36.余波
「満足したか?」
「はい。とても興味深かったです。ありがとうございました」
「私にはわからぬな……だが、そなたが満足したのであればそれで良い」
謁見の間まで戻ると、エドガー王子から小箱を手渡された。
「何でしょうか?」
「開けてみよ」
中に入っていたのは、繊細な細工に小さな宝石が品よく飾り付けられた細身のブレスレットだった。一目で高級品だということがわかる。
「……これは?」
「身に着けていろ。護りになる」
「え、いやいやいや! こんな高そうなものいただけません!」
固辞しようとすると、エドガー王子は表情を改めた。
「そなたは自分が何を成したのか理解しておらぬのだな。……まあいい。働きには見合った褒美を与える必要があるのだ。受け入れよ」
どうやら、あの文書を見ることだけでは王子的に不十分だったようだ。でもだからといって、このような物を貰っても困る。
「で、ですが」
「言ったであろう、それは護りになる。そなた、貴族から何か贈られなかったか?」
花束のことが頭に浮かぶ。何故エドガー王子があのことを知っているのだろう。
「フン、やはりそうか。このまま放っておけば次々と贈られてくるであろうよ。それはそなたの本意ではないのではないか?」
「それは、そうですが……そもそも貴族の方が何故私に? いただいても、お返しすることになりますし……」
「なに? 突き返したのか?」
「クルト隊長に騎士団の規則だからと言われて……」
すると、エドガー王子は大笑いした。爆笑といってもいい勢いだ。
「くく……よほどそなたが大事とみえる。あの者もただの男だったということか」
「え?」
「よい、気にするな。そのように騎士として固辞するには限度があるだろうよ。そなた個人にと言われればどうだ? なんといって突き返す?」
「う……」
「それを身に着けていれば、貴族から何か贈られてくることはなくなるであろう」
これにはそんな効果があるのか。よくわからないけれど色々と物を贈られるのは正直困るし、王子からのお礼ということで大人しく貰っておこうか。
「わかりました。ありがとうございます。大切にします」
「ああ、クルトには今の話をするな。ただの贈り物だということにしておけ」
「え、何故ですか?」
「この私が欲しいものをあの者が手に入れようとしているのだ。多少の意趣返しくらい許されるであろう?」
「は?」
エドガー王子はそれ以上何も言わず、王子自ら私の左手にブレスレットを着けると、満足したように退出を促した。
「ナギさん、お帰り……それは?」
詰所に戻るなり、フレデリックさんが目を丸くして私を見た。どうやらブレスレットのことを言っているらしい。
「あ、ええと……王子からいただいてしまいました」
クルトさんに言うなと言われたことを隊員に話してもいいものかわからず、とりあえずそう伝えてみると、フレデリックさんは驚愕したようだった。
「エドガー王子が……君に? 君はそれを受け入れたのか?」
「受け入れた? ああ、まあ、そうです」
「……」
エドガー王子の説明を受け入れたという意味かと思いそう答えると、フレデリックさんはうつむいて黙ってしまった。
「あの……フレデリックさん?」
「……いや、なんでもないよ。良く似合っている」
フレデリックさんは顔を上げたけれど、微笑んでいるのに辛そうに見えて心配になる。
「あの……?」
「それじゃ、僕はちょっと訓練に行ってくるよ」
「あ、はい。いってらっしゃいませ」
ふと詰所にいる他の隊員を見ると、なんだか誰もが驚いた様子だ。
(これそんなに驚かれるような高級品なのか……)
猫に小判ということわざが頭に浮かんだけれど、今更返すことはできない。いつも身に着けていると約束してしまったし、そのうち皆が見慣れてくれることを期待して、諦めよう。
「ああ、ナギ、戻ったか。王子はなんと……それは?」
今度はどこかへ行っていたクルトさんが戻ってくるなりブレスレットのことを聞いてきた。皆目ざとくないですか。
「その、王子からいただきました」
「……なに?」
