33.望み
舞踏会は当然のようにお開きとなり、無関係の貴族達は帰っていった。
「ナギ、これを」
そういってアーロンさんから渡されたのは、足音を立てないようにと脱いだ靴だった。
「あ。どうもありがとうございます」
「肝が冷えた……もう二度とあのように勝手に動くのではない」
「と言われましても、王子に言われてどうしようかなと思っていたら、不審者が動くのが見えてしまったので、仕方が無かったのです」
「王子に? ……あのダンスがそれか」
「そうです」
靴を履きながらエドガー王子を見ると、近衛騎士と何か話していた。
「それにしても、ハンナ様が気付いてくれたお陰で話が早く済んで良かったですよね」
「わたくしは……お連れの方の後ろ姿がクルト様と似ていらしたものですから……その……」
「さ、さようでございましたか」
アーロンさんとの会話が聞こえてしまっていたようで返事がきた。これは、もしかしてクルトさんかしらと思って確認したら別人だったので、覚えていたというところか。どうやら本当にクルトさんのことが好きなようだ。
すると、エドガー王子が近づいてきた。
「ナギ、ハンナ、このたびはよくやった」
「恐縮に存じます」
「ありがとうございます」
「ナギ、約束通り望むものを与えよう」
そういえばそうだった。何も考えていなかった。
「騎士団の褒章でさえ思いつかず騎士団長にお任せしたくらいなのです。望むものと言われましても、何も……」
「そうはいかぬ」
「……では、頑張って考えておきますから、また後日お伝えするということでもよろしいですか?」
「いいだろう。必ず伝えるように」
「かしこまりました」
これは忘れてくれるのを待つというわけにはいかない気配だ。本気で何も思いつかなければ、エルミアさんに何か欲しいものが無いか聞いてみるのもいいかもしれない。
「ハンナ、そなたにも褒美を取らせる。何か望むものはあるか?」
「……よろしければ、当家への庇護を」
そういえば貴族の世界では後ろ盾が重要だと以前聞いた。ここでそれを望むとは、ハンナさんは真に貴族の家の当主というものなのだろう。
「いいだろう」
「ありがとうございます」
対するエドガー王子はそれを予想していたかのような反応だ。こっちはこっちで上に立つ者という感じがする。
いずれにせよ、やはり私の感覚では住む世界が違う。
「ナギ!」
聞き慣れた呼び声に振り返ると、クルトさんがやってきた。
「あれ、何故ここに?」
返事がわりに質問すると、何かに驚いたように一瞬固まった。どうしたのだろう。
「……い、いや、騒ぎがあったと聞いてな。大丈夫か?」
「問題ありません」
すると、クルトさんは最近よくやるように私の頬に手を触れた。心配が顔に浮かんでいる。相変わらず心配性だと思うけれど、あれほど強固に舞踏会への参加に反対していたのに、何かあったと聞いては仕方がないかもしれない。
そして、ハッとなった。
(ハンナさんが見ているのでは!?)
ハンナさんはというと、大きく目を開いてこちらを凝視していた。これはなんだかとてもまずい気がする。
「く、クルトさん! ハンナ様のお力添えのお陰で、スピード解決になったんですよ! お知り合いなんですよね!?」
慌ててハンナさんのところにクルトさんを連れていくと、ハンナさんは綺麗に微笑んだ。
「クルト様、ご無沙汰しております」
「ああ、ハンナ様。お元気そうで何よりです」
それから2人は談笑を始めた。良かった。
「……それで、クルト様とナギ様は、どのようなご関係でいらっしゃいますの?」
しばらく2人の会話を聞いて、そっとフェードアウトしようとしたところで、ハンナさんの矛先がこちらへ向いた。なんだか首筋が冷っとしたのはおそらく気のせいではない。
「どのような……と仰いますと? ナギは私の部下です」
「そうです! クルト隊長は、頼もしい上司です!」
「……一応上司だと思っていたのか……」
「え!? それはそうですよ。いつもお世話になっていますし、感謝しています」
そう言うと、クルトさんは何故か微妙そうな顔をした。解せない。
「……仲がよろしいのですね」
ハンナさんの言葉に再び冷っとする。これは困った。なんだか何を言っても誤解されそうな気がする。こういう時は逃げるに限る。
「クルトさん、私少し騎士団長とお話があるので、ここはお任せしますね! ハンナ様、失礼します!」
そうしてアーロンさんのところへ退避すると、エドガー王子と何か話しているところだった。
「……なるほど、アーロンの剣ではなく、クルトの宝石か」
「さようでございます」
「フン。奪ってやっても良いが」
「どうかご容赦を……それに、ナギが望まないでしょう」
「私が何を望まないのですか?」
自分の名前が出たので話に参加してみたけれど、エドガー王子は楽し気だし、アーロンさんは困り顔だ。あまりいい話をしていた様子には見えない。
「ナギ、そなた本気で近衛騎士になる気はないか?」
