42.総力戦
騎士達が自らの仕事を遂行するために退出していく中、クルトさんは私の元へやってきた。あの時の姿が頭を過り、ギュッと目を閉じてそれを振り払う。
(……こうして生きてる。今なら助けられる。大丈夫)
「ナギ……大丈夫か?」
「え?」
「目が……」
たしかに目が腫れぼったい。あんなに泣いたのだから当然だ。クルトさんは眉をひそめてこちらを見ている。
「……大丈夫です。なんでもありません」
クルトさんを見ていると、一度は止まったはずの涙が勝手に溢れそうで、目元を隠した。どうも涙腺が緩くなっていてうまくコントロールできない。でも、ここで泣いている場合ではないのだ。早くオーディンを倒しにいかなければ。
「ナギ? 何があった?」
「本当になんでもないのです。私達も早く行きましょう」
「ナギ」
クルトさんは私の腕を掴むと、目元から手をどかしてしまった。視界にクルトさんの姿が映り、みるみる涙が溢れてしまう。
「何があった」
「な、なんでも……」
「君はなんでもないのにそのように泣くのか」
「……私はもう慰めてやらぬぞ。そなたの役目だ、クルト」
暫しこちらを見ていたエドガー王子はそう言ってため息をつくと、側近を連れて下がっていった。謁見の間に残っているのはもう私達だけだ。
「す、すみませ……大丈夫、ですから、早く……」
「どこが大丈夫なんだ」
すると、クルトさんはそっと私を抱き寄せた。体温が感じられて、安堵すると同時にますます涙が溢れてくる。
(なんで、止まってくれないの。こんなことしてる場合じゃないのに)
あの未来を今から変えにいくのだから、しっかりしなければ。
私はゆっくりと深呼吸をした。クルトさんの匂いと、人肌に包まれていることによる安心感で、少しずつ気持ちが落ち着いてくる。大丈夫、大丈夫、と何度も繰り返し自分に言い聞かせて、ようやく涙は止まってくれた。
私が泣き止んだのを見て、クルトさんは体を離した。頬に手を触れ、指で涙をぬぐう。瞬きをすると、残っていた涙が零れ落ちてクルトさんの顔がよく見えた。とても心配してくれているのが伝わってくる。
「……すみませんでした。本当に、なんでもないのです」
「……わかった。『ヒーリング』」
真っすぐクルトさんを見てそういうと、それ以上何も聞かずに回復魔法で私の目元を癒してくれた。腫れぼったかった目のあたりの熱が引いていく。
「ありがとうございます」
「……隊には街の出口にて待機するよう指示を出してある。我々も向かおう」
「わかりました」
街の出口へ行くと、既に大勢の騎士が整列していた。街の人達も何事かと集まってきている。
「斥候は」
「はっ! 北西部にて目視、ゆっくりと南下している模様です」
「よし、速やかに討伐せよとの王子の命だ。行くぞ!」
アーロンさんの号令で騎士団が移動を開始した。一部が“フライ”で先行していく。
「クルト隊長、私も先行していいですか?」
「ダメだ。あれは騎士団が戦闘するのに有利な場所へ誘導する者達だ。邪魔になる」
「……わかりました」
「何を焦っている? 君らしくない」
「……申し訳ありません」
焦りがあるのは確かだ。早く行って、まだオーディンが「正しい存在」であることを、倒せるものであることを確認したい。
すると、クルトさんは私の後頭部を軽く小突いた。
「……何をそんなに怯えているのか知らないが、大丈夫だ」
「え?」
思わずクルトさんを見る。私は怯えているのだろうか。
(──────ああ、そうか)
私は、失うのが怖いのだ。この世界が現実だと知った時、私には何もないと思ったし、それは事実だった。なのに、いつの間にか大切なものが私の中に存在している。
「……クルト隊長、皆さん」
「なんだ?」
「もしもの時は最優先で自分の身を守ると約束してください。でないと、私は何度でも同じことをするでしょう」
クルトさんだけでなく、コネリーさんやフレデリックさんといった他の騎士達も私を見た。
「……わかった。約束する」
「これ以上借りを増やすわけにはいかないからな」
それで、私はようやく微笑むことが出来た。
やがて、前方に異様なオーラを放つものが見えた。8本足の軍馬に騎乗し、槍を持ち、ローブを着た老人──────オーディンだ。
(良かった、私の知っているオーディンだ)
「正しい存在」であることが確認できてほっとする。
オーディン討伐にはこれといって有効な攻略法が存在しない。あらゆる攻撃は範囲かつ高威力で、全ての属性と状態異常、状態変化への高い抵抗を持っている。持ち得る手段を総動員して戦う、ラスボスといった趣のレイドモンスターだ。
一つだけ特に気をつけなくてはならないのが、あの槍だ。一振りで凄まじい威力の範囲攻撃になるだけでなく、業火を纏った状態になると終末が訪れ、戦闘に参加している全てのメンバーが問答無用で死んでしまうのだ。そのため、あの槍だけは何としても止めなければならない。
私がゲームで1度だけ討伐出来た時は、特にプレイヤースキルに自信のある数名が交代で槍に対して攻撃を打ち込み、そもそも槍を振るわせないようにしていたと思う。万が一失敗すると討伐できなくなる可能性さえある責任重大な役回りだ。
「ナギ」
アーロンさんが近づいてきた。
「はい」
「オーディンを倒すためにはあの槍を止める者が必須となる。お前にも参加して欲しい。できるか?」
どうやら倒し方はプレイヤーと変わらないようだ。削り役でしか参加したことがないけれど、ここでやらないという選択肢は存在しない。
「やります」
「よし。では合図ですぐに交代できるよう準備しておいてくれ」
