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第7話 ちくちく痛むのは尻とココロ

第7話 ちくちく痛むのは尻とココロ


7月に入って、いよいよ暑さは増し夏が本番になった。

朝、カーペットに座って姉が化粧をしている。私はソファーに座って姉のファンデーションのケースの可愛らしさに見惚れていた。


「まだお尻は痛む?」


 出勤前の姉は、素早く手先を動かしながら心配してくれた。


「早く歩こうとするとジワジワ痛む時があるかな」


「そっか、無理せんようにね」


「ほーい、ありがとう、でも今日はバイト休みやけん、大丈夫」


「そっか、私さ、今日仕事の後に病院行ってくるけん、ちょっと遅くなるね」


 姉はマスカラをつけながら鏡越しに目を合わせた。


「はーい、了解、口開いとるよ、ひひひ」


 マスカラを塗る時、大概の人が口がわずかに開く、鼻の穴が膨らむと母は否定したが、私は口が開く方が正しいと思う。


「レイコ、いってらっしゃい」


母と一緒に、玄関で姉に手を振った。

姉の出勤を見送って、母と一緒に洗濯物を干した。


「みちる、そろそろ結果、届くんじゃないと?」


母が、父のワイシャツのシワを伸ばしながら尋ねてきた。


「結果?あ!ジェルネイル!お母さん、ちょっと郵便受け見に行ってくる!」


父のパンツを洗濯カゴに放り投げた。


 玄関のドアを開けて、郵便受けの前に立つ。


呼吸を整えて、そーっと開きを開けた。


 封筒が3通入っている。


1通2通と宛名を確認すると、3通目が私宛だった。


「検定重要書類在中」


 寒くもない、むしろ日差しが暑いというのに、身震いをした。

封筒を持って玄関のドアを開けると、

さっきよりもドアが重たく感じた。


「みちるちゃん、ネイルの試験に合格してもしなくても、ここでお祝いばしよう!

怪我してても、頑張ったとやっけん!ね!!」


 亡くなった長澤さんの優しい一言を思い出す。

やれるだけのことはやった。

ネイリストの先生から教わった全てを丁寧に出来たつもりだった。


  冷房のきいた涼しいリビングに入ると、少しだけ生き返ったような気分だ。

尻の故障で、約1カ月外出できなくて気が滅入った時もあった。

でも、こんな穏やかに日々を過ごしたのは初めてでもあった。

しかし、誰かと繋がりたくてSNSを利用した。

SNSの中の友人達は、私の精神状態を支えてくれた。


  もし不合格だったらと考えると、また息苦しくなる。


今この手の中にある紙切れ一枚で、ネイリストとして働けるかが左右されるのだ。

もちろん、仕事をしながら中級や上級も受けるけれど、はじめの一歩を踏み出したい。

何度も同じミスをする私に根気強く教えてくれたネイリストの先生、モデルとして練習を付き合ってくれた家族、伯母、従姉妹のナナ姉ちゃん、友人たち、励ましてくれたマスターやお客さん…。

色んな人の顔が浮かんだ。


 大きく息を吸って、吐きながら書類を開けた。



結果は、合格だった。




「お母さん、合格!」


「やったね!みちる!今日はお祝いだ!」


先程、顔が浮かんだ人たち皆に合格通知をもらったことを、連絡した。

従姉妹のナナ姉ちゃんからの返信が1番早くきて、8月15日の精霊流しの日の夕飯をお祝いを兼ねて乾杯しようときた。

嬉しくて、尻の痛みも忘れるほどだった。


今日の夕飯は、皿うどんと唐揚げになった。

我が家のルールで、祝い事といえばこのメニューなのだ。


「みちる、本当に合格して良かったね!」


仕事の後に病院にも行ってきて、疲れているのだろう、姉はあまり興奮していなかった。

合格するだろうと思ってくれていたのだろうか。


「頑張ったもんな、さ、ビールだ」


「ありがとう」


父が缶ビールをグラスに注いでくれた。


「さ、レイコも」


「私はお水でいいや、ありがとう」


「そうか、具合悪いのか?」


父は缶ビールを持ったまま姉を心配している。

キッチンから戻ってきた母も困った顔をしながら席についた。


「私、赤ちゃんできた」


「え?!うそ!え?!お、おめでとう!」


 私は何故か居ても立っても居られなくて、立ち上がって拍手した。

尻がちくんと痛んだが、それどころじゃない驚きだった。


「レイコ、び、びっくりしたけど、おめでとう!シンゴくんには言ったと?」


 母は姉の肩をさすりながら落ち着こうとしている。


「赤ちゃん…シンゴくん…え…」


父は缶ビールを持ったまま、瞬きを繰り返していた。


「ママ!パパが壊れた!ちょっと!ビールこぼさんで!」


私は横に座っている父の動揺した表情を見て真っ直ぐ手を挙げた後、ティシュペーパーを取りに走ろうとした。

すると母は真剣な顔で、父を説得した。


「パパ、今の時代、順番なんてどっちでもよかとよ、大事なのは…」


「シンゴとは別れた」


「え?!」


 グラスに入ったビールの泡が、ついになくなった。


「私、シンゴとは別れたけど、彼のことがやっぱり好きやった、この子を産みたか」


  姉は泣きながら、一言一言絞り出すように主張した。

  立ち上がったまま、息苦しくなって窒息しそうな気分がした。


みるみる全身が熱くなった。


  歯を食いしばって涙をこらえながら握り拳をした。

トロトロの皿うどんのあんかけの湯気も、見えなくなった。


沈黙を破ったのは私だった。


「ちょっと、トイレ行ってくる」


 そう言ってリビングを出た後、財布と携帯電話を部屋からとった。


玄関のドアノブに手をかけると、母から声をかけられた。


「みちる、トイレはそこじゃなかよ」


 静かで少し震えた声だった。


「お母さん、止めんで」


「これで足りるやろ、みちる、頼んだわ」


母は震えた手で3千円渡した。


 それを受け取ると、母は大きくうなづきながら涙を流した。


「余ったお金返さんばダメ?」


「ばか、よかよ」


 おどけてみせると、母は泣きながら笑った。


 玄関を開けると、外は雨が降っていた。

傘を差して少し暗くなった道を歩いた。

少し通りに出るだけで、タクシーはすぐに捕まった。


「長崎駅までお願いします」


長崎くんちの踊町に該当しないことを、子供の頃は悔しく思っていた。

だけど、浜の町の近くに住んでいることに、今この瞬間感謝した。


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