ハルバの珍客
ハルバで静養を続けるアリアテの元を、風変わりな客人が訪れる。
アリアテは昨日のままの髪を撫で、水桶を覗きこんだ。白昼。日溜りを黒く裂いて、魔剣イオスの影がのびる。
(正しい道を歩もうとするほど、血を塗り重ねなくてはいけないのか)
浮かない顔を洗ってのびをひとつ、ため息のようなあくびを吐いたアリアテは、窓を小さく叩く音を聞いた。イオスに手をのばして腰をかがめると、おうい、と明るい声がかかった。
「おいらだ。ダーロックだよ」
「ダーロック……リメンタドルムで会った?」
「そう。イカめしは美味かっただろ?」
「ダーロック!」
アリアテが嬉しそうに呼びかけると、ダーロックは転げるように窓から入ってきた。
「不躾でごめんな、あんまり時間がないんだ」
久しぶりに見たダーロックは少しやつれて、声音も、無理に明るくとりつくろっているように聞こえた。
「どこか悪いのか」
心配するアリアテを片手で制して、ダーロックは辺りの気配を探った。
「面倒だから、君の保護者が留守のうちにお邪魔しようって決めてた。伝えなきゃならないことがあるんだ。聞いてくれ」
――おいらたちは、メンテス・ガヴォに差し向けられた暗殺者のチームだ。リメンタドルムでガヴォを狙ったのもおいらたちだ。依頼主については聞かないでくれ……
ガヴォの周辺を探るおいらたちは、精兵連をはじめ、宮廷魔道師第零についても調査を進めていた。第零は、錬成術の研究に自らの肉体や寿命の一部も捧げ、かなり消耗していた。
第零の脅威は、【サリヤの火】という特殊な魔法の火だけ。その弱点もわかった。火は、放った地点から北へは進まないんだ。
第零の周りを守っている第八、第九の宮廷魔道師も、魔力はすさまじいけど生身の人間だから、倒すことは不可能じゃない。
「でも、ちょっと状況が変わった」
ダーロックはしばらく深呼吸してから、苦しそうに続けた。
「第零は現女王シーナの肉体を奪った。シーナは元々錬成術を使える。酷使して弱った体を捨てて、若くて強い体に乗り換えちまったんだ。それで、今度は王族を……ティオ王子を研究の材料にしようと目論んでいるみたいなんだ」
「ティオを」
「王家の血を使って、何かとんでもないことをしようとしてる。今、ティオ王子はヴェイサレド・シオと一角獣が守っている……でも、きっと時間はない」
ダーロックはぐったりと体を起こし、狭い窓から外へ飛び出した。
「ダーロック! 待ってくれ」
「おいらは一旦退くよ。もう、おいらたちの手には負えない……アリアテ、もうひとつ言っておくことがある。ガヴォの敵だからって、君の味方という保証はない……自分の身は自分で守るんだ」
それきり声は聞こえなくなった。窓から身を乗り出しても、風に揺れる木の葉の影しか見えない。
「ダーロック……どうして、そこまで私のことを」
アリアテがメンテス・ガヴォを討ち取れば、暗殺を依頼された彼らにとって、単に都合が良いからかもしれない。それともダーロックなりの意地なのか。
(今にも倒れそうになりながら)
――打算でも構わない。必死に伝えて貰った情報を無駄にはしない。
(脅威はメンテス・ガヴォだけだと思っていた……白き司にも大きな敵がいる。守らなければ。この国も、世界も、仲間も、家族も)
買い出しからリキータが戻ってくると、アリアテはいの一番に言った。
「どうすれば、もっと強くなれるだろうか」
リキータはアリアテの真摯な視線を受けとめ、柔らかく笑んだ。
「まずはお体を休めることです」
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暗雲は何処にでも立ち込める。どす黒い雲は、ろくなものを呼ばない。雲の下にあるのは混沌と疑惑と、争いだけだ。平然と無垢の血が流される。
執務机から立ち上がろうとしたクワトロは、金属の軋りを聞いた。間接が空転して右膝が床に落ち、派手な金属音が響く。
「何の音!?」
驚いたシェラが寝室から走ってくる、騒々しい足音がした。クワトロはシェラが到着する前に、グラスの水を足にかけた。焦げついたにおいの蒸気が上がり、機械が微動する。
「師匠、大丈夫ですか」
「寄らないで。火傷するよ……少し、ガタがきてるけど……この戦いが終わるまで持てばいい」
青い顔で怯えるシェラに、クワトロは苦笑して首を振った。
「全く、心臓が左にあって良かったと思うよ」
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午後からは雨が降り出した。
気を張り続けているリキータを少しでも休ませるため、アリアテは何もせず窓を眺めていた。不意に、切り取られた景色の向こうから去来する懐かしい感情に、意識を遠くへ運ばれる。
――「おねえさま、このお花はなんというの?」
あどけない少女が尋ねると、夕陽色の髪をした少女が優しく微笑んだ。
「それはね……」
黄色の花と並ぶ綿毛が、ドレスの裾にかすって飛んでいく。鈴を転がしたような声で笑う妹を、オルガはそっと抱き上げた。
「さあ、アリアテ。ティオはまだ眠っているかしら。一緒にお昼寝しましょう」
「いっぱい寝たら、おおきくなれるの?」
「そうよ。お兄様もそうおっしゃったでしょう?」
「うん」
オルガに抱かれて子供部屋に向かうアリアテに、セルヴィアは木剣をしばし休めて手を振った。
「おにいさま、けんのおけいこしてるね」
「アリアテが起きる頃には、またレシオンを聴かせてくれるわ」
「んふ」
満足そうに笑って、三歩行くと、アリアテは再び不機嫌になってしまった。
「でも、もっとあそんでいたいの」
アリアテは窓枠にもたれ、雨音の向こうに聞こえる懐かしい声を追っていた。
「おや、お体が冷えますよ。ゲッテルメーデルは、冬の始まりから底冷えがしますから」
傍にはリキータがついていてくれるのに、アリアテの心は孤独に蝕まれていた。仲間たちのにぎやかな声が恋しい。
ぽつり、と褐色の腕に涙が落ちた。合わせるように、肩に柔らかくて暖かい布がそっとかけられた。
「おつらいのですか」
アリアテは首を振り、涙を拭った。
「私は弱い」
支えてくれた仲間たちの手が恋しい。会いたい。独りきりでは、凍てつく冬の空気の痛みに耐えられない。
震えるアリアテを、リキータは黙って抱きしめた。
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――酷なことだ、と主は言った。
「お前たちにも、あの子にも……私はただ、願いを叶えてもらう時を待つことしかできない。愛しい者を傷つけることしかできない」
「一番おつらいのは貴方でしょう」
「……こんな役目を担わせて、私を恨んではいないのか」
「恨みますよ。世界一の忠臣に、主を殺す手助けをしろと仰るのですから。その上、事が終われば死ぬことも赦されず、あの子を扶けろと仰る」
「不服だろうな」
――さもおかしそうに主は笑った。
「お前しかいない。長年あの子を守ってくれた私への比類無き忠誠心。そして、この私を地へ引き倒し、瀕死の重傷を負わせ、鎧を剥ぎ、楔を顕わにできる実力……お前を置いて、他にはいない」
「おやめください。余計につらくなります」
「信じているよ、犬(ド=イナ)」
――もう、その時が近い。
「本当にお恨み申し上げますよ……この眇々(びょうびょう)たる命を懸けて、貴方の本懐を遂げるお手伝いを致しましょう」
男は癒えたばかりの傷跡をさすり、黒犬を従えて、一路セルシスデオを目指した。
第三章へ続く。




