40.奥の手
「おい、ナギ? おい!」
名前を呼ばれてハッとなり声の主を見ると、すぐ隣にエドガー王子が居た。
「……え……王、子?」
「大丈夫か? そなた、ゲートを使うなり全く反応がなくなったのだぞ」
「……ゲート?」
言われて辺りを見回すと、先日日本語の文献を見るために訪れたあの部屋に居た。
「な……」
「ああ、王子。ナギに急ぎ話したいことがあるのですが、宜しいですか?」
呆然と声の主に目を向けると、ジリアンさんが立っていた。
「なに? そなたら知り合いなのか?」
「あー、まあ、そうですね。今ならそう言っても間違いではないでしょう」
ふと2人の声が遠ざかり、キーンと耳鳴りがした。立ちくらみのような目眩がする。
「おい……そなた具合でも悪いのではないか? 顔色が悪いぞ」
ふらついた私をエドガー王子が咄嗟に支えてくれる。その手に、いつも私を支えてくれるひとを思い起こす。そして、ピクリとも動かない彼の姿がフラッシュバックした。
「あ……」
途端に目の奥が熱くなり、勝手に涙が溢れだした。
「なっ……なんだ、どうしたのだ! おいジリアン、貴様何をした」
「ちょ、ええええ、私ですか!? いやその、私のせいといえばそうと言えなくもないですが、直接的な元凶ではありませんよ! たぶん!」
突然ぼろぼろと泣き出した私に2人はギョッとなったようだけど、涙は止まらない。頭が痛くて、心臓のあたりがしくしくする。うまく呼吸ができなくて苦しい。
「なんだと言うのだ……おい、泣くな。そなたそれでも騎士であろう」
エドガー王子が途方に暮れたように呟くと、私を抱きしめた。子供をあやすように、以前私もクルトさんにしたことがあるように、ポンポンと背中をたたく。
「す、すみま……」
クルトさんのことが頭に浮かぶたびに、次から次に涙が溢れ出す。まるで壊れた蛇口のようだ。頭上からため息が聞こえる。
「このまま連れて帰り私のものにするぞ。それが嫌なら泣き止め」
エドガー王子は割と横暴なことを言いながらも優しく頭を撫でてくれた。人肌に包まれて、少しずつ落ち着いてくる。
「ハッ、もしかして、クルトですか? そうですよね? なるほど理解しました!」
ジリアンさんが閃いたという風に突然言い出した。
「貴様、何を言っている」
「ナギは今、クルトが死んでしまったと思って泣いているのですよ! 大丈夫、彼は無事です!」
「え……」
(無事……?)
思わず顔を上げてジリアンさんを見る。ぱちぱちと瞬きをすると、涙で滲んだ視界がクリアになった。
「説明しますから、どうか泣かないでください」
涙を止めようと苦心していると、エドガー王子が体を離し、ハンカチを差し出した。
「……まったく。私の抱擁を受けて歓喜の涙を流すのならまだしも、他の男のことを想ってだと?」
あまりにも尊大な王子様然とした言い方に、少しおかしくなる。このひとは必要に応じてワザとそのように振る舞うのだろう。おかげで、ようやく涙は止まってくれた。
「それで? ジリアン、説明せよ」
「承知しました……って、王子も聞かれるのです? 訳が分からないかもしれませんよ」
「構わぬ。そもそも、そなたの話の訳がわかった試しがない」
「ええ!? 酷い」
ジリアンさんはブツブツと不満を述べながらも6つのディスプレイの前に立った。
「まず概略を説明しますと、明日王国が滅びることがわかったので、やむなく有効なキーであるナギが復元ポイントにチェックしたタイミングまでロールバックしました」
「……は?」
エドガー王子の反応は正しい。ジリアンさんの話は冗長だと聞いていたけれど、今回は事情を知らない人にとっては簡潔を通り越して淡白だろう。
でも、私にはそれなりに意味がわかった。私が有効なキーというのはわからないけれど、あの「何か」によってフレクト王国が滅ぼされるのを回避するべく、1日巻き戻したのだ。「Aslan」でも過去に1度だけ取り返しがつかない不具合でロールバックされたことがあった。あの時のコミュニティの荒れようは凄かった。
そして、そのようなことができるということは、やはりジリアンさんがこの世界を創ったというのは嘘ではなかったということだ。サーバー管理者のようなことが出来ると思っておけば良さそうだ。
「王子、とりあえず明日王国がかなり不味いことになるから、どうにかしなければならないことだけわかっていれば大丈夫だと思います」
「……よかろう」
「それで、どうすれば良いのですか?」
「エアル湖に現れたオーディンを倒してください」
「え?」
「……は?」
(オーディン? って、あの最強レイドモンスターの?)
