ログーシェの根無し草
かつて悠久の砂丘に孤立した集落であった頃、ログーシェは夕暮れの街と呼ばれた。夕刻、背にした鉱山の岩壁とともに、家々は布張りの外壁を見事なオレンジ色に染める。限られた時の絶景を一目見ようと、レフトバードや馬に乗って訪れる観光客は後を絶たなかった。
ログーシェの民はその昔、各地から放浪の旅の末に集ったという。長旅に欠かせない大型の組み立て式天幕、ラージが彼らの家となった。常に温かく雨も少ない砂丘地帯の気候から、そのままラージが定着し、布張りの家となった。また、痛んだ箇所を交換可能なはめ込み式の床板は、小さな木片に切り分けた一枚の絵図を元通りに完成させる遊戯に発展した。
世間と隔絶したログーシェは、異郷と呼ばれ神聖視された。しかし、異郷にも異変の魔手は等しくのびた。美しい砂丘の町は死の砂漠に呑まれ、魔物が跳梁跋扈する魔境と成り果てた。ログーシェの民はラージの家とともに、ゲッテルメーデルの南西区画に移り住んだ。
「ラージが並んでるのはそういうことか。しかし難民街というには、さほど悲壮感がねえな」
「ええ、ログーシェの民は強いですよ。彼らの人生観には学ぶことが多い」
夕食の屋台を探しながら、オルフェスはログーシェ区の略歴を話した。途中、オルフェスは花のつぼみに似た奇妙な果実を買い、ひとつロードに寄越した。
「旦那がた、炎の虎のご加護がありますように」
「炎の虎?」
「鉱山では美しい虎模様の宝石、琥珀もよく採れ、岩壁には炎の虎が宿った。琥珀の鉱床に夕陽が反射すると、炎をまとって駆ける虎の姿に見えるのだとか……ログーシェの民は炎の虎を守り神として祀り、山岳や荒地に集落を持つ虎族とも親交が深かったと聞きます」
「へえ、ラフト族ねえ。ガキの頃、俺に気功術と武術を授けてくれた師匠も、行脚中のラフト族だった。何とはなしに懐かしい町だな、ここは」
ロードは夕陽に包まれた街道を見渡した。どこか、ラグナレクの裏町を彷彿とさせる。遠い故郷に思いをはせてかじった果実は、甘酸っぱく歯ごたえがあり、異国の風味がした。
夕闇の迫る頃、オルフェスはようやく目当ての屋台を見つけた。痩せぎみの男が一人、茹でたデンプン麺をスープに浸した料理を振る舞う。
「豚の薄切り肉とネギ、モシャシか……干し大根も入ってるな、初めて食う料理だ。熱いし油も浮いてるが、美味い」
豪快に麺を掻きこむロードに、屋台の店主は笑いながら水を出した。
「そんなに急いじゃむせるぜ、兄さん」
「鶏ガラと牛脂と……ニンニクの芽? あとは塩と砂糖だけで味を調えるのか。おっちゃん、コレすごい料理だな」
「へえ、あんた料理人かい? スープの出汁なんてよく判ったな。魚で出汁を取っても美味いんだが、今は魚介が捕れないもんでね」
「魚介の出汁か、なるほど。そいつは是が非でも味見しねえと」
目を輝かせて会話するロードと店主を、オルフェスはにこにこと見守る。そのオルフェスを横目にとらえて、店主は声を潜めた。
「一角獣かい?」
「ええ。ジョルジェから話は行きましたか」
「あんた、堂々としてるねえ。どこに目や耳があるかもわからんのに」
店主は辺りを気にしながら、仕込みをするふりをして話を続けた。
「俺はサシャーレ……十年前の内乱まで、王弟陛下に仕える兵士だった」
オルフェスの外套から覗く鎧を一瞥して、サシャーレは苦笑いした。
「だが大したもんじゃない。吹けば飛ぶような一兵卒さ」
ロードは二人を交互に見た。
「元兵士、ってことは知り合いか?」