「え、ですから何度か申し上げましたように、そのつもりはございません」
「私の側近でも良いぞ」
「……王子、私は今の環境が気に入っているのです。どうか奪わないでくださいませんか」
そう言うと、王子は目を細めた。
「奪ってやろうと言ったら、そなたはどうする?」
「そんな人だったなんて、とがっかりします」
そろそろ猫をかぶるにも限界がきていて、なんだか素で即答してしまった。しかし、エドガー王子は思いのほか衝撃を受けたようだ。
「……そなたに失望されるのは、避けたいな。仕方ない、諦めることにしよう」
「申し訳ございません、エドガー様」
「構わぬ。何もかも望むがままに手に入るのも、つまらぬからな」
そう言って、王子は近衛騎士を引き連れて去っていった。会場を見やると、そろそろ事後処理や後片付けが終わりそうだ。
「では、我々も帰るとしよう。ハンナ様、我々はこれで失礼します」
「ええ。わたくしもこれで。皆さま、ごきげんよう」
ハンナさんは何やら深刻そうにクルトさんと話していたけれど、最後には穏やかに微笑んで去っていった。
「クルトさん、ハンナ様と何を話していたのですか?」
「お慕いしております、と言われた」
「!?」
まさかあそこで告白タイムになっているなんて全く想像していなかった。ハンナさん、見た目からは想像できないほど行動力も度胸もある。
「……それで、お前はどうしたのだ」
「申し訳ないがその気持ちに応えることはできない、と」
「ええ!? 勿体ない……」
「……」
興味が無いとは聞いていたけれど、そんなにあっさりお断りしてしまうなんて。ちょっと付き合ってみるとかあってもいいのではないか。あんなに美人で聡明な女性なのだし、そのうち好きになるかもしれない。
「クルト、すまない。大きな問題には発展しないと思われるが、ナギを守り切れたとは言い難い」
「……何があったのですか」
「今日はもう遅い。明日話す」
「……わかりました」
今日来ていた貴族にはどういう絡繰りだったのか凡そ察しがついただろうし、特に問題ないと思うのだけど。他に私が気づいていないところで何かあったのだろうか。
城から出ると、外はもう真っ暗だった。
「ナギ、送って行こう」
「え、一人で帰れますから大丈夫ですよ」
「その恰好でか……」
そういえば正装だった。行きは城のドレスルームで着替えたのだけど、帰りは色々あったせいで着替える時間がなかったのだから仕方がない。
「でも、それを言うなら騎士団長も正装じゃないですか」
「騎士団長、私が送りましょう」
「ああ、頼めるか」
「はい」
そうして、アーロンさんと別れてクルトさんと2人で帰路につく。
「ハンナ様、美人だし素敵なひとじゃないですか」
「そうだな」
「何故お断りしたのですか?」
「彼女の気持ちに応えるだけのものがないからだ」
私にはいまいちよくわからないけれど、そういうものか。
「……それに、彼女は吹っ切るために気持ちを伝えてきたように見えた」
「といいますと?」
「さてな」
クルトさんは、この話をこれ以上する気はなさそうだ。まぁ、人の色恋沙汰にそんなに首を突っ込むものではない。私もこの話はここまでにしよう。
「そういえば、何故お料理を食べてはいけないなんて騎士団長に言ったんですか? 少しだけ食べたらとても美味しかったので、他のものも食べてみたかったです」
「……食べたのか?」
「1つだけ許可が下りたので食べましたよ」
「……先ほど騎士団長が言っていた意味を理解した」
「ええ? どういうことですか?」
「君は知らなくて良い。今度美味いものを奢ってやるから、それ以上聞くな」
結局何故食べてはいけなかったのかわからずじまいだけど、次なる美味しいものの予定ができたので良しとしよう。
やがて、宿舎エリアについた。
「ここまでで大丈夫です。ありがとうございました」
「ああ。……ナギ」
「はい?」
クルトさんは人の名前を呼んでおいて、目を逸らした。
「なんでしょうか?」
「その、とても綺麗だ」
「は?」
一瞬何のことを言われたのかわからなかったけれど、今日の装いを褒めてくれたのだと気が付いた。
「ああ、このドレス綺麗ですよね。髪とかお化粧も、騎士団長が連れて行ってくれたお店の方が頑張ってくれました」
「……そうではなく、君が綺麗だと言っている。一瞬見惚れた程だ」
今日は色んな人から美しいだの綺麗だのと褒められて、社交辞令とはこういうものかと思っていたけれど、なんだかクルトさんは本気で言っているように聞こえる。
「……あ、ありがとうございます」
少し恥ずかしくなってうつむくと、クルトさんはいつものようにそっと頬に手を触れた。顔をあげると、先ほど逸らされていた目はじっと私を見ている。顔が熱くなるのを感じる。すると、クルトさんはふっと微笑んで頬にキスをした。
「……では、おやすみ。また明日」
「は、はい。おやすみなさい」
(……この世界の挨拶に慣れる日はくるのだろうか……)




