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Rees beruto 第2章  作者: 天秤屋
11/12

エルヘレムの兄弟

ジョルジェにかくまわれたメリウェザー。かつて王家に仕えた貴族リューリ家の館跡に忍びこんだ二人は、地下書庫【海蛇ラ・ヴァイエ】のさらに地下にて、海守の兄弟に出会う。

「見晴らしの良いところ」

 メリウェザーはのびをして、遠くそびえる白い灯台を眺めた。あれは、雪深くなる冬に点灯して、旅人たちをゲッテルメーデルへ導く(しるべ)になるという。

 標高の高いエルへレム区では、吐いた息が白くのぼっていく。

「あら、ビッグホーン」

 起伏のある農場地帯には、寒さに強い家畜の姿も見られた。

「観光じゃないんだぞ」

 釘を刺すのは、フレ=デリクの弟子兼荷物持ちの青年ジョルジェ。メリウェザーを一瞥して、足早に石段を登っていく。

 中央通りから少し路地へ入ったところに、淋しい陳列の花屋があった。ジョルジェは店に入ってメリウェザーを手招きする。

「ここが隠れ家だ」

「お花屋さん?」

「普段は花農家に貸してる。冬季は商売ができないから、今は無人だ」

 奥には地下への隠し扉があり、厳重に施錠、封印されていた。

「ここの管理を任されている」

「不思議。中から海の気配がするわ」

 目をしばたくメリウェザーに、ジョルジェは同じように目をしばたいた。

「そう、中身は海の花の球根だ。生きた海がなけりゃ育たない。現地で放っておいても枯れはしないが、全滅すると困るんで、ここで冬眠させている……色々試したが、ヒトの手では発芽させることさえできない」

「海の花……秘境セルシスデオにだけ咲く、海の神秘。大切なものなのね」

「とある病の特効薬なのさ」

 ジョルジェは扉を跨ぎこし、店奥の棚から鉢植えを運んできた。

「冬季の商売は薬草が主だ。これは豆科のシゼルリア。多年生。煎じて乾燥させた粉が睡眠導入剤になる……民間療法の薬屋ってところか」

 和やかな淡い香りに包まれ、メリウェザーは心が安らぐのを感じた。

「アンタには途方も無い話をしなけりゃならない。上でお茶でも飲みながら聞いてくれ」

 二階は寝食するのみの、手狭で調度品も少ない空間だった。丸窓から差し込む光が小さな日だまりを作っている。ジョルジェは簡素な木製の椅子とテーブルを並べ、沸かしたてのお湯をカップに注いだ。煮出したハーブがふわふわと開き、漂う。

「俺はアンタらを信用したわけじゃない。今からする話を聞いたらもう後戻りはできない。逃げるなら生かしておかない」

 ゆったりとした雰囲気のなかで、ジョルジェの声は冷たい。メリウェザーはハーブティーを一口含んで微笑んだ。

「私たちはアリアテと一緒に行くわ。あの子を置いて逃げたりしない」

 脅しすら温かく包みこむ、ひまわりのような笑顔に、ジョルジェは肩すかしを食らった。

「わかった、話そう」



 ――すでに、海の精霊と神の(ラサ)、五賢者はガヴォ一派の手に落ちた。カレスターテのルールはすべて【基盤】という神の石碑に刻まれたものだ。本来、ラティオセルム王族だけが干渉できるが、ガヴォは先の三者の力を使って無理やり【基盤】を書き換えようとしている。

 資格を持たない者が、犠牲を強いて通す私欲だ。ろくでもない世界になるに決まっている。一角獣(ラ・パーン)はこれを阻まねばならない。

 そこで問題になるのが、いかにしてガヴォを倒すかだ。

 これまで、ガヴォは政敵や怨恨を抱く者から、幾度となく刺客を差し向けられたが、死ななかった。自ら盛られた毒を飲みほして、平然としていたこともあった。ガヴォには何らかの特性か、身を守る呪法があると見ている。加えて剣技の達人だ。生半可な刃は奴に届かない。

 その厄介な大将を守る【精兵連】も脅威だ。一人で中隊から大隊クラスか、それ以上の働きをする猛者ぞろいときている。今、【精兵連】は二手に分かれ、ガヴォを守る者たちはセルシスデオに駐留している。残りはここゲッテルメーデルの白き司で、幽閉されているティオ王子の監視役を勤める。

 我々も、ティオ王子ならびに白き司を奪還する組と、セルシスデオでガヴォを討つ組に分かれる必要がある。

 隠れ家に潜伏している間はアバデ様の術で匿ってもらえるが、そのアバデ様も五賢者。今はセルシスデオに捕われている。アバデ様の術が解け、隠れ家が露わになるのは時間の問題だろう。