「初対面です。一角獣のひとり、フレ=デリクの弟子ジョルジェから、我々の支援者として紹介されました。変わった麺料理の屋台を出す、頭に深緑のバンダナを巻いた痩せぎみの男性。それ以外の情報はありません」
「ま、残りの話は愛しの隠れ家に戻ってからにしようや」
腹を満たした二人は、サシャーレの屋台をおして隠れ家に向かった。
ゲッテルメーデルの高い外壁に沿ったラージの列は、どれが誰のものか判然としない。
「手伝ってもらって悪いな、ここだ」
サシャーレのラージは、二棟がくっついた形をしていた。周りには似たような変則ラージが群れている。どの家も一様に厚く白い布で覆われ、特に外観に違いはない。ロードは舌を巻いた。
「何か目印はないのかよ」
「商売時以外は、この屋台を目印にするといい。あんまり出歩かれても困るけどな、この辺にはガヴォ一派の追っ手もいない……まさか、この流民街に潜伏するとは思わないだろう」
「そうか? 恰好の隠れ家に見えるが」
「まあ、見る目のある者にゃ良いところだよ。よそ者にも優しい町だ」
サシャーレは笑って、家の片側にロードの寝床を作った。
「本来、私が護衛を続行すべきですが、白き司も騒がしくなっています。職務上、席を空けることは難しく……お力になれなくて申し訳ない」
深々と頭を下げるオルフェスに、ロードは軽い調子で手を振った。
「何言ってんだ。あんたには散々助けられた。アマルドじゃ竜も追い払ってくれたしな。俺は大丈夫さ、自分の身は自分で守れるし、無茶なことはやらねえ」
「ええ、ご無事で。これを」
オルフェスは無理にも、ロードの手に白銀の籠手を持たせた。受け取れない、受け取ってほしいの押し問答に、最終的にロードが折れた。
「私の代わりにあなたを守りますように。では、いずれまた」
颯爽と通りを行くオルフェスを見送り、ロードは手の中の籠手を眺めた。ベルトを外して腕を通すと、ひんやりした感触が肌を包んだ。
「お、意外と……俺といい勝負じゃねえか」
華奢に見えて、オルフェスの体は相当鍛えられているようだ。感心して呟くと、後ろで見ていたサシャーレが笑った。
「そりゃあそうさ。竜伐隊は生身で竜を弑す。彼らにかかっては、お前さんも守られて当然のお姫さまってわけよ」
「やめてくれよ」
ロードは籠手をさすり、ラージの入り口をくぐった。
サシャーレは日の出とともに起き出して畑の手入れをし、デンプン麺の元になるイモの世話に精を出す。ほかに根菜や葉物も青々と育て、一仕事終えると、顔見知りの屋台で朝食をとった。
惣菜の詰まった大きな蒸し饅頭が、ウチワの葉に二つずつ並んで提供された。
「そんなに根詰めて働かなくてもいいんだぞ、お客さんなんだから」
隣には汗を拭うロードがいた。
「体が鈍っちまうから、自分のためにやってるのさ。遠慮無く使ってくれ」
「正直助かってるよ。飯も、一人で食うより美味いかもな」
すっかり意気投合しているサシャーレとロードは、便宜上、叔父と甥だと周囲に説明した。奇しくもサシャーレのバンダナとロードの鉢巻きが、揃いの衣装となって説得力を持たせていた。
饅頭屋台の主は、ロードに一枚の羊皮紙を見せた。
「兄ちゃん、体力に自信があるならこいつはどうだい?」
「何? なんでも大会?」
「村祭さ。畑を耕す速さと丁寧さを競ったり、家畜を舎房に入れるまでを競ったり、大食い大会になったり……毎年、その日になって初めて何を競うのかがわかる。賞金も出るぞ」
「その日にならなきゃ決まらない、の間違いだろ」
サシャーレは口を挟み、ロードに目配せした。
(わざわざ目立つこともない。断るか?)
