおしつけた。
追い立てられるようにして中央区に向かった一行の後から、大勢の住民が押しかけてきた。彼らは疫を恐れ、港から遠ざかっているらしかった。
シェラは幌の隙間から、慌てふためく群衆を眺め、肩を抱いた。
「疫は体を壊すだけじゃない。心も蝕むんだね」
荷馬車は中央区の一角で停まり、イーザとフェルゼンは手短に別れを告げて去っていった。交代した御者は、挨拶もないままレフトバードを急かした。一行は荷馬車に揺られ、中央区の石畳を北東へと駆けた。
中央区の外れにさしかかって喧噪が遠のくと、御者はようやく口をきいた。
「ここからは僕が皆さんを護送します。リキータ・エドワード、白き司の文官で、一角獣のひとりです」
荷台にはリキータのものらしき鞄がひとつ増えていた。
「護送、とは大げさだな」
ロードの言葉に、リキータはあいまいな笑い声を返した。
「北東区はその全体が、ゴドバルガの住民も遠巻きにする墓場です。あまり気味の良い所ではありませんが、静かで安全です。墓守とは話をつけてありますので、番小屋でゆっくりお話ししましょう」
「墓場……」
誰かが呟いたと同時に、荷馬車が大きく揺れた。車輪が転がる音がざらつき、湿った土や草のにおいが漂ってくる。気のせいか、少し肌寒い。
幌から外を覗くと、植物に侵食された、形の崩れた家が点在していた。廃墟の群れの向こうには背の高い木々が並び、ぐるりと壁を作っている。
「魔物を寄せつけない樹木の一種ですネ。墓地を荒らされないように植えたものデショウ」
「き、気味の悪いところだねえ……」
シェラは耳を寝かせ、メリウェザーに肩をくっつけた。
さほど寒くもないのに、吐息が白くなる。外はいつの間にか深い霧に包まれ、腕をのばした先ほどの距離が見えなくなった。視界がどんなに悪くても、レフトバードの足は着実に進んでいく。
やがて、荷馬車は重そうに軋みをあげて止まった。幌の隙間から、リキータの細い手が差し入れられた。
「足下にお気をつけて」
リキータの持つカンテラの明かりが届く範囲は、霧が避けていく。
「念のため、この紐をお持ちください」
全員で赤色に光る紐を握って、前を歩く背中をじっと見つめて歩く。ほんのわずかな距離も、霧に遮られると長く感じる。
生ぬるい風がそよそよと肩を撫で、遠い木々のざわめきが不気味に残響する。誰も声を上げることなく、重い足取りで永遠にも思われた十歩を進んだ。
「こちらです」
きい、と軽い音がして、オレンジの優しい光が漏れた。一人ずつ霧中の番小屋に入る。薄明るい丸太小屋の中には、小さな椅子がひとつ。ボロボロのラグに、三本足のテーブル。暖炉の近く、柱の間に渡したハンモックに、淋しそうな小さな背中が乗っていた。
「よろしくお願いします、土師」
ちょこんとハンモックから降りた小さな人影は、フードを目深に被ったままこくりと頷いた。
「ハジ、さん?」
おずおずと話しかけたシェラに、土師はまたこくりと頷く。
「土師とは、墓守の役職名ですが、彼の意向で名前は呼ばないことになっているので」
リキータは自分の荷物を端に置き、カンテラをしぼって玄関先にかけた。外では、ゴトゴトと荷馬車が動く音がする。
「良いコたちですね。納屋に入るようお願いしておいたんです」
「で……話というのは」
ロードが切り出すと、リキータは鞄を開け、手のひらサイズの椅子を人数分並べた。それから独特なリズムの手拍子を刻むと、椅子は大人が座れるほどの大きさになった。
促されるまま車座になると、リキータは床に跪き、心臓に手をあてて深く頭を垂れた。突然の最敬礼に、思わずロードたちの腰が浮く。動かなかったのは、敬礼を知らないシェラとアリアテ、カレンだけだった。
「皆さま、これまで命を懸けて我々の希望を守っていただき、感謝の言葉もありません。同時に、我々の至らなさをお詫び申し上げます」
「希望?」
アリアテはまず懐のクオーレに触れ、それからエルウィン――海の雫――を見た。
リキータは顔を上げないまま、心臓にあてていた手を真っ直ぐにアリアテへとのばした。
「ご無事で何より……女王陛下」
ロード以下、仲間たちは一斉にアリアテを振り返り、阿鼻叫喚の声を上げた。