 ガヴォ一派に潜りこんでいる一角獣(ウチ)の諜報部員も、そろそろ潮時だろうな。

 つまり、猶予はないということだ。



「あんたには、必要な知識と戦技を嫌ってほど叩きこむ。精兵連と渡り合えるところまで」

「限界を越えて頑張るわ。よろしくお願いします、先生」

 優しくも決意に満ちたメリウェザーの目を見つめ、ジョルジェは頭を掻いた。

「あんたは故郷や家族と同じくらい、アリアテのことも大事なんだな。命を懸けることを躊躇わないほどに」

「そうね」


 ――野営の夜。アリアテは夜審番として焚火を見守りながら、考えごとをしている風だった。ラティオセルムからレピオレン湖を渡り、サルベジアへ。ついにここまで来た。

「アリアテ、お疲れさま」

「メリー。もう起きたの?」

「ええ、ちょっと話しましょ」

 私はテントから出て、アリアテの隣に腰かけた。

「サルベジアに来てから、さすがに魔物も手強いわね」

「うん。一回の戦闘での消耗が激しい……戦うほうも、シェラも、薬や道具も」

 甘く見ていたわけではないけれど、安全に旅を進めるためには、想像していたよりも多くの犠牲が必要だった。

「お金も無限にあるわけじゃないし。皆には本当に助けられてる」

「それが、旅仲間(リア)の醍醐味ね」

 私は足元の木の枝をひろい、二つに折って焚火に放った。

 しばらく二人で火を眺めていた。穏やかな夜明け前。私は不意に尋ねた。

「ねえ、アリアテ。あなたは私の格好のこと、一度も否定しなかったわね」

 焚火がぱちりと音を立てる。アリアテは小首を傾げた。

「最初は驚いたよ。女性にしか見えなかったし……でも、私にとってはそれがメリウェザーという人だから。特に気にしたこともなかったな」

 兄にも父にも、何も言われたことはなかった。私の家族は度量が大きすぎて、細かなことを気にしないからか。配慮されていたからかはわからない。

「自分でもよく解らないけれど、『メリウェザー』の私も『ガイ』の私も、どちらも私なの。最初からひとつのもので、でも、ひとつに減らすことはできない」

「うん、何となくわかるよ」

「あら。アリアテは私のこと、よく解っているのね。嬉しいわ」

 東の空が白みはじめ、焚火の勢いも徐々に弱まっていく。また、旅の一日が始まる。

「さ、皆を起こしましょ。朝ごはんの支度をしなくちゃね」


「あの子は特別よ。私にとっても、皆にとっても」

 ジョルジェはさらに頭を掻いた。

「俺は、正直言ってこの国にも女王にもあまり思い入れがない。俺はセピヴィアの出なんだ。宝石彫刻師だったジイさんに育てられた」

 ジョルジェは指先でテーブルを叩いた。

「ジイさんが死んで、魔鉱石の装飾品まで買いたたかれて、全部持っていかれちまった。魔鉱石だけは取り戻さなきゃって……結果、俺は札付きのお尋ね者になっちまった。捕まって、奴隷船から逃げ出して、貨物船に紛れこんで……着いたサルベジアで師匠に拾われたのさ」