しかしロードは店主に、出場したい旨を伝えた。
「そうとなりゃ話は早い。大会は明日だ、ちょっくら頼んでくるよ」
言って、店主は転げるように飛び出していった。
「まだ名乗ってないけどな」
「俺の甥って言うだろう。しかしどうしたって、そんな祭に出たいのかね」
呆れるサシャーレに、ロードは肩をすくめた。
「もう俺の存在は知れ渡ってるみてえだし……それに、ひょんな縁が転がってるかも知れないだろ」
「……まあ、好きにやりな。村祭りではしゃいだところで、ガヴォ一派に目をつけられる可能性は限りなく低いだろうからよ」
【なんでも大会】当日。
ログーシェのラージは色とりどりの旗で結ばれ、空が窮屈に見えた。あちこちで煙玉が打ち上げられ、朝からすべての屋台がのれんを提げた。
「今年の会場は網ン中だ」
人々は期待顔で、広場をぐるりと囲む薄い網をくぐる。
サシャーレは広場の端に店を構え、ロードを見守っていた。
(ほかにもよそ者がいるな……面倒事が起きなきゃいいが)
心配をよそに、ロードは出場者たちと談笑していた。
「兄ちゃん、サシャーレの甥っこだって?」
「ラティオセルムのラグナレクって町で宿をやってる。いつか来てくれよ」
「そうだな、砂漠化がおさまって、魔物どもが出なくなったらな」
冗談半分、祈り半分。ロードは男と手を握り合った。
葦笛の演奏が終わると、集落の長が開会のあいさつを述べた。
「苦しい時も心休まる時も、いついかなる時も、炎の虎の加護があるように……今年も祭を奉納する!」
老爺が手をかかげると、垂れ幕が勢いよくさがった。筆で豪快に書かれた題字に、観衆と選手は釘づけになった。
「題して、チャボつかみ捕り! ここにおる百羽のチャボを、傷なく、ストレスなく、適切に捕まえて鶏舎に運ぶのじゃ! 説明以上、開始っ」
わあ、とややまばらな観衆の声援のなか、選手たちは広場中を逃げ回るチャボを追って散り々りになった。
「思ってたよりずっと平和な祭だな……」
地道にチャボを運んでいたロードは、すれ違った選手を二度見した。
「なにっ」
抱えたチャボを驚かせないよう、驚きを殺して小声で叫ぶ。
男は服装からして旅行者であった。彼は造作もなく、両腕に二羽ずつチャボを抱えて歩いていった。異様な光景に気づいているのはロードだけらしい。ほかの選手は自分のチャボを追いかけるのに必死で、観客は気もそぞろに雑談に興じている。
「ただ者じゃねえ……」
ロードは心の鉢巻きを締めなおした。
結果、チャボつかみ捕りを制したのは旅行者の男で、表彰台には松葉杖の老人がよじ登った。
「優勝者はゾラの代理人じゃ。希望により、授与はゾラに行う」
素っ頓狂なファンファーレが広場に響き渡り、優勝賞金が受け渡された。祭が終わると観客がなだれこみ、そのまま広場で宴会がはじまった。
「兄ちゃんもいい線いってたぜ!」
ロードはジョッキを受け取り、広場の端に向かいながら空にした。目座すサシャーレの屋台には先客がいた。
「よう、お疲れさん」
サシャーレはロードにも麺料理を出しながら、隣の席をしゃくった。
「そちらのお客さんから」
バンダナの下の目が不安そうにロードを見つめる。ロードは首を傾げ、慎重に腰をおろした。
「初めに、敵ではないと言っておこうか」
やや掠れた、疲れたような声で男は言った。
「その言いぶりだと、味方ってわけでもなさそうだけどな」
ロードは最初の一口を勢いよくすすった。害意がないことは認める、話を聞こうという意図は男に伝わった。
「まずは得体を明かそう。俺の名はトクサ、暗殺や諜報を生業としている」