「わかりました」
ふとクルトさんを見ると、とても渋い顔をしていた。反対したいのがひしひしと伝わってくる。けれど、彼は止めなかった。
「頑張ります」
「……ああ。くれぐれも気を付けてくれ」
「はい」
そして、総勢160名程の騎士は4つに分けられ陣形が組まれた。後方に行くほど遠距離や回復が得意な者が配置されている。
先陣を切るのはコネリーさんだ。
様々なバフがかけられると、コネリーさんは一気に突入した。彼が攻撃可能範囲に入ったことでオーディンが槍を振り上げると、そこに向けて連続して剣技を放ち、やがて鍔迫り合いが発生した。以前私と対戦した時よりもかなり動きが速くなっているように見える。もう一度対戦したら勝てるか怪しい程だ。
「やれ!!」
号令と共に騎士達の一斉攻撃が始まった。私はコネリーさんを注視する。
すると、ふいにオーディンの顔が動いた。途端にコネリーさんの動きが明らかに鈍る。
(──────魂喰いだ)
「コネリーさん! それの視界に入らないよう立ち回ってみてください!」
とっさにコネリーさんに言うと、少し動きが持ち直したようだ。しかしこれではあまり解決になっていない。
「騎士団長、あれの目を潰せますか? あのオーディンは「魂喰い」を使えるようなのです」
「なに?」
私も体験した恐怖を思い出す。あの時、エドガー王子に貰ったブレスレットがなければ気を失っていたかもしれない。
「あの目に見られると恐怖を覚えてまともに戦えなくなります」
「……わかった。1班、7班! 奴の目を潰せ!」
何故私がそのようなことを知っているのか、という質問は後にして、アーロンさんが騎士達に命じる。速やかに左右から弓と魔法が放たれた。頭部への集中攻撃を受けて、オーディンが闇雲に範囲攻撃を放ち始めてあちこちで前衛が被弾する。一撃でも食らえばただでは済まない強力な攻撃だけど、隊列が崩れる前に前衛が入れ替わり、後衛が速やかに回復していく。
(……凄い)
プレイヤー同士で協力して戦う時とは違い、完全に意思が一つに統一されている。それはまるで統合された大きな一つの力のようで、美しいとさえ感じる。
コネリーさんが限界になる前に、次の騎士が突入して見事に入れ替わった。槍を止める騎士はやはり、精鋭の中でも近接攻撃に特化した人のようだ。1人が対応出来る時間は限られているけれど。
程なくしてオーディンの両目から黒い炎が噴き出した。完全に潰すことができたようだ。オーディンは激怒したかのように騎士を突き放し、槍を大きく振りかぶった。
「代われ! クルト、指揮を任せる!」
言うなりアーロンさんが駆け出した。自己バフだろうか、一気にスピードが上がり、槍が振り下ろされる前に踏み込み押し返した。しかし、その顔はかなり険しい。更に、オーディンの槍がバチバチと雷を纏いはじめた。
「!! 前衛、下がれ!」
『マジックシールド』『レンジ!』
クルトさんが指示を出し、私が魔法の範囲防御をかけた直後、極太の稲妻が落ちた。轟音と共に一瞬視界が真っ白になる。
「き、騎士団長!」
「問題ない」
直撃したはずのアーロンさんは無傷だった。あの雷はたしか中心部ほど高威力になっていて、ど真ん中で直撃すればマジックシールドでも防ぎきれないはずだ。“シールド”を使用したのかもしれないけれど、使い所としては合っている。周囲を見ると、負傷はしていても倒れた騎士は見当たらず、ほっとする。
あの雷が落ちたということは、オーディンの体力は3割以上削られているということになる。“ディスクロージャー”を使用してみると予想通りで、今もなおゴリゴリと削れていくのがわかる。プレイヤーが討伐する時よりもずっと速くて、数の力というものを今更ながらに実感する。
アーロンさんはというと、的確なスキル選択で槍を封じている。1人であれだけ対応出来るのはプレイヤーでも見たことがない。
あまりにも順調で、もうこのまま倒せてしまうような気がしてきた時、オーディンの体を黒い炎が覆った。体力が半分を切ると触れただけでダメージを食らうようになるのだ。対抗策には炎への耐性を上げるしかない。
「騎士団長!」
「いけるか?」
「はい!」
私が駆け出すと、ありとあらゆるバフが飛んできた。
「今!」
アーロンさんの声に合わせて速やかに入れ替わる。途端に黒炎の熱を感じるけれど、バフに加えて王子に貰ったブレスレットがあるので、9割方無効化出来ていると言っていいだろう。
私はモーションを頭に描きながら、スキルが繋がるように組み立てトレースしていく。剣が槍を攻撃する度に「ガキン」と硬質な音が響き、それをリズムとしてリキャストを把握する。
オーディンから度々放たれる様々な高位魔法も騎士達の攻撃を妨げることは出来ず、程なくしてスレイプニルが大きく嘶き倒れ伏し、黒い霧となって消滅した。
すると、オーディンは1度宙に浮かび、槍に黒炎を纏わせて地に降り立った。残り体力が2割を切っている合図だが、この槍を振るわれると終わりだ。
私は1度深呼吸すると、攻撃を再開した。まだまだ余裕がある。
「総攻撃! 出し惜しみは許さぬ!」
「9班、ナギを援護せよ!」
アーロンさんとクルトさんの指示によって騎士の攻撃は一層激しさを増し、私には絶えることなく回復やバフが飛んでくる。
あと少し、このままいけば勝てる、そう思った時──────
オーディンが槍を捨てた。
「え?」
あまりにも想定していない動きに、一瞬思考が停止する。
「ナギ!!!」
クルトさんの悲鳴が聞こえた次の瞬間、私はオーディンに囚われた。




