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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編

未開駅

作者: 紙本臨夢

林堂(りんどう)さんは未開駅って知ってる?」


「未開駅……ですか? 聞いたこともありませんね。一体どこにあるのですか?」


 私立嶋華(しまはな)女学院。


 他の学校よりも敷地が広く、人数も千人を超えるマンモス女子校。

 林堂はそこの生徒だ。


「それが、どこにあるのか、わからないのよ」


「えっ? どういうことですか? 詳しく教えてください」


「オカルト好きの林堂さんなら食い付くと思ったよ」


 林堂に話しかけた短い茶髪の女生徒が、黒い瞳を嬉しそうに細めながら微笑む。


「あくまで、アタシも聞いた話だから、真実か確証もない。それでもいい?」


「はい、もちろんです。こういう類の話は基本、真偽が定かではないものですから」


「電車に乗っていると急に眠気が襲ってきて、目が覚めたら見知らぬ駅にいるらしいの。そこには駅名標(えきめいひょう)もホームもないらしいの。あるのは乱雑に生えた草花のみ」


「まるで未開の地ですね」


「そう。だから、未開駅って呼ばれているのよ」


「そのままですね」


 あまりにも安直なネーミングに林堂は少し苦笑を浮かべた。


「ねぇ、林堂さんも行ってみない?」


(わたくし)も行ってみたいのですが、どのようにすれば未開駅にたどり着くのでしょうか。先ほどの話を聞いた限りですと、行き方は定かではありません。それに多くの場合は夢を見ていたということになるでしょう」