 ジョルジェは革袋をひっくり返した。宝石のついた指輪が次々に転げ出て、陽光を受けてきらめいた。

「転生の石、アマルヘレネ。一度だけ致命傷を肩代わりしてくれる護りの石だ。アンタらの分だよ」

 その気品溢れる美しさにか、用途にか。メリウェザーは小さく震えた。

「……貴重なものでしょう?」

「アンタらも命懸けてんだ、その価値には及ばない品さ」

 ジョルジェはおもむろに立ち上がり、暖炉に薪をくべて火をつけた。しばらくして窓が曇る。冬が迫っている。

「一年の終わり、【虚空の夕暮れ】までに何かが起こる。今の世界を守りたいなら、俺たちは戦わなければならない。たとえ、そこで命が尽きようとも」

 メリウェザーは指輪の小山を見つめ、仲間たちの顔を想って頷いた。



 紺の染色を零したような夜、メリウェザーとジョルジェは地下に埋められた書庫にいた。

「ここが封じられた書庫『海蛇(ラ・ヴァイエ)』だ。黒幕の正体を探れるかも知れない」

 蓄光石の光が青白く書庫を照らし、メリウェザーの髪は小川のように光った。

 試しに近場の本を手に取るが、かび臭い書物は黒く汚れ、かろうじて見える文字も知らない言語だった。

「そいつは封印を解かなけりゃ読めねえ。足下、気をつけろ。ここから下るぞ」

 ジョルジェは松明を灯し、慎重に崩れかけた傾斜を歩む。進むにつれて湿気がひどくなり、所々に水溜まりができていた。

「浸水?」

「地下水を引いているせいだ。ここに在るものを守るために……」

 滑りやすい石積みを慎重に下った先に、湖面のきらめきが見えた。広大な地下空洞に広がる、ぼんやりと輝く湖。そのほとりに少年がうずくまっている。

「見ない方がいい」

 ジョルジェに制されたが、メリウェザーは少年の異様な姿をまじまじと見つめた。骨と皮ばかりに痩せ細った体、湖の光を受けて輝く金の髪。顔には落ち窪んだ影が落ちるばかりで、目も鼻もない。

「この子は」

「イザーク。死んだのは、もう十何年も前だ」

 ジョルジェは腰の連節棍を一振りし、メリウェザーの身の丈をも超す長さの棒で湖面を揺らした。

「夕日の丘、星の塔、清水の砂漠。我無くして涙せぬ者は渇きに喘ぎ、我無くして涙する者は溺れ果てん。我こそは月夜の来客」

 水面の揺れが、深く底へと響いていく。やがて、湖はうねり、波を起こし、海のごとく岸へと打ち寄せた。

「何か来るわ」

「イルミ。海守りの少年だったものだ」

 言い知れぬ不気味な気配に、メリウェザーは指輪を抱きしめた。

(こんな気は感じたことがない……恐くて、儚くて、悲しい)

 協調して涙を流すメリウェザーの前に、水柱が立った。淡い金髪から雫をしたたらせ、虚ろな目をして湖面に佇む姿は、小柄な少年そのもの。海守りにしては鱗も目立たず、鰭のような耳もない。その下肢はどこまでも湖のなかへのびていて、透明感のある巨大な蛇の胴体に見えた。

「イルミはかつて、兄イザークとともに宮廷魔導師第零(ヌル)によって錬成術(マテリ・アルケ)の被検体にされた。イザークは失敗し寿命を大きく縮めることになったが、イルミはこの通り。手に入れたのは異形の体と不老不死に近しい命、そして……見る方が早いな。イルミ、また頼むぜ。【花の守護者】の一説だ」

 少年はか細い声でキィ、キィーと奇妙な音を発する。ジョルジェは湖の水を諸手にすくって掲げた。イルミは身をくねらせ、ジョルジェの手に顎を乗せると、口を水のなかに沈めて目を閉じた。

『其ハ始マリノ時代ヨリ人族ニ寄リ沿イ、人族ノ王ヲ扶ケ、花ヲ守護スル一族ナリ。ソノ身ニ毒ヲ宿シ、アラユル災厄ヨリ人族ヲ守護スル者……』

 幼い声が、遠く幻のなかから響くように聞こえてくる。

『其ノ者ハ砂漠ニ咲ク花ノ如ク、茨ヲ以テ生命ヲ慈シミ、マタ、奪イ去ルモ易キ大イナル守護者。而シテ花ノ守護者ノ命運ハ、王家ノ血ヲ継グ者ニ委ネラレタリ』

 イルミは薄く目を開けた。白いまつげに守られた白い目は、視点が読めないが、じっとジョルジェを見つめているようだ。長い沈黙が下りる。

「イルミ、お礼だ」

 ジョルジェがイルミの顔に息を吹きかけると、イルミは鎌首をもたげる蛇のように身を引いた。ジョルジェは腰の網から生魚を取り出し、イルミに放った。艶々と銀色に光る魚を口で受けとめ、力なくぶら下げていた手で鷲掴みにして、イルミは獣のようにご褒美を貪った。

「この図書館の蔵書を片っ端から読ませたのさ。イルミにはあらゆる呪いも封印も利かないらしい……意味は解っちゃいないが、全部覚えて、ソラで聞かせてくれる生き字引だ」

第零(ヌル)、は……イルミが私たちに利用されることを、予想できないとは思えないけれど……なぜ、放置しているのかしら」

「さあ、大した痛手にならないからか、用済みだからか……第零(ヌル)の研究室から拝借した資料によると、イルミたちをこんなにした研究の目的は【不死の打破】らしい。で、殺せないってことが解ったんだろ。寿命くらいは今も観測してるかも知れないけどな」