「じょおっ!?」
シェラは首を傾げたまま動きを止めてしまった。
「待って。待ってね。ええと、リキータは政府の文官だから……政府というのは白き司のことで、そこで女王と言えば」
「サルベジアとラティオセルムを統べる、王家」
メリウェザーの言葉を引き継ぎながら、ロードは顔を引きつらせていた。
「いや、シオ様から確かにアリアテの護衛は頼まれたんだが……もっとその、高貴な身分でも貴族、騎士くらいかと」
「剣も、ただの魔剣じゃなくて宝剣だったのね……盗まれなくて良かったわ」
「待って、だって、二大大陸の女王はシーナ様なんじゃあ……」
リキータは戸惑う一同を座らせ、順をおって説明した。
アリアテが王弟一族の生き残りであり、もはや現存する王族として【正当な】王位継承権を有するのは、アリアテとその弟のみであること。過去の策謀によって王家が滅亡に追いやられたこと。
「弟君はまだ幼く、また王妃殿下と同じ不治の病を患っておいでです。今、窮地に立たされたこの国を率いていけるのは、アリアテ様をおいて他にないのです」
アリアテは何か言いかけては口をつぐみ、やがて目を輝かせて小瓶を取り出した。
「これは、弟の病気に効くものかも知れない。海の精霊がくれたんだ」
「何という巡り合わせ……さあ、アリアテ様。白き司に行き、御自らの手で弟君に……ティオ様に」
リキータは涙を拭い、立ち上がって深く礼をした。
「皆さま、お疲れでしょう。今夜はよくお休みになってください」
鞄から小さな二段ベッドが取り出され、小屋は宿泊所に様変わりした。
「土師、狭くなってしまって申し訳ありません」
土師はぶるぶると首を振り、暖炉を示した。暖炉の前には干し肉が吊してあった。
「お気遣い感謝します。こちらは一角獣から、土師へ」
毛布や食糧を差し出すと、土師は受け取ろうとしたが、リキータは首を振った。
「お持ちしますよ」
二人が外の倉庫に向かうと、仲間たちは一斉にアリアテに詰め寄った。
「女王って面構えかコレが」
「ううん、ええと……性格は満点よね」
「アリアテ、よく男の子と間違われるよねえ」
「あー……あえて何も言いマセン」
カレンは黙って騒動を眺めている。
アリアテは破顔して後ろ頭を掻いた。
「ああ、何だろう。私もまだ信じられないんだけど……皆が急にへりくだったり、変な態度にならなくて安心してる」
ほっとして気が抜けたアリアテに、ロードは額を抑えた。
「お前、本当にこの国を引っ張っていけるのか?」
「それよりも緊急の課題は、アリアテ……様の命が狙われているということよ」
「そうですネ……これまでは、海の精霊や十年前の内乱について迫ったことによるマークだと思っていマシタ。アリアテ……様が王位継承者となれば、ガヴォ一派に命を狙われる一番の理由になりマス」
「アリアテ……様、ほんとに女王様なんだねえ」
アリアテは苦笑しながら手を振った。
「いろいろ考えなきゃならないことはあるけど、とりあず『様』は、つけなくていいから。今さらだろ?」
「そうか……うん、リキータの手前というのもあるが」
「ああ、僕のことはお気になさらず」
いつの間にか戻っていたリキータは、にこにこと上機嫌だった。
「皆さまがアリアテ様と一緒にいてくださって、本当に良かった」
夜半、アリアテは寝つけずに起き出した。二段ベッドの上では、シェラがすやすやと寝息をたてている。
「眠れませんか」
暖炉のそばにリキータが座っていた。アリアテはその隣に腰かけ、ともに暖炉の火を見つめた。
「私が女王になるのは決まってるのかな」
「ええ。姉上様の……オルガ様のことは聞き及んでございます。そして残念ながら、長兄セルヴィア様の行方もわからないまま」
アリアテはふと考え込み、ぼそりと言った。
「セルヴィア、という名前ではなかったけれど……私の兄だという人には会ったよ。ゴドバルガの港に時々現れる幽霊船、と呼ばれている船に乗っていて、魔剣を持っていた」
「それはもしや……その方は、どのようなご様子でしたか」
「アシュケ、と名乗っていた。何だか、すっかり弱ってしまったようで頼りなくて……それでも雷の力で、私を助けてくれた」