「林堂さんって、オカルト好きの割には否定するね」


「私が求めているのは本物のオカルトですから。証拠が一切ないのはオカルトではなく、ただのデマです」


「スゴい現実主義だね」


 女生徒と林堂の反応に困ったように笑う。


「ところで、アナタのお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


「知らなかったの!?」


「すみません。どうも私は人の名前が覚えるのが苦手でして」


 林堂は申し訳なさそうな表情をしながらも、真っ直ぐに女生徒の目を見る。


「スゴいね。名前を覚えてない人と話せるなんて」


 女生徒は感心した風な口調で言う。


「よく知らない人にオカルト話を聞いたりしますから、慣れました」


「へぇー。でも、気をつけてね」


「気をつける? 何をですか?」


「うーん……。色んなこと」


「色んなことですか……」


 林堂は少し考え込む。そんな林堂の反応を見てから、女生徒は困ったような表情する。


「あぁ、そういえばアタシの名前だね」


 女生徒は慌てて話を変える。そんな彼女の反応に林堂は困ったが、名前を聞くので神経を女生徒に全て向けた。


「アタシの名前は明石(あかし)(さち)。明石でも、幸でも好きに呼んで。アタシ的にはさっちゃんって、あだ名が呼ばれ慣れているけどね」


「わかりました。それでしたら、さっちゃんさんと呼ばせていただきます」


「さんはいらないんだけどなぁ……」


 ーーさっちゃんって、あの子の友達と同じ呼び方だなぁ。


 林堂はそんなこと思いながら、社交辞令的に自分の方の名前も名乗る。


「話しかけてくださったので、ご存知でしょうが、改めて名乗らせていただきます。私は林堂(りんどう)芽衣(めい)です。よろしくお願いいたします」


 茶髪の女生徒──明石幸は林堂の言葉にコクリと頷き、小さく笑みを浮かべながら「よろしく」と返す。


「それで、林堂さん。話は戻すけど大丈夫?」


「はい。確か一緒に未開駅へ行かないかという話ですね」


「そうそう、それで行き方だけど」


 明石はそこで言葉を止めて、辺りをキョロキョロと見回す。


 周囲に人はいない。


 夕焼けの光が教室まで入ってきている。電気がついてなくても、眩しいほどに。


 放課後を知らす鐘が鳴ってから、随分と時間が経っている。


「そっか、今日は最終下校時間が、いつもより早かったね」


 明石は腕時計を確認する。


「ヤバッ……。あと一分もない。林堂さん! 急いで外に出るよ」


 明石は走り出す。あまりにも早く、林堂が教室を出る頃には明石の姿はなかった。 


「そういえば、全国大会常連の短距離選手がいましたね。それがさっちゃんさんでしたか。名前を覚えられていなくて、驚いてもおかしくありませんね」


 林堂は一人呟きながら、歩いて外へ向かった。


 ♦︎


 林堂が学校の門を潜った先には明石が待っていた。


「随分とのんびりだったね」


「さすがに閉じ込めるようなマネはしませんから」


「あっ、そっか」


「話の続きをして頂けないでしょうか?」


「そうね。そのために待っていたんだし」


 明石はコホンと一度咳払いを挟むと、話し始める。


「実は未開駅には選ばれた者しか行けないの。選ばれたら、急に眠くなり目が覚めると未開駅にはたどり着くの」


「そうだとしたら、行こうと思っていても行けないのでは?」


「それもそういうわけじゃないの」


「と言いますと?」


「その前に林堂さん、一つ聞きたいことがあるの」


「なんでしょうか?」


「急にこんなこと聞いて、本当に悪いと思っているの」


 明石はすでに申し訳なさそうな表情をしている。そんな彼女の表情の林堂は息を飲む。


 ーー何を聞こうとしているのでしょうか? 少し怖いですね。


「林堂さんは……何を犠牲にしてでも、()()()()()()人はいる?」


「っ!」


 予想だにしない質問。一瞬だが、林堂は表情を強張らせてしまった。


「アタシはいるよ。とても大切で大好きだった友達を」


 明石の急な告白。彼女はとても辛そうな表情をしていた。


 彼女はきっと意を決して言ったのだろう。それがわかるから、林堂は口を開いた。


「……はい。……私にもいます。双子の姉を」


「えっ? 姉?」


 明石は目を見開いて驚く。


「どうして、そんなに驚いてもいらっしゃるのですか?」


「……えっ? ああ! ごめんね。まさか肉親を亡くしているとは思っていなかったから」


「その言い方ですと、私にいたのを確信していたようですが?」


「九割五分いると思っていたからね。でも、肉親だとは思っていなかった……」


「どうして、私にいるとわかっていたのですか?」


「同族のシンパシーっていうのかな。不謹慎だけど」


「そうですか。そんなわかりやすかったのかと思っていましたから」


「その心配は無用だよ。何を犠牲にしてでも、救いたかったと思う人はごく少数だから」


「そうですか……。それで、未開駅となんの関係があるのでしょうか?」


「未開駅は救いたかったという後悔抱いている人が招かれるからね」


「そうなのですか?」


「うん。今まで経験した人たちは、みんなそうだったから」


「行ったことがある人を知っているのですか?」


「うん。知っているよ」


「その人は無事だったのでしょうか?」


「無事だよ。未開駅で後悔を乗り越えたからね」


「なるほど。その言い草だと、未開駅は牢獄のようですね。後悔を乗り越えるための」


「そっ。後悔さえ乗り越えたら、何もないよ」


 対処法までわかる。


 その珍しさに林堂は少し驚く。林堂は色々とオカルト的な話を知っているが、対処法までわかっているのは、ごく少数だ。