屋台を取り巻く空気がひりついた。特にサシャーレは警戒して、何度もロードに目配せした。ロードはゆっくり瞬きした後、ふう、と息を吐いた。
「俺のことは承知しているだろうが、名乗っておくぜ。ロードだ。宿屋の跡取りで、雑用係兼料理長をしていた」
「なるほど。来月は屋台組合主催の創作料理コンテストが開かれるそうだ。そこでも手合わせ願いたいな」
冗談、ととって良いのか。トクサの淡々とした口調は、感情が読めない。
サシャーレは不気味なものを見る目つきでトクサを一瞥した。
「このお客さんも出汁まで言い当てたぜ……」
ロードは背後の雑踏を振り返り、人々の明るい顔を眺めて言った。
「で、俺に何か用なんだろ?」
「かいつまんで言えば、我々と君たちは目的を同じくしている。情報を共有し、共闘を望めればと声をかけた」
「あんたらもアリアテを女王にしたいのか?」
「もっと物騒な話だ。我々は報酬ならびに契約の対価として依頼を請け負う。現行の標的はメンテス・ガヴォだ」
ロードの箸がぴたりと止まった。サシャーレは落ちつきなく鍋をかき回し、ちらちらとトクサを見た。
「ちょっと口を挟んでもいいか。アンタはお仲間が居るようだが、そいつらの素性は? それと、依頼元ってのは」
「仲間は二人、任務遂行のため手を組んだ同業者だ。俺の主観だが信頼できる。依頼元については明かせないが、ラ・パーンではないと言っておこう」
「俺が一角獣と繋がりがあることも調査済みか……今後、首には気をつけねえとな」
水をうったように静まり返った屋台に、並んで麵をすする音。それに紛れて、トクサは落ちる砂のような声で言った。
「個人的な興味で聞く。君は宿屋の跡取りであって戦士ではない。反乱分子としての活動はともかく、ラグナレクや自分の問題の領域を逸してまで、アリアテの力になろうとしている理由は? ヴェイサレド・シオに命じられたからか?」
ロードはこめかみを掻いた。何者にも敬称を用いないトクサの語りは、立場もなにも関係なく、すべては標的に過ぎないという冷酷な意思を感じさせる。
「君が、弟もろとも命を懸ける理由に興味がある」
トクサの顔の半分は布に隠されて見えない。目元に落ちた暗い影から、鋭い光がロードに投げかけられる。ロードは軽く首を振った。
「助けてもらった身で言えたことじゃないが、あいつはしっかりしてるように見えてもまだ子供だ。子供のくせに、小さい肩にいろいろ背負い過ぎる。放っとけねえよ……それに、アリアテは関わった相手に対してどこまでも真っ直ぐだから、俺も真っ直ぐに接したい。たぶん、他のやつらも同じだろうな」
「そうか」
トクサは短く答え、残りの麺をすすった。
「俺の話を聞く気になったら、南城壁の上に来てくれ」
二人分の代金をまかなって余りある金貨を残し、トクサはするりと人波に融けていった。
「行くのか?」
サシャーレは丼を下げながら顔をしかめた。早々とのれんを下ろした屋台を牽いて帰路につく。ロードは年季の入った木組みの屋台を押しながら、黙って屋台を牽くサシャーレの背中を眺めた。
ラージに着いて屋台をおろすと、サシャーレは白銀の籠手を持ち出し、ロードにおしつけた。
「着けて行きな」
「匿ってもらってるのに、面倒を起こして悪いな……」
肩をすくめるロードに、サシャーレはがりがりと頭を掻いた。
「ロードお前、ゴドバルガを通ってきただろ。幽霊船は知ってるか?」
「ああ……」
ロードは言い淀んだ。ゴドバルガ港に現れた幽霊船で、アリアテは実兄と再会した。かつての王弟一族の、第一王子。その生存を軽々しく口外はできない。
「あまり詳しくは言えないが、幽霊船の噂は、王弟一族にゆかりのある人物と関わりがある。十年前の内乱で、俺が托されて逃がした。ガヴォ一派の動きが活発になった今、そいつの命が狙われる可能性があってだな……」