アリアテは小瓶の入っている鞄を振り返った。
「海の精霊からもらった小瓶、アシュケに渡そうとしたんだけど、これは弟にあげなさい、と言ったんだ。私の弟は、ティオは……具合が悪いの?」
「ええ、お元気とは言えませんね……でも、毎日勉学に励まれ、本もたくさん読まれています。いつか貴方様が戻ってくると信じて、姉上様を助けるのだと」
アリアテはまだ見ぬ弟に胸が熱くなった。反対に、リキータは苦しそうに胸元を掴んでいた。
「セルヴィア様のご存命は何より、しかし、ご容態が思わしくないとは……おいたわしい。罪もないあなた方がなぜ苦しまなければならないのでしょう」
「リキータは、一角獣の皆は、私たちのことを知っているの? 姉さん以外のことはあまり覚えていないんだ」
リキータは疲れたような顔をして、それでも笑顔で答えた。
「僕はまだ仕官したばかりで、白き司にいました。ですが、師からよくお話は。王弟ご一族は……ギオ様ご一家は、とかく家族を大切にされる方々だったと。常に他に気配り、決しておごらず、誠実に責務を果たされる方々だったと聞き及んでおります」
「そうか。仲が良かったんだ。父さまと母さまと、姉さんと兄さんと、弟。私にも、そんなにたくさんの家族がいたんだ」
胸元のクオーレがほのかに光った。
「漁村に行ってからも、旅に出てからも、私はずっと一人じゃなかった。いつも、誰かが一緒にいて、助けてくれた」
「そうでしたか。本当に、よくこれまでご無事で」
「うん、皆に助けられて……ところで、家族って他にもいたのかな」
「他に、と言いますと……いえ、王弟殿下と王弟妃殿下、セルヴィア様、オルガ様、アリアテ様、ティオ様。王弟ご一族は上の方々で全てのはずですが」
アリアテは暖炉の火に向かって首を傾げた。
「もう一人、誰か居た気がする。たぶん父さんとも兄さんとも違う誰か。私に子守唄を歌ってくれた。よく遊んで……ぼんやりと、でも、忘れていないんだ」
「子守唄、ですか。王弟妃殿下はお体が丈夫ではありませんでしたから、ご子息方の養育係の誰かかも知れませんね。よほど懐いていらしたと見える」
「うん。養育係か……あの人も、生きているといいな」
翌朝、アリアテたちは番小屋の食糧を分けてもらい、朝食をとって出発した。御者席にはリキータと、土師も座った。
「ここ、メベレ通りから北へ向かったところが出口ですが、土師しか道を知りませんので同道していただきます」
「帰りはどうするの?」
シェラが尋ねると、土師はぼそりと答えた。
「ひとりで、かえれる」
声変わりもしていない少年の声だった。
「えーっ ハジってまだ子どもじゃないの!?」
シェラは素っ頓狂な声を上げた。
「やっつだ。もうひとりでなんでもできる」
それきり、土師はおし黙ってしまった。
「身の上話はお嫌いなのでかいつまんで説明しますと、土師はダラスの生き残りでして……ここも、以前は大きな街だったんですよ」
「広大な土地すべてが、初めから墓場だったわけではナイのですネ」
「……とうぞくが、すべてうばった。こんどはおそわれないように、ティオさまがとくべつなタネをくださった。このハヤシは、おれでしかぬけられない」
「ティオが」
「ええ、ティオ様は植物を操る力をお持ちで。本来は、盗賊の襲来に備えるためのものだったのですが……体調を崩され、予定よりも遅れてしまったのです」
ティオは一角獣に命じ、植樹のほか、墓地の整備も行なった。以来、土師のもとには一角獣のメンバーが交代で訪れ、物資を届けているという。
「ティオさまにはかんしゃしている。いろいろしてもらって、あたまがあがらない……そろそろハヤシをぬけるぞ」
御者側の幌の隙間から、明るい日差しが入った。
「とうぞくにきをつけろ」
土師はそう言って、鬱蒼とした林へ引き返していった。
「たくましい坊主だったが、これからも一人で暮らしていくのか」
「ゴドバルガの4区画であればいつでも移住可能ですが、彼のたっての願いで……これからも我々が支援を続けていきます」
ロードは後ろ髪を引かれるように幌の後方を眺めていたが、急に、進行方向へと転換した。
「おい、何か来る」