「ですが、そう簡単に未開駅へ行けるのでしょうか?」


「わかんない。まぁ、こういうのは粘り強さがいると思うからね。それに今日は遅いし、帰ろう。都市伝説なんかよりよっぽど怖いモノが出てくる時間だから」


「まだ夕方の六時ですけどね。それに夏なので明るいですし」


「まぁでも、今日は水泳あったから疲れたしね」


「それはそうですね」


「じゃあ明日から未開駅チャレンジだね」


「わかりました。それではまた明日」


 林堂と明石はその場で別れる。明石は手を振ってるが、林堂はお辞儀をするだけだ。


 ♦︎


 少し生暖かい風が吹く。その風は林堂の長い黒髪をサラサラと揺らした。閉じていたまぶたを上げた。

 少し茶色が混ざっている黒い瞳がまぶたの下から現れた。


「ここ……は?」


 林堂は辺りを見回しながら、呟いた。


 来たことが一切ない場所。そもそも、ここがどこだかがわからない。


 草花が乱雑に生えている。まるで森みたいだが、足元にある鉄の何かが、ここが森ではないことを表している。


「ですが、ここは一体? 私はさっちゃんさんと門の前で別れたはずなのですが……」


 林堂はここに来た経緯を思い出せない。


 代わりにある言葉を思い出した。


『そこには駅名標(えきめいひょう)もホームもないらしいの。あるのは乱雑に生えた草花のみ』


「もしかして、ここは未開駅なのですか? ですが、私は電車に乗っていません。どうして?」


「誰かいるの!」


「っ!?」


 急に聞こえてきた女性の声。林堂は思わず、息を飲んだ。


 ガサガサと草花がかき分ける音が聞こえる。その音が徐々に近づいてくる。


 林堂は逃げようと一瞬だけ思ったが、逃げない選択をした。林堂にとっては、オカルトの類、特に幽霊などは気になる存在だ。


 例え、音の正体が幽霊だとしたら、林堂は別に構わない。むしろ、目標を達成するための第一歩となる。


 音の方をジッと見ていると、人が出てきた。茶色い短髪に黒い瞳の少女だ。


「えっ? どうして、林堂さんがここに!?」


「それはこちらのセリフでもありますよ。さっちゃんさん」


 そう、林堂の目の前に現れたのは明石幸。先ほど、学校の門の前で分かれたばかりの同級生だ。


「林堂さんは電車通学だったの?」


「いえ、徒歩です。そういうさっちゃんさんは?」


「アタシも徒歩」


「そうですか……」


 一体どういうことかと林堂は少し考え始める。


「やっぱり、これって未開駅だよね?」


「はい、恐らくは」


「アタシが聞いた条件はウソだったということ?」


「そうなりますね」


「少し残念だね。でも、ここに来れたし、むしろいいのでは?」


「ポジティブですね」


「そうかな? 求めていた場所に来れたら、誰だってこうなると思うよ」


「そうですか。ですが、先ほどと言うことが矛盾しますが、ここが未開駅とは限りません」


「それも、そうだね。よし、ならまずは探検だ」


「探検というか探索なのでは?」


「細かいことは気にしない」


 そう言い、明石は元来た道を引き返す。彼女がいる方へ林堂も向かった。


 ♦︎


 二人は鬱蒼(うっそう)と草花が生い茂っている道を歩く。


「やはり、線路が通っているのですね」


「ね。やっぱり、ここは未開駅っぽい」


「私はまだ確証が持てません。まだ超えるための試練らしきモノが出てきませんから」


「うーん。そもそも、そんなのあるのかな?」


「わかりません。ですが、本当にここが未開駅なら、あると思います。そもそも、都市伝説なら何かが起きるはずです。今、私たちは迷っているだけですから」


「まぁね」


 林堂の身も蓋もない言い草に明石は苦笑を浮かべる。


 ガサガサッ!


「「っ!?」」


 突然に自分たちとは違う方向から、草を分ける音が聞こえて、二人は同時に音がした方向へ、勢いよく振り向いた。


 すると、そこに困ったような笑みを浮かべた林堂に瓜二つの少女がいた。


 背丈も体型も同じ。もう一人の自分がそこにいるかのようだった。


『姉さん』


 少女は林堂の方を悲しそうに眺めている。


『どうして来たのですか……』


「あ…………」


 林堂は何も言えない。言えるわけがない。


 最初は信じられなかった。自分が知っている少女と大きさが圧倒的に違ったのだ。だけど、彼女の声や表情で、間違いなく本物だと気付いた。


 長年の求め続けていた再会。

 探し続けた相手。


 それが今、目の前にいる。


「どう……して……?」


 少女に触れようと一歩近づく。


「ねぇ」


 背後から声をかけられてビクッとした。


「あっ、さっちゃんさん」


「誰と話しているの?」


 明石の言葉に目の前にいる少女は自分にしか、見えないことを知った。だが、会えたのだからそれは些細なことだ。だから、素直に答えた。答えてしまった。


「妹です」


「妹? 姉じゃなくて?」


 明石の言葉に林堂はハッとする。


 ーーそうだ。自分は芽衣なんだ。


「……姉です」


 少し遅れたが、言い直した。


「ふーん」


 怪しそうにしている明石の視線が刺さる。だからこそ、林堂は目を逸らしてしまう。


「そういえば聞いてなかったけど、姉の名前を聞いてもいいかな?」


麻衣(まい)です」


「麻衣ね……」


 明石はなぜかコクコクと頷きながら、林堂が言った名前を呟く。


「まぁいっか。その人を何を犠牲にしてでも、救いたいんだよね」


「はい。あの時に私の方が死ぬはずでしたから」


「了解。なら、ちょっと待ってて」


 明石は学校の荷物が入っているはずのリュックを漁りだす。何を探しているのかはわからない。だが、目的のものはすぐに見つかったようだ。彼女は「よし」と言い、中から取り出した。