「誓って、サシャーレには迷惑がかからないようにする」
力強く頷いたロードに、サシャーレはひらひらと手を振った。
「いや、お前さんが気負うことじゃねえ。悪いな、変な話しちまって」
歯切れの悪い返しをして、サシャーレはラージの中に引っ込んだ。
ラージの群れを抜け、ロードは南端にそびえるゲッテルメーデルの城壁を見上げた。堅牢な城壁と一体になった側防塔の扉は解放されており、見張り番もいない。煤けたテーブルの脇を抜け、石造りのらせん階段を上がりきると、ひやりとした夜気が頬を撫でた。
トクサは手ごろな樽の上に座って、鋭い三日月を眺めていた。
「共闘を、と言ったが、あれは方便だ。俺たちがガヴォ暗殺の依頼を請け負ったことは事実。しかし今ここに居るのは、ロード。君宛てに言伝を頼まれたからだ」
トクサはロードを振り返ることなく続けた。
「ガヴォ一派は五賢者の四名を捕え、海の精霊と神の鳥を伴ってセルシスデオへ向かった」
「賢者……灯火の地で賢者が連行されるのを見たが、賢者は奴らの計画にどう関わる? それに海の精霊様や神の鳥まで……ガヴォ一派は何をしようとしているんだ?」
「それだけの材料を揃えたならば、【基盤】を無理やりに書き換えるつもりだろう、と一角獣は見ている」
「基盤?」
耳馴染みのない言葉であることは、トクサにも同じだった。
「世界の理を決定づけるもの。契約であり記録であり預言であるもの。人智の及ばぬ神の領域だ。本来、王族でなければ干渉できないが、基盤の守り手である五賢者が欠員となることで、一時的に無防備になるとか」
「五賢者を殺して、カレスターテ全土を好きなように牛耳る魂胆か。規模がでかすぎて目眩がしてくるぜ」
肩をすくめるロードに、トクサは人相書きの束を差し出した。
「この先、【精兵連】との衝突は避けられない。騎士ギュスタフ・フェルデロイは豪腕で知られる。闘士ディエロ・ソルティクは君たちを炙り出す作戦の実行部隊長だ。近衛のアイーシャ・リオナは単独行動が多い、警戒すべきだ。
他にラフト族の猛獣使いと変異した元人間のバディ、元軍人のメヴィー・ソテロウ、人形遣いアレイ・レイオが控えているが、情報不足だ」
多数の登場人物を指折り数えて、ロードは尋ねた。
「大臣なら副官もいるだろ?」
「副官ドーイ・イヴェロイはガヴォへの謀反を理由に追放された。アイーシャ・リオナが処刑にあたったが、メヴィー・ソテロウによる証言以外の証拠はなく、改めてギュスタフ・フェルデロイの配下が追っ手を担った」
「副官が上司を裏切った……として、どっちの味方かはわからねえよな。ま、生きてるかどうかもわかんねえけど」
「撹乱を狙った虚偽の情報、の可能性も否定はできない。ドーイ・イヴェロイ本人に話を聞かない限りは」
トクサは城壁上部に設けられた凹凸の防護壁――胸壁に音もなく飛び乗った。
「あらゆる手を尽くしてなお、ガヴォは殺せなかった」
トクサは腕を組み、三日月を眺めながら呟いた。
「不死身の化け物ではないはずだ。ガヴォはザティアレオスⅩ世の時代、王甥ユーレイヒ・ブリムガン・ロスターテイラーに刀傷を負わされている。私的な諍いが原因らしいが……当時の咎によりモルドロ公国へ追放処分となった、ユーレイヒ本人を捜して聞き出した話だ。どう思う、ロード」
「どう? 王族相手だから抵抗できなかったんだろ。リメンタドルムでアリアテ相手に見せた剣技は只者じゃなかったぜ」