「……イルミは、ずっとひとりで、この場所で」

「兄貴は一緒さ。イザークが死んだことが解ってるのかいないのか。埋葬しようとして一度噛まれた。海蛇に似た毒を持ってるから、アンタも手は出さないほうがいいぜ」

 ジョルジェはもう一匹、イルミに魚を放った。

「孤独を感じているのかはわからない。腹は空かせてるけどな」


 狭い縦穴を、梯子にすがるようにして登り、ふたりは冷えびえとした廃墟に戻った。通りには霜が降りている。

「ここは一足早く冬になる。セルシスデオも雪の舞う頃だろう」

 ジョルジェはアバデの札を懐から出し、じっと見つめた。その背中に、ふわりと光の小川がもたれかかった。



 翌朝、硬いベッドで目を覚ましたメリウェザーは、テーブルの上に散らばったカードを眺めた。

「おはよ」

 ジョルジェはカードを雑に片づけ、昨日とは香りの違うハーブティーをカップに注いだ。

「あら……いつ眠ったのかしら」

「さあ、イルミに()てられたかな。気を読むんだろ。ボロボロ泣いてたし」

「それじゃ、ずっと背負ってきてくれたの? ごめんなさい。重かったでしょう」

 ジョルジェは肩をぐるりと回し、ハーブティーをすすった。

「良いカラダしてるよ。正直、石を運んでる気分だった(あと、謎にいいにおいがしたけどな)」

 コツ、と窓に何かあたる。朝ぼらけのなか、白い筋が幾本も天から降り注いだ。

「雨か……」

 ジョルジェは軽く頭をおさえた。

「頭痛がするの?」

「いや、古傷だ」

 ジョルジェは痛む頭を振って、狭い台所に引っ込んだ。しゅんしゅんとケトルが湯気を噴き上げている。短い火かき棒で、ゴトクから赤い魔鉱石を引き離し、ジョルジェは戸棚を開けた。

「最悪だぞ、ジャムパンしかない」

「あらあら、後でお買い物に行かないと」

 ――にこにこ、ふわふわして。調子が狂う。師匠を上回る難敵かも知れん。

 ジャムパンをかじりながら、メリウェザーは昨晩のできごとを反芻した。

海蛇(ラ・ヴァイエ)のこと……イザークとイルミのこと、町の人たちは知らないのね?」

「一応、軍事機密だからな。書庫の上に立ってる屋敷はリューリ家って名家の館跡でな、蔵書はすべてリューリ家のもんだ。第零(ヌル)の周辺を洗っていた時に見つけて、一級の呪術師を雇って封印を細工した。壊さず、通り抜けられるように。イザークは星、イルミは月。俺が名付けた。あいつらの本当の名は知らない」

「そう、二人に名前をつけてあげたのね」

 すでに、イザークはミイラ化して面影もなかったであろうに。

「……錬成術(マテリ・アルケ)はおぞましい術だ。シーナは女王になる以前、その力でセヴォーを守ろうとしたが、錬成術(マテリ・アルケ)は本来、第零(ヌル)がしたように合成獣(キメラ)を産み出す禁忌の性質が主。この世にあっちゃならない力だ」

 侘しいような静けさの中、暖炉の薪が跳ねた。



………………………………………………………………。

 地下研究室から上がってきた第零(ヌル)は、不快な臭気に顔をしかめた。

「あの道化、研究室への『通路』を汚しおって」

 袖から取り出した小瓶の中で、小さな青い炎が踊る。第零(ヌル)は小瓶の蓋を開けると、血で汚れた床に振りかけた。炎は小瓶から溢れだし、ゆっくりと床を舐める。乾きかけた血をつたい、壁や磔架も包みこんで、数十秒で青い炎は消えた。