クルトさんは愕然としたといった様子で固まってしまった。軽く1分はそのまま固まっていただろうか、ようやく口を開いた時には完全に無表情になっていた。
「君は……騎士をやめるのか?」
「は? え? どうしてそうなるんですか? やめません」
「王子から、近衛か側近への打診があったのではないか?」
「ありましたが、お断りしました」
「では……」
そう言ったきりまた黙ってしまい、困惑する。フレデリックさんといい、どうも何かしら致命的な勘違いをさせているような気がしてならない。エドガー王子からは黙っているように言われているけれど、きちんと説明した方がいいのではないだろうか。
「あの、クルトさん」
「……その方が、いいのかもしれないな」
「え?」
「良く似合っている」
そう言うと、私の頬に手を伸ばし、触れることなく下ろした。その顔はハンナさんのように綺麗に微笑んでいて、何を考えているのか読み取れない。
「あの、……」
「少し急ぎの書類を片付けるので、謁見の報告はまた明日でも良いか?」
「あ、はい。わかりました」
クルトさんは軽く頷くと、隊長席で仕事を始めた。心ならずもエドガー王子の意図通りになった形だ。
その後、あまりにも皆から驚かれるので訓練場へ行く勇気が出ず、勤怠など事務的なことを片づけているうちに、夜になった。もうそろそろ帰る時間だ。できればクルトさんに説明をしたかったのだけど、どうやらまだ処理する書類があるようだ。
(後でクルトさんの家に行ってみようか)
この後特に用事はないし、手土産でも買ってからクルトさんの家に行けばちょうどいいかもしれない。どうやら知り合いらしいジリアンさんのことも聞いてみたいし、そうしよう。
私は城を出ると街に行き、お店の人おススメのテイクアウト料理を購入してクルトさんの家に向かった。明かりがついていないから、まだ帰宅していないようだ。
(ずいぶん書類がたまってたんだな)
隊長というものがどのような仕事をするのか詳しく知らないけれど、見た感じ凪紗の世界でいうところのチームリーダーとか課長みたいなもののようだ。書類仕事が多く、頻繁に何か処理しているのを見かける。そのため、隊長とはただ強いだけでなれるものではないようだ。
(あんな顔初めて見たな)
まるで全てを覆い隠すかのような、綺麗な微笑みを思い出す。きっと、あれが貴族流のポーカーフェイスなのだろう。何故あんな顔をしたのかも聞いてみたい。
それからしばらく待ってみたけれど、クルトさんは帰ってこない。いくらなんでも遅すぎる。もしかしたら何か緊急事態が起きて、帰るに帰れなくなったのかもしれない。
戦闘であれば私でも役に立てることがあるだろうとふんで、城に向かってみることにした。
「クルト隊長ならだいぶ前に帰りましたよ」
「そうですか……」
詰所にいた夜勤組に聞いてみたところ、クルトさんはいなかった。そして案の定夜勤組からもブレスレットについて聞かれたけれど、ひみつだと言ってごまかしておいた。
(飲みにでも行ってるのかな?)
もしそうなら何時に帰ってくるのかわからない。明日私はお休みだし、また明日でも、それどころか別にいつでもいいと頭ではわかっているのに、何故かすぐにクルトさんと話さなければいけない気がする。
(探してみようかな)
とはいえ、どうやって探せばいいのだろうかと考えたところで、そう言えば私も移動魔法が使えないのか試していなかったことを思い出した。ちょうどいいし試してみよう。
私は城から出て人目のない木の影に行くと、“フライ”を使ってみた。すると、普通に飛ぶことができてしまった。
(元プレイヤーは制限の対象ではないということか……)
こういうところで、この世界の理から少しずれていることを実感する。しかし、今はちょうどいい。私は高度を上げてとりあえず上空から辺りを探してみた。すると、城の尖塔というのだろうか、おそらく有事には物見やぐらとしての役割を果たすであろう場所に、見慣れた銀色を見つけた。
(あんなところにいたよ。何してるんだろう?)
私は早速クルトさんのところへ向かった。




