19.荒療治
私との訓練は意外にも需要があったようで、毎日誰かしらと対戦する日が続いた。対人戦の経験を積みたくなった私としてもありがたい。ちなみに今のところクルトさん以外負け無しだ。
そして、明日は休みだ。休みの前日と言えば、多少飲みすぎても大丈夫な日だ。
「クルトさん、私明日休みなのです」
「知っている」
「……」
「……」
約束通り飲みに連れてってという無言の圧力は伝わったようで、クルトさんは諦めたようにため息をついた。
「……わかった。少し書類を片付けるから待っていろ。あと一応カラムにも声をかけておいた方がいい」
「わかりました」
カラムさんは詰所には居ないようだ。
「どなたかカラムさんがどこにいるか知りませんか?」
「訓練場じゃないか? あいつ最近暇さえあれば訓練してるし」
「そうなんですか」
訓練場へ行ってみると、カラムさんはクレイグさんと対戦中だった。観戦しながら終わるのを待っていると、私に気づいて手を止めてくれた。
「ナギさん、どうしました?」
「全然仕事に関係ないことなんで後でいいです。続けてください」
「いや、構いませんよ。どうも隊長と貴女の対戦に触発されたようで、妙に奮起しているのに付き合わされているだけですから」
「いや、あれ見たらああなりたいって思うって。副隊長も似たようなもんだろ」
なんだかやる気が出たのであれば、悔しい思いをした甲斐があったというものだ。
「それで、何か用事かな?」
「あの、もしよかったら、今晩飲みに行かないかと思いまして」
「あー、ものすごく行きたいけど、今日は僕達夜勤なんだ。ごめんね」
「そうでしたか、わかりました。お邪魔してすみませんでした」
「いいって。むしろまたいつでも誘って欲しい」
夜になり城前広場で待っていると、クルトさんがやって来た。
「カラムさんは夜勤だそうです」
「知っている」
「え? じゃあなんで声かけに行かせたんですか」
「そうしないと後がうるさい」
ああ、それはなんとなくわからなくもない。
「何か希望は?」
「最初に飲んだのと同じお酒が飲めるところが良いです」
「しかしあれは……」
「明日休みなので家にさえ着ければ大丈夫です!」
「……わかった」
そうして連れて行かれたのは、とても落ち着いた雰囲気の店だった。ウェイターの応対の丁寧さといい、私の感覚では「高そうな店」といった様相なのだけど、おそらく間違っていない気がする。クルトさんの食に関する金銭感覚がズレているのをすっかり忘れていた。それか、最初に飲んだあの桃のようなお酒、もしかしたらこういう店でしか飲めない高級品なのかもしれない。
相変わらずメニューを見てもよくわからないので、注文はお任せだ。どこを見ても値段が書いてないあたり、私の予想は合っているのだろう。店をチョイスしたのはクルトさんとはいえ申し訳なくなるので、次に似たようなことがあったら「あまりお高くない店」という条件をつけようかと思う。
「君のおかげで隊の者は訓練に身が入るようになったようだ」
「私のおかげ、ですか?」
「あまりアッサリと負けるのも悔しいのだろう。君と手合わせをした者ほど真面目に訓練に取り組むようになったとコネリーから聞いている。それに全体が影響されているようだ」
「そういえば、カラムさんは私達の対戦を見てやる気が出たみたいです」
「……そうか。この国は長らく平和なもので、騎士が強さを求める必要があまり無くなっていたからな。またあの鉱山のようなことがあると、それでは困ると思っていたところだから良かった」
確かに必要がないなら自己満足の世界になるから、「ある程度できればいい」と思う人が増えるのは必然かもしれない。
やがて、料理とお酒が運ばれてきた。サラダとトマトクリームスパゲティのようなものだ。とても良い匂いがしていて、一気にお腹が空いた気がする。
あの桃のようなお酒をグラスに注いでもらい、お疲れ様の乾杯をした。
「やっぱりこのお酒すごく美味しいです」
「飲みすぎるなよ」
「大丈夫です。たぶん」
「おい……」
スパゲティもとても美味しい。どうやらカニか何かが入っているようでソースに旨味がプラスされており、これがほどよい硬さながらもモチモチのパスタによく絡んで口の中一杯に広がる。
「私、いま幸せを感じています」
「その気持は理解できる」
料理を食べ終える絶妙なタイミングで、コルフェとデザートが運ばれてきた。この世界に来てスイーツをいただくのは初めてだ。
デザートは、薄いスポンジの上にたっぷりのムースのようなものがのっていて、赤色のソースがオシャレにかけられているものだった。早速食べてみると、甘酸っぱいベリーのような味が口の中をサッパリとさせてくれて、とても美味しい。コルフェは普段飲んでいるものより少し苦めだけど、コクがある感じでこのスイーツにとても合う。あっという間に完食して、店を後にした。