「はい、どうぞ」


 明石は満面の笑みで、中から取り出したものを差し出した。


「これは……」


「見ての通り、包丁だよ。それで体のどこかを刺して、自分という存在をその体から追い出して。そこに救いたい人がいるなら、その子を宿すことができる。代わりに自分という存在は消えるけど」


「彼女をこの世界に留まらせることができるのですか?」


「留まらせるというよりは、代わりに生きてもらうという感じかな」


「そんなことができるのですか!? あなたは一体……?」


「アタシ? アタシはとても大事な幼馴染みの林堂芽衣を救うためには、どんな手段でも使うと決めた狂人」


『まさか、さっちゃん……?』


 背後から少女の声が聞こえる。


「もしかして、あなたはさっちゃん?」


「ん? どういうこと? 最初からそう言っているでしょ」


「どんな時でもあの子の友達でいてくれた、あのさっちゃん?」


 林堂の一言に、明石はスッと目を細めた。


「なるほどね。どうやら、あの子が……ホンモノの芽衣が本当にそこにいるってことか。偽物の林堂芽衣」


「っ! もしかして、最初から気付いてました?」


「当たり前よ。あの子が死んだことも、あの子に瓜二つの姉がいることも知っているから」


「知ってて声をかけたと」


「えぇ、当然よ。でも、救いたかったのが、姉と言われた時は焦ったよ。同姓同名、瓜二つの別人かと思っちゃったもん。でも、あなたは嘘つきだったようね」


「えぇ、本当の私は林堂麻衣です。私は家族の期待に応えて、天才な妹の芽衣を演じているだけの凡人です」


「簡単に認めるんだね。案外呆気ないね。今だったら、普通に体を渡しそう」


 そんな明石の言葉に林堂麻衣は微笑んだ。


「元々、それを望んでいたのですから」


 明石が差し出した包丁を受け取る。


「この包丁はどこに刺せばいいのですか?」


『姉さんやめてください!」


「どこでもいいよ」


「これで芽衣に体を渡さなかったら、呪いますから」


「アハハ。了解。でも、安心して。色んなもので覚え切れないほど、調べたから間違いない」


「一見、どこにでもある包丁ですけど」


「偽装だよ。普通の包丁としても使えるよ」


「なるほど。それでは失礼しますね」


 麻衣は自分が出て行けて、入ってくる芽衣に支障がないところを探す。


「どうしたの? 早くやりなよ」


 明石の言葉を無視して、頭の中で必死に探す。しかし、どこを刺しても支障が必ず出てしまう。


「うーん。さっちゃんさん。どこを刺せば芽衣に支障が出ないと思います?」


「お腹だね」


「ですが、お腹って臓器の集まりですよ。傷付けば大変なのでは?」


「お腹は一番手術されることが多いし、代わりになる臓器も沢山あるよ」


「確かにそうですね。でしたら、お腹にします」


『やめてください!』


 芽衣の言葉を聞きながら、麻衣はお腹に包丁を突きつける。片手ではなく両手で包丁を握りながら。


 麻衣は目を閉じ、思いっきり振りかぶった。だが、包丁が突き刺さることはない。


 麻衣は訝しげに目を開けた。すると、自分の左手が包丁から手を離し、右手を押さえていた。


「一体何が?」


『姉さんは逃げてください! 私なんかの代わりにならなくてもいいですから!』


「っ!?」


 先ほどまで、耳に届いていた声だが、今は頭から響く。


「どういうこと?」


『ごめんなさい。体に少し乗り移らせてもらっています。そうでもしないと、姉さんは本当に死にそうですから』


「いいの。私は芽衣に救われて生きているの。あなたに体を明け渡すことは本望」


「ねぇ」


 明石はピッタリと止まっている麻衣を見て、声をかける。


「何してるの? 出て行くんじゃなかったの?」


 明石は怒っている。それがわかるほど、彼女の雰囲気は変わっていた。だから、麻衣は事実を述べることにした。


「私自身は出る気満々だったのですが、芽衣に止められてしまって」


「えっ?」


「だから、ちょっと時間がかかります。ですが、意地でも出てみせますので、そこは安心」

「ふざけないで!」


 言い切る前に明石に遮られた。


「あの子が自分を止めた? ふざけるのも大概にして! アタシが見えないから、バカにしてるんでしょう! あの子がそんなことするはずがない! 絶対にあなたを恨んで死んだんだから! あの子もきっと、もっとずっとアタシといたかったはずよ!」


