5.「私」
「怪我はないか?」
騎士たちからの労いの声に応えながら、ペルタストの素材を採取する様子をぼんやり眺めていると、クルト隊長が声をかけてきた。
「なんともありません。そちらは?」
「かすり傷ひとつ負った者はいない」
「良かったです」
「あのペルタストを、被害ゼロで討伐してしまうとはな……」
「隊長さんはあれと戦ったことあるんですか?」
「あるが、あの時は甚大な被害が出た。あの槍をあのような手法で無害化できるとは」
「まぁ、ちょっとめんどくさいですけどね。それよりクリスタルウォールが間にあったのはやっぱり隊長さんのおかげだと思いますよ。偶然じゃなくて、慎重な行動が功を奏したんです」
「……そういうものか」
「そういうものです」
そして、クルト隊長は真剣な目で私を見やり、問うた。
「君は、何者だ?」
────私は、何者?
葉山凪紗、27歳、会社員。岐阜県出身、大学進学と共に上京し、卒業後は都内のIT企業に就職。ひとり暮らしで、趣味はゲームと読書────それらは、生まれてから辿ってきた私の履歴、私の思う「現実」の私だ。
「Aslan」での私は、「Nagi Nagia」というアバターを操作する一人のプレイヤーだった。何年もの間毎日のようにログインし、苦楽を共にした気の置けない仲間がいて、最早生活の一部といっても過言ではなかった。
しかし、それだけだ。あくまでも優先されるのは「現実」の方だったから。当然だろう、そうしなければ「Aslan」の世界に行くことはできなかったのだから。
では、「現実」という概念が書き換わってしまったら、私は何者になるのだろう。
この世界には、私の履歴がない。私を知る人がいない。フレンドリストは空っぽだ。だからたぶん、この世界の私はナギという名の「元プレイヤー」でしかない。
何故このようなことになったのだろう。元の世界に戻ることはできるのだろうか。正直わけがわからないことだらけで厭になりそうだ。ふと自分の手を見ると、ペルタストの返り血で汚れていた。色が青いのであまり「血」という感じはしないけれど、良い気分ではない。ああどこかで洗わないと、なんて思考が逸れる。
「……ナギ?」
呼ばれてクルト隊長を見ると、質問に答えずぼんやりしてしまった私を心配してくれているのがわかった。優しいひとだ。
幸い私はこの世界のことを知っている。こうしてこの世界に住まう人たちとコミュニケーションをとれているし、戦うこともできた。ならば、私はこれから、この世界の「私」を確立していくことができるかもしれない。
「今の私はその答えを持ちません」
「……」
私の答えに、クルト隊長は無言でじっと私を見つめると、小さくため息をついた。
「……では質問を変えよう。君が我々に敵対する可能性はあるか?」
それならば自信を持って答えられる。
「いいえ。あり得ません」
「……ならば良い」
そう呟くと、クルト隊長は篭手を外し、そっと私の頭に手を載せた。
「危ないところを助けられた。ありがとう。君は強いな」
率直な感謝と賞賛の言葉に、なんだか急に嬉しさが込み上げてきた。そうだ、仮にもレイドモンスターを無傷で討伐できたのだ。今くらい素直に喜んでもバチは当たらないはずだ。
自然と笑みがこぼれる。
「へへ……どういたしまして」
すると、クルト隊長は少し驚いたような顔をした。パッと頭から手をどかし、何故か目を逸らしてしまった。どうしたのだろう。
「……それで、君はこの後どうするつもりだ? 」
さて、どうしたものか。最初はとりあえず近くの街まで行ければ良いと思っていたけれど、今は少しでも知った顔がいる所に行きたい。
「できたら一緒に連れて行ってほしいです。その後のことは……それから考えます」
「……そうか。では、素材の確保が終わり次第パーティテレポートで転移する」
パーティテレポートは、術者が行ったことのある街であればパーティメンバーを連れて即座に移動できる便利魔法だ。
そこで、取り急ぎ何とかしたいことがあるのを思い出した。
「あの、手を洗えるところをどこか知りませんか?」
「ん? ああ」
私の状態を見て質問の意図を察したようだ。
「洗浄魔法は使えないのか?」
「洗浄魔法? 初耳です」
ゲームに実装されていた魔法ならば全てマスターしたはずだが、この世界オリジナルの魔法があるということだろうか。
「君に使えない魔法もあるのだな。少し安心したよ。『ジョイ オブ ウォーター』」
水の喜び? と脳内翻訳すると同時に、私の全身を水が覆った。
「わわ!」
溺れる!? と思った瞬間、水は消失した。
自分の状態を確認すると、どうやら返り血は洗い流されてすっかり綺麗になっている。しかし、全身びしょ濡れだ。
「……」
思わずじとっと犯人を見やると、可笑しそうにこちらを見ている。
「そんな顔をするな。ちゃんと乾かしてやるから。『ウォーム ウィンド』」
今度は暖かい風に包まれ、ものの数秒ですっかり乾かされた。
「おぉ……凄い魔法ですね。ありがとうございます」
「誰でも使える初歩的な生活魔法なのだが……」
そうか。私にとっての魔法は大半が戦闘のためのものだけど、この世界には生活のために生み出された魔法があるのだ。私も使えるようになるだろうか。
「よろしいですか?」
近くにいた騎士の一人に声をかけられた。少し前から居たと思うので、どうやら話しかけるタイミングを見計らっていたようだ。
「どうした?」
「素材の回収が完了しましたが、功労者への分与はどうされますか?」
「ああ、そうだな……ナギ、ほしい素材はあるか?」
「え?」
ゲームではレイドのドロップは自動分配されるものだったけれど、この世界ではそうではなく、某モンスターをハントするゲームのように自分で剥ぎ取って回収するもののようだ。察するに、一番活躍した人は好きな素材を貰える特典があるとかそういう感じだろうか。しかし、今更ペルタストの素材で欲しいものは思いつかない。
「特に無いです」
「遠慮する必要はないぞ?」
「欲しいものはもうだいぶ前にとってしまってるので」
「……そうか。しかし、何もなしというわけにもいかないのだ」
「そうなんですか」
要らないと言っているのだから全部持ってけば良いのに、こう言うのはたぶん「あの人は辞退したのに」といった余計な声が後になって出ないようにするための細かい配慮なのだ。団体というのはこういう所がちょっと面倒くさい。
「では、目をいただきます」
「了解した」
目はアクセサリーや回復薬の材料になるから、この先なにかに使える時が来るかもしれない。
クルト隊長から素材が入った袋を手渡されたので、中身を確認せずインベントリに放り込んだ。目玉が入っているならあまり見たくはないし、入っていなくても特に問題はない。
「では、帰還する。ナギ、手を」
差し出された手を握ると、パーティテレポートが発動して視界がぐにゃりと歪んだ。