「とても美味しかったです。ごちそうさまでした」
「機嫌は直ったか?」
「直りすぎてボーナスが出るくらいです」
「何だそれは」
今日は止められなかったので、調子にのってあのお酒を4杯も飲んでしまった。ふわっふわしていてとても気分が良いけれど、既にものすごく眠い。
「宿舎まで起きていられるか?」
「なんともいえませんが、がんばります……」
私の怪しい返答に、クルトさんが腕を支えてくれた。
「よりかかれるものがあると、ますますねむくなるのですよ……」
まぶたが重い。段々目を開けていられなくなる。これはちょっと想定外だ。
「おい、ナギ」
「だめそう、です……あとはおねがいしま……」
そして、いつかのように私の意識はフェードアウトした。
目が覚めると、見覚えのある天井が視界に入った。辺りを見回すと、クルトさんが窓の外を見ていた。外はまだ薄暗く、どうやら早朝なようだ。
「……おはようございます」
「起きたか。気分は?」
「平気です。ここクルトさんの家ですよね?」
「……君の宿舎には入れないのだから仕方がないだろう」
「ですよね」
クルトさんはため息をつくと、ベッドの傍にきた。眉間にシワが寄っている。
「予想していたことではあるが、なにが「家にさえ着ければ大丈夫」だ」
「すみませんでした」
「君を抱いて歩くところが誰かの目に留まっていたらどうするつもりだったのだ? 今回は見られていないとは思うが」
「重ね重ね、申し訳ありません」
まだ若干ぼーっとするのであまり身の入らない謝罪を繰り返す。叱るのなら寝起きのタイミングだけはやめておくべきだと思う。
クルトさんにもそれが伝わったのか、再びため息をついた。
「ナギ、ちゃんと聞いてくれ」
「聞いてます」
「男と酒を飲むというのに、警戒心がなさすぎるにも程があるだろう」
そう言って、クルトさんは徐にベッドに片膝をつくと、軽く私を押さえつけた。
「……私がその気になれば、君を襲うこともできるのだぞ」
ぼんやりと自分の真上にあるクルトさんの顔を眺める。どう見ても心配で怒っている人のそれで、襲おうという感じではない。睨まれるのは怖いけれど、そういう怖さではない。
「クルトさんはそんなことしないじゃないですか」
「相手が誰であれ、もう少し警戒しろと言っているのだ」
「……これは仕返しですから」
「は?」
「クルトさんがちょっと困りそうなことをしてやろうと思ったのです。私とはもう勝負しないなんて言うからです。でも、あんなに早く眠ってしまったのは想定外でした。申し訳ありません」
種明かしをすると、クルトさんはぽかんとした。なかなか珍しい表情が見られたように思う。
「……君は……」
長い沈黙の後、クルトさんがふいに顔を歪めた。
「もっと、自分を大事にしろと言っているだろう……意趣返しに自分自身を投げ出すやつがあるか……何故わからない?」
一瞬そのまま泣き出すかと思った。ああ傷つけてしまった、とわかった。でも、何故クルトさんが傷つくのかがわからない。
「言っている意味はわかっていますよ。ただ、自分で自分を眺めているようで、うまくいかないのです」
「なに?」
「私だけど、私ではないような感じというか」
すると、クルトさんは目を見開いた。そのままじっと私を見つめる。
「……君は、君だろう?」
「頭ではわかっているんですけど」
凪紗とナギ、中身は同じ「私」だけど、この世界に来てからというものずっと、どこか自分を俯瞰で見ているような感覚だ。
「クルトさんに負けて悔しいと思った時、そのあたりのズレがしっくりきたような気がしたんですけどね」
「……」
クルトさんはしばらく黙って私を見つめると、頬に触れた。
「……なるほど。では、君は君であることを知らしめてやろうか」
そう言うと、クルトさんは私にのしかかった。両手を拘束され、身動きをとれなくされる。そして、そのまま顔を近づけてきた
「く、クルトさん?」
男性に押さえ込まれてキスをされようとしているという状況に、理屈ではなく本能的に焦りが生じる。身動きをとろうにも、完全に押さえ込まれてビクともしない。
「クルトさん!」
名を呼び、すぐ目の前に彼の顔があることへの恥ずかしさのあまりギュッと目をつぶる。すると、程なくしてふっと私を拘束していた手が離された。
目を開けると、クルトさんは何も言わずに体を起こしてベッドに腰かけ、私の頬へ手を触れた。思わずビクッとすると、何故か微笑んだ。
「……怖かったり、嫌だったりしたろう? それが君だ」
(え?)
