37.想い
「クルトさん、探しましたよ。こんなところで何してるんですか?」
「!?」
突然上空から降りてきた私に、流石のクルトさんもかなり驚いたようだ。
「……君はここで“フライ”が使えるのか」
「どうもそのようです。バレたらまずい気がするので秘密にしてくださいね」
クルトさんは驚きが過ぎ去ると、あの綺麗な微笑みを浮かべた。見た目は文句の言いようがない微笑みなのに、何故かあまり好きになれない。
「ごはん食べましたか?」
「いや」
「クルトさんと食べようと思って買ってきたのです。一緒に食べましょう」
尖塔には簡易なテーブルと椅子が設置されていたので、私は料理をクルトさんに手渡して座ると、自分の分を食べ始めた。見た目カツサンドのようなものだけど、お肉がジューシーで、甘みのあるふわふわのパンと良くあっていて美味しい。
「これお店の人のおススメだったんですが、美味しいです」
笑顔で言うと、クルトさんは眩しいものを見るように目を細めて、渡されたものを食べ始めた。
「それで、ここで何してたんですか?」
「特に何も」
夜景でも眺めていたのだろうか。まぁ、私もただぼんやりしたくなる時はあるので、少しわかる。
食べている最中も後もクルトさんは何も言わず、ぼんやりとしている。何を考えているのかわからないけれど、いつものクルトさんとは明らかに違うことだけはわかる。
「あの、クルトさん、このブレスレットのことなんですけど」
「……君は、王子を選んだのだろう?」
(……なんですと?)
いきなり何を言い出すのかと驚いて見ると、クルトさんは目を伏せた。
「その紋章は王家のものだ。それを身に着けているということは、王子の親愛に応えたということだろう?」
「え、紋章?」
改めてブレスレットをまじまじと見てみると、確かに細工部分が紋章のようになっていた。そして、これが王子の親愛を示す物で、私がそれを受け入れていると他人に受け取られることを理解した。
(それで貴族への牽制になるってことか……王子、説明が足りないよ……)
これまでの皆の反応の意味を理解したものの、勘違いさせておいてはいけない人の誤解は解く必要がある。
「ええと、確かにこれは王子にいただいた物なんですが、そういうんじゃなくて」
「君には、王子のような力を持つ人物が相応しいと思う」
「人の話を聞いてください!」
こちらの声が聞こえていないかのようなクルトさんに焦りを覚え、私は立ち上がると彼のほっぺをつまんだ。効果はあったようで、こちらの方を向いてくれた。
「いいですかクルトさん。このブレスレットは、王子が「護りになる」とくださったものです。貴族への対応に私が困ることになると予見してのことです。ですから、親愛に応えるとかそういう類のものではありません」
「……護り……?」
「それから、クルトさんには言うなと言われました。よくわかりませんが意趣返しだと。王子のご命令とはいえ、黙っていて申し訳ありません」
すると、クルトさんはあの微笑みを消して、なんだか見たことのない表情で私を見つめた。
どのくらいそうしていただろうか。クルトさんはいつもの様に私の頬にそっと触れた。
「ナギ」
「はい」
返事をすると、目を細めた。
「……君は、ここではない世界からきたのだろう?」
そして続けられた言葉に、息が止まる。
「はじめは、私と同じようにこの世界にきた君に、自分を重ねていただけだった。すると、君は自分のことを他人事のように見ているのに気づいた。それはまるで私の在り方を否定されているようで、この世界で「生きよう」と決めた私自身の在り方を君に肯定してほしくて、私は手を尽くすことにした。君が、君の意思でこの世界で生きることを望むように、仕向けようとしたのだ」
私と同じなのだと、薄々気がついていたことだった。クルトさんもやはり、この世界の人ではなかった。
「それなのに君は、時に酷いこともしたというのに、一度たりとも私を否定しなかった。それどころか、私を慕ってくれているように見えた。……いつしか私は、そんな君を失いたくないと思うようになった」
クルトさんは目を伏せた。
「君が目を覚まさなくなった時、目の前が真っ暗になったようだった。君の笑顔をもう見ることができないかもしれないと思うと、心の底から恐ろしくなった。何もかももう意味がないとさえ思った。それで……ようやくわかった」
そして、両手で私の頬を包み込むようにして目を合わせると、微笑んだ。
「君が、好きだ」
たったそれだけの短い言葉なのに、言われたことを咀嚼するのに無闇に時間がかかる。
「……あ、の……」
何か返事をしようと思うのに、何も言葉が出てこない。
「……この想いに応えてくれなくてもいい。ただ、少しでも傍に居てくれたら……嬉しく思う」
先日聞いた「気持ちに応えるだけのものがない」という言葉が頭を過ぎる。
クルトさんは、私にとって特別な人だと思う。傍に居てくれたら嬉しいし、好きかと聞かれれば、好きだと即答できる。でも、クルトさんが言ってくれたそれとは、何か違うように思う。それは、応えるだけのものがないということになるのだろうか。
何も言わない私を見て、クルトさんは再び微笑むと、頬から手を離した。心地よい温もりが離れていき、夜風が妙に冷たく感じる。
(……私は、どうしたい?)
例え違っていても、私の中にそれがなくても、「私」が「こうしたい」と思うのは。
「こ、応えたいと思うだけでは、いけませんか?」
口をついて出た言葉に、クルトさんが目を見開いた。
「先日クルトさんは、応えるだけのものがないって言っていました。私にも、それがあるのかよくわかりません。でも……」
私は、先ほど頬から離された手に触れた。
「それでも私は、応えたい、と思います。それじゃ、ダメですか?」
考えがまとまる前に言ってはみたものの、なんだか段々恥ずかしくなってきて、クルトさんの顔がまともに見られない。顔が熱くなってきている気がする。
すると、クルトさんは再び両手で私の頬を包み込んだ。必然的に顔が上げられ、クルトさんの目を見る。綺麗な青色の中に、私が映っている。
「……ありがとう」
そう言うと、そっと私にキスをした。