「そこだ。王弟一族末子ティオは未だゲッテルメーデルの白き司に幽閉されている。アリアテも、ガヴォ自ら手にかけようとはしない……憶測だが、メンテス・ガヴォが王族に逆らえない何らかの制約を負っている可能性はないだろうか」
ロードは腕組みして首を傾げた。
「……けどよ、一角獣から聞いた限りじゃ、十年前の内乱を仕組んだのはガヴォだって話だぜ? 結果、王族は滅んで民間人の女王が立った。ガヴォは女王と手を組んだか、脅迫したか、実質国のトップだ。猫被ってただけじゃねえか?」
トクサは胸壁の上で反転し、ロードに向き合った。
「そうか。俺は、アリアテなら或いはと期待しているんだが」
トクサは三日月を仰ぎ、白く細い息を吐いた。
「もうひとつ忠告だ。ガヴォを倒すという共通の目的があっても、志まで同じとは限らない。上等な席を欲する者、大義を重んじる者、私怨で動く者……一角獣にも言えることだ。いざアリアテが女王になった時、おとなしく従う者ばかりではないということも覚悟しておいた方がいい」
トクサは後ろ向きに城壁の向こうへ落ちた。ロードは胸壁に飛びついて下を覗きこんだが、砂丘地帯にも、壁にも、どこにもトクサの姿はなかった。
「……何をしても死なない男か。制約うんぬんじゃなく、人間じゃねーんじゃねえの」
――王族の血統。シーナ女王に代わって玉座に着くべき、正当な王位継承者。狐狸の巣窟にあっても国を清く正しく治め、世界の理が私欲によってねじ曲げられないよう守り……辺境出の小娘に、みんな期待しすぎじゃねえか?
顔をしかめたロードの腕で、オルフェスの籠手がきらりと光った。
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やかましい金属音が頭に響き、オルフェスは薄目を開けた。
「キレイだナ♪ 緑、青、金色、キラキラ色が変わって光って飽きないナ~」
道化の衣装をまとう人形師アレイ・レイオは、磔架に拘束されたオルフェスの周りを踊り歩いていた。
「気に入ったのであれば差し上げますよ、飾り物ですから」
精気のない声で言うオルフェスの目を、アレイ・レイオは大仰に覗きこんだ。
「あれえ、コレ、偽物なのお?」
「ええ……あなたもきれいだと言ったでしょう。何も映していないから、美しく見える」
――汚いもの、痛ましいもの。これまで嫌というほどまぶたに刻んだ浅ましい光景を、この目は映すことがない。十年前のあの日、叫ぶクワトロの顔を最後にして、光は絶たれた。
「なーんだ、だから前線から引っ込んでたんだネ! もっと早く知ってれば、君も君の部下も、こーんな目に遭わずにすんだかもネ~」
アレイ・レイオはドーラアングルを打ち鳴らし、足下の骸を一瞥した。
「でも君と違って、こいつらの目はつまんなーい。何も映してないのはお揃いなのにネーっ」
ケタケタと嘲るアレイ・レイオの足下に転がるのは、彼がオルフェスを追い詰めるために使った駒の残骸。隊長を人質にとられ、為す術無く命を差出した仲間たち。その尊い犠牲は、オルフェスを傷つけ捕えるために利用された。
「ザティアレオスⅩ世も、晩年はあなたに操られていたのですか」
「そう! だあれも褒めてくれなかったけどネ、大変なお仕事だったよぅ……死体を腐らせないようにするのが、特にねえ……」
ひたり、と冷たい金属がオルフェスの頬に触れた。
「君はどうかナ? 君が操り人形になったらぁ、大活躍してくれるよネェ……残念だナー、竜を弑す技術なんか持ってなければ、ボクのコレクションに加える許可も降りたデショ? パレードいっぱいできたデショ?」」
オルフェスは目を閉じ、ただ無になって耐えた。竜伐隊が命を賭して囮を演じる間に、一角獣の角はメンテス・ガヴォへと届こうとしていた。