オーディンはそもそも出現率がとても低く、高レベルプレイヤーが50人は居ないと討伐できないことから、サービス開始当初から存在するにも関わらず、討伐成功例がとても少ないレイドモンスターだ。私も倒せたことは1度しかない。
現れるのはいつもマップ最北にあるイーリス雲海のどこかだったはずだ。対してジリアンさんが言ったエアル湖は、街から出てすぐのところにある森と湖が綺麗なエリアで、間違ってもそのような所に現れる相手ではない。
「何を言っている? あのようなところに、そのような伝説に近いモンスターが居るわけなかろう」
「それが居るんですよね。バグのせいで……」
ふと、以前エルミアさんと「ゲームならバグだと騒ぎになる」と話したことを思い出す。
「もしかして、ペルタストやクリュスタロスと同じということですか?」
私が聞くと、ジリアンさんは我が意を得たりという顔をした。
「いやぁ、話が早くて助かります! その通りです」
すると、ジリアンさんはディスプレイに地図を表示させた。「Aslan」でいつも見いてた世界地図と同じもののようだ。
「そもそもあのバグは、モンスターのポップ座標が著しく狂うというものでして、どうもナギ達をこの世界に呼んだ時に一部に影響してしまったようなんですよね」
「……この世界に、ナギを、呼んだ?」
「ええ、そうですよ」
エドガー王子はチラリと私を見ると、ため息をついた。
「……相変わらず理から外れているようだな。まあいい。それで、オーディンと我が国が滅びることに何の関わりがあるのだ?」
エドガー王子は「そんなもんか」とでも言わんばかりに軽く流して話を先に進めてしまった。肝が据わっているのか、もしかしたらジリアンさんが何者なのか知っているのかもしれない。
「ナギとエルミアはこのあたりとこのあたりにうまく呼べたんですが、もう1人このあたりに呼ぶはずだったんです」
ジリアンさんが話しながら地図をタップすると、ブラウ大森林とロット鉱山、エアル湖の色が変わった。エアル湖だけ色が違う。
「でも、何故かキャラクターデータしか来てなかったんですよね。うーん、何が原因だったんだろう?」
そう言って腕組みをして考え込むように黙ってしまった。私はエドガー王子と顔を見合せた。
「ジリアン……考えるのはあとにせよ」
「……ハッ、そうでした。ええと、どこまでお話しましたっけ? ああそうそう。キャラクターデータだけあっても私としては意味が無いのですが、だからといってこの世界にもう存在しているオブジェクトをどうこうする力は私には無いので、とりあえず放置しておいたんですよ。そしたら近くに現れたオーディンに見つかってとられちゃったみたいで」
「……全く意味がわからぬ」
王子が半眼で言った。私も同意したい。
「ええとですね、キャラクターデータ……自我の器とでも言えば伝わりますかね? それを、オーディンが乗っ取ってしまったといいますか」
「待ってください、そもそもオーディンはモンスターですよね?」
「そうですよ」
「モンスターがキャラクターデータを乗っ取るというのはどういう意味ですか?」
「本来別々に区分けされたデータを混ぜたと言えば伝わりますか?」
「……わかったような、わからないような」
「私は全くわからぬ」
「うーん」
ジリアンさんは暫し何もないところを見つめて考えた。どう言えば伝わるのか言葉を検索しているような、そんな印象を受ける。
「オーディンとしての器を捨て、放置されていた器に乗り移って、オーディンとしての力とその器が持つ力を自在に使えるようにした、と言えば伝わりますか?」
ここで言う放置されていた器とは、キャラクターデータのことだ。ということはつまり。
「……では、プレイヤーとオーディンのスキルを両方揮えるものになったということですか?」
私がそう言うと、ジリアンさんはほっとした顔をした。
「ご理解頂けたようで何よりです!」
全く何よりでは無い。ただのオーディンでさえ強敵なのに、それがプレイヤーのスキルも使えるなんて最悪ではないか。騎士達が何をしても通用しなかった様子を思い出す。
「……この世界のモンスターにはそんなことが出来るのですか?」
「本来は不可能です。ただ、オーディンはこの世界で最も高度な思考と危険な行動原理を持ったモンスターですからねえ。ポップ時にバグってレイスの能力の一部を得て、それを流用しているようです」
レイスとは、プレイヤーに取り憑いて行動を阻害し体力を奪う、幽霊のようなモンスターだったと思う。そういえばクリュスタロスも、自爆という本来もっていないはずの能力を得ていた。
「オーディンがああなるともう倒せないというか、器が器なので殺しても蘇るし、その前に倒してきて欲しいのです。それに、どうも私を狙ってきているようですし」
「そなたを狙う? ではそなたが贄になれば我が国は安泰なのではないか?」
「なっ!? そんな合理的な!?」
「それに結局のところ、そなたが元凶なのであろう?」
ジリアンさんは涙目でエドガー王子に取りすがった。対する王子は真剣にジリアンさんを見捨てることを検討しているようだ。
説明を聞いて、あのテクスチャがバグったような異様な見た目に納得がいった。持っていた槍はオーディンのトレードマークとも言えるグングニルの槍なのだろう。あれに、勝てる未来は見えない。「誤った存在」というクルトさんの言葉が頭に浮かぶ。
「その、器の方をどうにかするのではダメなのですか?」
「オーディンに見つかる前に完全に消去すればいけると思いますが……一応プレイヤーなので難しいですよ」
死んでもリスポーンする自分のことを考えると、塵も残さず消し飛ばしてもダメかもしれない。
「……今ならまだ、ただのオーディンということなんですね?」
「そうです。あ、レイスの「取り憑く」と「魂喰い」の能力を得ているようですけどね」
あの、感情の無い灰色の目を思い出して鳥肌が立つ。あの恐怖は魂を喰われる感覚だったのかもしれない。
それでも、ただのオーディンに近いのであれば、勝ち目はあるはずだ。
(今なら、クルトさんを助けられる)
「いずれにせよ、エアル湖みたいなところにオーディンが居ては、いつどんな問題が起きるかわかりません。王子、倒しに行きましょう」
「ナギ! なんていい人なんだ!」
ジリアンさんは感激したと言った風に私にハグした。