このひとは、なにを言っているのか。
「悔しいとか、嫌だとか、そう感じている君こそが君だ。器の問題ではない」
(「器」?)
凪紗の肉体も、このナギの肉体も、ただの器だというのだろうか。
クルトさんに負けて悔しかったのも、キスされそうになって恥ずかしかったのも、見ている方も、見られている方も、全部「私」だというのなら。
ああそうか、と腑に落ちた瞬間、気がついた。
クルトさんも同じなのだ。
「クルトさん、もしかして──────」
「私は仕事へ行く。鍵はそのままで良いから、君は好きな時に帰りなさい。……手荒な真似をしてすまなかった」
唐突にそう一方的に言うと立ち上がり、出て行こうとする。
「ちょ、待ってください!」
慌てて手を掴んで引っ張ると、クルトさんの顔が見えた。
「……って、なんて顔してるんですか。それで仕事行くつもりですか?」
「……」
まるで死刑宣告をされたかのような、といった顔だった。目を合わせようともしない。
「……この前言ってたこと、なんとなくわかったんですが、クルトさんはまだ教えてくれるつもりはないんですね?」
「……」
「話してくれるまで待とうと決めたので、それは良いです。それで、なんでそんな顔してるんですか」
「……」
クルトさんは目を伏せて黙ったままだ。
「……よくわかりませんが、なんだか腑に落ちたみたいです。ありがとうございました」
お礼を言うと、驚いたようにようやくこちらを見た。
「私が怖くはないのか?」
「え?」
クルトさんを「怖い」と感じるのは怒って睨まれた時くらいで、それ以外でそのように感じたことは無い。
「睨まれない限り怖くはないかもです」
「……あのようにされてもか」
ああ。確かに普通なら、男の人に襲われそうになったようなものだし、その人を怖いと感じてもおかしくないのかもしれない。
「クルトさんになら何をされても嫌だとは思わないですよ。ただびっくりしたり恥ずかしかったりするだけで」
「な……」
なんだか呆然とさせてしまったけど、本当のことなので仕方がない。それが何故なのか、「好き」とは違うように思うし、自分でもよくわからないので説明は難しいけれど。
「だからと言って何してもいいわけじゃないんですよ。外聞がどうのと言い出したのはクルトさんなんですから、ちゃんと気にしてください。特にこの前のなんか、どうしようかと思ったんですからね。今のところ誰にも何も言われてませんけど」
「……ああ。すまなかった……」
「わかってくれたなら、いつものクルトさんに戻ってから仕事行ってください」
両手を伸ばしてクルトさんの顔をペちんと叩く。クルトさんはぱちぱちと目を瞬かせると、ふっと表情を緩ませた。
「……ナギ、一つだけ言っておくことがある」
「なんでしょう?」
「今後あの酒を飲むなら2杯までだ。わかったな?」
「ぐ。わ、わかりました……」
どうやらいつものクルトさんが戻ってきたようだ。