 彼女は叫ぶ。麻衣はそんな明石の姿を苦しそうに眺める。


「もういい。わかっていた。そこに芽衣ちゃんはいない。だって、いるなら芽衣ちゃんの姿はアタシにも見えるはず。でも、それがない。芽衣ちゃんになりきり、芽衣ちゃんが止めるように見せかけている。お前はどうせ死にたくない。芽衣ちゃんなんか、どうでもいいと考えている。そんな奴、消えても誰も気にしないよね」


 明石は口を挟む余地も与えずに言った。そして、彼女はまたリュックの中を漁り出す。


「最初からこうすればよかったんだ。あの子を覚えていて大切にしているのはアタシだけなんだから!」


 明石はリュックの中から、折りたたみ式のオノを取り出した。そのまま、麻衣にゆっくりと一歩ずつ近づいて来る。


 麻衣の前に立った瞬間、彼女が縦に振るうと、オノが作られた。


 非現実的なので、麻衣はボーと見ている。その間にオノは振り下ろされて、麻衣に向かって行く。


 このままでは当たる。そして、死ぬ。


 そのことを麻衣は認識できた。


(でも、別にいいよね。わたしは元々死ぬ運命だったんだから。死ぬのは芽衣じゃなくて、わたし。あの時にわたしが死んでいれば、絶対にこんなことにはならなかった。だから、これでいい)


 時間の経過が遅く感じる。


 ゆっくり、だけど確実にオノは麻衣の首を捉えている。後は彼女が振り切るだけ。


 麻衣は目を閉じ、絶対に来る死を、痛みを待つ。


 だけど、一向に訪れない。訳が分からなくて、麻衣は目を開けた。


 目の前にオノがない。それどころか、明石すらいない。


「(一体何が……っ!?)」


 声を出したつもりだった。だけど、出なかった。そのことを認識すると、自分が走っていることを初めて知った。


『ごめんなさい。姉さん。完全に乗り移ってしまいました。ですが、これも姉さんを救うため。さっちゃんから逃げ切ったら、必ず返します。ですから、少しだけ我慢してください』


 頭に芽衣の声が響く。


「(返さなくていいよ。わたしが生きているなんかよりも、よっぽどいい)」


 拒否する麻衣だが、体の主導権は完全に芽衣にある。自分ではどうすることもできない。


 逃げる足は止まらない。


 ♦︎


 どれくらい逃げたのだろう。森はどこまで続いているのかすら、わからない。


 体の主導権が芽衣にあるせいで、麻衣は疲れすら感じない。


「あっ」


 芽衣がそんな声を出したかと思うと、その場で転んだ。


 どうやら足元の横倒しになっている木に引っかかったみたいだ。


 芽衣はすぐに立ち上がり、走り出す。その瞬間、目の前に人影が現れた。ここにある人影は自分を除けば一つしかない。


「ここに来るのはわかっていたよ」


 明石は口角を吊り上げてニヤッと笑う。


 芽衣は踵を返し、走り出す。


「逃がさないよぉ〜」


 彼女は芽衣たちにも聞こえるほどの大きな声で言う。だが、芽衣は気にせずに走り続ける。


「アタシがどんな奴かわかって、やってる?」


 彼女が呆れたように言うと、背後からガサガサと音を鳴らしながら芽衣たちに近づいてくる。そして、すぐさま肩を掴まれた。


「アタシは短距離走の全国大会常連だよ」


 耳元で、そう囁かれた。


 寒気がして背筋が伸びる。彼女の力は強く、抵抗しようとしても、ビクとも動かない。


「さぁて、どうされたい?」


 オノを首筋に当てられる。


「どこから、切り離されたい。足? 腕? それとも、思い切って、首? アタシのオススメは首かな。一番早く死ぬことができるよ。大丈夫。アタシは林堂さんを苦しませるつもりはないから。ただ、この世から消えてもらうだけ」