 十年前の内乱で猛威を振るった【サリヤの火】は、生体を分解する魔法の火。「燃料」がなくなれば、自然に消える。

 第零(ヌル)は東端の塔を訪れ、宮廷魔導師の第八(アハト)第九(ノイン)を伴って玉座に向かった。

 白一色の部屋に金のアクセント、カーテンや絨毯などの布類は若草色で統一された玉座の間には、護衛としてアレイ・レイオが控えていた。

「アレイ・レイオ。サリヤの火を味わってみたいか」

 アレイ・レイオは傀儡の手入れを中断し、ドーラアングルを小さく鳴らした。

「お片付けの途中で、このコの関節がオカシクなっちゃったんだヨォ……シーナちゃんのお守りもあるし、後でボクが誠心誠意モップかけるからサァ」

「思いのほか素直に反省するんだな。では、良いものを見せてやろう」

 ハナシラカバに若草色の布を張った玉座に、女王シーナが座している。その表情は虚ろで、何の感情の揺らぎもない。

「確認するが、この娘は【傀儡の毒】を食らったわけではないな?」

「シーナちゃんはショックが強すぎて、自分で心を閉じてるんだヨー。食事もトイレも、ちゃんと自分でできるからネ……ザティアレオスⅩ世とは違って」

 アレイ・レイオはドーラアングルを小さく鳴らした。

「シーナちゃんに……自分の娘になにするのサァ?」

 第零(ヌル)は不適に笑うと、第八(アハト)第九(ノイン)に命じてシーナを立ち上がらせた。

「【賢人(クルタナ)慈涙(なみだ)】は奪われたようだが、お前には相応の資質がある。待っていた、この時を」

 第零(ヌル)は漆黒の外套を脱いでシーナにまとわせ、入り口まで後退させた。透き通る青白い肌、華奢な体。髪の生えていない頭は美しい流線を描き、後頭部に蝶に似た紋様が刻まれていた。

「アレイ・レイオ。命が惜しければ下がっているといい」

 第零(ヌル)は小瓶を傾け、自らの体に【サリヤの火】を放った。深海に沈められたかのような寒さに凍えながら、小瓶に蓋をして足下に置く。

「ああ、素晴らしき我が錬成術(マテリ・アルケ)!」

 絶叫し、第零(ヌル)の体は青い炎に燃やし尽くされて、わずかな装飾品と衣服だけがその場に残った。

「ワァ~ッ キレイだネ! すごいネ!」

 目を輝かせてドーラアングルを打ち鳴らすアレイ・レイオを、シーナは片手を挙げて制した。

「そう、美しい火だ。良いものを見せると言っただろう」

 不適な笑みは第零(ヌル)のもの。アレイ・レイオは首を傾げた。

「ヌル?」

「喜ぶといい、もうお守り役は必要ない」

「ワァ、シーナちゃんがヌルになっちゃったァ!」

 すかさずドーラアングルを打とうとしたアレイ・レイオから、第八(アハト)が楽器を取上げた。長身の魔導師をにらむアレイ・レイオは、第八(アハト)第九(ノイン)にも奇妙に感情がないことに気づく。

「そういえばァ、この二人は前からこんなじゃなかったよネ?」

「お前たちのボスからヒントを貰ったのさ。私なりに【傀儡の毒】を再現した薬の完成形を試してもらった。幾人かは廃人にしたが、この通り成果を得られた」

 シーナの体に宿った第零(ヌル)は、黒い外套をひるがえし、小瓶を拾い上げた。

「今後、【シーナ】の身辺警護は第八(アハト)第九(ノイン)に任せ、お前はお前の仕事をするといい」

 自信に満ちた高圧的な態度は、人形のようだったシーナを生き生きとして見せた。アレイ・レイオは片膝をついて大仰に一礼し、飛び跳ねながら玉座の間を後にした。

「パレード♪ パレード♪ 楽しいナ~」

「騒がしい奴だが、存分に暴れてくれるだろう」

 シーナの体を手に入れた第零(ヌル)は、第八(アハト)第九(ノイン)を従え、研究室に向かった。

「力は増した。時間も取り戻した。実験を続けるぞ……あの忌々しい紫も視界に入らない。今日は良き日だ」



………………………………………………………………。

 ジョルジェは惰性でパンをかじりながら言った。

「で、昨日の続きなんだけどな。【花の守護者】についてさ」

「確か、神話に似たような言葉が出てきたような気がするわ」

「そう。あんま知名度はねえけど、【花の守護者】ってのは神話や伝説にたまーに出てくるヤツだ。海蛇(ラ・ヴァイエ)の蔵書によると、外見的特徴があるのさ。【花の守護者】の一族は代々、菫の髪に鴇羽色の目をしているってな」

 メリウェザーは眉をひそめ、言葉を失った。

「見たことがあるだろう。紫の髪に、桃色っぽい目をしたヤツを」

「メンテス・ガヴォ」

「まあ、あれが地毛だったらの話だけどな」

「それで……ガヴォが【花の守護者】だとしたら」

「毒が効かない説明がつく。ただし、本当に毒を宿した特異体質なのか、暗殺者のように毒への耐性があるって意味なのかは微妙なとこだ……そしてもうひとつ判ったのは、王の血族でなければガヴォを殺せないかもしれないってことだ」

 メリウェザーのこめかみを冷や汗が伝った。

「……最も危険な場所に、アリアテを立たせなければならないということね」

「だから、あんたらも強くなる必要があるのさ。自分の身以上のものを守ろうって言うんなら」

 口もとを拭い、メリウェザーは立ち上がった。

「稽古をつけていただけるかしら」

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