 彼女はニコニコと笑いながらも、底冷えするかのような冷たい声で言う。


「……さっちゃん」


 芽衣は思わず、彼女の名前を呼ぶ。自分が呼んでいる呼び方で。


「さっ……ちゃん……? あぁ、そう! 最後まであの子を演じ切るのね! 偽物の分際で! あの子の身代わりとして! ハハッ! 滑稽だね! 最期まで自分を持つ気はないんだ。なら、いらないね」


 芽衣が麻衣の体で、さっちゃんと呼んだせいで、彼女の怒りを買ったようだ。先ほどまでの冷たい声ではなく、明確な怒気が宿った口調で明石は反応した。


 芽衣はそんな彼女の反応に苦しそうに表情を歪める。だが、それは火に油を注ぐようなものだった。


「あぁもう! ウザい! 本当にウザい! まるで自分が芽衣ちゃんのような反応をしないで! アンタはただ、自分の体が大事なだけでしょ! 芽衣ちゃんを身代わりにしたんでしょ! もう、そんな奴は死ねばいい!」


 明石は完全に吹っ切れたようだ。


 彼女が本気で追いかければ、麻衣の足に簡単に追いつく。だが、明石はまるで鬼ごっこをするかのように本気を出していなかった。


 それは彼女にとって、ほんの少しだけ残っていたもの──人を殺すことに対する躊躇だ。


 それが彼女からなくなった。もう麻衣を殺すことは明石にとっての決定事項となったようだ。


 明石はオノを首から離して、思いっきり振り切る。だが、空を切った。


 振りかぶっている間に、芽衣は慌てて、離れた。


 だが、足は完全に明石の方が早い。


 一瞬にして、追いつかれた。


「(芽衣! 体を返して!)」


 麻衣は叫び、体の主導権を自分に戻す。それと同時に芽衣は追い出された。


 次の瞬間、明石に組み伏せられて、首にオノを振り下ろされた。


「っ!」


 痛みで声が出そうになったが、唇から血が出るほど強く噛み、声を何とか出さずに済んだ。


 明石は麻衣の首に何度も何度もオノを振り下ろす。その度に痛みを堪える。


(こんなの、奪ってしまった芽衣の人生と比べれば安いものだ。芽衣だけじゃない。さっちゃんさんの人生もだ。それに優秀な娘を失った両親もだ。あの時にわたしが死んでいれば、みんな苦しまずに済んだ。だから、わたしが死んで、みんなが報われるなら、これでいい)


 数分後、麻衣はピクリとも動けなくなった。


 ♦︎


 明石の全身は返り血が付着していた。それを一切、拭おうとせず静かに麻衣を見つめている。


 動く気配を感じない。


「うっ……」


 明石は吐き気を催して、口を押さえる。だが、我慢できずに麻衣から少し離れたところにある茂みに胃の中身を全て吐き出した。それでも、吐き気が(おさ)まらず、胃液も吐く。


 数分後、ようやく吐き気が治まる。麻衣の姿を再度見る。


 何度もオノを叩きつけたせいで、死体の周囲の草花に血が付着している。


 それを見るだけで、先ほどまでの肉を断つ感触が手に強く現れた。


 明石は光のない瞳で、麻衣の死体に近づく。


 麻衣は動かない。


「……当たり前か」


 目的の芽衣復活はできなかった。だが、どこかそれで良かったと思っている自分がいることに明石は気づいた。


 明石は麻衣の死体から少し離れて寝転がった。そして、そのまま目を閉じた。


 聞こえるのは風の音と虫の声。車の音も聞こえないことから、普段暮らしているところから、かなり離れていることがわかる。


 本当の未開の地。


 なぜか線路はある。だが、駅はない。


 そんな何もない場所。だからか、明石は落ち着いた気持ちで目を閉じた。


 ♦︎


「ねぇ、未開駅って知ってる?」


「うん、知ってる。電車で眠っていて、気がついたら、電車を降りていて、駅もホームもない線路だけの場所に出るんでしょ」


「そう! でも、最近新たな噂が追加されたのよ」


「ある噂?」


「うん、その目が覚めたところから少し離れたところで二つの白骨死体があるらしいよ。片方は首の部分が粉々らしいんだ」


「へぇー、それは知らない」


「それにどうやら、その二つの死体に近づくと、誰もいないのに女の泣き声が聞こえてくるらしいよ」


「泣いてる? 何かあったのかな?」


「わからない。でもね『姉さん……さっちゃん……』と言ってるらしいよ」

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